俺はマイクを取って、リモコンをいじった。
「一曲だけな」
そう言ったくせに、曲一覧を眺めてるうちに、指が勝手に動く。
打ち上げってのは、こういう“自分に甘い日”でいい。
最初に入れたのは、人気アイドルグループ、エターナルブルームの──新曲。
『Blooming Heart』
イントロが流れた瞬間、レンが目を丸くする。
「え、隼人、それ行くの」
「行く」
「それ、最近のやつじゃん。難しくない?」
「好きだから入れた」
恵が涼しい顔で頷いた。
「流行も押さえていらっしゃるのね」
日和が小さく手を叩く。
「Blooming Heart、わたしも好き……」
命は無表情のまま、画面を見ている。
視線が外れないのが、妙に分かりやすい。
歌い出すと、部屋の空気が変わった。
狭いチェーン店のカラオケなのに、音だけがすっと整う。
今世では、あんまり歌ってこなかった。
それなのに。
息の使い方が自然にできる。
音程が外れない。
リズムが遅れない。
練習した覚えなんてないのに、体が知ってる。
──これ、たぶん前世だ。
俺は勝手にそう結論づけた。
前の世界の俺、きっと歌う機会が多かった。好きだったのか、得意だったのか、あるいはただ“歌うのが普通”の環境だったのか。
曲が終わって、点数が出る。
「うわ」
レンが声を漏らす。
「高っ……何それ」
「……え」
恵が、珍しく目を丸くした。
一拍遅れて、口元に手を添える。
「普通に……上手いですわね」
言い方はいつものお嬢様口調なのに、声だけ少しだけ浮いている。
本当に驚いた時のやつだ。
日和も小さく頷いた。
「うん、聴いてて安心する」
命は一拍置いて、淡々と言った。
「……上手いです」
短い。
でも、変に褒めない分、刺さる。
「ありがと」
俺がそう返すと、命は何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ目が柔らかくなった気がした。
レンがリモコンを奪う勢いで言う。
「じゃあ次も隼人。もう一回」
「お前が歌え」
「僕は今、隼人の喉に救われたい」
「意味わかんねえ」
俺は笑って、次を入れた。
J-POPの定番。誰でも知ってるやつ。メロが気持ちいいやつ。
歌うたびに、部屋が“打ち上げ”になっていく。
テストの重さが少しずつ薄れる。
レンは合いの手を入れるのが上手い。
日和は小さく手拍子して、時々ハモろうとして外して笑う。
恵は歌詞を完璧に追えるくせに、あえて騒ぎすぎない余裕がある。
命は相変わらず無表情だ。
だけど、曲が変わるたびに画面を見る。
俺の声が出るたびに、視線が一度だけこっちに来る。
それが分かるから、余計に歌ってしまう。
「……隼人、何曲目?」
レンが半笑いで聞く。
「知らん」
「知らんのに入れ続けてるの」
「打ち上げだろ」
恵がくすっと笑った。
「よろしいですわ。今日はそういう日ですもの」
俺はさらに曲を入れた。
アップテンポ、しっとり、夏っぽいやつ、少し懐かしいやつ。
歌ってるうちに、変な確信が増していく。
今世の俺は、歌を歌ってはこなかった。
でも、喉も体も、歌い方を忘れてない。
忘れてないどころか、最初から出来る。
──やっぱり前世の俺、歌がうまかったんだろうな。
そんな結論、証拠なんてない。
でも、こういう時だけは信じたくなる。
曲が一区切りついたところで、俺は息を整えた。
「……次、誰歌う」
レンが即答する。
「命さん」
命が淡々と言った。
「……やめてください」
即座に拒否されて、レンが笑う。
「冗談冗談。じゃあ日和さん!」
日和が小さく手を振る。
「えっと……一回休憩してから……」
恵が涼しい顔でドリンクを飲む。
「ではその間、ハヤト様にもう一曲お願いしても?」
「お前も俺を働かせる側かよ」
「打ち上げですもの」
俺はマイクを持ち直した。
結局、こういう庶民的なカラオケが一番楽だ。
狭い部屋で、安いドリンクで、くだらなく笑いながら、歌うのが楽しい。
レンがリモコンを振る。
「ねえ隼人、これさ、マジでアイドルになれるんじゃない?」
「は?」
「だってこの世界、男子が歌って上手いって、かなり強いでしょ」
日和も小さく頷く。
「うん……ステージに立ったら、すごいことになりそう」
命は無表情のまま。
でも、視線だけが一度だけ俺の喉元に落ちて、すぐに戻った。
俺は笑って否定しようとして、やめた。
否定するほど根拠もないし、可能性としては確かにある。
──アイドル。
選択肢として、ゼロじゃない。
俺が歌って、人が熱狂して、名前を呼ぶ。
それは、この世界なら現実的だ。
けど。
想像した瞬間、胸の奥が少しだけ嫌な感じに冷えた。
知らない人の前で歌うのは、嫌だ。
褒められるのは嫌いじゃない。
上手く歌えた時の気持ちよさも分かる。
でも、知らない人の前で歌うのは……あんまり好きじゃない。
ただ、じゃあ表に出るのが全部嫌かと言われると、そうでもない。
少なくとも今はやりたいとは思わない。
母さんのやっている俳優とか、やってみたいと思う。
誰かになって、誰かの言葉を借りて、物語の中で生きる。
そういうのなら、一度くらい挑戦してみたい。
俺はマイクを机に置いて、軽く言った。
「アイドルはやめとく」
レンが目を丸くする。
「え、なんで」
「めんどい」
「めんどいで片付けるの!?」
「知らないやつの前で歌うの、嫌だし」
それを言うと、日和が「分かるかも」って顔になる。
「うん……みんなの前って、ちょっと怖いよね」
恵は少し考えてから、ふっと笑った。
「趣味のまま、ということですわね」
「そう」
俺は頷く。
「こういう時に、友達の前で歌うくらいでいい」
レンが不満そうに唇を尖らせた。
「もったいない……」
「もったいなくていい」
命が、淡々と一言だけ落とした。
「……それが、ハヤトさんらしいです」
短い。
でも、その言葉が妙にしっくりきた。
俺は少しだけ笑って、リモコンを取る。
「じゃあ次。趣味の続きだ」
打ち上げは、まだ終わらない。