※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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232話 席の後の宴会

 婚約の席が一区切りつくと、空気が少しだけ緩んだ。

 

 部屋を移して、宴席になる。

 畳じゃなく、整えられた広間。卓が並び、器が揃い、花が置かれている。

 

 陽菜乃は席の中央に座っていた。

 淡い訪問着の裾を乱さず、背筋を伸ばしている。表情も崩れない。

 でもさっきより呼吸が落ち着いているのが分かる。

 

 千鶴さんが隣へ寄って、声を落とした。

 

「……陽菜乃姉」

 

「千鶴。ありがとう」

 

 陽菜乃の声は丁寧だ。

 けれど姉妹の言葉になっていて、少しだけ柔らかい。

 

 俺は席の端で、杯を受け取った。

 こういう場は慣れてない。でもやることは決まってる。

 挨拶する。礼をする。余計なことは言わない。

 

 智代さんが俺の近くへ来た。

 上品に笑っているのに、目がよく動く。周りも、俺も、全部見ている。

 

「ハヤト君」

 

「はい」

 

 智代さんは上品に笑って、短く言った。

 

「宴は長いわ。肩の力を抜きなさい。陽菜乃の隣にいることだけ忘れなければいい」

 

「はい」

 

 短く返すと、智代さんは満足そうに頷いた。

 

☆

 

 料理が運ばれてくる。

 派手じゃない。上品で、量も丁度いい。

 香りだけが強くて、場の緊張を少しずつ解いていく。

 

 命は一歩引いた位置に座っている。

 今日は腕を組まない。前に出ない。

 けれど目は外さない。陽菜乃を、場を、ちゃんと見ている。

 

 恵が命の隣に座り、扇子を閉じたまま言った。

 

「命さん、疲れていませんか」

 

「大丈夫です」

 

「なら結構。……今日は、あなたもよく整えていました」

 

 恵の声は上品で、でも優しい。

 命は一拍置いて頷いた。

 

「ありがとうございます。恵さんも」

 

 言葉が短いのに、ちゃんと伝わる。

 

 結陽はもちろんこの席にはいない。学校の子だ。

 ここは御堂家の席で、場の人間の種類が違う。

 

 千鶴さんは料理に手をつけながらも、陽菜乃を気にしている。

 見過ぎない。けど外さない。姉妹の距離だ。

 

☆

 

 乾杯のタイミングが来る。

 綾乃母さんが立ち上がった。

 

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。陽菜乃の婚約の席として、皆さまに見届けていただけたことを嬉しく思います」

 

 言葉は丁寧で、落ち着いている。

 この人がいると場が整う。

 

「乾杯」

 

 杯が上がる。

 音が小さく重なって、宴が始まった。

 

 陽菜乃が俺を見る。

 俺は小さく頷く。

 

 陽菜乃はそれだけで十分みたいに、視線を戻した。

 今日の陽菜乃は強い。

 

☆

 

 宴が進むにつれて、会話が増える。

 親族の言葉は丁寧で、探るようで、でも悪意はない。

 俺は聞かれたことにだけ答えて、余計なことは言わない。

 

「学校はどう?」

 

「問題ありません」

 

「部活は」

 

「続けています」

 

 短く答えると、相手も頷く。

 

 智代さんが、また俺の横に来た。

 

「ハヤト君。さっきの『契り』、軽く見ないでね」

 

「軽く見ません」

 

「ならいい」

 

 智代さんは笑って、それ以上言わなかった。

 

☆

 

 宴の終わりが見える頃、陽菜乃が少しだけ席を外した。

 控室へ向かうためだ。

 

 その時、命が静かに立った。

 陽菜乃を追うんじゃない。

 俺の横に来て、短く言う。

 

「……お疲れさまです」

 

「おう」

 

 命は頷いて、また一歩引いた位置に戻る。

 それだけなのに、支えになる。

 

 宴は静かに終わっていく。

 今日の席は成功だった。

 この家の中に、また一つ“形”が増えた。

 

 最後の挨拶が済むと、客は少しずつ引いていった。

 玄関へ向かう足音が重ならないように、家の人間が間を作る。ここでも慌てない。

 

