※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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58話 学期末

 期末の朝は、教室の空気が最初から硬い。

 いつもなら誰かが無駄口を叩くのに、今日は椅子を引く音まで小さく聞こえる。窓の外は梅雨の薄い光で、机の上だけが妙に白い。

 

 前からプリントが回ってくる。範囲表じゃない。答案用紙だ。

 紙が配られるたび、視線が落ちる。鉛筆を転がす音が、やけに目立つ。

 

 チャイム。

 先生が淡々と言う。

 

「では始めます。始め」

 

 一斉に紙がめくられる音。

 俺も問題用紙を開いて、まず歴史を見た。

 

 旧石器、縄文、弥生、古墳。

 この範囲は人物名で迷うより、特徴を束で引っ張る方が速い。ミコトが書いた通りだ。

 

 旧石器は打製石器、狩猟採集、移動生活。土器はなし。

 縄文は土器、竪穴住居、貝塚、土偶。定住が進む。

 弥生は稲作、環濠集落、高床倉庫、金属器。邪馬台国。

 古墳は前方後円墳、埴輪、豪族、身分差。

 

 問題は、そこから先だ。

 

 邪馬台国に関する設問。太字の名前が目に入った瞬間、頭の中で別の表記が勝手に浮かぶ。

 前の世界の記憶が、余計な方向から引っ張ってくる。

 

 ほんの一瞬、ペン先が止まった。

 

 その瞬間、図書室の机の上が脳裏に出る。

 ミコトの綺麗な字。迷いを切るみたいに書かれていた束。

 

 邪馬台国、卑弥彦、魏に遣使。

 名前を覚えるんじゃない。出来事で固定する。

 

 俺は息を吐いて、余計な連想を捨てた。

 今必要なのは、この教科書の正解だ。

 

 答案用紙に、迷いなく書く。

 気づけば鉛筆の音が、自分の耳の中だけで規則正しく鳴っていた。

 

 周りは静かだ。

 静かすぎて、逆に分かる。みんな必死だ。

 

 レンの方を見なくても、なんとなく察する。たぶん数学で苦しむ顔をしてる。

 でも、今は俺も自分のことで手一杯だ。

 

 先生が残り時間を告げる。

 俺は最後に見直して、束が崩れていないのを確認した。

 

 提出。

 立ち上がる音がぱらぱらと続いて、ようやく教室が息をし始める。

 

 次の科目。

 次の科目。

 昼前には、頭の中が鉛筆の粉みたいにざらついてきた。

 

 気づけば、最後のチャイムが鳴っていた。

 机の上に残るのは、削れた芯と、終わった紙の感触だけ。

 

 俺は小さく息を吐く。

 無事に終わった。少なくとも、今日の分は。

 

 そこから先の一週間は、同じ朝の繰り返しだった。

 

 教室の硬い空気。

 配られるプリント。

 紙をめくる音と、鉛筆の走る音。

 

 科目が変わっても、流れは変わらない。

 始まって、書いて、終わって、息を吐く。

 

 頭の中が疲れてくると、前世の記憶が余計な形で顔を出す。

 知っているはずのものが、こっちの世界では少し違う。

 名前だったり、表記だったり、前提だったり。

 

 最初の頃は、それが小さなノイズになった。

 

 けど今回は、違った。

 

 図書室の机。

 命のノート。

 あの“束”が、何度も俺を助けた。

 

 用語を単体で覚えるんじゃなくて、まとまりで引っ張る。

 余計な連想が入りそうになっても、束に戻る。

 

 それだけで、手が止まらなくなる。

 

 数学も同じだった。

 レンが苦手なところは、途中式を飛ばさない。

 式にして、整理して、符号を見落とさない。

 

 テスト期間の昼休みは短い。

 屋上で弁当を食べる時間も、いつもより少し静かだった。

 

「今日、終わった……」

 

 レンが毎回それを言う。

 言い方は違っても、意味は同じだ。

 

 命は、淡々と「お疲れさまでした」と言うだけ。

 そのくせ、俺とレンがどこで引っかかったかだけは、ちゃんと覚えている。

 

 放課後に軽く確認するだけで、次の日の不安が薄れた。

 命は“頑張れ”とは言わない。

 ただ、必要なことだけを置いていく。

 

 それが、妙に効いた。

 

 そして、最終日。

 

 最後の科目が終わって、先生が「終わり」と言った瞬間。

 教室の空気が一気にほどけた。

 

 机に突っ伏すやつ。

 笑い出すやつ。

 無言で天井を見上げるやつ。

 

 レンは椅子の背にもたれて、細く息を吐いた。

 

