放課後。
教室のざわつきが少し落ち着いた頃、レンが俺の机の横に立った。
「隼人」
「ん」
レンは周りを一度だけ見て、声を落とす。
「……屋上、来て」
「今?」
「今」
言い切り方が珍しく真剣で、俺はそれ以上聞かずに立ち上がった。
階段を上る。
夕方の校舎は、昼より静かだ。足音が少しだけ響く。
屋上の扉を押すと、湿った風が顔に当たった。
空は曇っていて、夕焼けにもなりきらない中途半端な色。
レンはフェンス際に立っていた。
いつもなら先に一言ふざけるのに、今日はそれがない。
俺が隣まで行くと、レンはしばらく黙って、指でフェンスをなぞった。
「……ごめん、急に呼んで」
「別に。何だよ」
レンは一回だけ深呼吸して、俺を見た。
弟っぽい顔のまま、目だけが少し大人になってる。
「隼人さ」
「うん」
「……相談していい?」
「内容による」
「恋愛」
即答だった。
俺は一瞬だけ眉を上げる。
「お前が?」
「そう。僕が」
レンは笑わない。
その代わり、少しだけ困った顔をする。
「……僕、日和さんのこと」
そこで一拍。
言葉を探すみたいに視線を落とす。
「いいなって、思ってる」
風が吹いて、レンの前髪が揺れた。
その揺れの方が落ち着いて見えるくらい、レンの声は真面目だった。
俺は短く言った。
「へえ」
「へえって何」
「意外じゃない」
レンが目を丸くする。
「意外じゃないの?」
「一緒にいると安心するとか言ってただろ。日和も反応してた」
「……見てたんだ」
「見てた」
レンは小さく笑って、すぐ真面目な顔に戻った。
「でもさ、僕、どうしたらいいか分かんない」
「告れ」
「雑」
「お前が呼び出したんだろ」
「そうじゃなくて……」
レンはフェンスにもたれて、言葉を選ぶ。
「日和さんって、優しいし、ちゃんとしてるし……でも、僕が踏み込むと迷惑かなって思う時があって」
「迷惑かどうかは日和が決める」
「それはそうなんだけど……」
レンは唇を噛んで、視線を上げた。
「僕、日和さんのこと、好きって言うのが怖い」
「理由は」
「……変わっちゃいそうで」
小さい声。
でも、正直だった。
「今のまま、隣にいられるのが好きなのに、言ったら崩れるかもって」
俺はそれを聞いて、少しだけ頷いた。
レンは臆病じゃない。
ただ、壊したくないものがあるだけだ。
「じゃあ、言い方を変えてみたらどうだ」
「どんな?」
「順を追って告白するんだ」
俺はレンを見て、淡々と言った。
「好きです、じゃなくていい。まずは、日和と一緒にいると落ち着くって言え」
レンが目を瞬かせる。
「……それ、言ったことある」
「もう一回言え。今度は“ちゃんと”言え」
「ちゃんとって?」
「曖昧に流さずに。日和の目見て、そして次にこの先ずっと傍ににいてくれないかって言えばいい」
「最後の一押しに好きだと伝えるんだ」
レンが少しだけ赤くなる。
「……むずい」
「むずいなら練習だ」
「隼人と練習しても意味なくない?」
「意味ある。言えるか言えないかは練習で変わる」
レンはしばらく黙って、風の音だけが間に入った。
「……隼人」
「ん」
「隼人って、こういう時、迷わないよね」
「迷うよ」
「え、迷うの?」
「迷っても動く」
レンが笑って、少しだけ肩の力が抜けた。
「……僕も、動いた方がいい?」
「動け」
俺は短く言う。
「日和は逃げないタイプだ。お前が変にビビって距離取ったら、日和の方が不安になる」
レンが小さく頷いた。
「……うん」
そして、ぽつりと聞いてきた。
「じゃあさ、僕、いつ言えばいい?」
「早い方がいいとは思うけど」
「早いっていつ」
俺は少し考えてから言った。
「夏休み中だな」
レンが目を丸くする。
「……ハヤトが言うからてっきり明日にでもって言うかと思った」
「さすがに明日は無いだろ」
「ムードは作った方がいい、夏休みは時間がある。二人きりのタイミングも作りやすい」
