男子部屋に戻ると、レンが窓際に立って、海を見ながら何かを数えていた。
「何してんだ」
「波。……いや、雲。雲の形がすごい」
レンは振り向いて笑う。
「ここ、景色が強すぎる。もう一週間分の“いい夏”を先に食べた気がする」
「まだ始まってねえよ」
「始まってるよ。ほら、匂いが夏だもん」
レンはカバンを開けて、さっさと荷物を整え始めた。
“楽しむ担当”の切り替えが早い。
「命、何か言ってた?」
「……恵のサプライズが気になるって」
「そりゃ気になるよね」
レンはさらっと言って、ベッドの枕の位置を直す。
「でもさ、隼人がちゃんと見てるから大丈夫だよ。命もそれ分かってる。だから言えたんじゃない?」
軽い口調のくせに、妙に当たっている。
「……お前、たまに鋭い」
「たまに、じゃない。いつも鋭い」
「はいはい」
そのタイミングで、ドアの外から控えめなノック。続いてスタッフの声。
「お荷物、こちらにお運びいたします」
レンが小声で「プロだ……」と呟いて、俺は「お願いします」と返した。
荷物が定位置に収まっていく。部屋が“滞在の形”になっていくと、ようやく身体の芯の緊張がほどけた。
窓の外を見る。太陽はまだ高いが、光の色が少しだけ変わってきている。
夕方に向かっている――それが分かる。
そこへ、スマホが鳴った。
恵から、簡潔なメッセージ。
『30分後、ロビー集合ですわ。島を軽く案内します。歩きやすい格好で』
レンが俺の画面を覗き込んで、声を上げそうになって――自分で口を押さえた。
「……来た」
「来たな」
レンは肩を回して、笑う。
「よし。次のサプライズ、受けて立つ」
「構えすぎるな」
「いや、これは構えるやつ。恵だもん」
ロビーに降りると、すでに全員揃っていた。
女子組は、空気が少しだけまとまっている。日和が真ん中で整えて、命はいつも通り静かに立ち、恵は当然のように“中心”にいる。
恵は俺たちを見るなり、満足そうに頷いた。
「時間通りですわね。素晴らしい」
「恵が時間に厳しいだけでしょ」
日和が笑って言うと、恵は悪びれずに返す。
「当然ですわ。島の運営は、時間で回りますの」
命は無表情のまま、こちらに視線を向けた。
さっきより落ち着いている。日和の“作戦会議”が効いた顔だ。
恵は手を軽く叩いた。
「では、次はこちらですわ。まず――島を少し案内します」
スタッフが静かに前へ出て、外へ促す。
建物の外には、黒い車が二台並んでいた。派手さはないのに、車体の艶と静けさだけで“格”が分かるタイプだ。ドアはスタッフが先回りして開け、冷えた空気がふわっと流れ出す。
レンが目を丸くする。
「車……! 移動車なんだ」
「日差しが強いですもの」
恵は当然のように言って、運転席のスタッフに軽く頷いた。
「一台目に私と日和。もう一台に隼人とレン。命は――」
恵が一拍置く。
命が小さく瞬きをした。表情は読めない。けれど、視線が一度だけ日和のほうへ動く。
日和がすぐに訊いた。
「命、こっち来る?」
命は少しだけ間を置いてから、丁寧に答える。
「……よろしければ。日和さんの方が、落ち着きます」
「了解」
日和が笑って手招きし、命は静かに頷いて一台目の後部座席へ。シートベルトを丁寧に締める所作が、いつも通りきっちりしている。
俺とレンは二台目へ乗り込む。中は驚くほど静かで、冷房の風も強すぎない。
レンが窓を見回して、小声で言った。
「……これ、もう“移動”がイベントだよね」
レンは窓の外に視線を戻す。
車内は静かで、冷房の風だけが一定に流れている。外の青と白が、窓枠で切り取られていく。
前の車――恵たちの車が、滑るように右へ曲がった。
こちらも続く。
数分走ったところで、道沿いの景色が変わる。
白い壁の低い建物がまとまって並び、看板の主張は控えめなのに、全部が綺麗に整っている。小さな街みたいだ。
レンが小声で言う。
「……あれ、なに。商店街?」
運転しているスタッフが、穏やかに答える。
「島内のヴィレッジです。ショップ、カフェ、用品店がまとまっております」
俺が前を見たまま言う。
「買い出し用か」
「たぶん、恵が連れてくるってことは、そうだろ」
レンが小声で続ける。
「……じゃあ、服とか? サンダルとか……そのへん?」
言いながら、レンは自分の声が弾みかけたのに気づいて、咳払いを一つ。
「……その、滞在で必要なやつ、かな」
車がゆっくり停まった。
ドアが開く。午後の熱気が一瞬だけ押し寄せて、すぐにまた冷えた空気が恋しくなる。
すでに恵たちは降りていた。
恵は入口の前で当然のように待っていて、日和は影のある場所に命を寄せるように立っている。命は無表情のまま帽子のつばを整えていた。暑さへの反応が、ほんの少しだけそこに出る。
恵がこちらを見る。
「皆さん、こちらですわ」
「ここ、なに?」
レンが訊くと、恵はさらっと言った。
「リゾートのショップです。滞在に必要なものは、ここで揃いますわ」
日和が笑って補足する。
「要するに買い物。水着とか、羽織りとか、サンダルとか」
レンが目を輝かせる。
「買い物! 好き!」
「好きなのかよ」
「好き! だって、こういうの“旅行始まった感”あるじゃん」
恵が扉を開ける。
店内は冷房が効いていて、木の匂いがする。派手な音楽は流れていない。静かで、上品で、価格だけが想像できない。
スタッフがすぐに近づき、恵に一礼する。
「九条様。ご用意しております」
「ええ。皆さんの分も」
用意。
レンが俺を見て口の形だけで「用意!?」と言う。
日和がレンを軽く押して進ませた。
「とりあえず見る。値札は見ない。心を守る」
「守れるかな……」
命は一歩遅れて入ってくる。
表情は読めないまま。でも視線が店内を一通りなぞって、いちばん落ち着きそうな棚――色味が控えめなコーナーに自然と寄った。
日和が命に小さく言う。
「命、こっち。シンプル系あるよ」
「……ありがとうございます」
命は丁寧に頷いて、そのコーナーの前に立つ。
手を伸ばす前に、いったん立ち止まる。選ぶときの慎重さがそのまま出る。