※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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223話 AURORA ASCENSION

 日が落ちるのは早かった。

 昼に見た青い光が、まだ瞼の奥に残っているのに、空の色はもう別の顔をしている。

 

 アストラル・ガーデンズへ入った瞬間、音が変わった。

 風の音が柔らかくなる。足音が丸くなる。

 庭園の石畳が、星の光を吸っているみたいだった。

 

 星の噴水が先に見える。

 水の粒が細かくて、光を拾うたびに星屑になる。

 その向こうに、夜の散歩道。光る蝶が、遠くでゆっくり舞っていた。

 

「……ここ、すごいっす」

 

 結陽の声がいつもより少しだけ落ちる。

 この庭園では、それが普通になる。

 

 命は噴水の光を見ている。

 

 レンが小さく言う。

 

「落ち着くね」

 

 日和が頷く。

 

「落ち着くのに、テンション上がる。ずるい」

 

 俺は一度だけ息を整えた。

 ここは、歩く速度が自然に揃う。

 

 夜ショーの時間が近づくと、人の流れも変わった。

 誰も走らない。走る必要がない。恵が場所を押さえている。

 

 芝生の端、視界が抜ける位置。

 前に遮るものが少なく、遠景まで綺麗に見える場所だった。

 

「こちらですわ」

 

 恵が言う。

 当たり前みたいに、最適な場所を持ってくる。

 

 結陽が、素直に感心する。

 

「恵さん、強すぎっす……」

 

 ゆきが小さく頷いた。

 

「視界が抜けてます。全体演出を見るなら最適です」

 

 俺は座る。

 背中を預けるほどじゃない。

 いつでも立てる姿勢で、空を見上げる。

 

 周りのざわめきが、少しずつ“待つ音”に変わっていく。

 誰かの笑い声。紙コップの音。遠くのアナウンス。

 でも、全部が柔らかい。庭園の夜が、角を削っている。

 

 日和が、俺の横に座って言った。

 

「ハヤトさん、今日ずっと顔いいね」

 

「こういう所はやっぱり楽しいからな」

 

「そうだね」

 

 レンが小さく笑う。

 

 命は膝の上で手を揃えている。

 恵はパンフレットを閉じたまま、静かに前を見ている。

 ゆきは視線だけで周囲を確認して、結陽は落ち着きなく足を揺らしている。

 

 それでも、誰も止めない。

 この時間は、止めるより受け止める方が正しい。

 

 空が暗くなる最後の一段。

 その瞬間、庭園の灯りがすっと落ちた。

 

 世界が一度だけ静かになる。

 

 ――音楽が始まった。

 

 最初は遠い。

 オーケストラの低音が、地面の下から来るみたいに響く。

 

 次に、光が来る。

 

 ノーザン・ヴァルハラ。

 氷の城壁が青白く浮かび上がって、ルーンの森が点で光る。

 森が言葉を持っているみたいに見える。

 

 結陽が息を止めた。

 止めたのが分かるくらい、静かだった。

 

 港町の方から、蒸気の音が重なる。

 空中船の影がゆっくり持ち上がり、係留索が光の中で細く見えた。

 

 浮いているのは知ってる。

 仕組みも分かる。

 それでも、あの瞬間だけは“自由に飛んでいる”ように見える。

 

 日和が、小さく言った。

 

「……離陸してるみたい」

 

 レンが頷く。

 

「うん。演出なのに、本物に見える」

 

 深海が光った。

 

 ルーメン・アトランティカの神殿が、青白く発光する。

 柱の揺らぎが、夜の空に溶けていく。

 

 命が一度だけゆっくり瞬きをして、息を吐いた。

 言葉は出ない。出す必要がない。

 

 砂漠の方角で、ランタンが波みたいに灯る。

 スークの灯りが星座の線みたいに並び、ミラージュの塔が一瞬だけ姿を変えた。

 

 火山の大地が、赤く脈打つ。

 クリムゾン・ドミニオンの溶岩が、鼓動みたいに光る。

 

 ゆきが小さく呟く。

 

「……全部が繋がってる」

 

 恵が、誇らしげでもなく、ただ静かに言った。

 

「ええ。オーロラの光が守っている、という設定ですもの」

 

 そして――オーロラ。

 

