昼休み。
俺は旧校舎の廊下を歩いて、鍵を取り出した。
相川先生から許可はもらっている。昼休みも使っていい。
鍵穴に差し込んで、回す。
小さな音。扉が開く。
教室のざわつきが、遠くなった。
「うわ、ほんとに開いたっす!」
結陽が一番に入ってきた。
声の勢いも、そのまま。
「やっと来れたっす!」
次に入ってきたのは、ゆきだった。
扉の中に一歩入った瞬間、肩が少し下がる。
「……お疲れ様です」
小さく言って、ゆっくり息を吐いた。
俺は扉を閉めて、鍵を確認した。
昼休みは短い。出る時の確認を怠ると、放課後が崩れる。
部屋は整っている。
恵が用意したソファーとテーブルが左右にあって、執務机と執務椅子が奥にある。
恵は今日も手ぶらじゃなかった。
小さなクッションと、テーブルに置ける程度の小物。
「これも置くんだ」
日和がクッションを受け取って笑う。
「使いやすいように置いておきますわ。座る場所が整っているだけで、落ち着きますもの」
命はティーカップを丁寧に並べ始めた。
「命注いでくれるか?」
「わかりました」
命は頷いて、ケトルの位置を確かめる。
熱さを急がない手つきで、カップを順番に並べた。
湯気が立って、紅茶の香りがふわっと広がる。
それだけで、昼休みの空気が少しやわらぐ。
「はい」
命が俺の前にカップを置く。
「ありがとう」
俺が言うと、命は小さく頷いた。
次に日和、レン、恵、結陽、ゆき。
命の手が止まらず、全員の前に同じ温度が行き渡る。
弁当の包みが開く音が重なる。
教室で食べる昼飯より、落ち着く。
理由は単純で、見られてないからだ。
見られてないと、箸の動きが急がない。
会話も、必要な分だけでいい。黙ってても変じゃない。
ゆきがカップを両手で持って、一度だけ息を吐いた。
「……あったかい」
その声が小さくて、でもちゃんと届いた。
結陽がすぐに乗る。
「めっちゃあったかいっす! 昼にお茶って最高っすね!」
日和が笑う。
「結陽、テンション上がりすぎ」
「上がるっす! だって、ここだと安心っす!」
命はカップの向きを揃えながら、穏やかに言った。
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
その一言で、部屋がまた少し静かになる。
弁当の包みが開く音が重なる。
教室で食べる昼飯より、落ち着く。
「ここで食べると、うまいっすね!」
結陽が弁当を広げて、満面の笑みを向けた。
「気のせい」
「気のせいでも最高っす!」
日和が吹き出す。
「結陽、元気すぎ」
「元気だけが取り柄っす!」
ゆきが、ほんの少しだけ笑った。
その笑いが、無理してないやつだった。
命が弁当の箸を揃えてから、俺を見る。
「ハヤトさん」
「何」
「ハヤトさんは、土日もバイトですか」
「そうだ」
短く答える。
日和が箸を止めた。
「今週も?」
「入ってる」
レンが小さく言う。
「……忙しい」
「慣れてる」
俺はそう返すしかない。
恵が静かに頷いた。
「無理を積み上げないでくださいね、ハヤトさん」
「無理はしてないさ」
命は少しだけ間を置いて、丁寧に言った。
「体は大事にしてください。続けるなら、なおさら」
「分かった」
それ以上は言わない。
でも、その言葉は残った。
結陽がゆきの方へ身を乗り出す。
「間柴さん、弁当何っすか!」
「……唐揚げ」
「いいっすね! 私、卵焼きっす!」
「元気だね」
ゆきが言うと、結陽は胸を張った。
「元気っす! ここ、落ち着くから余計に元気出るっす!」
「逆じゃない?」
日和が笑いながら突っ込む。
「静かに元気っす!」
「なにそれ」
日和が笑うと、結陽も笑う。
そのやり取りが、部屋に馴染んでいく。
俺はゆきを一度だけ見た。
さっきより、呼吸が深くなってる。
この学校は女子が多い。
その空気の中で、休める場所がないって言ってた。
今、ここでは休めている。
日和が箸を動かしながら言った。
「昼休みってさ、休む時間なんだよね。本当は」
「そう」
俺が短く頷く。
命が静かに言う。
「ここでは、休めていますね」
恵も続ける。
