※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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50話 恵とディナー

 喫茶店を出ると、すでに通りの端に黒塗りの車が止まっていた。

 恵は何も説明しないまま、当然のように後部座席へ向かう。

 

「迎え、頼んでたのか」

「ええ。移動の時間も、今日の“約束”のうちですもの」

 

 そう言って、先に乗り込む。

 俺も続いて乗ると、ドアは静かに閉まった。

 車内は驚くほど静かで、外の音が遠くなる。

 

「……慣れてるな」

「生活ですわ」

 

 それだけ。

 誇るでもなく、隠すでもなく。

 車はそのまま、市内でも一番高い建物の前に止まった。

 高級ホテル。

 

 エントランスに立つだけで、空気が変わる。

 制服姿のドアマンが一礼する。

 

「九条様、お待ちしておりました」

「ありがとう」

 

 恵は小さく頷くだけ。

 俺の存在については、何も聞かれない。

 “連れ”であることが、最初から前提の扱いだった。

 

 エレベーターで最上階へ。

 

 扉が開くと、そこはもう別世界だった。

 

 天井は高く、照明は柔らかい。

 ガラス張りの窓の向こうに、夕暮れの街が広がっている。

 

 ラウンジの中央では、静かにピアノが鳴っていた。

 

「……すごいな」

「騒がしくなくて、よろしいでしょう?」

 

 恵はそう言って、予約席へ案内される。

 窓際の二人席。

 店員が椅子を引く。

 

「ありがとうございます」

 

 恵は自然に礼を言い、先に腰を下ろした。

 俺も向かいに座る。

 テーブルクロスは白、グラスは薄く、置かれた水の音さえ静かだった。

 

「落ち着かないかしら」

「いや……思ったより、普通だ」

「そうでしょう?」

 

 小さく微笑む。

 

「“特別な場所”というのは、案外こういうものですの」

 

 メニューを軽く見てから、店員に告げる。

 

「私はノンアルコールのカクテルを」

「ハヤト様は?」

「じゃあ、同じので」

「無理に合わせなくてもよろしいのですよ」

「今日は付き合う」

「……そう」

 

 それだけで、少しだけ目元が柔らぐ。

 飲み物が運ばれてきて、グラスが置かれる。

 街の明かりが、ガラス越しに映り込む。

 

「ここまで来ると、本当にデートって感じだな」

「ようやく、ですわ」

 

 恵はグラスに口をつける。

 

「喫茶店は“話す場所”。ここは“向き合う場所”です」

「違いは?」

「逃げ場がない、という点です」

 

 淡々と言う。

 

「ここでの時間は、曖昧には終わりません」

 

 責める口調じゃない。

 

 宣言に近い。

 

「命さんは素敵な方ですわ」

 

 突然、そう言った。

 

 視線はグラスの中。

 

「ハヤト様の周りに、素敵な方がいらっしゃることも、分かります」

 

 一拍。

 

「けれど私は、退くために来たわけではありませんの」

 

 顔を上げる。

 静かで、強い目。

 

「選ばれるかどうかは、ハヤト様が決めることです」

 

「でも」

 

 グラスを置く。

 

「選ばれる席には、最初から座っておきたいのです」

 

 それが、恵のやり方だった。

 感情で縋らない。

 泣かない。

 脅さない。

 

 ただ、位置を取りに来る。

 

 俺はグラスを傾けながら、息をつく。

 

「……強いな」

「当然ですわ」

 

 小さく笑う。

 

「弱い者が、この席には座れませんもの」

 

 夕焼けが夜に変わっていく。

 街の灯りが増えていくのを、二人で黙って眺めた。

 少しだけ、距離が近づく。

 でも、触れない。

 恵は静かに言った。

 

「このあと、ここのホテルで食事を予約してあります」

 

 恵はそう言って、グラスを静かに置いた。

 

「予約してるのか」

「当然ですわ」

 

 小さく微笑む。

 

「ここまで来て、解散というのも不自然でしょう?」

 

 店員が近づき、軽く会釈をした。

 

「お食事のお席をご用意しております」

「ええ、お願いします」

 

