火山帝国の赤い光を背にすると、空気が軽くなる。
熱の匂いが遠ざかって、乾いた風が入ってきた。
「脚、戻った?」
俺が聞くと、日和が即答する。
「戻った! まだ走れる!」
「走るなよ」
「冗談冗談」
「火山に勝ったっす!」
「何に」
「気持ちにっす!」
意味は分からないけど、元気ならいい。
恵が先頭で言い切る。
「このまま⑥サハラ・ミラージュへ入りますわ。ランタンが灯り始める時間に合わせます。今が丁度です」
ゆきが頷く。
「時間、合ってます。夕方の色が変わる頃です」
命が俺の腕に絡んだまま、小さく言う。
「……楽しみです。夜の雰囲気が、好きです」
「分かる。ここは映える」
「はい」
短い返事。腕の力は強い。
☆
サハラの入口に入った瞬間、景色が変わる。
金色のドーム。青いタイル。細い塔。
市場の布が風に揺れて、香辛料の匂いが鼻に来る。
「うわ、急に海外」
日和が素直に言う。
結陽が店の看板を見て叫ぶ。
「ラム串あるっす! やばいっす!」
「後だ」
恵が即答で止める。
「先に《ミラージュ・キャラバン》ですわ。夕方の光で乗るのが一番綺麗です。食べ歩きは降りてから」
「さすがっす!」
結陽が即座に従う。
恵の段取りは、結陽すら素直に動かす。
ゆきが列を見て言う。
「待ち時間、短いです。今なら取れます」
「取りますわ」
恵が迷いなく列へ入る。
歩いて楽しいエリアなのに、まずライドを取る。ブレない。
☆
《ミラージュ・キャラバン》は絨毯フライトだ。
入口には大きなランプと、幻影の塔の模型。
壁に映る影が揺れて、蜃気楼みたいに形が変わる。
「これ、映像じゃなくて照明だね」
日和が言う。
「ええ。影を動かして幻影に見せていますわ」
恵がさらっと答える。
恵は“作り”まで見てる。
順番が来る。
絨毯の乗り物に跨る。安全バー。上昇。
ふわっと体が浮く。
下にスークの通りが見える。
ランタンが一つ、また一つと灯り始めて、金色の点が増えていく。
「綺麗……」
命が言い切る。目がずっと下を追っている。
怖がる気配はない。むしろ楽しい顔だ。
「風が気持ちいい」
レンが小さく言う。落ち着く乗り物だ。
結陽は叫ぶ寸前で我慢して、代わりに笑う。
「これ、最高っす!」
絨毯が旋回する。
蜃気楼の塔の上をかすめて、夜の入口みたいな通りへ入る。
光の粒が舞って、砂嵐の演出が来る。顔に当たらない程度の風と霧。
日和が笑う。
「これ、気持ちいいやつ!」
恵が隣で、珍しく声を漏らした。
「……良いですわね」
いつもの丁寧さはある。
でも声に“嬉しい”が混じってる。
俺はそれを聞いて、恵を見る。
恵はちゃんと楽しんでる。顔が動いてる。主役の顔だ。
最後、絨毯がゆっくり降りる。
地面に戻ると、現実の匂いが戻ってくる。スパイス、甘い菓子、焼いた肉。
☆
降りた瞬間、結陽が即座に言う。
「ラム串、行くっす!」
「行きますわね」
恵が止めない。
もう“段取りの許可”が出た。
スークへ入る。
布、香辛料、金属の飾り。小さなランタン。
店主役のキャストが笑って、客が笑い返す。ここは歩くのが楽しい。
命が俺の腕に絡んだまま、店先の小物を見る。
「……これ、可愛いです」
「買うか」
「はい」
即答だった。珍しい。
命は小さな青いガラス細工を指で示す。海の色に近い。
恵が隣で見て、言う。
「命さん、良い目をしていますわ。サハラの青は映えます」
「恵さんも、好きですか」
「好きですわ。こういう“選ぶ時間”は、わたくしも好きです」
恵がそう言って、口元がきれいに緩む。
