※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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61話 テスト返し

 返却日の朝は、テスト期間より落ち着かない。

 

 教室の前の机に、答案が積まれているだけで分かる。

 あれが返ってくる。紙一枚で、空気が変わる。

 

「じゃあ返すぞー。まず数学」

 

 先生の声がやけに明るい。

 こういう時だけ元気なの、ずるい。

 

 レンが俺の隣で、露骨に固くなった。

 

「……隼人、僕、今心臓が痛い」

「心臓は痛くならない」

「痛いんだよ……」

 

 名前が呼ばれて、レンが答案を取りに行く。

 戻ってきて、机の上でそっと伏せたまま動かない。

 

「見ろよ」

「見たくない」

「じゃあ一生見ないで単位落とせ」

「それは嫌!」

 

 レンが勢いで紙をめくって、固まった。

 

 次に、目が丸くなる。

 

「……え」

「どうした」

「……生きてる」

「だから死んでないって」

 

 レンは点数欄を指でなぞって、ようやく息を吐いた。

 

「ギリじゃない……ギリじゃないよ、これ……!」

 

 嬉しいのに信じられない、って顔。

 その表情だけで、こっちまで少し軽くなる。

 

 先生が続ける。

 

「次、歴史」

 

 俺は椅子に深く座り直した。

 前世の記憶がノイズになるのが怖かった科目。けど、今回はやった分だけ書けた感触がある。

 

 呼ばれて取りに行って、席に戻る。

 裏返したまま置いた。

 

 横から、命の視線を感じた。

 無表情なのに、見てるのが分かる。

 

「……見ないのですか」

 

 命が小さく言う。

 

「見るよ」

 

 俺はあっさり答えて、答案を指先で叩いた。

 

「手応えあったしな」

 

 命の目が、ほんの一瞬だけ動く。

 無表情のまま、でも聞き逃してない。

 

「……そうですか」

 

「そう」

 

 俺は紙をめくった。

 点数欄に、はっきりした数字。

 

 92点。

 

 思わず口元が緩む。

 

 ちゃんと取れた。

 しかも、いい点だ。

 

 命は何も言わない。

 ただ、答案の数字を一度だけ見て、それから俺の顔に視線を戻した。

 

 無表情のまま。

 でも、目だけがほんの少しだけ細くなる。

 

「……高いですね」

 

 小さな声だった。

 

「だろ」

 

 俺が短く返すと、命は一拍置いて、ほんの少しだけ頷いた。

 

「……安心しました」

 

 その一言が、妙に胸に残った。

 

 日和のクラスは別だから同じ教室にはいない。

 でも、昼になれば屋上に来る。そこで全部分かる。

 

 休み時間、レンがまだ答案を眺めている。

 

「隼人、僕さ」

「ん」

「ちゃんとやれば、ちゃんと残るんだね……」

「当たり前だろ」

「当たり前って言えるの、強い」

 

 俺は笑って、窓の外を見た。

 梅雨の雲はまだ重い。けど、今日は少しだけ空が明るい。

 

 昼休み、屋上に上がると風が湿っていた。

 フェンスの向こうからグラウンドの声が薄く届く。期末が終わっても、学校はいつも通り動いてる。

 

 いつもの場所に、いつもの顔。

 レンが先に来ていて、弁当箱を開きながら珍しく落ち着かない笑い方をしていた。

 

「隼人、聞いて」

「何だよ」

 

 レンは答案を取り出して、俺に見せる。

 点数欄を指で叩いて、まだ信じられないって顔。

 

「僕さ、数学……ちゃんと取れてた」

「見た。生きてたな」

「生きてたどころか、僕にしては奇跡」

 

 レンは一拍置いて、隣にいる命を見る。

 命は無表情で、お茶を口にしているだけ。

 

 レンが素直に言った。

 

「命のお陰だよ」

 

 命は返事をしない。

 けど、まぶたが一度だけゆっくり落ちて上がる。肯定でも否定でもない、いつもの反応。

 

「……良かったです」

 

 やっと出た言葉はそれだけだった。

 だが少しだけ誇らしげだった。

 

 レンが笑う。

 

「そういうとこだよ。そういうとこが助かる」

 

 そのやり取りの横で、日和が弁当箱を開けたまま、動いてない。

 

 普段なら最初に箸をつけるのに。

 今日は目線が落ちたまま、肩が少しだけ沈んでいる。

 

 恵がそれを見て、わざとらしく明るい声を出した。

 

「日和、どうしましたの。食べませんの?」

 

 日和が小さく首を振る。

 

「……食べるけど……今はちょっと……」

 

 レンが気づいて、顔を向ける。

 

「日和さん、どうしたの」

 

 日和はしばらく黙ってから、鞄の奥から一枚の紙を出した。

 答案用紙。角が少しだけ折れている。

 

 恵がちらっと覗いて、次の瞬間、声を落とした。

 

「……まあ」

 

 日和がぽつりと言う。

 

「……赤点だった」

 

 屋上の風が、一瞬だけ強く吹いたみたいに空気が止まる。

 

 レンが口を開けて、すぐ閉じた。

 

「……え、ほんとに?」

 

 日和は頷く。

 目は伏せたまま。

 

「うん……ほんとに」

 

 命は無表情のまま日和を見る。

 目だけが、少しだけ真面目になる。

 

 俺は日和の紙を見て、短く言った。

 

「何でだ」

「分かんない……いや、分かってるけど……」

 

 日和が唇を噛む。

 

「最後、ちゃんと見直したのに……計算がずれてて……」

 

 レンがそっと言う。

 

「僕もそれ、やった」

「うん……」

 

 日和は笑わない。

 笑える種類の失敗じゃない。

 

 恵が日和の隣に座って、背中を軽く叩いた。

 

「日和、落ち込むのは構いませんわ。でも、食べてくださいませ。倒れます」

「……うん」

 

 日和は小さく頷いて、ようやく箸を取った。

 取ったけど、動きが遅い。

 

 レンが困った顔で俺を見る。

 俺は肩をすくめて、日和を見る。

 

「追試だろ」

 

 日和が小さく頷く。

 

「……うん」

「じゃあやるだけだ」

 

 俺が言うと、日和は少しだけ顔を上げた。

 泣きそうではない。でも、折れかけている。

 

 命が、淡々と口を開く。

 

「……日和さん」

「なに……?」

「私が、一緒に見ます」

 

 言い方は事務的。

 でも、その一言の重みが、日和の肩をほんの少し戻した。

 

「……いいの?」

「当然です」

 

 命は同じ言葉を、今度は日和に向けて言った。

 

 レンがすぐ乗る。

 

「僕もやる。今度は日和さんの番だよ」

 

 恵がふっと笑う。

 

「では、わたくしも同席しますわ。日和が逃げないように」

「逃げないよ……たぶん……」

 

 日和が小さく返して、ほんの少しだけ口元が緩んだ。

 

 落ち込んでるのは変わらない。

 でも、屋上の空気はもう沈まなかった。

 

 追試がある。

 だからこそ、ここで支える意味がある。

 

 俺は弁当の蓋を開けて、短く言った。

 

「食え。午後からまた始まるぞ」

「やめて」

 

 レンが反射で言って、日和が小さく笑った。

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