アカデミアの白い回廊を抜けると、空気が少しだけ温かい。
朝の冷えはもう残っていない。歩き疲れが出る前に、恵が止める。
「昼前に軽く食べますわ。今なら席が取れます。午後に備えます」
「了解」
学園カフェ風の店に入る。白い柱、星図の壁、ガラス越しに庭園が見える。
香りはバターと焼きたてのパン。落ち着く匂いだ。
列はある。でも短い。
恵が先に注文口へ行って、さらっと決める。
「サンドとスープを基本に。甘いものは後で。飲み物は……結陽はレモネードですわね」
「さすがっす! 分かってるっす!」
結陽が即答する。声がでかい。今日も許される。
日和が笑って手を挙げる。
「私はギア・プレッツェルも気になるけど、今は軽めでいいや。午後が怖いし」
「怖いとか言うな。乗る前に弱る」
俺が言うと、日和は肩をすくめた。
「だって炎のコースターでしょ。テンション上がるけど胃が置いてかれるやつ」
レンがメニューを見て、小さく頷く。
「僕はスープ多めがいい。落ち着く」
ゆきはもう選んでいる。迷いがない。
「僕も同じで大丈夫です。食べやすいので」
命はメニューの文字を丁寧に追ってから、俺を見る。
「私は……星型のバタービスケットも、少しだけ」
「好きに食え」
「……はい」
命は小さく笑って、ビスケットも注文に入れた。
恵が会計を終えて、受け取りの番号札を受け取る。
この動きが早い。誰も待たされない。
窓際。庭園が見える席。
恵は当然みたいに奥へ入る。日和と結陽が向かい。レンとゆきが並び。命は俺の隣に来て腕を絡める。
トレイが並ぶ。サンド、スープ、温かい飲み物。
食べ始めると、空気が落ち着く。会話のテンポがゆっくりになる。
「午前、ちゃんと取れたね」
日和が言う。
「当然ですわ」
恵はさらっと返す。けど口元が柔らかい。
今日は恵の顔がよく動く。
「恵、助かった」
俺が言うと、恵は一瞬だけ目を細めた。
「当然の務めですわ。……でも、そう言われるのは悪くありません」
結陽がスープを飲んでから、急に真面目な顔になる。
「午後、火山っすよね。あれ、絶対テンション上がるっす」
「上がるのはいい。体調崩すな」
「大丈夫っす! ……たぶん!」
日和が笑って、結陽の背中を軽く叩く。
「結陽は大丈夫。元気だから」
ゆきが淡々と補足する。
「元気と耐性は別です。刺激は積み上がります」
レンが小さく笑う。
「ゆき、言い方が怖い」
「事実です」
命がスープを一口飲んで、静かに言う。
「午後は……無理をしません。乗れないなら、見学します」
言い切る。
前は遠慮して曖昧にしてた。今は違う。ちゃんと自分で決める。
「それでいい」
俺が即答すると、命は頷いた。
「はい」
恵がそこで話を切る。段取りの人の声だ。
「午後のドミニオンは、乗る組と見学組で分けますわ。全員で無理に揃えません。揃える必要があるのは、満足度です」
ゆきが頷く。
「合理的です。集合時間と集合場所を決めれば崩れません」
「決めますわ。アリーナ前の円形劇場。ショーの終わりで合流」
「了解」
俺が返すと、恵は満足そうに微笑んだ。
食べ終わって、飲み物を飲み切る。
体がちゃんと戻る。午後に行ける状態になる。
立ち上がる時、命が俺の袖を軽く引く。
「……午後も、楽しみです」
「楽しめ。無理はしない」
「はい」
恵が扇子を閉じて、言い切った。
「では、火山帝国へ参りましょう」
全員が席を離れる。
昼前の回復は終わった。次は強い刺激の時間だ。
恵が先に立つ。
歩幅は速いのに、誰も置いていかれない。曲がる前に一度だけ振り返って、全員の位置を確認するからだ。
アカデミアの白い回廊を抜ける。
明るさが落ちて、石の色が赤みを帯びていく。空気が変わるのが分かる。乾いて、温い匂いが混じる。
遠くに見えたのは、赤い岩山と煙。
地面の割れ目から薄い蒸気が上がっている。
