敷地内ホテルに戻ると、ロビーの音が少しだけ現実寄りになる。
紙袋の擦れる音。キャリーケースの車輪。チェックアウトの列。
でも窓の外はまだ石畳で、運河で、尖った屋根だ。最後まで“中”が残ってる。
俺たちは荷物をまとめて、時間通りにロビーへ降りた。
恵が先に確認して言う。
「忘れ物、ありませんわね。袋の数も合っていますわ」
「合ってる」
ゆきが淡々と頷く。
「僕も確認しました」
結陽は杖チャームを揺らして胸を張る。
「完璧っす!」
「落とすなよ」
「落とさないっす!」
日和が笑いながら結陽の背中を軽く押す。
「はいはい、行くよー」
命は俺の腕に絡んだまま、静かに周りを見る。
目が少しだけ名残惜しそうだ。
「……もう帰るんですね」
「また来ような」
「はい」
返事は短い。腕の力は強い。
☆
車に乗り込む。
ドアが閉まる音で、ようやく外の世界が遠くなった。
エンジンがかかって、車が動く。
窓の外、最後に見えるのは城の尖塔と、空中船のドックの影。
それが角を曲がって消える。
「終わった……」
日和が座席に沈んで言う。疲れじゃない。満足の息だ。
「終わってない」
結陽が即座に返す。
「私の杖ライフはここからっす!」
「それは知らない」
俺が言うと、車内が笑う。
レンが紙袋を抱えたまま、落ち着いた声で言った。
「スタジオ、良かった。僕、資料集読むのが楽しみ」
ゆきが頷く。
「工程展示、参考になりました。あれは“見る順番”が強いです」
「ゆき、感想が硬い」
日和が言うと、ゆきは淡々と返す。
「でも楽しかったです」
それが余計に面白くて、日和が笑う。
「うん、好き」
恵は窓の外を見てから、ふっと口元を緩めた。
「……やはり、良いですわね」
「何が」
俺が聞くと、恵は迷いなく言う。
「全部ですわ。氷も、学園も、火山も、砂漠も。スタジオも。……そして今回は、皆さまがちゃんと楽しめたこと」
言い切って、恵は上品に笑った。
満足してる顔だ。
「恵のおかげだろ」
俺が短く言うと、恵は扇子を閉じたまま頷く。
「ええ。わたくしが回しましたわ」
「言うね」
日和が笑う。
「当然ですわ」
恵は即答して、また笑った。今日はよく笑う。
命が俺の腕に絡んだまま、ぽつりと言う。
「……私も、楽しかったです」
「どれが一番」
俺が聞くと、命は少しだけ迷ってから、はっきり言った。
「クラゲの森」
即答に近い。
俺は短く頷く。
「そうか」
命の口元が少しだけ柔らかくなる。
それだけで分かる。
結陽が前の席から振り返って言う。
「私は火山っす! 勝ったっす!」
「だから何に」
「自分にっす!」
また意味不明で、車内が笑う。
日和が手を叩く。
「じゃあ私、港町。空中船のレースが好き。あれテンション上がる」
「僕は学園」
レンが言う。
「静かで綺麗だった」
「僕も学園寄りです」
ゆきが続ける。
「疲れが残らない設計がいい」
「感想が相変わらず」
日和が笑う。
恵が少しだけ考えてから言った。
「……サハラの夜ですわ」
「ランタン?」
日和が聞くと、恵は上品に笑った。
「ええ。ランタンも。……それから、ハヤトさんと歩いた時間も」
その言い方が静かで、でも芯がある。
恵は本当に気に入ったんだと思う。
車内の会話は途切れない。
思い出が次々に出る。
笑いが続く。誰も置いていかれない。
窓の外の景色が、だんだん見慣れたものに戻っていく。
でも、車の中だけはまだパークの空気が残っていた。
楽しかった。
それを全員が、同じ温度で言えている。
そのことが一番嬉しかった。
車は高速を降りて、街に入る。
窓の外の景色が、完全に日常へ戻っていく。看板、信号、コンビニの灯り。
車内だけがまだ、ランタンの金色を引きずっていた。
「じゃ、順番に送る」
俺が言うと、恵が即答する。
「ええ。住所順でよろしいですわね」
「頼む」
恵は迷いなくスマホを見て、指示を出す。
最後まで恵が回す。そういう人だ。
☆
最初に降りたのは結陽だった。
家の前で車が止まると、結陽が窓を開けて身を乗り出す。
「最高だったっす! また行きたいっす! 先輩たち、ありがとっす!」
「最後まで元気だな」
俺が言うと、結陽は笑う。
