春の空気が落ち着くまで、数日かかった。
新入生の足音が廊下に馴染んで、ざわつきも「日常の音」になっていく。
最初の数日は、どこを歩いても落ち着かない視線が動いていた。
誰が誰を見てるのか。
何を探してるのか。
分かりやすい理由はない。
でも、こういう“落ち着かなさ”は、学校が切り替わった時にだけ出る。
俺はそれに混ざらない。
ただ、校舎の空気が少しだけ張ってるのは、歩けば分かる。
そして俺たちの方は──逆だった。
動き出したものが、ちゃんと形になった。
──茶会部。
昼休み、机の上に置いた紙が一枚、きれいに揃って戻ってきた。
端が折れてないのが、逆に怖い。
恵が指先で紙を押さえたまま、俺を見上げる。
「ハヤトさん。通りましたわ」
言い方が淡々としてるのに、目だけは少しだけ勝ち気に光ってる。
「条件つき、ですけどね」
日和が横から覗き込みながら言った。
嬉しそうにしてるくせに、口だけは軽い。
「条件って?」
「ほら、能村先生の。あの“現実”のやつ」
日和が指で紙の一行目を叩く。
俺は目を落とす。
──使用後は必ず清掃。
──ゴミは持ち帰り。
──騒音注意。
──終了五分前から片付け。
予想通りだ。
でも、通った。
「これで、屋上が無理でも集まれる」
レンが小さく言った。
声はいつもより少し軽い。
「そうだな」
俺は紙を戻して、頷いた。
放課後。
俺たちは“場所”へ向かった。
屋上じゃない。風に邪魔されない、雨に追い出されない場所。
使わせてもらえるのは、旧校舎側の小さな部屋だった。
元は資料室だったらしい。今は机が数台と、古い棚。窓は大きい。
扉を開けると、少しだけ埃っぽい匂いがした。
「うわ、なんか……部室って感じ」
扉を開けると、少しだけ埃っぽい匂いがした。
「うわ、部室っぽい」
日和が一歩目でテンションを上げる。
「まず掃除」
俺が言うと、日和の声が止まる。
「え、初回から?」
「初回だからだ。ここ、俺らの場所にする」
俺は窓の鍵を確かめて、少しだけ開けた。
空気が動く。薄い埃が光に浮いて、ゆっくり落ちる。
机の角に指を滑らせると、白い粉が指先についた。
「……雑巾借りてくる」
レンが言って、すぐに動いた。
「私も参りますわ」
恵が立ち上がる。
言い方は丁寧なのに、迷いがない。
「じゃ、あたしはほうき! ……って、どこにある?」
「持ってくる」
俺は短く言って、棚を開けた。
古い道具箱。中に、ほうきとちりとりが入ってる。
「あるじゃん!」
日和が嬉しそうに取り出す。
「騒ぐな。粉が舞う」
「はーい」
日和は口だけは返事をして、でもちゃんと動きは小さくした。
レンが雑巾を数枚抱えて戻ってくる。
その後ろに恵もいて、手には小さなゴミ袋。
「これで足りますか」
「十分」
俺は机を端に寄せる。
日和が床を掃く。恵が棚の上を拭く。レンが窓枠を丁寧に拭いていく。
俺は最後に、部屋の中央を一周見てから言った。
「20分で終わらせる。終わったら机を組む」
「了解」
「続けるなら、毎回少しずつ。溜めるな」
恵が小さく頷いた。
「習慣にすれば、苦ではありませんわね」
空気が変わっていく。
埃の匂いが薄れて、窓から入る春の匂いが勝ってくる。
俺は雑巾を絞って、机の面を拭きながら思った。
──こういうのが、居場所になる。
言葉にすると簡単だけど、実際は地味だ。
雑巾を絞って、机を拭いて、床を掃いて、棚の上の埃を取る。
誰か一人がやればいい作業じゃない。
全員が手を動かすから、部屋の空気が変わる。
20分。
最初に入ってきた時の埃っぽさが消えて、窓から入る春の匂いが勝った。
光が床に落ちて、さっきまで浮いてた粉はもう見えない。
「……終わり」
俺が言うと、日和がほうきを立てかけて伸びをした。
「なんかさ、急に“部室”になったね」
日和が笑う。
恵はゴミ袋の口を縛りながら、淡々と言った。
「こうして整っていると、落ち着きますわね」
レンは窓を少しだけ広く開けて、外の音を確かめるみたいに耳を澄ませた。
「屋上より、静か」
「風もない」
俺が頷く。
日和が机を見て、手を叩いた。
「じゃ、机組も! 円っぽくしよ、円っぽく!」
「四角でいい」
「四角でも円っぽい心で!」
「意味が分からない」
俺が言っても、日和は勝手に机を押し始める。
ただ、動かし方は雑じゃない。さっき“騒ぐな”って言ったのが効いてる。
恵が机の端を軽く支えた。
「日和。床、傷つけないように」
「了解でーす」
レンも無言で反対側を持つ。
誰も大げさに言わない。自然に手が出る。
机が整う。
四人が向かい合って座れる形。
真ん中には、小さな空白が残る。
俺は椅子に座って、机の面を一度だけ指で叩く。
「ルール確認」
「出た。条件守る係」
日和が言う。
「言い出したの俺だ。続けるなら必要」
俺は紙を取り出して、短く読む。
「ゴミ残さない。騒音出さない。終わりに片付け。以上」
恵が小さく頷く。
「守れますわ」
レンも頷いた。
「僕も」
日和は両手を上げた。
「はいはい、守りまーす」
俺は一度だけ日和を見て、目で釘を刺す。
日和は笑いながら視線を逸らす。
そのやり取りで十分だ。
「で」
日和が身を乗り出す。
「お菓子、どうする? 今日さ、何もないよね?」
「初回だ。今日は決めるだけ」
「決めるだけで終わり?」
「終わり。今日は準備」
恵が口を挟む。
「では、役割を決めましょう。続けるなら分担が必要ですわ」
「そうだな」
俺は短く頷いた。
「買い出し。茶葉。お菓子。あと備品。紙コップとか」
「紙コップは許可いる?」
レンが聞く。
「使い捨てはゴミが増える。できればティーカップがいい」
俺が言うと、日和が即座に手を上げた。
「じゃ、あたしティーカップ担当! かわいいの探す!」
「それは趣味担当だろ」
「一緒一緒!」
恵がふっと笑う。
「茶葉は私が。家から手配できますわ」
「……さっすが恵、強い」
日和が小声で言う。
レンは少し迷ってから言った。
「僕、お菓子……選ぶの、手伝う」
「いい。無理するな」
「無理じゃない。甘いの、好きだし」
レンの声は小さいのに、そこだけははっきりしてた。
俺は頷く。
「じゃあ俺は、備品と場所の管理。窓と鍵と片付け確認」
「完全に条件守る係じゃん」
日和が笑う。
「誰かがやらないと崩れる」
俺が言うと、恵が静かに頷いた。
「ハヤトさんらしいですわ」