※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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66話 寿司と約束と

「母さん夜ごはんどうする?」

「出前とりましょ、何がいい?」

「寿司がいいな」

「いいわね。じゃあちょっと良いやつにする?」

「こひな、寿司は食えないぞ」

 

 こひなは尻尾だけ全力で振って、俺の膝に顎を乗せてくる。

 

「分かってない顔してるな」

「いい子だねえ」

 

 母さんがこひなの頭を撫でる。

 こひなは満足そうに目を細めた。ちょろい。

 

「で、ネタどうする?」

「サーモン多め」

「子ども」

「うるさい」

「じゃあマグロも入れよう。あと茶碗蒸し」

「それも頼めるんだ」

「頼めます」

 

 注文を確定する指が軽く止まって、母さんが俺を見る。

 

「ハヤト、最近さ」

「ん」

「ちょっと楽しそう」

 

 俺はソファに沈んだまま、扇風機の風を受ける。

 否定するほどでもない。

 

「まあ、夏休みだし」

「それだけ?」

「それだけじゃないかも」

 

 母さんはそこで深掘りしてこない。

 ただ、嬉しそうに小さく頷く。

 

「そっか」

 

 その一言が、妙に落ち着く。

 家の空気ってこういうのだ。

 母さんはスマホをいじりながら笑って、注文画面を開く。

 

 チャイムが鳴って、俺が寿司を受け取ると、こひなが玄関で尻尾をブンブン振り続けた。

 配達の人が去ってもまだ興奮してて、母さんが笑いながら抱きとめる。

 

「こひな、番犬ごっこは終わり」

 

「終わってない顔してるな」

 

 リビングのテーブルに寿司の容器を並べて、醤油皿を出す。

 ココは最初から“ここは自分の席”みたいな顔で椅子の上に丸くなった。

 

「いただきます」

 

 寿司って、なんでこんなにうまいんだろう。

 

 母さんは茶碗蒸しを開けて、満足そうに息を吐いた。

 

「はあ……生き返る」

 

 こひなは俺の膝に顎を乗せて、寿司の匂いだけで幸せそうにしてる。

 ココは一口ももらえないのを分かってるのに、俺の箸の動きだけ追ってくる。

 

「見てもやらないぞ」

 

 ココはしれっと瞬きをした。

 聞いてない。

 

 食べ終わる頃には、部屋の空気が柔らかくなっていた。

 片付けは母さんが「いいから座ってな」と言うので、俺は素直に甘えた。

 

 風呂を済ませて自分の部屋に戻ると、扇風機の風がちょうどいい。

 ベッドに腰を下ろして、スマホを手に取る。

 

 通知は特にない。

 でも、指が自然に動いた。

 

 ルネットを開く。

 

 命のアイコンを開くと、屋上の無表情が思い出される。

 あれでいて、距離は確実に近い。

 言葉は少ないけど、いないと妙に落ち着かない。

 

 明後日、空いてるなら。

 

 俺は迷わず打った。

 

『命、明後日。暇か?』

 

 送信。

 

 既読は、すぐには付かない。

 

 扇風機の音と、廊下のどこかで鳴る母さんの足音。

 家の静けさの中で、俺は画面を見つめた。

 

 少しして、既読が付いた。

 少しだけ間が空いた後返事が来る。

 

『明後日、図書館で勉強するつもりでした』

 

 続けて、もう一通。

 

『ハヤトさんも、来ますか?』

 

 画面を見たまま、俺は小さく息を吐いた。

 

 ……そっちから誘ってくるのかよ。

 

「出かける」じゃなくて「勉強」なのが命らしい。

 

 俺はすぐ返した。

 

『行く。何時にする』

 

 送信して、スマホをベッドに落とす。

 扇風機の風が頬を撫でるのに、胸の中だけ少し熱い。

 

 数分後、また既読。

 

『午前の開館に合わせます。十時で』

 

 きっちりしてる。

 俺は笑って、短く返す。

 

『分かった。入口で待つ』

 

 送って、机の上を見る。

 宿題の束は片付いてる。自由研究の材料箱は棚の上。

 

 明日は図書館。

 静かな場所で、命と並ぶ。

 

 その想像だけで、今夜が少しだけ軽くなった。

 

 コン、とドアがノックされる。

 

「ハヤト、まだ起きてる?」

 

 母さんの声。

 俺は体を起こした。

 

「起きてる」

「麦茶。暑いでしょ」

 

 沙織が二つのグラスを持って入ってくる。

 ベッドの脇の机に、片方をことんと置いた。

 

 沙織が顔を出して、俺のスマホにちらっと目をやる。

 

「誰と?」

「命」

 

 名前を出した瞬間、母さんの眉がほんの少し上がった。

 驚きというより、確認するみたいな顔。

 

「……あの御堂の?」

「そう」

 

 沙織は一拍置いてから、ふっと笑う。

 

「へえ。……どこ行くの」

「別に。図書館行くだけ」

 

 母さんは機嫌が良さそうに言った。

 

「明日、早いならちゃんと寝な。寝不足で変な顔したらもったいない」

「変な顔ってなんだよ」

「変な顔は変な顔」

 

 沙織は笑って手を振ると、廊下に消えた。

 

 俺はもう一度スマホを見る。

 命から追加は来てない。

 来てないのに、画面を閉じるのが少し惜しい。

 

「……俺も大概だな」

 

 そう呟いて、明日の準備をする。

 筆箱とノートを鞄に入れる。

 ついでに、冷たい飲み物用に小銭も。

 

 図書館は涼しい。

 命は静か。

 たぶん会話は多くない。

 

 でも、それでいい。

 

 ベッドに入って目を閉じると、昼の屋上で並んだ距離が思い出される。

 無表情のまま、少しだけ近い命。

 

 明日も、あの距離だ。

 

 そして朝。

 

 十時少し前に着くと、図書館の入口の前はまだ人が少ない。

 涼しい風が自動ドアの隙間から漏れてくる。

 

 しばらく待っていると、命が来た。

 

 白いブラウスに落ち着いた色のスカート。

 派手じゃない。けど、目が自然に行く。

 

 命は俺の前で止まって、一礼する。

 

「おはようございます、ハヤトさん」

「おはよう。早いな」

「遅れる理由がありません」

 

 淡々と言うくせに、俺の顔をちゃんと見ている。

 それだけで、少し嬉しい。

 

 自動ドアが開いて、冷房の空気が肌に触れた。

 

「涼しい」

 

 俺が言うと、命は小さく頷く。

 

「……はい。だから、ここにしました」

 

 理由を言っただけの顔。

 でも、その中に俺を入れたのは命だ。

 

 俺は歩き出しながら、短く言った。

 

「じゃあ、今日は一日ここだな」

 

 命は一拍置いて、首を横に振った。

 

「一日かは、分かりません。疲れたら、切り上げます」

「いいよ。命のペースで」

 

 命は無表情のまま。

 でも、歩く速さがほんの少しだけ俺に合った。

 

 それだけで、十分だった

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