 恵は立ち上がる。

 俺も続く。

 

 ラウンジを出て、同じフロアの奥へ進むと、空気がさらに静かになる。

 柔らかな照明、絨毯の感触、控えめな話し声。

 

 個室ではないが、席の間隔は十分に取られていて、周囲の存在がほとんど気にならない。

 

 窓際のテーブル。

 夜景が、さっきより近い。

 

「……こういう店は、正直慣れてない」

 

 席に着いてからそう言うと、恵は少しだけ肩をすくめた。

 

「慣れる必要はありませんわ」

「そういうもんか?」

「ええ」

 

 ナプキンを膝に置きながら言う。

 

「場に合わせて無理をするより、そのままでいていただいた方が、私は安心します」

「それ、意外だな」

「意外?」

「もっと……ちゃんとしてほしいタイプかと思ってた」

 

 恵は一瞬だけ考えるような間を置く。

 

「“ちゃんとした人”は好みですわ」

 

 それから、視線をこちらに向ける。

 

「でも、“作った人”は、あまり」

 

 淡々とした声。

 嘘をつく必要も、背伸びをする必要もない、という意味だろう。

 料理が運ばれてくる。

 前菜は見た目も静かで、味も主張しすぎない。

 

「こういうのは、量より流れですわ」

 

 恵が言う。

 

「急がなくていい。話しながらで」

「デートの教科書みたいだな」

「実践です」

 

 即答。

 

 俺は小さく笑って、フォークを取った。

 

「……さっきの話だけど」

 

 料理を口に運びながら言う。

 

「“選ばれる席に座る”ってやつ」

「ええ」

「本気なんだな」

「もちろんです」

 

 間髪入れず。

 

「私は、時間も立場も、遊びには使いません」

 

 それだけ。

 強い言い方じゃない。

 でも、引かない声。

 

「ハヤト様がどう考えているかは、分かりません」

 

 恵がそう言って、グラスを指先で静かに回す。

 俺は少しだけ間を置いた。

 こういう場所で、曖昧な返事はしたくなかった。

 

「……正直に言う」

 

 恵は何も言わず、ただ視線を向けてくる。

 

「将来の話なら」

 

 一度、息を吸う。

 

「恵がいいって言うなら、結婚も選択肢に入ってる」

 

 はっきり言う。

 恵の目が、ほんのわずかに細くなった。

 

 驚きではない。

 けれど、その視線には、隠しきれないほど小さな喜びが滲んでいた。

 

「でも」

 

 続ける。

 

「今は、好きなやつがいる」

 

 言葉を濁さない。

 

「そっちにも向き合ってる途中だし、時間も気持ちも、全部を同時には使えない」

 

 逃げない代わりに、飾らない。

 

「だから、恵との時間を軽く扱うつもりもないけど」

 

 視線を合わせる。

 

「今すぐ、同じ重さで向き合えるとは言えない」

 

 レストランの静けさの中で、その言葉はよく通った。

 

 恵はすぐには答えない。

 

 ナプキンで指先を整えるように軽く拭き、それから顔を上げる。

 

「……正直ですわね」

 

 それだけ言って、小さく息をつく。

 

「取り繕わないところは、嫌いではありません」

 

 視線は逸らさない。

 

「今すぐ一番になれない、ということも理解しました」

 

 声は穏やかだ。

 悔しさを隠すでも、怒るでもない。

 

「ですが」

 

 はっきりと言う。

 

「将来の席に、私の名前があるのなら」

 

 ほんの少しだけ、微笑む。

 

「それで十分です」

 

 強がりではない。

 覚悟のある女の言い方だった。

 

「待つ、というより」

 

 静かに続ける。

 

「その間に、選ばれる位置に居続けるだけですわ」

 

 グラスを持ち上げる。

 

「逃げませんし、消えません」

 

 それだけ。

 

 宣言でも、脅しでもない。

 

 “事実”としての言葉。

 

 俺は苦笑する。

 

「……やっぱ強いな」

 

「当然です」

 

 恵は涼しい顔で答えた。

 

「簡単に諦める程度の気持ちで、ここには来ませんもの」

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