※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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25話 昼の後で

 入学から数日が経った。

 校舎の匂いも、教室のざわめきも、少しずつ当たり前になってきた。

 

 俺は自分の席に腰を下ろし、鞄からノートを出す。廊下側の前の席は、思ったより落ち着く。

 

「おはよう、ハヤト」

 

 柔らかい声でレンが来る。

 俺の隣の席に、いつものように腰を下ろした。

 

「今日、数学あるんだよね」

「あるな」

「うわ……ちゃんと聞かないと」

 

 本気で困った顔をするあたり、相変わらずだ。

 

 その少し前、命が席に着くのが見えた。

 真ん中あたりの席。背筋はまっすぐで、鞄の置き方も無駄がない。

 

 目が合うと、命は一拍だけ置いてから小さく会釈した。

 それだけなのに、妙に意識に残る。

 

「相変わらずだね」

 

 レンが小声で言った。

 

「何がだ」

「視線」

 

 そう言われて、初めて自分が命の方を見ていたことに気づく。

 

「無意識だよ、それ」

「……そうか?」

 

 レンは苦笑して、教科書を開いた。

 

 授業が始まると、教室は一気に静かになる。

 ノートを取る音、黒板にチョークが当たる音。普通の中学の授業だ。

 

 ただ、普通じゃないのは、時折感じる視線だった。

 前から、斜めから、後ろから。

 慣れないわけじゃないが、完全に無視できるほどでもない。

 

 昼休みになると、俺たちは自然に集まった。

 弁当を広げる位置も、もう決まっている。

 

 俺の隣に恵、向かいに命。

 レンと日和が、その間を埋める。

 

 恵はよく話す。

 声も表情も、隠す気がない。

 

「ハヤトさん、今日は午後も眠くなりそうですわね」

「そうか?」

「ええ。昨日より暖かいですもの」

 

 距離が近い。

 肘が触れないぎりぎり。

 

 命は、何も言わない。

 箸を動かし、弁当箱から視線を上げない。

 

 いつも通り、と言えばそうだ。

 だが、完全に同じでもなかった。

 

 恵が話すたび、命の箸が一瞬だけ止まる。

 止まって、また動く。

 

 俺はそれに気づいていたが、口には出さなかった。

 

「恵も今日は弁当なんだな」

「ええ。御堂さんと同じですわ」

 

 わざと名前を出す。

 恵はそういうことをする。

 

 命は顔を上げない。

 ただ、「そうですね」とだけ返した。

 

 レンが間に入る。

 

「命さんの弁当、今日もきれいだよね」

「……ありがとうございます」

 

 声は平坦。

 でも、返事は遅れなかった。

 

 日和が続ける。

 

「最近、学校どうです?」

「どう、って言われてもな」

 

 俺がそう答えると、レンが頷く。

 

「でも、落ち着いてきたよね」

「最初よりは」

 

 命が小さく頷いたのが見えた。

 

 その仕草一つで、なぜか空気が整う。

 不思議なやつだ、と改めて思う。

 

「ねえ、ハヤトさん」

 

 命が俺を呼ぶ。

 名前だけ。さん付けだが、それでも最初より近い。

 

「放課後、少し時間はありますか」

「あるけど」

「でしたら、帰り道で少しお話を」

 

 理由は言わない。

 でも、それで十分だった。

 

「分かった」

 

 短く答えると、命はそれ以上何も言わず、弁当に視線を戻した。

 

 レンが俺の方をちらりと見て、何も言わずに肩をすくめる。

 

 ほんと、無自覚だよね。

 さっきの言葉が、頭のどこかに残っていた。

 

 自覚があるかどうかは分からない。

 ただ、俺はもう一歩踏み込むつもりでいた。

 

 放課後のチャイムが鳴ると、教室の空気が一気に緩んだ。

 椅子が引かれ、鞄が持ち上がり、廊下に向かう流れができる。

 

「命」

 

 俺が名前を呼ぶと、命はすぐに顔を上げた。

 断る素振りはない。少し間を置いてから、頷く。

 

「はい」

 

 それだけで十分だった。

 

 校舎を出て、正門の方へ向かう。

 まだ人は多いが、昼よりは落ち着いている。

 

「話って、何だ?」

 

 俺がそう聞くと、命は少しだけ歩調を落とした。

 

「大したことではありません」

「でも、呼び止めた」

「……はい」

 

 沈黙が挟まる。

 命は前を見たまま、言葉を選んでいるようだった。

 

「昼のことです」

「昼?」

「九条さんのこと」

 

 具体的な名前が出た。

 

「気にしてたのか」

「気にしていない、とは言えません」

 

 否定はしない。

 そこが命らしい。

 

「九条さんは、はっきりしている方です」

「そうだな」

「……天城さんも」

 

 そこで、命は一度立ち止まった。

 

「いえ。ハヤトさんは、人との距離を決めるのが、少しだけ独特です」

 

 責める口調ではない。

 事実を並べるだけ。

 

「そうか?」

「はい。下の名前で呼ぶことも、呼ばせることも」

「嫌だったか」

「いいえ」

 

 即答だった。

 

「嫌ではありません。ただ……」

 

 言葉が止まる。

 

「慣れていないだけです」

 

 それ以上は続かなかった。

 

 校門が近づく。

 桜はもう散りかけている。

 

「俺は、命が嫌ならやめる」

「嫌ではありません」

 

「では」

「……はい」

 

 短い会話だった。

 だが、必要なことは伝わっている。

 

 命は一礼して、別の道へ向かう。

 振り返らない。

 

 俺はその背中を見送りながら思う。

 

 命は、話したいことがいくつもある。

 ただ、それを一度に出さないだけだ。

 

 そして、誘えば来る。

 断らない。

 

 それが偶然なのか、性分なのか。

 今はまだ分からない。

 

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