今日の恵はよく笑う。
日和が結陽に串を渡す。
「落とすなよー」
「落とさないっす! ……熱っ!」
「ほら、気をつけろ」
俺が言うと、結陽は笑って誤魔化す。
ゆきは土産の棚を見て、ぽつりと言う。
「このエリア、歩いても疲れにくいです」
「分かる。広いのに詰まらない」
レンが頷く。
そして、ランタンの数が増えていく。
空が少しずつ濃くなる。サハラの夜が始まる。
恵が立ち止まって、振り返る。
「……今の時間が、一番ですわ」
言い切って、恵は笑った。上品に。
日和が言う。
「ね、今の時間、写真撮ろ。全員で」
「賛成っす!」
結陽が即答して、ピースをもう作ってる。
ゆきが周りを見て、短く言う。
「ここ、背景が綺麗です。人の流れも少ない」
「では、こちらに並びましょう」
恵がすぐ場所を決めた。
ランタンの門の前。背中に金色の光が入る場所だ。
俺たちは並ぶ。
日和がカメラを構える。レンは控えめに笑う。結陽はピースがでかい。ゆきは姿勢が綺麗。命は俺の腕に自然に絡んで、落ち着いた顔で映る。
恵は中心を外さない。表情は上品なのに、目が明るい。
「いくよー。3、2、1!」
シャッターが切れる。
画面を覗いた日和が満足そうに頷く。
「うん、最高。ランタン強い」
結陽が胸を張る。
「私も完璧っす!」
「ばっちり決まってたな」
俺が言うと、結陽は嬉しそうに笑った。
恵が扇子を軽く揺らして言う。
「では、そろそろ戻りますわ。明日も動きますもの。――各自、買ったものを忘れずに」
「了解」
ゆきが即答する。
レンも頷く。命は俺の腕に絡んだまま、静かに歩き出す。
出口へ向かう途中、恵が最後尾になった。
全員を見て、流れを整えながら歩いてる。
俺は足を緩めて、恵の横に並んだ。
「恵」
恵がこちらを見る。
目が明るいまま。疲れた顔じゃない。
「何ですの、ハヤトさん」
俺は言うことをそのまま言う。
「昨日は命と回った。今日は恵の番だ」
恵のまばたきが一度止まる。
それから、口元がきれいに緩んだ。上品に、でも隠さない笑い。
「……ご褒美、ということですの?」
「そう」
「どこへ?」
「このまま少しだけ。ランタンの下を歩く。あと、甘いのも食う」
恵は一拍置いて、はっきり頷いた。
「はい。……それなら、わたくしが案内して差し上げますわ」
「任せる」
恵は嬉しそうに扇子を閉じて、前を向く。
歩幅が少しだけ軽くなった。
サハラの通りはまだ賑わっている。
でも、さっきの集合の人波から外れるだけで、音が一段落ちた。
ランタンの灯りが近くなって、影が濃くなる。
恵が前を歩く。
いつもみたいに迷わない。
「こちらですわ」
恵が曲がる。
細い路地。布の天井。ランタンが低い位置にぶら下がっていて、金色の光が揺れる。
香辛料の匂いが強くなる。甘い匂いも混じる。
「雰囲気、いいな」
「当然ですわ。サハラの夜は、こういう場所が本番ですもの」
恵の声が少しだけ柔らかい。
普段の“お嬢様の正しさ”じゃなくて、普通に楽しんでる声だ。
店先の屋台が見えた。
星型のバタービスケットと、甘いシロップ菓子。
皿の上で光が反射する。
「甘いの、これでいいか」
「ええ。星型がよろしいですわ」
「じゃあ、それ」
俺が注文しようとすると、恵が先に小銭を出した。
「わたくしが払いますわ」
「ご褒美だ。俺が払う」
「……そうでしたわね」
恵は一瞬だけ口を尖らせかけて、すぐ上品に戻す。
でも目が笑ってる。
「では、素直にいただきますわ」
ビスケットが渡される。
