※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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57話 勉強会

 プール開きのざわつきが、嘘みたいに引いていく。

 

 六月の後半に入ると、学校の空気は一気に別物になる。

 湿度と一緒に、プリントが増える。

 

 教室の後ろの掲示板には、赤字の紙。

 

『一学期期末考査 範囲表』

 

 それを見た瞬間、何人かが露骨に顔をしかめていた。

 

 昼休み。

 俺はいつもの弁当を持って屋上へ上がる。

 

 先に来ていたレンが、珍しく机にプリントを広げていた。

 

「……隼人」

「ん」

「終わった」

「まだ始まってもいないだろ」

「始まってるんだよ、もう」

 

 レンは範囲表を指で叩く。

 

「英語が、範囲が、広い」

「いつもだろ」

「今回は“いつも”を超えてる」

 

 その言い方がわりと本気で、俺は少し笑った。

 

 フェンスの向こうから、グラウンドの声が聞こえる。

 でも屋上は静かだ。風だけが動く。

 

 少し遅れて、命が来た。

 

 いつも通り無表情。

 いつも通り落ち着いていて、手に持っているのは薄いノートだけ。

 

 命は俺たちの近くに座る。

 距離は近いが、騒がしくはしない。

 

「……期末ですね」

 

 命が淡々と言う。

 

「だな」

「命は余裕そう」

 

 レンが半分恨みみたいな目で見る。

 

 命は首を振った。

 

「余裕ではありません。範囲は範囲です」

 

 正論すぎる。

 

 レンが机に突っ伏す。

 

「やっぱり頭いい人の言い方だ……」

「レン、勉強会やるか」

 

 俺が言うと、レンが顔だけ上げた。

 

「え、やる」

「即答だな」

「即答するしかない」

 

 命がノートを閉じて、淡々と言う。

 

「……私も、参加します」

 

 レンがぱっと顔を上げる。

 

「命さんも?」

「はい」

 

 それだけ。

 でも、その一言でレンの表情が少し明るくなる。

 俺は弁当の蓋を開けながら、ぼそっと言った。

 

「じゃあ放課後、図書室で」

「うん」

「……はい」

 

 短い返事が二つ並ぶ。

 

 期末って面倒だ。

 プリントも増えるし、先生の小言も増える。

 

 でも──こういう約束が一つ入るだけで、気分は少しだけ楽になる。

 

 屋上の風が、プリントの端をめくった。

 レンがそれを押さえながら、苦笑する。

 

「六月、長いね」

「まだ終わってないぞ」

「やめて、現実言わないで」

 

 レンが情けない声を出す。

 その横で、命がほんの少しだけ目を細めた。

 

 笑ってはいない。

 でも、雰囲気だけが柔らかい。

 

 期末が来る。

 

 放課後の図書室は、昼とは別の静けさがある。

 窓の外が少しずつ暗くなっていくのに合わせて、机の上のスタンドライトだけが明るく見えた。

 

 俺とレンと命で、奥の四人掛けに陣取る。

 レンは僕っ子のまま、プリントの束を広げて早々に眉を寄せた。

 

「……隼人、これ範囲っていうか地図じゃない? 広すぎない?」

「泣くな。まだ始まってない」

「始まってるよ……もう心が折れかけてる」

 

 そう言いながらも、レンはペンを握っている。偉い。

 ミコトは向かいに座って、ノートを一冊だけ机に置いた。

 余計なものがない。鉛筆も消しゴムも、並び方がきっちりしている。

 

「……どこが分かりませんか」

 

 淡々とした声。

 でも“教える側”の空気が、最初からある。

 

「歴史……かな」

 

 命が範囲表に視線を落として、淡々と言った。

 

「歴史は、旧石器から古墳までですね」

 

 俺は教科書を開く。

 人物名が少ない分、逆に“時代の特徴”で点を取るタイプの範囲だ。

 

 レンが安心したように言う。

 

「名前覚えるやつじゃないんだ」

「油断するな」

「やめて」

 

 レンが情けない声を出す。

 その横で、命がほんの少しだけ目を細めた。

 

「人物名が少ない分、用語とセットで覚えれば落ちません」

 

 命はノートに四つ、短く見出しを書いた。

 