火山帝国――クリムゾン・ドミニオン。
「うわ……来た」
日和が素直に言う。
結陽はもう抑えきれてない。
「やばいっす! テンション上がるっす! 熱いっす!」
声がでかい。今日も誰も止めない。
周りの客も笑ってる。結陽の元気はこのパークだと馴染む。
入口のゲートは、古代ローマの門みたいに重い石でできていた。
柱にはドラゴン紋章。兵士の鎧の展示。
足元の石畳は黒く焼けていて、照明が赤く揺れる。溶岩の光の演出だ。
「匂いまで熱い感じする」
日和が言う。
「煙と香りを混ぜてますわね」
恵がさらっと言う。演出を見てる目だ。
そのまま、迷いなく指を差す。
「《ドラゴンフォージ・アリーナ》へ。今が一番空いています」
入口が見えた。
看板の下に、コースターのレールが走っている。
地下の鍛冶場から火山内部へ抜けて、空中へ駆け上がる。音だけで分かる。速い。
列の前で、恵が止まる。
「ここは分けますわ。乗る方、手を挙げて」
結陽が一番に挙げる。
「乗るっす!」
日和も挙げる。
「乗る! 怖いけど乗る!」
レンが少し考えてから挙げる。
「僕も、行けると思う」
ゆきも小さく手を挙げる。
「僕も乗れます。体調は問題ありません」
命は俺を見る。
目は落ち着いてる。言い切る前の顔だ。
「私は……見学します」
「了解」
俺は即答した。
恵も頷く。
「賢明ですわ。では、見学組はわたくしと一緒に円形劇場へ参りましょう」
そこで俺は恵を見る。
今日の主役は恵だ。段取りも、決断も、全部恵が回してる。
「恵は乗らないのか」
恵が一瞬だけ目を細める。迷ってない。
「見学組を放って先に行くのは趣味ではありませんの」
言い切って、口元がきれいに緩む。
楽しんでる顔だ。
日和が手を叩く。
「じゃあこうしよ。命さんと恵は先にショー見て待ってて。私たちはコースター行って、終わったら合流」
ゆきが即座にまとめる。
「合流は円形劇場前。時間は……今から40分後なら確実です。遅れたら次の回に合流で問題ありません」
恵が扇子を軽く揺らす。
「決まりですわ。命さん、よろしいですか」
「はい。大丈夫です」
命がはっきり頷く。
見学を選ぶのに、迷いがない。
結陽が拳を握る。
「じゃ、行ってくるっす! 命先輩、恵先輩、待っててっす!」
「待ってる」
俺が言うと、結陽は笑って走り出した。
☆
俺たちは《ドラゴンフォージ・アリーナ》の列へ入る。
金属の匂い。熱の演出。床が微かに震える。
鍛冶場の装飾が並んでいて、赤い光が脈を打ってる。
「これ、雰囲気やばい」
日和が嬉しそうに言う。
「やることが直球でいい」
レンが小さく頷く。
ゆきは列の進みを見て、淡々と呟く。
「回転は速いです。ファストパスがあるので、合流時間は守れます」
俺は頷いた。
恵が決めた通り、全員が無理をしていない。これが一番いい。
☆
一方で、命と恵は円形劇場へ向かう。
闘技場みたいな石の階段。旗。ドラゴン紋章。
入口の前で、命が立ち止まった。
「恵さん」
「何ですの?」
「……今日は、恵さんが全部、決めてくれてます。助かっています」
命がストレートに言った。
恵は一瞬だけ驚いた顔をして、それから上品に笑う。
「当然ですわ。……ですが、そう言われるのは、少し嬉しいですわね」
命が頷く。
「はい。嬉しいは、言うべきです」
「命さんも、変わりましたわね」
「ハヤトさんが、そういうふうにしてくれます」
命はそう言って、当然みたいに言い切った。
恵は一拍置いてから、扇子で口元を隠す。
「……なるほど。確かに、それは強いですわ」
命は首を傾げる。
「強い?」
「ええ。人を落ち着かせるのは、力ですわ」
命はそれを聞いて、少しだけ目を柔らかくした。
「……はい」
円形劇場の中から、歓声が上がる。
ショーが始まる時間だ。
恵が言う。
