夜ショーの出口は、まだ人が多い。
みんな興奮してるのに、声は落ちている。あの光の後だ。騒ぐのが野暮みたいな空気がある。
命が俺の腕に絡んだまま言う。
「ハヤトさん。アクア・オラクル。もう一回、行きたいです」
「行くぞ」
「はい」
俺は日和たちに目線を投げる。
「先に戻ってて。俺と命は寄り道する」
「了解。置いていくよ。ちゃんと来てね」
「来る。先に部屋入ってろ」
「はーい。命さん、ハヤトさん離さないでね」
日和たちは恵とレン、結陽、ゆきも連れて人波へ消えた。
周りの音が少し遠くなる。俺と命だけ、進む方向が逆になる。
俺は命にだけ聞こえる声で言う。
「遅くならない。乗ったらすぐ戻る」
「はい」
命の返事は短い。
でも腕の力が強い。離す気がない。
海底文明エリアへ向かう通路は暗い。
足元の灯りが低く並んで、壁に淡い反射が揺れている。
空気が少し冷たくなる。湿ってる。水の匂いが混じる。
命が小さく息を吸う。
「……夜の方が、光がはっきり見えますね」
「暗いからな。ルーメンが勝つ」
命は頷いて、腕を組み直した。
俺の腕に巻きつける力が、少しだけ強くなる。恋人の距離だ。
入口が見えた。
《アクア・オラクル・オデッセイ》。看板の下も暗くて、光の演出だけが浮いている。
列は短い。
けど、ゼロじゃない。数組が静かに並んでる。みんな声が小さい。
俺は命を内側に入れて進む。
人が横を抜けても当たらない位置だ。命は黙って寄ってくる。
待っている間、音が聞こえる。
水が流れる音。ボートが戻ってくる音。安全バーの金具が当たる音。
足元の床は少し湿っていて、滑りやすい。
スタッフがはっきり言う。
「足元が濡れております。ゆっくりお進みください」
「分かった」
俺が返すと、命が小さく頷く。
「はい」
列が進む。
案内のロープが途切れて、乗り場の光が近づく。水面が黒く光っている。
スタッフが手を差し出す。
「次のボートへどうぞ」
俺たちはそのまま乗り込む。
命は腕を絡めたまま、足元だけ見て一歩ずつ進む。動きが丁寧だ。
座る。
安全バーが下りる。金具がカチッと鳴る。
水音がすぐ横にある。冷たい空気が頬に当たる。
命が肩を寄せてくる。
俺はそのまま受け止める。
水流がボートを押す。
ゆっくり動き出した。
通路がさらに暗くなる。
水音だけが残って、周りの客の気配が薄い。
前方に、薄い光が見えた。
青白い点がいくつも浮いている。遠い。まだ輪郭は曖昧だ。
でも数が多いのは分かる。暗闇の奥に、群れがいる。
「見えた」
俺が言うと、命の腕に力が入った。
「……はい」
ボートが進む。
光が少しずつ大きくなる。点じゃなくなる。
丸い傘の形、細い触手、ゆっくり漂う動き。クラゲだ。
遠目でも、夜の発光がはっきり分かる。昼とは違う。暗さが味方してる。
「……すごい数」
「ここが一番だ」
そのまま、水流に押されて境目を越える。
中に入った瞬間、光が“周り”に変わった。
前にあるだけじゃない。横にも、背後にも、足元にもいる。
壁のくぼみにも、柱の影にも、発光するクラゲが漂っている。
青白い光が、肌に触れるみたいに近い。
冷たい空気と一緒に、光がまとわりつく。
水面にも同じ光が落ちて、揺れて、伸びて、また揺れる。
光が水に溶けて、ボートの縁まで染める。
命が息を吸って、止めた。
「……綺麗」
言い切った。
目が動かない。
腕を組んだまま、体ごと寄ってくる。肩が当たる。離れない。
「夜だと、光が刺さるな」
「はい。……昼は景色を見ていました。でも夜は、光だけ見えます」
クラゲが近いところを通る。
触手が揺れて、光が細い線になって流れる。
命の睫毛の先が青く縁取られて見えた。
ボートはさらに奥へ入る。
光の密度が上がる。静かに脈打つリズムが揃って、森じゃなく“群れ”になる。
音も変わる。水音が少し大きく聞こえる。空間が閉じていく感じがする。
そして、頭上が暗く落ちた。
上に、クラゲが集まっていた。
無数の発光体が天井に沿って漂い、薄い膜みたいに重なっている。
それが揺れて、光が一斉に波打つ。
光のカーテンだ。
上から光が降ってくる。
直接落ちるんじゃない。静かに、薄く、包む。
命が小さく声を出す。
「……上、見て」
「見てる」
命の腕がさらに強くなる。
俺の腕を逃がさない力だ。
命はそのまま俺を見上げて、はっきり言った。
「……ここが見たかったです。夜のクラゲ。ハヤトさんと」
言ったあとに照れない。逃げない。
目が真っ直ぐだ。
「連れてきて良かった」
クラゲの光が揺れて、命の頬が青白く染まる。
命の呼吸が一拍だけ乱れる。
でも腕はほどけない。
光のカーテンが、ゆっくり後ろへ流れていく。
ボートが進む。
俺の腕の中に残った命の重みだけが、ずっと熱かった。
命が俺を見上げたまま、黙って近づいてきた。
言葉はない。腕の力だけが強くなる。肩が当たる。
俺はそのまま距離を詰めた。
クラゲの青白い光が揺れて、命の睫毛の先を縁取る。
唇を重ねた。
ゆっくり、確かめる。
クラゲの光が波打つたび、命の睫毛の影が揺れる。
命は目を閉じない。俺を見たまま受け止める。
離れる時、命が小さく息を吐いた。
声は出さない。言葉もない。
でも腕はほどけない。
命が一歩も下がらないまま、体重を預けてくる。
そのまま、頭を俺の肩にそっと乗せた。
硬くない。逃げない。甘えるって決めた動きだ。
俺は肩を動かさない。受け止める。
命の髪が頬に触れて、少しだけくすぐったい。
命の指が、俺の指をもう一度強く締めた。
握り返すと、命の呼吸が少し落ち着く。
肩に乗った頭の重みが、はっきり伝わる。
頭上で、クラゲの群れが揺れている。
光のカーテンが波みたいに流れて、上から静かに降りる。
ボートは進む。水流の音が一定に続く。
命は何も言わない。
その代わり、肩に頭を預けたまま、腕をほどかない。
ずっと隣にいる。