午後の校庭は、思ったよりも騒がしかった。
テントの骨組み、ライン引き、用具運び。
運動会の準備っていうのは、始まってみるとやることが多い。
「ハヤト、こっち持ってくれる?」
レンが軽く手を挙げる。
遠慮のない声。
「ああ」
二人で長机を持ち上げる。
男子が少ないから、自然と俺たちが駆り出される形だ。
「しかしさ、運動会って聞くとちょっと緊張するね」
「なんで?」
「だってさ、目立つじゃん。ハヤト」
言い方は軽いけど、冗談半分じゃないのは分かる。
俺は肩をすくめた。
「今さらだろ」
「ハヤトは余裕だね」
そう言って、レンはくすっと笑った。
少し離れたところで、日和が白線引きの補助をしている。
帽子をかぶって、相変わらずマイペースな動き。
「命さん、そこ、もう少し右です」
「……はい。ありがとうございます、日和さん」
命は巻尺を持ったまま、静かに頷く。
声は落ち着いているけど、作業に集中しすぎて周りが見えていない感じだ。
そこへ、恵が自然に割り込んでくる。
「ハヤト様、そちらは終わりましたの?」
「もうすぐ」
「でしたら次はテントの布を運びましょう」
「分かったよ」
俺がそう答えると、恵は満足そうに頷いた。
「助かりますわ。さすがですわね」
そのやり取りを、命がちらりと見る。
一瞬だけ視線が揺れて、すぐに手元へ戻る。
日和がそれに気づいて、ふわっと笑った。
「ふふ、みんな真面目だねえ。でも、準備ってこうやってわいわいするのが楽しいよ」
「だね。なんか、もう本番終わった気分」
レンがそう言うと、日和が首を振る。
「まだまだこれからだよ。当日はもっと賑やかになるんだから」
俺はテントの支柱を肩に担ぎながら、空を見上げた。
雲は高くて、風は少し暖かい。
「……まあ、悪くないな」
思わずそう漏らすと、恵がすぐに反応する。
「あら、楽しみですの?」
「準備がな」
そう答えると、恵は意味ありげに微笑んだ。
「本番も、きっと注目されますわよ。ハヤト様」
命は何も言わない。
でも、ペンを持つ手が、ほんの一拍遅れた。
準備が一段落すると、校庭のあちこちに小さな空白ができた。
人が動かなくなると、急に広く感じる。
「次は何だっけ?」
レンが作業表を覗き込みながら首を傾げる。
「用具倉庫の整理と、応援席の札付けですわね」
恵が即答する。
こういうときの段取りの良さは、本当に助かる。
「じゃあ、俺とレンで倉庫行くか」
「了解」
命は日和と一緒に札の確認に回ることになったらしい。
二人並ぶと、不思議と落ち着いた空気になる。
「命さん、無理しないでね」
「はい……日和さんも」
そんな短いやり取りが、風に溶ける。
倉庫の中は、土とゴムと金属の匂いが混じっていた。
綱引き用のロープ、玉入れの籠、古いカラーコーン。
「こうして見ると、毎年同じもの使ってるんだね」
レンがロープを持ち上げながら言う。
「まあな」
「でもさ」
レンはちらっと俺を見る。
「運動会って、ただの行事なのに、妙にわくわくするよね」
ロープを棚に戻す。
外に戻ると、日和が応援席の札を結び終えたところだった。
「ハヤトくん、これで全部だよ」
「ありがとう」
命は少し遅れて、帽子を直しながら立ち上がる。
「……明日、早いですね」
「ああ。集合、かなり朝だな」
そう言うと、命は小さく息を吸った。
「……頑張ります」
それだけ。
でも、どこか覚悟みたいなものが滲んでいた。
恵が全体を見渡して、手を叩く。
「では、本日の準備はここまでですわ。皆さん、お疲れさまでした」
その言葉で、ようやく実感が湧く。
明日が本番だ。
校庭の影が、少しずつ長くなってきた。
太陽が傾くと、さっきまでの賑やかさもどこか落ち着いてくる。
「そろそろ片付けに入ってくださーい」
教師の声が響いて、あちこちで「はーい」と返事が上がる。
「やっと終わりかあ……」
レンが背伸びをして、腰をとんとん叩いた。
「思ったより疲れましたわ」
恵はそう言いながらも、制服の乱れを直す所作がやけに優雅だ。
「命、大丈夫?」
日和が声をかける。
「はい。少し、肩が張っただけです」
そう答えつつ、命は肩を軽く回した。
無理してるわけじゃない。
でも、どこか気を張り続けていた感じが残っている。
「ほら、これ返しに行こう」
俺がそう言って、備品箱を指すと、自然と全員が集まった。
歩きながら、レンがふと思い出したように言う。
「明日、天気は大丈夫なんだよね?」
「予報では晴れですわ」
即答したのは恵だ。
「気温も高すぎず、風も弱い。運動会日和、ですわね」
「さすが恵、調べてる」
「当然ですわ。段取りが崩れるのは、好みませんの」
日和がくすくす笑う。
「でもさ、運動会って何があるか分からないから楽しいんだよ」
「分からない、ですか」
命がぽつりと繰り返す。
「はい。でも……皆さんと一緒なら、大丈夫な気がします」
一瞬、場が静かになってから、
「それ、いいこと言った」
レンがすぐに空気を戻した。
「明日はチーム戦だしね。誰か一人だけ頑張っても意味ないし、恵さんと日和さんは敵同士だけど負けないからね」
その言葉に、恵が少しだけ視線を俺に向ける。
意味深だけど、何も言わない。
備品庫の前で立ち止まり、箱を下ろす。
「じゃあ、今日は解散だな」
「お疲れさまでした」
命が丁寧に頭を下げる。
「お疲れー」
レンと日和は同時に言って、顔を見合わせて笑った。
恵は一歩だけ俺に近づいて、小さな声で。
「明日……期待していますわ」
「ほどほどにな」
「それは、無理ですわね」
そう言って、くるりと踵を返す。
皆がそれぞれ帰路につく中、
校庭には、完成したテントと白線だけが残った。
さあ明日は運動会だ。