 旧石器

 縄文

 弥生

 古墳

 

「まず、旧石器」

 

 迷いなく続ける。

 

「打製石器、狩猟採集、移動生活。土器はありません」

 

 レンが小さく頷く。

 

「縄文は」

「土器、竪穴住居、貝塚、土偶。狩猟採集が中心で、定住が進みます」

 

 命の説明は短いのに、頭に残る。

 

 俺は頷きながらも、ページをめくったところで一瞬だけ手が止まった。

 

 邪馬台国。

 そして、太字の名前。

 

 卑弥彦

 

 ……そうだ。

 

 前世の記憶があるせいで、こういうところで引っかかる。

 俺の中では別の表記が浮かぶ。けど、この世界では“こっち”が正しい。

 

 レンは当然みたいに言う。

 

「卑弥彦、ここ出るって先生言ってた」

 

 俺は返事が遅れた。

 

「ハヤトさん」

 

 命が呼ぶ。声はいつも通り淡々。

 

「今、止まりました」

「……気のせい」

「気のせいではありません」

 

 即答された。

 

 命は俺の教科書に指を置く。椅子がほんの少しだけ近づく。音がしないくらい静かに。

 

「ここは、表記で迷うと点を落とします」

「分かってる」

「対策します」

 

 命はノートに、きれいな字で書いた。

 

 弥生終末

 邪馬台国

 卑弥彦

 魏に遣使

 

「名前だけを暗記しないでください。出来事の束で覚えます」

「束」

「はい。邪馬台国、卑弥彦、魏。この三つがセットです」

 

 余計な連想を挟ませない書き方。

 

 俺はそれを見て、少しだけ息を吐いた。

 

「……助かる」

「当然です」

 

 命は表情を変えずに、次へ進む。

 

「古墳は、前方後円墳、埴輪、豪族の力。身分差がはっきりします」

 

 レンがまた頷く。

 

「前方後円墳って、見分けやつだよね」

「形を覚えるだけです」

「だけって言うなあ」

 

 命は気にせず続けた。

 

「縄文と弥生で迷いやすいのは生活です。縄文は狩猟採集中心。弥生は稲作で環濠集落、高床倉庫、金属器が入ります」

 

 俺はノートに書きながら、さっき引っかかった部分をもう一度見た。

 

 この世界の歴史は、俺の知っている“前”と少しだけズレる。

 人物が女性になっていたり、名前の字が違ったりする。

 

 でも。

 

 命が隣で、淡々と正しい答えだけを置いてくれると、余計なざわつきが薄れる。

 レンが数学プリントを見て呻いた。

 

「……歴史はまだ頑張れるけど、数学が無理」

「そっちは後でやる」

「今やって」

「やらない」

 

 レンが机に突っ伏す。

 命が、今度はレンの数学に視線を移した。

 

「レンさん、まず式にしてください」

 

 教える側の空気はそのままに、命の声は変わらない。

 俺はペンを動かしながら思った。

 

 前世の記憶が邪魔でも、今の範囲で点を落とさなければいい。

 命がレンの数学プリントに指を置く。

 

「レンさん、問題文をそのまま見ないでください。情報を拾って、式にします」

「それができたら苦労しないんだよ……」

「できます」

 

 即答だった。

 

 レンが俺を見る。助けを求める目。

 

「隼人、命さん怖い」

「怖くない。正しいだけだ」

「正しいのが怖い」

 

 レンが情けない声を出すと、命は表情を変えずにペンを取った。

 

「ここ、数量。ここ、求めるもの。まず文字を置きます」

 

 レンのノートに、きれいな字で x と書く。

 

「次に関係式。これを立てます」

 

 レンが目を丸くして見ている。

 

「……え、そんなすぐ式になる?」

「なります」

 

 淡々と、でも迷いがない。

 レンが恐る恐る自分のペンを持って、同じように書き写す。

 

「で、次……移項、だっけ」

「はい。符号に注意して」

「符号がいつも裏切るんだよ……」

「裏切りません。見落とすだけです」

 

 容赦がない。

 

 でもレンは、ふざける余裕があるなら大丈夫だ。

 命は俺の方もちらっと見る。

 