「……生きた」

「お前は毎回死にかけてるだろ」

「今回は、ちゃんと生きた」

 

 命は表情を変えずに、ノートを閉じた。

 

「終わりましたね」

 

 その一言が、やけに現実味を持つ。

 

 俺は窓の外を見る。

 湿った風が、校庭の木を揺らしている。

 

 ――手ごたえがある。

 

 胸の奥に、確かな重さが残っていた。

 運じゃない。まぐれでもない。

 

 やった分だけ書けた、という感触。

 

 放課後、水筒だけを持って屋上へ上がった。

 風が湿っていて、でも少しだけ軽い。テストが終わった風だ。

 

 フェンス際にはいつものメンツが揃っていた。

 レン、命、それから日和と恵。日和と恵は別クラスなのに、こういう時だけ集合が早い。

 

「隼人くん」

 

 日和が手を振った。

 いつも通りマイペースな声のはずなのに、今日はちょっとだけ弱い。

 

「どうだった?」

「まあ、悪くない」

 

 俺が言うと、レンが横で力なく頷く。

 

「僕は……たぶん……たぶん……」

「たぶん多いな」

「数学がさ」

 

 レンはそれ以上言わずに、フェンスにもたれた。

 

 日和がそれを見て、同じように肩を落とす。

 

「わたしも……たぶん……たぶん……」

 

 レンと同じだ。

 

 いつもの日和なら、笑顔で「大丈夫だよ」って言いそうなのに、今日は言わない。

 言えない。

 

 恵がふっと息を吐いて、扇子でも持ってそうな余裕の角度で言った。

 

「そんなに揃って沈まなくてもよろしいのに」

「恵は余裕なのか」

「点は落としませんわ」

 

 言い切るのが恵らしい。

 

 命は無表情のまま、俺の隣に立っている。

 話すでもなく、聞いているだけ。けれど、空気の中心がぶれない。

 

 レンがぼそっと言った。

 

「日和さんも落ち込むんだね……」

「落ち込むよ……」

 

 日和が珍しく正直に言って、さらに肩を落とす。

 

「だって、最後のやつ、公式は分かったのに……途中で数字が……」

「わかる、それ僕も」

 

 レンと日和が、同時にうなずいた。

 沈み方まで似てる。

 俺は二人を見て、笑いそうになってやめた。笑うと余計沈む。

 

「お前ら、終わったんだし、もういいだろ」

「よくないよ」

 

 レンが即答する。

 

「結果が出るまでずっと苦しい」

「それ、テスト期間より長いぞ」

 

 日和も小さく頷く。

 

「うん……今、ちょっと危ないかも……」

 

 日和が“危ない”なんて言うの、かなり珍しい。

 のほほんが剥がれてる。

 

 恵が日和の肩に手を置いた。

 

「日和、深呼吸なさいませ」

「うん……」

 

 日和は素直に息を吸って吐く。

 恵がこういう時だけちゃんとブレーキ役になるのも、いつも通りだった。

 

 命が、淡々と口を開く。

 

「……レンさん、日和さん」

 

 二人が顔を上げる。

 

「最後の問題が難しかったなら、皆同じです」

 

 慰めでも励ましでもない、事実みたいな言い方。

 でも、それが一番効く。

 レンが少しだけ息を吐いた。

 

「……命さん、そういうとこ助かる」

 

 日和も同じように頷く。

 

「うん……落ち着く……」

 

 命は何も言わない。

 ただ、視線を外さない。

 

 俺はフェンスにもたれて、空を見上げた。

 雲は重いのに、気分は少し軽い。

 

「やるだけやった。あとは結果だ」

 

 レンが小さく笑った。

 

「ハヤトは、そういうの強いよね」

「強いっていうか、慣れ」

「慣れ、かぁ」

 

 日和が、のほほんとした声に戻りかける。

 完全じゃないけど、それでいい。

 

 恵が俺を見る。

 

「では、打ち上げでもいかが?」

 

 レンが顔を上げた。

 

「打ち上げ……?」

 

「ええ。終わったのですもの。沈んだままでいるのは勿体ないですわ」

 

 日和も小さく頷く。まだ不安は残ってる顔だけど、拒むほどじゃない。

 

 命は何も言わない。

 ただ、視線だけが一度だけ俺に向いて、すぐに外れた。

 

 俺は肩をすくめる。

 

「じゃあ行くか。近場で」

 

 レンが少しだけ息を吐いて、苦笑した。

 

「……隼人、こういう時の決断早いね」

「迷ってもテストは戻らない」

 

 恵が満足そうに微笑む。

 

「決まりですわね」

 

 こうして、期末が終わった日の放課後は、屋上から少し先へ続くことになった。

 

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