「では、打ち上げですわね」
日和が小さく目を丸くする。
「うん、なんか……テストのこと忘れられそう」
命は相変わらず無表情で、会話の輪の端にいる。
けれど、離れてはいない。
俺が命を見ると、命は一拍遅れて視線を返した。
「……行きますか」
淡々とした声。
でも、断らない。
俺は軽く頷いた。
「行こう。打ち上げだ」
レンがぼそっと言う。
「……隼人、テンション上がってない?」
「上がってる」
「言うんだ」
「テスト終わったからな」
恵が満足そうに微笑む。
「では決まりですわ。参りましょう」
屋上の風が背中を押すみたいに吹いて、俺たちはそのまま階段へ向かった。
期末の重さを、少しずつ置いていくために。
屋上を出て、駅前まで歩く。
雨上がりのアスファルトがまだ少し湿っていて、靴の裏が軽く貼りつく感じがした。
「打ち上げって言っても、どこ行くの」
レンが言う。
「カラオケ」
恵があっさり答えた。
「え、もっとお嬢様っぽい所じゃないんだ」
「打ち上げですもの。庶民的な方が、気が楽でしょう?」
恵がさらっと言うのが逆に面白い。
日和も小さく頷いた。
「うん……それ、分かるかも」
駅前の大通りを渡って、看板がでかい、いつものチェーン店に入る。
放課後の学生でわちゃわちゃしてて、階段も廊下も騒がしい。
受付の人が一瞬だけ固まったのは、まあ仕方ない。
男が二人いるだけでこうなる世界だ。
「い、いらっしゃいませ……」
恵が会員証を出して、慣れた手つきで手続きする。
「五人ですわ。二時間。ドリンクバーで」
完全に慣れてる。
「恵、こういう店来るんだ」
レンが半分驚いて言うと、恵は涼しい顔のまま。
「来ますわ。友人とも参りますし、家の者とも」
「家の者とカラオケって何」
「普通ですわよ」
案内された部屋は、ちょっと狭めの普通の部屋。
壁は薄そうだし、ソファも少しへたってる。机も小さい。
でも、それがいい。
「うわ、学生の部屋って感じ」
レンがソファに沈み込んで言う。
「学生だろ」
「そうなんだけどさ……テスト終わった後って、こういうのが一番効く」
日和がドリンクバーのコップを持ちながら、控えめに笑った。
「分かる……ここなら、変に緊張しない」
命は部屋に入って、端の席に座った。
無表情。いつも通り。
けど、ちゃんと来てる時点で“打ち上げ”に参加してる。
恵がリモコンを手に取って、画面をつける。
「さあ、誰から?」
「恵さんでしょ」
レンが言うと、恵は即座に首を振る。
「最初はレンですわ」
「なんで!?」
「空気をほぐす係ですもの」
「それ、僕の役なの……?」
日和が小さく頷く。
「レンくん、たぶん向いてる」
「日和さんまで……」
レンは観念して曲を入れた。
よくある盛り上げ曲。イントロが流れた瞬間に、部屋が一気に“放課後”になる。
レンの声は柔らかい。
上手さより、聞いてて安心するタイプで、日和が自然に手拍子を始めた。
恵もノリよく手を叩く。
「良いですわ。ちゃんと歌えてます」
「褒め方が先生みたい」
「事実ですもの」
レンが歌い終わると、点数が出て、レンがちょっとだけ救われた顔をした。
「……九十ある。生きた」
「テストより点取ってるな」
「やめて」
今度は俺じゃなくレンが俺に言った。
笑いが小さく起きて、日和の肩の落ち方が少しだけ戻る。
その小さな変化が、打ち上げの意味だ。
次に日和が、遠慮がちにマイクを取った。
「……じゃあ、一曲だけ」
選んだのは背伸びしてない曲で、部屋の空気がふわっと柔らかくなる。
レンが横で小声で言う。
「日和さん、いいね」
「……ありがと。ちょっと緊張した」
恵が満足そうに頷いた。
「そのくらいが可愛らしいですわ」
そして、自然に残るのが命だった。
