月曜の放課後。
「先輩! お疲れっす!」
日向結陽が、椅子から半分跳ねて手を振った。
「お疲れ」
俺は鞄を置いて、いつもの席に座る。
何も言わなくても、勝手に“変化”だけは見抜かれる。
「先輩、今日……なんか違うっす。顔が」
「疲れてます?」
間柴ゆきが、机の上の資料を揃えながら顔を上げる。
一人称は僕。声は静かで礼儀正しい。目だけが妙に鋭い。
「疲れてはない」
「じゃあ、どうしたっすか」
「……子どもが生まれた」
部室の時間が止まって、次の瞬間に弾けた。
「えっ!?!? 先輩のっすか!?」
「……おめでとうございます、先輩」
ゆきは驚いても声が跳ねない。
でも、指先が一度だけ止まった。そこが本音だ。
「先輩、もうパートナー作ってたんすか!? そこが一番びっくりっす!」
「今さらだろ」
「今さらじゃないっす! 先輩ってそういうの、もっと……こう、最後まで黙ってるタイプっす!」
結陽は勝手に納得して勝手に混乱している。
俺は短く息を吐いて、話を先に進めた。
「男の子だ」
「男の子……!」
結陽の目が輝く。
ゆきは小さく頷いて、落ち着いた声で言う。
「母子ともに無事、ですか」
「ああ」
その確認だけで十分だ。
ゆきは情報を整理する癖がある。最初に一番大事なところを押さえる。
「名前! 名前なんて言うんすか!」
結陽が机に身を乗り出す。
距離が近い。勢いが強い。でも悪意はない。
「
「はるまさ……! めっちゃいい名前っす!」
「……綺麗なお名前ですね、先輩」
「先輩、かわいいっすか!? 自分の子!」
結陽の質問が直球すぎて、俺は一拍だけ言葉を探した。
「……かわいい」
それだけで、結陽が「うわ……」と変な声を出した。
「先輩が“かわいい”って言ったっす……やばいっす……」
ゆきが結陽を一度だけ見て、ため息を吐く。
「結陽さん、騒ぎすぎです。先輩が困ってます」
「いやでも尊いっすよ! 自分の子がかわいいって、そりゃもう……!」
その瞬間、部室のドアが開いた。
「お疲れー」
入ってきたのは日和だった。
「なんの話?」
その後ろからレンも入ってくる。
落ち着いた足音で、部室の空気を一度見回した。
「お疲れ。……結陽、騒がしいね」
「レン先輩! 日和先輩! 隼人先輩が、さっき“かわいい”って言ったんすよ!」
「え」
日和の声が素で止まる。
「……かわいい? 何が?」
俺は短く答える。
「子ども」
日和が固まって、次に一歩近づいた。
「待って。誰の?」
「俺の」
「……うそ」
レンが確認するみたいに言う。
「本当?」
「ああ」
日和がやっと息を吐く。
「おめでとう! 何人目だっけ」
その問いが落ちた瞬間、部室の空気が一度だけ固まった。
結陽が口を開けたまま止まって、ゆきの視線が一気に鋭くなる。
そこでドアが開いて、命が入ってきた。
いつも通り丁寧で、表情は読みにくい。けれど、状況を見てすぐに理解したみたいに目線を整える。
「失礼します」
命は俺を見る。
「ハヤトさん。……今の話題でしたら」
日和が即座に振り向く。
「命、何人目だっけって聞いたんだけど」
命は一拍も置かずに答えた。
「4人目です」
「……」
結陽が、机に手をついた。
「よ、よんにんめっすか!?」
ゆきが小さく息を呑む。
「……先輩。4人、ですか」
レンも目を瞬かせる。
「……ハヤト、そこまで進んでたんだ」
俺は短く頷く。
「ああ」
日和は「そっか」と頷いたあと、急に現実が追いついた顔になる。
「いや待って、さらっと言ったけど、4人って結構な数字だよ?」
「結構っすよ! 先輩!」
結陽が勢いよく叫ぶ。
「隼人先輩、4人も子ども作ってるって、もう伝説っす!」
ゆきが結陽を一度だけ見て、静かに釘を刺す。
「結陽さん。声が大きいです」
「だって驚くっすよ!」
命が淡々と補足する。
「……ただ、驚くことではありません。ハヤトさんは、責任を持って向き合っています」
その言い方が命らしくて、部室の空気が少し落ち着く。
日和が俺を見る。軽い笑いを混ぜながらも、目は真面目だ。
「ハヤトさん、ほんと、人生詰め込みすぎ」
「そうかもな」
レンが小さく頷く。
「でも、無事なら良かった」
結陽が両手で頭を抱えた。
「情報量えぐいっす……4人目で春雅くんで……先輩、強すぎっす……」
俺は鞄の持ち手を指で軽く叩いてから、淡々と言う。
「あと、パートナーなら9人いる」
部室の空気が、もう一度止まった。
「……は?」
日和の声が素で抜ける。
結陽は固まったまま、ゆっくり顔を上げた。
「きゅ、9……?」
ゆきの目が一段だけ鋭くなる。情報整理のスイッチが入った顔だ。
「先輩。それは……現在進行形で、ですか」
「ああ」
結陽が椅子から半分ずり落ちる。
「いやいやいや、先輩! それ、さらっと言う数字じゃないっす!」
日和が机を指で叩く。
「待って、待って。4人目の話のあとに9人って出すの、順番おかしい」
「今言うことじゃなかったか」
「そうだよ!」
レンは驚かない。
知ってる側の顔で、静かに頷くだけだ。
「うん。……言い方が急なだけ」
「レン先輩、落ち着きすぎっす……!」
日和が笑って、机を指で軽く叩く。
「はいはい。結陽、落ち着け。……ハヤトさん、今日、病院行くんでしょ」
命が俺を見る。
「ハヤトさん。面会時間、間に合いますか」
「ああ。今から行く」
結陽がすかさず手を挙げる。
「先輩! 私達も見に行っていいっすか!?」
ゆきが結陽を見て、小さく首を振る。
「結陽さん。まず病院の規則と、ご家族の許可です」
「それもそうっす……!」
俺は2人を見る。
勢いだけじゃ連れていけない。けど、断る理由も今は薄い。
「……見たいなら、聞いてみる」
結陽が前のめりになる。
「マジっすか!?」
「ただし、勝手には来るな。俺が確認してからだ」
「了解っす!」
俺はスマホを取り出して、短く打つ。
送る相手は澄乃さんだ。こういう“家の判断”は、澄乃さんが一番早い。
『澄乃さん。部の後輩2人が面会に行きたいと言ってる。連れて行っていいか。病院の規則も含めて判断してほしい』
送信。
既読がつくまでが、ほぼ瞬き一回分だった。
『いいわよ。今の時間なら人数も大丈夫。短時間だけね。廊下では静かにね』
あっさり過ぎて、俺の方が一拍遅れる。
結陽は覗き込むように画面を見て、声を跳ねさせた。
「うわ、秒でOK出たっす!」
ゆきが落ち着いた声で言う。
「……お婆様、判断が早いですね」
「そういう人だ。じゃ行くか」
「はいっす!」