星の形。バターの匂いが強い。温かい。
恵が一口かじって、止まった。
ほんの少しだけ目を見開く。
次の瞬間、口元がきれいに緩む。
「……美味しいですわ」
「良かった」
「ハヤトさんも食べてください」
「ああ」
俺がかじると、恵は満足そうに頷いた。
「ええ。合いますわ。ランタンの光と」
言い方が恵らしい。
でも、今日はその言い方が可愛い。
「あーん」
恵の動きが止まる。
目が一度だけ丸くなる。すぐに口元を整えようとして、間に合わない。
「……ハヤトさん、それは……」
「嫌か?」
恵は一拍置いて、視線を外さずに口を開けた。
上品に。小さく。
俺はそのまま食べさせる。
恵が噛んで、喉を鳴らして飲み込む。
恵の頬が少しだけ赤い。
でも逃げない。扇子も出さない。
「……はい。美味しいですわ。……ずるいですわね」
「何が」
「今のは、反則ですわ」
恵はそう言って、口元をきれいに緩めた。
歩き出す。
恵は俺の半歩前。
その距離が、少しだけもどかしい。
「恵」
「何ですの」
「隣」
俺が短く言うと、恵は一瞬だけ止まった。
すぐに俺の横へ来る。
「……こういう命令形も、悪くありませんわね」
「命令じゃない」
「分かっていますわ」
恵が上品に笑って、俺の腕にそっと触れた。
最初は軽い。確認みたいな強さ。
それから、当たり前みたいに腕を組んでくる。
組み方が綺麗だ。力を入れすぎない。
でも離れない。
路地を抜けると、小さな広場に出た。
ランタンが頭上を埋めている。金色の天井。
中央に噴水。水面が光を拾って揺れる。
恵が息を吸う。
声を落として言う。
「……綺麗ですわ」
「似合う」
「何がですの」
「恵が」
俺が言うと、恵のまばたきが遅れる。
頬が少しだけ赤くなる。隠さない。
でも笑う。上品に。
「……そういうことを、さらっと言うのは反則ですわ」
「……思ったから言った」
「……はい」
恵は返事を短くして、腕を少しだけ強く絡めた。
完全に嬉しい動きだ。
広場の端に、写真スポットのようなアーチがあった。
“ミラージュの塔”の紋章。金色の装飾。
恵がそこを見て言う。
「写真、撮りますか?」
「撮る」
「……2人で、ですわね」
「そう」
俺は近くにいたキャストに声をかけて、カメラを渡す。
恵はすぐ姿勢を整える。癖だ。
でも今日は、固くない。笑ってる。
シャッターが切れる。
画面を確認して、恵が小さく息を吐いた。
「……良いですわ」
「良かった」
恵が俺を見る。
目が真っ直ぐだ。迷いがない。
「ハヤトさん。わたくし、今日ずっと回していました」
「見てた」
「だから、今みたいな時間が……欲しかったですわ」
「渡す」
俺が言い切ると、恵は上品に笑った。
でもその笑いは、隠せてない。
「……はい。受け取りますわ」
恵が腕をほどかず、少しだけ近づく。
顔が近い。ランタンの光が、恵の瞳を金色にする。
恵が言う前に、俺が距離を詰めた。
唇を重ねる。
ゆっくり、長く。
離れると、恵は一拍遅れて息を吐いて――そのまま笑った。上品に。
嬉しいのが分かる笑いだった。
「……やっぱり、ずるいですわ」
「何が」
「さっきから、わたくしだけを見てくださるところですわ」
「今日、恵といるからな」
「はい。だから嬉しいですわ」
恵は頷いて、腕を絡め直した。
今度は少しだけ強い。離さない。
「戻るか」
「はい。ですが、その前にもう少し歩きましょう。……わたくし、まだ足りませんの」
「分かった」
ランタンの下を、2人で歩く。
サハラの夜は、まだ終わらなかった。