「整っているからですわ」
結陽が口いっぱいのまま頷く。
「うんっす!」
レンが小さく笑った。
「……ちゃんと、昼休み」
俺は弁当の蓋を閉めて、周りを見回した。
「時間までここにいる。出る前にゴミはまとめる。机は元に戻す」
「はーい」
日和が返事をして、結陽も元気よく頷いた。
この静けさが、昼休みをちゃんと昼休みにしていた。
カップの湯気が落ち着いて、弁当の匂いが混ざっていく。
昼休みの終わりのチャイムが鳴っても、すぐに立ち上がりたくなかった。
でも、時間は時間だ。
「戻るぞ」
俺が言うと、日和が箸を置いて頷いた。
「はーい」
恵はゴミを小さくまとめて、端に寄せた。
命はカップを重ねず、割れないように並べておく。
レンは何も言わずに机を元の位置に戻した。
結陽は勢いよく立ち上がって、空になった弁当箱を持つ。
「放課後も来るっす!」
「来れるなら来い」
「来るっす!」
ゆきは少しだけ遅れて立ち上がった。
でも顔は、昼前より楽そうだった。
「……ありがとうございました」
「礼はいらない」
俺が言うと、ゆきは小さく頷いた。
教室に戻る廊下は、昼より騒がしい。
でも、さっき“静か”を挟んだぶん、耐えられた。
──放課後。
授業が終わって、俺はまた鍵を回した。
扉が開く。昼より長い静けさが入ってくる。
「ただいまっす!」
結陽が先に入って、勝手に“帰ってきた”って言い方をした。
「ここ、家じゃない」
俺が言うと、結陽は笑う。
「家みたいに落ち着くっす!」
日和が後ろから入ってくる。
「分かる。ここ入った瞬間、肩が落ちる」
レンは無言で頷いて、ソファーの端に座った。
命は鞄を置くと、すぐに手を洗いに行って戻ってくる。
恵は今日も何か小さな袋を持っていた。
「何それ」
日和が聞く。
「紙ナプキンと、小さなトレーですわ。お菓子を置くのに」
「さっすが恵、気が利く」
俺は机の方を見る。
昼のままじゃない。少しだけズレてる。小さなゴミが端にある。
「まず掃除」
「はいはい、部長」
日和が軽く手を上げる。
俺は指を折った。
「机。床。ゴミ。カップ。ケトル周り。終わったら、だらだら」
「だらだらが報酬w」
「そう」
命が頷いた。
「先に整えた方が、落ち着けますから」
結陽が箒を手に取って、勢いよく動く。
「私、掃除得意っす!」
勢いはある。
でも雑じゃない。床の角までちゃんと見てる。
ゆきは最初、立っていた。
どう動けばいいか迷ってる顔。
俺は言った。
「ゆき。無理なら座ってろ」
ゆきが少しだけ目を丸くする。
「……いや、やります」
「じゃあ、ゴミまとめ」
「はい」
ゆきは素直に動いた。
やることが決まれば早い。
レンはカップを洗い場に運ぶ係。
命はテーブルの上を拭いて、布巾を丁寧に畳む。
恵は備品の位置を揃える。
日和は床のゴミを見つけるのが異様に早い。
短い時間で、部屋が“戻る”。
「よし」
俺が言うと、日和がソファーに倒れ込んだ。
「解放〜……」
結陽もソファーの端に座って、足をぶらぶらさせる。
「だらだら最高っす……」
ゆきは少し迷ってから、反対側のソファーに腰を下ろした。
背もたれに軽く体を預けて、息を吐く。
「……ここ、すごい」
「だろ」
俺は短く返した。
恵が電気ケトルのスイッチを入れる。
「今日は、わたくしが淹れて差し上げますわ」
命がティーカップを並べる。
「お菓子も、出しますね」
日和が顔だけ起こした。
「今日、なにある?」
結陽が鞄から紙袋を取り出す。
「私、持ってきたっす!」
レンが小さく頷く。
「……楽しみ」
ゆきはその様子を見て、少しだけ笑った。
教室だと、こんなふうに笑う余裕はなかったと思う。
湯気が立つ。
甘い匂いが部屋に落ちる。
放課後の時間が、ゆっくり動き始めた。
「……これ、毎日来たくなる」
ゆきが小さく言った。
俺は頷いた。
「来たい時に来い」
「はい」
日和が笑う。
「ちゃんと部活っぽいのに、だらだらできるの最高」
「それが目的だ」
俺が言うと、結陽が元気よく頷いた。
「目的、達成っす!」
部屋に笑いが落ちて、また静けさに溶けた。
この繰り返しが、居場所になる。