「元気が取り柄っす!」
「気をつけて入れ」
「了解っす!」
結陽は手を振って走っていく。最後まで元気だ。
☆
次はゆき。
家の前で車が止まると、ゆきは鞄を抱えて静かに降りる。
「今回誘っていただき、ありがとうございました」
「おう」
俺が短く返すと、ゆきは一度だけ頷いた。
「資料、後で整理します。……楽しかったです」
言い切って、ゆきは玄関へ向かった。
言葉が少ないのに、ちゃんと残る。
☆
レンの家に着く。
レンはドアを開ける前に、こちらを見て言った。
「僕、また行きたい。今度はスタジオ、もっと見たい」
「また行こう」
「うん」
レンは少しだけ笑って、降りていった。
☆
日和は降りる直前まで喋っていた。
ドアの前で振り返って、最後に言う。
「ね、今日めっちゃ良かった。みんなのテンション揃ってたし。あと恵、ほんと段取り神。命さんもずっと落ち着いてたし。ハヤトも……ちゃんと楽しんでたね」
「楽しんだ」
「うん、それ。じゃ、またね!」
日和は手を振って帰っていった。
車内が一段静かになる。
☆
残ったのは、俺と命と恵。
車内が少しだけ静かになる。さっきまでの笑い声が、遠くなった。
恵が前を向いたまま言った。
「では、御堂家へ戻りますわ」
「頼む」
命は俺の腕に絡んだまま、小さく頷いた。
「はい」
車が動き出す。
街の灯りが流れていく。信号、看板、コンビニ。さっきまでの賑やかさが、外に置いていかれる。
日和たちを降ろしたことで、車内の音が減った。
話す人がいないんじゃない。静かになる理由がある。
楽しかった分、帰りは自然と落ち着く。
恵がハンドルを握ったまま言う。
「忘れ物はありませんわね。紙袋の数も、合っています」
「合ってる」
俺が答えると、命もすぐ言う。
「はい。大丈夫です」
恵が上品に頷いた。
「良かったですわ」
そこから少しだけ沈黙。
エンジン音とタイヤの音だけが続く。
命が窓の外を見て、ぽつりと言った。
「……また行きたいです」
俺はすぐ返す。
「行こう」
命は頷く。
「はい」
恵が小さく笑った。上品に。
「ええ。次は、さらに良くしますわ」
「段取りだな」
「ええ。次も気持ちよく回しますわ」
恵は即答して、口元をきれいに緩めた。
楽しそうに言うから、こっちも笑う。
道がだんだん暗くなる。
街灯が減って、家の数も減る。
空が広く見えるようになってくる。
この辺りから、空気が変わる。
御堂家へ戻る空気だ。静かで、整っていて、余計なものがない。
門が見える。
御堂家の敷地の入口。いつもの灯り。
門をくぐった瞬間、音が変わる。
外の雑音が消える。砂利を踏む音だけが残る。
この静けさが、御堂家だ。
車は屋敷本邸の前を通り、別棟の方へ回る。
灯りは落ち着いていて、庭の木が影を作っている。
車が止まる。
恵が先に降りて、後部座席のドアを開けた。
「お帰りなさいませ。……と言うのも変ですわね。共に帰っているのですから」
「変だな」
俺が言うと、恵は上品に笑った。
命が降りる。
紙袋を抱え直して、玄関の灯りを見る。
「……帰ってきました」
「帰ってきた」
「はい」
命はそれだけ言って、俺の腕に絡む。
外で当たり前にしていたことを、ここでも当たり前にする。
恵が鍵を開けて、扉が静かに開く。
中の空気は、落ち着いている。
パークの匂いが消えて、家の匂いに戻る。
靴を脱いで、荷物を置く。
紙袋が床に並ぶ。今日の“残り”が形になる。
結陽の杖チャーム、レンの資料集、ゆきのメモ帳。
命のポストカード。俺のしおり。
そして、恵の小物袋。
恵がそれを一度だけ見て、口元をきれいに緩めた。
満足してる顔だ。
「……良い日でしたわ」
「良い日だった」
俺が言うと、命も頷いた。
「はい。良い日でした」
そのまま、命が俺の袖を引く。小さく、でもはっきり。
「ハヤトさん。……次も」
「行く」
「はい」
短い。
でも、次の約束には十分だった。
恵が扇子を置いて、言い切る。
「では、お風呂と荷解きですわ。明日からの日常も崩しません」
恵が上品に笑って、先に廊下へ向かった。
命は俺の腕に絡んだまま、少しだけ息を吐く。
外の光はもうない。
でも、今日の光はまだ残っていた。