※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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43話 ベンチで

 お姉さんは、俺の言葉を受け止めきれないように、

 視線をそらして胸の前で手を重ねた。

 和服の袖が揺れて、

 その仕草が妙に色っぽい。

 

「……坊や。私はね……五十五歳よ」

 

 いや全然見えない。

 それに俺は見た目さえよければ年齢は関係無い派だ。

 

 だから俺は、迷わず言った。

 

「関係ないですよ。俺は……お姉さんを綺麗だと思っただけです」

 

 お姉さんの肩が、はっきりと震えた。

 

「……坊や……そんなふうに言われても……私は……おばあちゃんよ。子供もたくさんいるし、子供ももう産めないわ。だから、あなたとは……」

 

「関係ないです」

 

 遮った。

 優しく、でも逃がさないように。

 

「歳も、立場も、何も。俺は……惹かれた相手に、惹かれたって言ってるだけです」

 

 お姉さんは、息を呑んだ。

 和服の裾がわずかに揺れて、

 足首をかばうように姿勢を変える。

 

「……坊や……だめよ……そんな真っ直ぐに見つめられたら……」

「お姉さんが綺麗だから、見てるだけです」

「……っ」

「お姉さんの事一目惚れでした」

 

 お姉さんは、俺の顔を見られなくなった。

 視線が泳ぎ、指先が震え、

 大人の余裕が少しずつ崩れていく。

 

「……坊や……本当に……危ない子……」

「危なくてもいいですよ。それでお姉さんのこと口説き落とせるのなら」

 

 その瞬間、

 お姉さんの呼吸が止まった。

 

 完全に、落ちた。

 

「……坊や……そんなふうに言われたら……私……どうしたらいいのか……分からなくなるわ……」

 

 声が震えていた。

 拒絶じゃない。

 迷いでもない。

 惹かれてしまった大人の女の声だった。

 

 俺はゆっくりと、

 逃げ道を塞がない距離で、

 でも確実に届く声で言った。

 

「分からなくていいですよ。俺が……ちゃんと伝えますから」

 

 お姉さんは、和服の袖で口元を隠しながら、

 小さく、小さく呟いた。

 

「……坊や……あなたに……落ちてしまいそうで……怖いのよ……」

 

 俺は静かに答えた。

 

「落ちていいですよ。俺が受け止めますから」

 

 お姉さんの瞳が、

 完全に俺に向いた。

 揺れたまま、逃げられないまま、

 でも確かに惹かれている目だった。

 

 しばらく、どちらも言葉を失っていた。

 人通りのあるアーケードの中なのに、

 このベンチの周りだけ、時間が少し遅く流れているみたいだった。

 

 先に視線を外したのは、お姉さんだった。

 和服の袖を整え、ゆっくりと息を吐く。

 

「……坊や。あなた、名前は?」

 

 その問いは、

 距離を詰めるためでも、探るためでもない。

 ただ、今ここにいる相手を、ちゃんと呼ぶための声だった。

 

「ハヤトです」

 

 短く答える。

 それだけで十分だと、俺は思った。

 

 お姉さんは、その名前を一度だけ、心の中で確かめるように繰り返した。

 

「……ハヤト」

 

 それから、ふっと微笑む。

 呼ばれた声は、低くて、静かで、

 それなのに、はっきり揺れていた。

 

「あなたは……こういうふうに言われ慣れているのでしょう」

「どうでしょうね」

 

 正直に返す。

 

「でも……今日は、俺も初めてです」

 

 お姉さんは、小さく息を吸った。

 それだけで、胸の内が忙しく動いているのが分かる。

 

「……私はね」

 

 言いかけて、少しだけ間を置く。

 

「年齢も、立場も、状況も……全部、分かっているつもりなの」

 

 理屈を並べる声。

 でも、それはもう“自分に言い聞かせるため”のものだった。

 

「だから……こんなふうに、胸が騒ぐこと自体が……おかしいって、思うのよ」

 

 袖の中で、指が強く組まれる。

 

「でも……」

 

 そこから先は、

 理屈が追いつかなかった。

 

「あなたを見てから……ずっと、頭の中が静かにならないの」

 

 やっと、こちらを向く。

 その瞳は、揺れているけど、もう隠していなかった。

 

「声を聞くだけで……近くにいるだけで……心が、勝手に反応してしまう」

 

 小さく、苦笑する。

 

「……本当に、困ったわ。こんな感覚……ずいぶん久しぶり」

 

 俺は、急がなかった。

 ただ、同じベンチに座ったまま、言う。

 

「無理に整理しなくていいと思います」

「……え?」

「好きだとか、だめだとか……今、決めなくていい」

 

 お姉さんは、少し驚いた顔をした。

 

「……坊やは……ずいぶん、余裕があるのね」

「余裕じゃないです」

 

 正直に。

 

「ただ……お姉さんが今、揺れてるのは分かるから」

 

 お姉さんの呼吸が、わずかに乱れた。

 

「……そんなふうに、分かった顔をされると……余計に……」

 

 言葉が途切れる。

 代わりに、ぽつりと零れた。

 

「……私……もう、あなたに惹かれているのね」

 

 認めてしまった声だった。

 

 逃げ場を探す声じゃない。

 否定もしない。

 ただ、事実を受け入れた声。

 

「……怖いわ」

 

 小さく、でもはっきりと。

 

「この歳で……こんなふうに、心を持っていかれるなんて……」

 

 俺は、ベンチに座ったまま、

 少しだけ体の向きを変えた。

 

 近すぎない。

 でも、ちゃんと届く距離。

 

「怖くてもいいと思います」

 

 お姉さんが、こちらを見る。

 

「……それでも?」

「はい」

 

 迷いなく。

 

「惹かれたって気持ちは……嘘じゃないでしょ」

 

 沈黙。

 

 そして、

 お姉さんは、ゆっくりとうなずいた。

 

「……ええ」

 

 小さく、でも確かに。

 

「……私は……完全に、恋に落ちてしまったわ」

 

 そう言ってから、

 少し照れたように、視線を落とす。

 

「……坊や……あなた、本当に……罪な子ね」

 

 俺は、肩をすくめた。

 

「そう言われるの、慣れてないです」

 

 お姉さんは、くすっと笑った。

 その笑顔は、さっきまでの動揺とは違っていた。

 

 もう、受け入れた人の顔だった。

 

「……今日は……このまま、少しだけ……一緒に座っていましょうか」

 

「いいですね」

 

 しばらく、並んでベンチに座ったまま黙っていた。

 

 先に口を開いたのは、お姉さんだった。

 

「……そういえば、あなた、私の名前、聞かないの?」

 

 俺は横を見る。

 

「そうでした教えてください」

 

 少し間があって、静かに言った。

 

「……澄乃よ」

「澄乃さん」

 

 呼んだ瞬間、彼女の指先がきゅっと動いた。

 

「……その呼び方、反則ね」

「嫌ですか」

「いいえ」

 

 即答だった。

 

「むしろ……嬉しい」

 

 そう答えると、お姉さんは、そっと息を吐いた。

 気づけば、時間がゆっくり流れていた。

 ベンチの上で、恋に落ちたまま、時間が続いていった。




命より先に祖母を攻略してしまったハヤトでした。
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