昼のチャイムが鳴ると同時に、教室の空気が切り替わった。
椅子を引く音が重なり、あちこちで小さな会話が始まる。
俺は立ち上がらず、レンが準備を終えるのを待っていた。相変わらず、鞄の中身を整理するのに時間がかかっている。
「……天城様、ですよね」
不意に、正面から声をかけられた。
顔を上げた瞬間、わずかに息を詰めた。
──美人だ。
しかも一人じゃない。
並んで立っている二人とも、即座にそう判断できるほどだった。
視線を引いたのは、前に立っている方だ。
整った顔立ちに、迷いのない目。こちらを値踏みするでもなく、堂々と見ている。
その半歩後ろに立つもう一人も、同じくらい目を引く。
派手さはないのに、輪郭が崩れない。立っているだけで、周囲の空気が静かになる。
美人には、これまでにも何度か会ってきた。
それでも──この組み合わせは、少し違う。
場の密度が、一段上がった気がした。
「
名乗る声で、意識を戻す。
「あなたが、天城隼人様ですよね」
確認ではなく、断定だった。
その横で、もう一人が静かに会釈する。
「
声は柔らかい。けれど、視線はぶれない。
周囲の視線が集まっているのが分かる。
昼休みの教室で、初対面の女子が二人、しかもこのレベルで声をかけてくる。目立たない方が無理だ。
「今から、学食に行こうと思っていいますの」
恵が続ける。
「もしよければ、ご一緒にいかが?」
ためらいはない。
俺は一度だけレンを見る。
完全に固まっていた。
「構わないけど」
そう答えると、恵の表情がわずかに緩む。
「よかったですわ」
日和が小さく頷く。
「人が多いと、入りやすいですから」
教室を出る直前、俺は少しだけ歩みを緩めた。
視線の先に、御堂がいる。
席を立つタイミングを計っているようで、周囲より半拍遅れていた。
「命」
呼ぶと、彼女はわずかにこちらを見る。
「お前も来いよ。一緒に」
一瞬。
本当に一瞬だけ、命の動きが止まった。
それから、小さく頷く。
「……はい」
短い返事だったが、拒む気配はない。
そのまま、俺の隣に並ぶ。
距離は自然で、近すぎもしない。
その様子を、九条恵が黙って見ていた。
表情は崩れていない。
けれど、先ほどまでの軽やかさが、ほんの少しだけ薄れる。
視線が、命に向く。
一度だけ、探るように。
日和は気づいたのか気づいていないのか、何も言わずにレンの歩調に合わせている。
廊下を進む四人の並びが、微妙に変わった。
俺と命。
その少し前を、九条恵。
その横に、神田日和とレン。
ほんの数歩の差。
それだけで、空気の温度が違った。
恵が、何気ない調子で口を開く。
「御堂さん、学食を利用されるんですの?」
「今日からはお弁当を持ってきています」
「そうなんですね」
九条恵はそう言って微笑んだ。
表情は柔らかいままなのに、先ほどより一段、距離を測る色が混じる。
俺はその変化に気づいていたが、口には出さない。
神田日和は一歩引いた位置で、全体を見ている。
視線が交錯した一瞬だけ、状況を把握したように瞬きをした。
そのまま、学食の入口が見えてくる。
人の流れが濃くなり、昼のざわめきが一気に押し寄せた。
学食に入ると、昼時のざわめきが一気に広がった。
食券を買う列と、席を探す人の流れが交錯している。
俺たちはその脇を抜けて、空いているテーブルを探した。
鞄から弁当を取り出す前に、まず座る場所を確保する。
「こっち、空いてます」
恵が周囲を一瞬で見渡し、迷いなく動いた。
四人掛けのテーブル。通路側の席を、自然に俺の前に引く。
「天城様、ここどうぞ」
言い方は丁寧だが、選択肢はない。
俺が座ると、九条恵はすぐ隣に腰を下ろした。
距離が近い。肘が触れそうで触れない位置。
命は一拍置いてから、俺の向かいに座る。
鞄を膝に置き、静かに弁当を出す。
レンと神田日和が、その隣に並ぶ形になった。
配置が決まった瞬間、周囲の視線がさらに集まる。
この組み合わせは、どうしても目立つ。
九条恵は気にしていない。
むしろ、それを当然のように受け止めている。
「学食って、座る場所が一番大変ですわよね」
そう言いながら、俺の方を見る。
「だから、先に取れてよかったですわ」
距離も、言葉も、はっきりしている。
アピールを隠す気はない。
「九条は学食なのか」
「はい今から並んできますわ。それから天城様よろしければ下の名前でお呼びください」
「あ、私も日和と呼び捨ててもらって大丈夫です」
「俺の事も下の名前で呼んでくれて構わない」
「僕も」
「では──ハヤト様ですね」
向かいで、命が何も言わずに箸を取る。
視線は弁当に落としたまま。
その静けさが、妙に目についた。
──恵は分かりやすい。
俺も結婚してくれるというのであればやぶさかではない。
しかし今は先に命を攻略してしまいたい。そのあとででもよければ恋人でも婚約者でもなろう。
しばらくすると恵がトレーをもって戻ってくる。
そう考えたところで、向かいの気配がわずかに変わった。
命は弁当に箸を伸ばしたまま、動きが一拍遅れている。
食べてはいる。だが、一定のリズムがない。
沈黙が、間に落ちた。
「……あれ?」
最初に気づいたのは日和だった。
柔らかい声で、空気をすくい上げる。
「ちょっと静かですね。お昼なのに」
そう言って、命の弁当をちらりと見る。
「御堂さんのお弁当、きれいですね。彩りがいい」
「……ありがとうございます」
命は顔を上げずに答えた。
声は平坦だ。
そのやり取りを見て、レンが小さく咳払いをする。
「そういえばさ」
箸を止めずに言う。
「部活、もう決めた?」
話題としては唐突だが、意図は分かる。
「まだです」
命が答える。
「俺も。数学補習がなければ、運動系でもいいんだけど」
「ある前提なんですね」
日和がくすっと笑う。
「仕方ないでしょ。得意じゃないんだ」
レンは肩をすくめ、視線を俺に向けた。
「ハヤトは?」
「考え中」
短く答える。
その一言で、命の箸がまた一瞬止まった。
日和はそれを見逃さない。
「一緒に見学するのもいいですね。
御堂さんも、ハヤトくんも、レンくんも」
自然に、全員を同じ枠に入れる言い方だった。
「……そうですね」
命がそう返す。
今度は、ほんのわずかに間を置いて。
沈みかけていた空気が、少しだけ持ち直す。
恵はその様子を黙って見ていたが、やがて俺の方を見る。
「天城様――いえ、ハヤト様は、何でもできそうですもの」
あえて呼び方を強調する。
命の指先が、弁当箱の縁を軽く押さえた。
レンが、わざとらしく明るい声を出す。
「いやー、でも案外ポンコツなとこあるよ。今日だって――」
「余計なこと言うな」
俺が遮ると、日和が笑って間に入った。
「そういう話は、また今度ですね」
穏やかに空気は流れていく。
だが、それぞれが口に運ぶものより、
言葉にしない部分の方が、少しだけ重くなっていた。