「ハヤトさんは、歴史のまとめを続けてください」

「分かった」

 

 俺はノートの空きに、さっきの四時代をもう一度まとめ直す。

 

 旧石器:打製石器・狩猟採集・移動

 縄文:土器・竪穴住居・貝塚・土偶・定住

 弥生:稲作・高床倉庫・環濠集落・金属器・邪馬台国

 古墳:前方後円墳・埴輪・豪族・身分差

 

 書きながら、弥生のところで一瞬だけ思考が跳ねる。

 

 前の世界の記憶が、勝手に細部を足してくる。

 でも、今はテストだ。必要なのは“この教科書の答え”だけ。

 

 命がすぐ横で、俺のノートを覗き込む。

 

 距離が近い。

 肩は触れないのに、視界が重なる。

 

「……良いです」

 

 小さく言って、命は次の補足を書き足した。

 

「弥生の金属器は、銅鐸と鉄器。縄文と混ざりやすいので、セットで」

「了解」

 

 俺が頷くと、命は表情を変えずに、ほんの少しだけ頷き返す。

 レンが呻く。

 

「命さん、これさ、途中式書くのめんどい」

「書いてください」

「……はい」

 

 素直すぎる。

 

 レンが途中式を書き始めた瞬間、命はもう次の問題に指を移す。

 

「同じ形です。まず式。次に整理」

「同じに見えない……」

「同じです」

「……はい」

 

 俺は笑いそうになるのを堪えて、歴史の小テスト用に自分で問題を作った。

 

 旧石器と縄文の違いは。

 弥生の代表的な集落は。

 古墳時代の権力の象徴は。

 

 そこまでやって、ふと命を見る。

 

 命はレンのプリントを見ながら、必要な時だけ短く指示を出している。

 余計な言葉がない。

 

 でも、時々だけ。

 

 俺がペンを止めると、命の視線がこっちに来る。

 止めた理由を言わなくても分かる、みたいに。

 

 その距離感が、妙に落ち着く。

 

 レンが顔を上げた。

 

「……ねえ、命さん」

「はい」

「なんでそんな教えるの上手いの」

 

 ミコトは一拍置いて答える。

 

「私は、点を落としたくないからです」

「自分が?」

「皆が」

 

 レンが固まった。

 俺も少しだけ手が止まる。

 

 命は“良いことを言った”って顔をしない。

 ただ事実を言っただけ、みたいに淡々としている。

 

 レンが小さく息を吐いた。

 

「……味方だ」

 

 命は頷いた。

 

「当然です」

 

 図書室の時計が、短く音を立てる。

 その音で現実に戻って、俺はプリントの端を揃えた。

 

「時間、そろそろだな」

 

 レンが慌てて言う。

 

「待って、あと一問だけ……これだけ……」

「一問で終わるか?」

「終わる、終わる、終わる……たぶん」

 

 命が淡々と結論を出す。

 

「終わりません。今日はここまでにしましょう。続きは明日」

 

 レンが露骨にしょんぼりした。

 

「明日もやるの……?」

「やります」

「……はい」

 

 俺は立ち上がって、ノートを閉じる。

 

「じゃあ明日、同じ時間で」

 

 レンが力なく頷く。

 命も小さく頷いた。

 

 片付けをして席を立つとき、命が俺の横に並ぶ。

 さっきより自然に。

 

 歩く速度も、いつの間にか揃っている。

 図書室を出る手前で、命が小さく言った。

 

「……ハヤトさん」

「ん」

「歴史は、明日もう一度、確認します」

「頼む」

 

 それだけの会話。

 

 でも、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 

 前世の記憶が邪魔しても、こっちの世界で生きていくなら、覚えるしかない。

 その“覚える”を、命が隣で手伝ってくれる。

 

 俺はそれを、思ったよりありがたく感じていた。

 

 廊下に出ると、湿った風が流れてきた。

 

 レンが小声で言う。

 

「……隼人」

「何」

「命さん、ちょっとだけ怖いけど」

「うん」

「めちゃくちゃ頼りになるね」

「だな」

 

 命は何も言わない。

 ただ、横にいる。

 それだけで、明日の勉強会も続けられそうだと思った。

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