命は無表情のまま、テーブルの上のマイクを見ている。
歌いたいのか、歌いたくないのか、表情からは分からない。
俺は軽く言った。
「命、無理ならいい」
命は一拍置いて、小さく首を振った。
「……無理ではありません」
そう言って、命はテーブルの上のマイクを手に取る。
動きは静かで、迷いがないように見える。けど、指先がほんの少しだけ固い。
恵がにこりとする。
「命さん、何を歌いますの?」
命は画面を見て、少しだけ間を置いた。
「……知っている曲を」
「それが一番だよ」
レンが助け舟みたいに言う。
命は頷いて、曲を入れた。
選んだのは、誰でも知っているような定番のやつ。テンポも遅めで、歌詞も素直。
イントロが流れる。
命は無表情のまま、息を吸って──歌い出した。
……音が、ずれた。
ずれ方が、派手じゃない。
でも、確実に“違うところ”にいる。
レンが一瞬だけ目を丸くして、すぐに口を閉じる。
日和も同じ。笑わない。笑えない。
恵も表情は崩さない。
崩さないけど、目だけがほんの少しだけ真面目になる。
命は歌い続ける。
音程は外れてる。
でも、声は小さくて丁寧で、言葉の置き方は真面目だ。
外れてるのに、ふざけてない。
それが逆に、胸にくる。
途中、少しだけ息が詰まりそうになる。
命の視線が一瞬だけ揺れて、リモコンの画面に逃げかける。
俺は、口を挟まない。
変にフォローもしない。
ただ、ちゃんと聞く。
レンがそっと手拍子を入れた。
上手いからじゃない。続けやすいように。
日和も小さくそれに合わせる。
恵は、歌詞が途切れそうなタイミングでだけ、さりげなく口を動かす。
助けるというより、支える。
命は音を外しながらも、最後まで歌い切った。
曲が終わって、点数が出た。
画面に出た数字は、正直、笑うしかないやつだった。
命はそれを一度だけ見て、無表情のままマイクを机に置いた。
逃げない。言い訳もしない。
「……どうでしたか」
淡々。
でも、答えを待つ間がほんの少し長い。
俺は息を吐いて、素直に言った。
「下手だな」
レンが吹き出しそうになって、口を押さえた。
日和も目を丸くして、次にふっと笑った。
命は表情を変えない。
ただ、耳が少し赤い。
「……そうですか」
「そうだ」
俺は即答してから、続けた。
「音、全部ずれてた」
レンがとうとう耐えられず、声を漏らして笑った。
「ごめん、命さん、でも……うん、ずれてた……」
日和もつられて笑う。
「うん、ちょっと……びっくりした」
恵は口元に手を当てて、品よく笑った。
「ふふ。歌い始めた瞬間、全員の心が一つになりましたもの」
「どういう意味だよ」
レンが笑いながら言うと、恵は涼しい顔で続ける。
「頑張れ、と」
日和が小さく手を叩いた。
「それは、ほんとにそう」
命は無表情のまま、黙ってる。
笑われてるのに、席を立たない。マイクを投げない。
俺は命を見る。
「で、本人はどう思ってた」
命は一拍置いて、淡々と言う。
「……下手だと、思いました」
レンがまた笑う。
「本人も分かってるんだ」
命は小さく頷いた。
「……分かります。歌っている最中に、自分でも」
その言い方が真面目すぎて、逆に面白くて、俺も少し笑った。
「じゃあ次、僕とデュエットしよ。ずれても僕が合わせる」
「合わせるな」
俺が言うと、日和が笑いながら首を振った。
「でも、ちょっと楽しそう」
恵が満足そうに頷く。
「打ち上げですもの。上手い下手より、笑えるかどうかが大事ですわ」
レンが笑いながら手を挙げた。
「よし、じゃあ次は僕が変な曲入れる。全員で笑うやつ」
「やめろ」
「やめない」
部屋がまた笑いで埋まった。
命も表情は変わらないまま、でもその場にちゃんと残っている。
それだけで、十分だった。