 空の端から、薄い光の帯が広がった。

 緑でも紫でもない、オーロラ・フロンティアの色。

 夜の庭園の上に、ゆっくりと降りてくるみたいに見える。

 

 音楽が上がる。

 城が、船が、神殿が、砂漠が、火山が。

 全部が同じ光で繋がる。

 

 俺は息を吸って、吐く。

 理由もなく、そうしたくなった。

 

 ――ここから先が、本番だ。

 

 オーロラの帯が、空の中心へ向かって太くなる。

 色が一度、薄くほどけて、次の瞬間、また密度を増した。

 

 氷の城が、静かに息をするみたいに光る。

 ルーンの森の点灯が、言葉の列みたいに並び直す。

 

 港町の空中船が、ほんの少しだけ高く見えた。

 係留の線が消えたわけじゃない。

 ただ、光の角度が線を溶かして、“自由”だけが残った。

 

 結陽が、声にならない息を吐く。

 

「……」

 

 日和が笑っているのが分かる。

 でも声は出さない。

 

 深海の神殿が、青白く脈動する。

 柱の揺らぎが、空に浮かんだオーロラの揺らぎと同期して見えた。

 

 火山帝国の赤が、鼓動みたいに強くなる。

 砂漠都市のランタンが、波を打つ。

 空中学園の白い神殿が、星座の線で輪郭を持つ。

 

 全部が違うのに、全部が同じ光で繋がっている。

 

 恵が小さく言った。

 

「……綺麗ですわね」

 

 言い方はいつも通り上品なのに、声が少しだけ柔らかい。

 命は何も言わない。

 ただ、目線が一瞬だけ揺れて、また落ち着いた。

 

 音楽が一段上がった。

 

 庭園の奥、星の噴水が強く光る。

 水の粒が増えたわけじゃないのに、星屑が舞い上がっているように見える。

 

 そして、空が開く。

 

 オーロラが“昇る”。

 天へ吸い上げられていくみたいに、帯が上へ上へと伸びた。

 

 その瞬間、星が降った。

 

 花火じゃない。

 鋭く割れる音もない。

 白い粒が、ふわっと落ちてくる。

 

 庭園の上に、氷の城の上に、港町の上に。

 同じ速度で、同じやわらかさで。

 

 結陽が、やっと声を出した。

 

「……やばいっす」

 

 その言葉しか出ないのが、逆に正しい。

 ゆきが小さく息を吐いて、珍しく素直に言った。

 

「……想像以上でした」

 

 レンが頷く。

 

「うん。二回見る意味、あるね」

 

 日和が笑って、俺の方をちらっと見る。

 

「ハヤトさん、どう?」

 

「……いい」

 

 それだけで足りた。

 言葉を増やすと軽くなる。

 

 最後の和音が、静かに消える。

 庭園の灯りが戻ってくる。

 現実が戻ってくるのに、少し時間がかかった。

 

 拍手が遅れて広がった。

 誰かが立ち上がり、誰かが写真を撮り、誰かが「すごい」と言う。

 でも俺たちは、すぐには動けなかった。

 

 余韻が、体の中に残りすぎている。

 

 恵がそっと立ち上がる。

 

「戻りましょう。今夜は、無理をしないのが正解ですわ」

 

 命が小さく頷く。

 

「……明日の朝が早いです」

 

「そうだな」

 

 俺が立ち上がると、結陽も跳ねるように立つ。

 

「明日、氷の王国っすよね!? 朝一っすよね!?」

 

「朝一」

 

「よっしゃあっす!」

 

 ゆきが静かに言う。

 

「……まずは宿に戻って、整えてからです」

 

「整えるっす!」

 

 日和が笑う。

 

「その“整える”の使い方、だんだん合ってきた」

 

 庭園の散歩道へ出る。

 光る蝶が、星座みたいに線を描いて飛んでいた。

 

 誰も追いかけない。

 追いかける必要がない。見ていればいい。

 

 港町の方角から、蒸気の音がかすかに聞こえる。

 深海の方角は、まだ青白く光っている。

 

 俺は一度だけ振り返った。

 星の噴水の上に、オーロラの残光が薄く残っていた。

 

 明日は、氷の城へ行く。

 その前に、今夜は眠る。

 

 その順番だけ守れば、十分だ。

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