 俺は杯を置いて、息を整える。

 終わった、じゃない。終わったのは“席”だけだ。

 ここからは、家の中の時間になる。

 

 千鶴さんが陽菜乃の控室の前で止まって、扉を見ていた。

 手を伸ばしそうで伸ばさない。

 

 俺が近くを通ると、千鶴さんが小さく言う。

 

「ハヤトさん」

 

「はい」

 

「陽菜乃姉……大丈夫ですよね」

 

「大丈夫です。陽菜乃は強いです」

 

 俺がそう言うと、千鶴さんは頷いた。

 

「はい。……私も、そう思います」

 

 言い切って、千鶴さんはようやく扉から視線を外した。

 

☆

 

 廊下の曲がり角で、智代さんに呼び止められた。

 

「ハヤト君」

 

「はい」

 

 智代さんは上品に笑って、でも言葉はまっすぐだった。

 

「今日みたいに、必要なことだけ言えばいい。余計な飾りは要らない」

 

「分かりました」

 

 俺が答えると、智代さんは満足そうに頷いた。

 

「よろしい。……倒れる前に休みなさい」

 

「承知しました」

 

 短く返すと、智代さんは笑った。上品に。

 

「素直で良いわ」

 

 智代さんはそのまま本邸の奥へ消えていった。

 場を締めるだけ締めて、余計に残らない。そういう人だ。

 

☆

 

 控室の前。

 俺は扉の前で、呼吸を整えてからノックした。

 

「陽菜乃」

 

 返事はすぐだった。

 

「どうぞ」

 

 扉を開けると、陽菜乃がいた。

 訪問着のまま座っている。姿勢は崩していない。

 でも肩が少しだけ落ちている。張っていたものが解けた証拠だ。

 

「……お疲れさまでございます」

 

 陽菜乃が丁寧に言う。

 

「陽菜乃も。大丈夫か」

 

「大丈夫でございます」

 

 即答。

 でも指先が帯の端を一度だけ強く握って、すぐ離した。

 緊張していたのは事実だ。今も余韻が残っている。

 

 俺は扉を閉めて、陽菜乃の前まで歩く。

 距離を詰めるのはここだけだ。席の外だ。二人きりだ。

 

「よくやった」

 

 俺が言うと、陽菜乃のまばたきが一度だけ遅れる。

 それでも姿勢は崩さない。

 

「……高ぶりました」

 

 陽菜乃が、はっきり言う。

 表情は整っているのに、声の端だけが熱い。

 

「嬉しかったです。……珍しく、自分でも抑えにくいほどに」

 

「でも崩れなかった」

 

「はい。崩しませんでした」

 

 陽菜乃は言い切って、少しだけ息を吐いた。

 それから、視線を上げる。

 

「『契り』を渡した瞬間……胸の奥が、静かになりました」

 

「俺もだ」

 

 短く返すと、陽菜乃の表情がほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「あなた」

 

「ん」

 

「今日の言葉、忘れないでくださいませ」

 

「忘れない」

 

 俺が即答すると、陽菜乃は小さく頷いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 声が、さっきより柔らかい。

 

 俺は言うべきことを言う。

 

「明日からも普通にする。無理はさせない。ちゃんと休め」

 

「はい」

 

 陽菜乃は頷いて、少しだけ目を伏せた。

 そして顔を上げる。逃げない。

 

「……今だけ、少しだけ」

 

 言い切る前に、言い訳しない。

 俺は近づいて、陽菜乃の額に軽く触れる程度に距離を詰めた。

 

「分かった」

 

 短く、確かなキスを落とす。

 すぐ離れる。長くはしない。

 席の後の確認として、十分だ。

 

 陽菜乃は息を整えて、はっきり言った。

 

「……はい」

 

 俺は扉の方を見て、最後に言う。

 

「千鶴さん、心配してる。顔だけ見せてやれ」

 

「はい。すぐ参ります」

 

 陽菜乃が立ち上がる。

 裾を整える動きが丁寧だ。もう大丈夫だ。

 

 俺は扉を開ける前に、一言だけ落とした。

 

「お疲れ」

 

「お疲れさまでございます」

 

 その返事で、十分だった。

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