指定された店名を見た瞬間、俺は少しだけ笑った。
焼き肉。しかも高級。
澄乃さんらしい。会う場所で、空気を支配してくる。
俺は時間ぴったりに店へ入った。
黒い石と木の内装。香りが上品で、油の匂いが刺さらない。
案内されるのは個室だった。
襖が開いた瞬間、まず澄乃さんが目に入る。
和服じゃない。落ち着いた色のワンピースに、肩の力が抜けた笑み。
隣には、澄乃さんより少し若い女性。姿勢が綺麗で、目が鋭い。
「来たわね、坊や」
「こんばんは、澄乃さん」
「ふふ。ちゃんと来る。偉い子」
隣に、もう一人。
美しい。正直かなりタイプだ。
落ち着いた雰囲気の女性が座っている。姿勢が綺麗で、視線が静かに鋭い。それに、澄乃さんによく似ておっぱいが凄く大きい。
娘と言っていたがかなり若く見える。
澄乃さんがさらっと言った。
「紹介するわ。綾乃。今日はね、坊やに会ってみたいって」
綾乃さんは一礼して、名乗るのはそれだけだった。
「綾乃です。今日は、来てくださってありがとうございます」
「ハヤトですよろしくお願いします」
丁寧だけど、硬くない。むしろ少し楽しそうに見えるのが意外だった。
澄乃さんがトングを取って、当然みたいに言う。
「坊やは座ってて。今日は私たちが焼いてあげる」
綾乃も無言で火加減を見て、皿を整える。二人とも手際が良すぎる。こういう席を“用意する側”の人間だ。
肉が網に置かれて、じゅっと音が立つ。
澄乃さんはその音に紛れるみたいに、いきなり本題を投げた。
「坊や。今日の目的、言っていい?」
「どうぞ」
「この間言っていたでしょ? 娘の一人に子供を欲しがっている子がいるって、それがこの子よ」
「私みたいなおばさんと本当に子どもを作ってくれるのですか?」
「二人とも僕にとってはきれいなお姉さんですよ」
澄乃さんが楽しそうに笑う。
「いい子。そういう返事ができるの、坊やの強みよ」
「母から、あなたの話は聞きました。年甲斐もなく恋をしてしまったと」
「実際に会ってみてその理由がわかる様な気がします」
エッチの話もしたのだろうか?
「綾乃さんもパートナーになって欲しいんですよね?」
澄乃さんが楽しそうに目を細める。
「ふふ、坊やは話が早いの」
綾乃さんは一拍置いて、静かに頷いた。
「……ええ、そうなります」
「ええ。俺も、乗り気で来ました」
言い切ると、綾乃さんの目がほんの少しだけ柔らかくなる。
澄乃さんが、満足そうに笑った。
「ほら。そういうところよ、坊や」
綾乃さんが落ち着いた声で続ける。
「では、私は遠慮なく話します。曖昧にするつもりはありません」
綾乃さんがそう言って、背筋を少しだけ正した。
姿勢が変わるだけで、空気が少し締まる。
澄乃さんは楽しそうに笑いながら、トングで肉をひっくり返す。
「いいわねえ。綾乃、そういうところが好きよ。坊やも、こういう子は嫌いじゃないでしょう」
「嫌いじゃないです」
俺が返すと、綾乃さんの目が一瞬だけ動く。
肯定が早いのが意外だったのかもしれない。
綾乃さんは俺を見たまま言う。
「まず、確認したいことがあります」
「何ですか」
「母は、あなたといると気が緩みます。……良い意味で」
澄乃さんが横から軽く言う。
「緩むわよ。だって坊や、可愛いもの」
「可愛くないです」
「可愛いわ」
会話の温度を上げるのは澄乃さんの役目だ。
綾乃はぶれない。
「その“緩み”は、母にとって大切です。だから私は、あなたに感謝しています」
いきなり感謝されてしまった。
警戒じゃなく、ちゃんと好意で入ってきてる。
「……ありがとうございます」
俺がそう返すと、綾乃は小さく頷いた。
「ただ、感謝と別で、私は私の話をします」
「はい」
「私は、あなたのパートナーになりたい。今日は、その意思を伝えに来ました」
言い切って、間が来る。
綾乃の目線は逃げない。逃げないまま、待つ。
俺はその待ち方が嫌じゃなかった。
急かさないけど、引かない。
「分かりました」
短く答えると、綾乃の肩がほんの少しだけ下がった。
安心の息。
澄乃さんが、間に入るように肉を俺の皿に置く。
「はい、坊や。話は食べながら。焼き肉は冷めると機嫌が悪くなる」
「肉が機嫌悪くなるんですか」
「なるの。大人と同じ」
俺が笑いかけると、綾乃も一瞬だけ口元が緩む。
すぐ戻すけど、今日で二回目だ。
綾乃が続けた。
「私は、あなたに好かれたい、というより……きちんと関係を作りたいです」
「具体的には」
「時間を取ってください。短くていいので、定期的に」
澄乃さんが頷く。
「そういうの大事よね」
俺は素直に言う。
「分かりました。作ります」
言っただけで、綾乃の目が少し柔らかくなる。
約束の扱い方が上手い人だ。言葉を軽くしない。
「……ありがとうございます」
澄乃さんが網の上を見て、上機嫌に言う。
「ねえ、坊や。綾乃はね、恋愛に“強い”っていうより……転んでも形を崩さないのよ」
トングで肉を返す手つきが、やけに優雅だ。
綾乃さんは否定も肯定もせず、ただ一拍置いて、淡々と言った。
「強いわけではありません。……逃げられた回数なら、五回あります」
さらっと言う。重くもしない。
澄乃さんが笑う。
「ほら、こういうところ。坊や、聞いた? 五回よ。普通なら、そこで荒れるか、諦めるか、どっちかになる」
「……荒れません。諦めもしません」
綾乃さんは静かに続ける。
「逃げられた理由も、分かっています。私が“ちゃんとしすぎる”からです」
俺は水を一口飲んでから、丁寧に言った。
「綾乃さんが悪いとは思いません。相手の器の問題もあります」
綾乃さんの目が、ほんの少しだけ動く。
評価じゃない。驚きに近い。
「……そう言われるのは、少し意外です」
「俺は、そう思いました」
澄乃さんが嬉しそうに頷く。
「坊や、今の言い方。綾乃に効くわよ。こういう子はね、慰めより“筋の通った肯定”の方が好きなの」
綾乃さんは小さく息を吐いて、背筋を整える。
「母の言い方は大げさです。でも、私が曖昧を嫌う理由は、その五回で十分です」
それから、俺を見て言った。
「だから、私は最初から言います。私はあなたのパートナーになりたい」
パートナーにいなりたいと素直に言える人は珍しい。
俺は頷いて、同じ温度で返す。
「分かりました。俺も、綾乃さんとパートナーになりたいです」
綾乃さんの肩が、ほんの少しだけ下がる。
安心の形が小さい。だから分かりやすい。
澄乃さんが上機嫌に言った。
「はい、今日の焼き肉はいい夜ね」
「ハヤト君ももっと食べてね」
そう言って綾乃さんはお肉をよそってくれる
「はい、いただきます」
せっかくの焼き肉だから遠慮せず沢山食べておこう。