「参りましょう。わたくし達は、こちらも楽しみます」
「はい」
そして――円形劇場の幕が上がる。
火花。太鼓。赤い光。
火竜の子フレアが飛び出して、客席が沸いた。
命の横で、恵が小さく息を吸う。
楽しそうだ。ちゃんと。
円形劇場の熱は、肌に分かる。
火花が散るたび客席が明るくなって、すぐ赤い影に戻る。
兵士役が駆け込み、太鼓が鳴る。
次に現れたのは火竜の子フレア。くしゃみで火花が飛ぶ。客席が笑う。
恵が扇子の陰で、上品に笑った。
隠しているのに、楽しさは隠れてない。
「可愛いですわね」
「はい。可愛いです」
命は迷いなく言い切った。目がずっと舞台を追っている。
ショーの後半、空気が変わる。
太鼓が重くなって、照明が落ちる。
火山内部を模した舞台の奥から、巨大な影がせり上がる。火竜の“像”だ。守護神の扱い。
火花が一段強くなる。熱が上がる。
命は息を吸って、目を細めただけだった。怖がらない。見入る。
「迫力、ありますわね」
恵が言う。
「はい。……こういうの、好きです」
命がはっきり返す。
恵が一瞬だけ驚いて、それから口元がきれいに緩んだ。
「意外ですわ。命さんは静かな方がお好みかと」
「静かなのも好きです。でも、こういうも平気です」
命は淡々と言う。言い訳もしない。
恵は扇子で口元を隠しながら、楽しそうに笑った。
「頼もしいですわね」
舞台の火竜が咆哮する演出。
客席が沸いて、ショーは締まる。
幕が下りて、熱が少し引く。
恵が時計を見る。
「合流時間ですわ。丁度よろしいですわね」
命も頷く。
「はい」
☆
俺たちのコースターは地下の鍛冶場から始まった。
金属音、赤い光、火の粉。
レールが軋む音がして、次の瞬間、一気に引っ張られる。
「来た来た来た!」
日和が笑いながら叫ぶ。
「最高っす!」
結陽の声が一段上がる。女の子でも容赦ない。止めない。
火山内部。暗い。熱い。
岩肌の赤い裂け目が目の横を流れる。
そして、上へ――空へ抜ける。
光が眩しい。風が刺さる。
視界の端に、円形劇場の屋根が見えた。恵たちがいる場所だ。
「うわっ……!」
レンが声を漏らす。怖さじゃない。純粋な加速の驚き。
ゆきは声を出さない。でも肩が少しだけ上がっている。ちゃんと効いてる。
最後の落下。
胃が浮く。
そして減速。着地。現実に戻る。
結陽が息を吐いて、すぐ勝ち顔になる。
「勝ったっす!」
「何に」
俺が言うと、結陽は笑う。
「火山にっす!」
意味は分からないけど、元気ならいい。
出口を出たところで、ゆきが時計を見る。
「合流、間に合います」
「行くぞ」
☆
円形劇場前に戻ると、恵と命がもう待っていた。
恵は立ち姿が綺麗で、顔も落ち着いている。けど目が明るい。
命は俺を見ると、自然に腕を絡めてきた。
「おかえりなさい、ハヤトさん」
「ただいま」
日和が恵に寄る。
「ショーどうだった?」
「良かったですわ。可愛いも迫力も、どちらもございました」
恵はそう言って、口元がきれいに緩む。
隠してない。楽しんでる。
結陽が前に出る。
「恵先輩! ショー良かったっすか! フレア可愛いっすよね!」
「ええ。可愛いですわ。……そして、あなたの声も元気でよろしいですわ」
「特別枠っす!」
結陽が胸を張る。周りが笑う。
ゆきが淡々と次を言う。
「次はサハラまで行く前に、移動で休憩を一度挟んだ方がいいです。歩きが増えます」
「ええ。砂漠都市は歩いて楽しい場所ですもの。今のうちに、脚を戻しますわ」
恵が即答する。
決めるのが早い。今日の流れが崩れない。
俺は恵を見る。
今日ここまで、恵がずっと先頭だ。
楽しみながら回してる。そこがいい。
「次はサハラだな」
「ええ。夕方のランタンの時間に合わせますわ」
恵は言い切った。
目が明るい。
今日は恵が主役だ。
☆
俺たちは歩き出した。
赤い火山帝国を背に、次の異国へ向かう。