駅前の改札を出たところで、俺は足を止めた。
スマホを見る。
約束の時間まで、あと五分。
レンに言われるまで、完全に記憶の奥に追いやっていた。
ナンパされた日。
落ち着いた声。
距離の取り方がやたら上手かった年上の女性。
――玲奈。
謝るつもりで誘った。
「隼人くん?」
聞き覚えのある声。
振り向くと、少し離れたところに彼女が立っていた。
シンプルなワンピース。
派手じゃないのに、やっぱり目に留まる。
「久しぶり」
「……ごめん。連絡しなくて」
開口一番、それを言った。
玲奈は一瞬だけ目を丸くしてから、ふっと笑った。
「若いし、忙しいし、色々あるでしょ」
責める様子はない。
だから余計に、申し訳なくなる。
「今日は、ご飯でいい?」
そのまま二人で、駅近くの落ち着いた店に入った。
個室じゃない。
でも静かで、話しやすい席。
「改めて」
俺は水を一口飲んでから言った。
「ごめん、……正直に言う」
俺はグラスを置いて、玲奈を見る。
「忙しくて、完全に忘れてた。思い出したのも、つい最近、最低だよな」
そのまま言った。
玲奈は一瞬だけきょとんとした顔をして、それから小さく笑った。
「……なにそれ」
呆れたというより、拍子抜けしたみたいな声。
「そんな顔して謝ること?」
「いや、普通に悪いだろ」
肩をすくめる。
「私は怒ってないよ」
「むしろ」
少しだけ視線を外して、また戻す。
「また誘ってくれたことの方が、嬉しかった」
「……は?」
「だって、忘れてたならそのまま一生会わなくてもおかしくなかったでしょ」
あっさり言う。
「それなのに、わざわざ連絡してきた」
「それだけで十分」
俺は少し黙る。
「優しすぎないか」
「大人だから」
軽く笑う。
「それに、あの日のことも、別に重たい約束だったわけじゃないし」
「ナンパだったし」
「それでも覚えてて、今日呼び出したんでしょ」
「……まあ」
「ならいい」
即答だった。
「忙しいのに時間作ってくれた方がポイント高い」
「減点より加点?」
「そうそう」
冗談みたいに言う。
「だから謝罪は受け取るけど、気にしてない」
「むしろ」
少しだけ声を落として、
「ちゃんと会おうって思ってくれたのが、嬉しい」
大人の余裕そのものだった。
「じゃあ今日は、反省会じゃなくて普通にご飯ね」
「そうだな」
「その方が楽しいし」
そう言って、メニューを開いた。
料理が運ばれてきて、テーブルの上が少し賑やかになる。
「見た目、ちゃんとしてるな」
「味もちゃんとしてる店だよ、ここ」
玲奈はそう言って、フォークを取った。
「こういうとこ、よく来るの?」
「仕事帰りとかね」
「仕事、何してるんだっけ」
「普通の会社で事務」
「……意外と普通だな」
「失礼」
少しだけ口元を緩める。
「派手なの苦手だし。座って書類まとめてる方が性に合ってる」
「確かに、騒がしい場所は似合わない」
「でしょ」
一口食べてから、頷く。
「……うん、美味しい」
「よかった」
「さすがだな、店選び」
「でしょ」
少しだけ得意そうに笑う。
グラスに手を伸ばしながら言う。
「ハヤトくんってさ」
「ん」
「変に気取らないよね」
「気取る理由ないし」
「そこが楽」
さらっと言う。
「一緒にいて、気を使わなくていい」
「それ、デート的にどうなんだ」
「最高」
即答だった。
「男性には気を使うものだっていうのが社会一般の常識だよ」
「……そっか」
「うん」
少しだけ視線を細める。
「だから、また誘ってくれたのも嬉しかったんだと思う」
「忘れられてたのに?」
「そうだよ」
あっさり言う。
「ちゃんと“今”会おうとしたんでしょ」
「まあな」
「それで十分」
フォークを置いて、軽く笑う。
「次は忘れないでね」
「努力する」
「そのくらいでいいよ」
変に期待もさせず、突き放しもしない。
ただ、同じ速度で食事を続ける。
それが、妙に心地よかった。
食事を終えると、玲奈は小さく息をついた。
「ごちそうさま。やっぱりここ、外れないね」
「連れてきた側が言うか」
「言うよ」
悪びれずに笑う。
会計は玲奈がさっと済ませた。
「いいのか」
「いいよ、男に払わせるなんて恥をかいちゃうわ」
店を出ると、夜の空気が少しひんやりしていた。
駅までの道を並んで歩く。
距離は近すぎず、遠すぎず。
「学校、大変?」
玲奈が聞く。
「それなりに」
「若いと忙しいよね」
「玲奈も仕事あるだろ」
「まあ、書類と電話とコピーの山」
「想像できる」
「地味でしょう?」
小さく笑う声。
店を出て、道を並んで歩く。
「そういえばさ」
玲奈が思い出したように言う。
「隼人、甘いの苦手?」
「好きだよ」
「でもさっきデザート残してた」
「量が多かっただけ」
「まぁ確かにあそこボリューミーだったよね」
玲奈は小さく笑った。
「仕事してるとね、甘いものばっか差し入れで来るんだよ」
「太りそうだな」
「もう太れない年齢」
「自覚あるんだ」
「あるある」
あっさり言う。
「若いって、それだけで羨ましい」
「そうか?」
「そう」
即答だった。
「寝不足でも顔に出ないし」
「無茶しても、次の日どうにかなるし」
「そのうち分かるよ」
「脅すな」
「忠告」
歩道橋の下をくぐる。
「学校ってさ」
玲奈が続ける。
「楽しい?」
「まあ、それなりに」
「それなり、か」
「平和だとは思う」
「いいね」
少しだけ声を柔らかくして、
「平和が一番」
「玲奈の職場は?」
「小さい戦場」
「大変そうだな」
「だから今日みたいなのが助かる」
「今日みたいなの?」
「仕事でもなく、気を張る相手でもなく」
「ただご飯食べて、歩いて、話すだけ」
「食べて、話すだけでいいの?」
「え?」
「食後の運動もかねてホテル行こ?」
そう言ってホテルに向かいだす
「お詫びもかねて今日は沢山しよう」
「ハヤト君のそういう所ずるい」