「でも、長くない? 待てるかな」
「待てないなら、待てないって顔に出る」
「出ないよ」
「出る」
レンがむっとする。
「……出ないってば」
「出る。お前はそういうの隠せない」
レンは口を尖らせて、でもすぐ真面目な顔に戻った。
「じゃあ、夏休み中に……二人で」
「そう。日和が落ち着いてる日を選べ」
「落ち着いてる日……」
「追試とか補習の前後はやめとけ。余計な不安が混ざる」
「……なるほど」
レンが頷いて、少し間を置いた。
「でもさ、僕、こういうの……段取りが分かんない」
「段取り?」
「誘い方とか、場所とか、言い方とか……日和さんって優しいから、僕が変なこと言ったら気を遣わせそうで」
俺は短く息を吐いた。
「そういう時は、相談役を立てろ」
「誰」
「恵」
「……恵?」
「お前、恵のこういうとこ侮ってるだろ」
「侮ってないけど……恵に恋愛相談って、怖くない?」
「あれでいてちゃんと頼りになるさ」
「まぁ恵さんとは親友なんだっけ」
「だから効く」
レンが苦い顔をして、でも逃げない。
「……恵って、絶対茶化さない?」
「茶化す時は茶化す。けど、やる時はやる」
俺はスマホを取り出して、恵に短くメッセージを打った。
返事は早い。
『屋上ですの? すぐ行きますわ』
俺は画面をレンに見せる。
「呼んだ。待ってろ」
「え、今呼ぶの!?」
「相談するなら早い方がいいって言っただろ」
「さっき夏休み中って言ったじゃん!」
「告白が夏休み中。相談は今だ」
「……理屈で殴ってくる……」
レンがぼそっと言ったところで、屋上の扉が開く音がした。
軽い足音。
振り向くと、恵が涼しい顔で入ってくる。
「お呼びですの?」
状況を見た瞬間、恵の目が細くなる。
面白いものを見つけた時のやつだ。
「……まあ。二人きりで屋上。珍しいですわね」
「で、ハヤト様。今日は何のご用件ですの?」
俺は肩をすくめた。
「レンの恋愛相談」
恵の眉が、ほんの少し上がる。
「……あら」
そして、視線がレンに移る。
レンが観念したみたいに、小さく言った。
「……日和さんのこと、いいなって思ってる」
恵は一拍置いてから、口元を押さえて笑った。
「ふふ。よろしいですわね」
「笑うなよ……」
「笑ってませんわ。微笑んでいるだけですもの」
恵は涼しい顔に戻って、椅子代わりにフェンスへ軽く腰を預けた。
「では、夏休み中に動く、ということですわね」
「そう。それで、恵に段取りを相談しろって話」
恵は頷いて、レンを見る。
「よろしいですわ。レン、逃げませんわね?」
レンが小さく唸る。
「……逃げない」
「良い返事ですわ」
恵の声が少しだけ真面目になる。
「日和は、優しいですもの。だからこそ、曖昧にすると不安になりますわ」
レンが目を瞬かせた。
「……曖昧にしない」
「ええ。そこだけは、必ず」
恵はそう言ってから、一拍置き、指先で髪を整えるような仕草をした。
いつもの余裕の顔に戻っているのに、目だけが妙に仕事の顔になる。
「こちらで、整えておきますわ」
レンがきょとんとする。
「整えるって……何を?」
「必要なものを、ですわ」
それ以上は言わない。
言わないのに、もう決めた感じだけは伝わってくる。
俺はそれを見て、内心で息を吐く。
──恵は、こういう時“場所”から作るタイプだ。
相手が迷わないように、逃げ道がないように、でも重くならないように。
きっと、いつものメンツが安心して集まれる形にしてくる。
しかも、ただのカラオケや喫茶店じゃない。
日常から少しだけ離れた、ちゃんと気持ちが動く場所を。
恵はレンを見て、微笑んだ。
「レンは、やることだけやってくださいませ」
レンはまだ状況が飲み込めていない顔で、それでも小さく頷いた。
「……うん」
俺は肩をすくめる。
「まあ、恵に任せとけ」
恵が満足そうに頷く。
「ええ。任されましたわ」
その言い方だけで、もう“何か”が仕込まれたのが分かった。