※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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80話 海の後

 命は浮き輪を抱えたまま、浅瀬に立っていた。

 白い水着が濡れて、少しだけ色が深くなる。本人はそこに気づいて、視線を落とす。

 

 命は小さく息を吸って、浮き輪を水に浮かべた。

 浮き輪がふわっと浮く。命はそこに手を置く。

 

「……浮きますね」

「浮くよ」

 

 日和が隣に立って、同じように水に手をつけた。

 

「命、足つく? 大丈夫?」

「……はい。つきます」

 

 命は一歩進んで、浮き輪に少し体重を預けた。

 波が来て、浮き輪が揺れる。命の身体も揺れる。

 

 命は驚いた顔をしない。

 ただ、指先がぎゅっと握られて、すぐ開く。

 

 俺が少し離れたところから見ると、命がこっちを見た。

 視線が一瞬だけ長い。

 

「……顔に出さないでください」

 

 命が小さく言った。

 

「出してない」

「出ています」

 

 俺は少しだけ視線を逸らした。

 

「……分かった」

 

 命はそれで安心したみたいに、息を吐く。

 

 日和が命の肩を軽く叩く。

 

「いい感じ。もう慣れてきた」

「……慣れ、ですか」

「うん。慣れ」

 

 命は頷かない。

 でも、浮き輪に体を預ける時間が少し長くなった。

 

 恵は砂浜に椅子を置いて、日差しの角度を見ていた。

 遊んでるのに、目が全部を見ている。

 

 俺が戻ると、恵が言う。

 

「ハヤトさん、次は」

「何」

「写真、撮ってもいい?」

 

 日和がすぐ言った。

 

「命、嫌ならやめるよ」

 

 命は一拍置いてから、丁寧に言った。

 

「……少しだけなら」

 

 レンが海から戻ってきて、息を弾ませる。

 

「写真? 撮ろ!」

 

 日和がレンの頭を軽く押した。

 

「レン、声」

「……はい」

 

 恵がスマホを構える。

 

「では、並んで」

 

 みんなが浅瀬に集まる。

 命は端に立とうとする。目立ちたくないから。

 

 でも、日和が自然に命の隣に入って、位置を整えた。

 恵が一言。

 

「命、逃げない」

「……逃げません」

 

 短い返事。

 でも命は、ちゃんとそこに立った。

 

 恵が言う。

 

「撮ります。笑って」

 

 レンが笑う。日和も笑う。

 恵は笑わないのに、目だけが楽しそうだ。

 

 命は――笑わない。

 でも、口元がほんの少しだけ柔らかい。

 

 シャッター音が一回。

 

 午後の海が、写真に閉じ込められた。

 写真を撮り終えると、恵がスマホを下げた。

 

「はい、解散ですわ。休憩して、水分を取りなさい」

「急に現実」

 

 日和が笑い、レンは海水を払って頷いた。

 

「……はい」

 

 恵が即座に言う。

 

「レン、偉いですわ」

「恵、うるさい!」

 

 でもレンの顔は嬉しそうだった。

 

 しばらくして、俺たちは砂浜の拠点に戻った。

 タオルに座ると、体の芯がやっと落ち着く。海の疲れって、あとから来る。

 

 命は端に座って、膝を抱えない程度に姿勢を整えていた。

 白い水着が乾きかけて、光の反射が少し弱くなる。落ち着いた色に戻っていく。

 

 日和が命の横にしゃがむ。

 

「命、どう? 疲れてない?」

「……疲れています。でも、嫌な疲れではありません」

「うん、それならよかった」

 

 命は一拍置いて、俺の方を見た。

 表情は読めないけど、視線がちゃんと合う。

 

「……ハヤトさん」

「ん?」

「……さっきの写真。変では、なかったですか」

 

 俺は短く答えた。

 

「変じゃない。ちゃんと写ってる」

 

 命は少しだけ息を吐いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 それだけで、命はもう大丈夫そうだった。

 

 レンは波打ち際で最後に軽く水を浴びて、戻ってきた。

 髪をかき上げながら、日和の前で止まる。

 

「日和。今日は、ありがと」

「え、なに。急に」

 

 日和が目を丸くする。耳が赤い。

 レンは言い切る。

 

「一緒にいてくれた。僕、楽しかった」

「……うん。私も」

 

 日和は視線を逸らして、照れたまま笑った。

 

 恵がタオルに座ったまま言う。

 

「レン様、いい顔してますわ」

「恵、黙って!」

 

 恵は肩をすくめる。

 

「褒めてますの」

 

 恵が立ち上がった。

 

「今日はここまでですわ。戻ってシャワーを浴びて休みなさい。夕方までは自由で結構です」

「はーい」

 

 日和が返し、レンも続く。

 

「……はい」

 

 命も小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 部屋に戻ると、冷房がちょうどいい。

 砂を落としてシャワーを浴びるだけで、体が一気に軽くなる。

 

 レンは髪を拭きながらソファに沈んだ。

 

「海ってさ……疲れるのに、また行きたくなるね」

「分かる」

「明日も行きたい」

「明日も行くかは恵次第だろ」

「恵、絶対行かせるよ。だって恵だもん」

 

 レンはそこで一回黙って、声を落とした。

 

「……今日さ。日和、照れてた」

「見てたな」

「うん」

 

 レンは嬉しそうに笑って、それ以上は言わなかった。

 言葉を貯めてる顔だった。

 

 夕方。

 ロビーのラウンジに降りると、命が先にいた。水を飲んでいる。

 

 俺が近づくと、命は立ち上がって丁寧に言った。

 

「……お疲れさまでした、ハヤトさん」

「お疲れ」

 

 命は一拍置いてから、小さく言う。

 

「……今日は、海に入れました」

「入れたな」

「はい。……恥ずかしかったですが」

 

 そこで命は視線を外す。

 でも、逃げない。

 

「……それでも、大丈夫でした」

「何で」

 

 俺が聞くと、命は少しだけ考えて、短く答えた。

 

「ハヤトさんが、変なことを言わないからです」

「言わない」

「……はい」

 

 命は小さく頷いて、水を一口飲んだ。

 その動きが、昼より落ち着いている。

 

 そこへ日和の声がした。

 

「ハヤトさん、命。ここいた」

 

 日和がやってきて、続けて恵も来る。レンも一緒だ。

 恵が言う。

 

「夕食は部屋でいいえですわ。今日は疲れていますでしょ」

「珍しく優しい」

 

 日和が笑う。

 

「優しいっていうか、正しい」

 

 恵は涼しい顔で言った。

 

「正しいのがわたくしですわ」

 

 レンが小声で言う。

 

「……今日、良い日だったね」

 

 日和が一瞬だけ照れて、すぐ笑った。

 

「うん。良い日」

 

 命は無表情のまま、でも小さく言った。

 

「……はい。良い日でした」

 

 俺はそれを聞いて、短く思った。

 

 初日の海は、これで十分だ。

 明日から、もう少しだけ前に進めばいい。

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