※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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82話 潮風とレモン

 命は少し離れたところで、静かに竿を持っていた。

 動かない。焦らない。視線だけが海面を追っている。

 

 恵が命を見て言う。

 

「命さん、上手ですわ。待てていますもの」

「……ありがとうございます」

 

 命は丁寧に返した。

 でもその直後、竿先がほんの少しだけ沈んだ。

 

 命の指先が止まる。呼吸も止まる。

 次の瞬間、ぐっと引かれる。

 

「……来ました」

 

 命の声は小さい。

 でも確かに来ている。

 

 俺が言う。

 

「慌てなくていい。ゆっくり巻け」

「はい」

 

 命は言われた通り、一定の速度で巻き始めた。

 表情は読めない。でも動きが少しだけ硬い。緊張してる。

 

 日和が近づいて、小さく言う。

 

「命さん、できてる。今のペースで」

 

 命は頷かない。

 でも巻く手が乱れない。

 

 水面がきらっとして、魚が見えた。

 命はそこで初めて、目を瞬かせた。

 

「……見えました」

「そのまま」

 

 俺が言うと、命は最後まで巻き切った。

 魚が上がる。レンより少し大きい。

 

 レンが目を丸くする。

 

「命さん、すご! 命の方が大きい!」

 

 命は無表情のまま、でも小さく言った。

 

「……偶然です」

「偶然じゃないよ!」

 

 日和が笑って言う。

 

「命さん、初めてで釣るの普通にすごい」

 

 命は一拍置いて、丁寧に返した。

 

「……ありがとうございます」

 

 その声は淡々としてるのに、少しだけ軽かった。

 

 俺の竿にも反応が来た。

 引きは強くない。でもちゃんと魚だ。

 

「ハヤトさんも来た?」

 

 日和が聞く。

 

「来た」

 

 俺が巻くと、恵がさらっと言う。

 

「全員釣れましたわね。良い日ですの」

「恵、今日ずっと良い日って言ってる」

 

 日和が笑うと、恵は涼しい顔で返す。

 

「事実ですわ」

 

 レンは船縁に並んだクーラーボックスを見て、満足そうに息を吐いた。

 

「……みんなで釣ったって感じ、いいね」

 

 日和が小さく頷く。

 

「うん。いいね」

 

 命は海を見て、短く言った。

 

「……楽しいです」

 

 波の音と、糸の張り。

 船の上の時間は、ゆっくりなのに、ちゃんと進んでいた。

 

 そのあとも、魚はぽつぽつ来た。

 

 恵は淡々と釣って、数を増やす。

 

「次も来ましたわ」

「恵、強い」

 

 日和が笑うと、恵は涼しい顔のまま返す。

 

「騒がないだけですわ」

 

 レンは一回釣るたびに嬉しそうにして、でもちゃんと落ち着いて巻くようになった。

 

「今の、僕うまい」

「うん。うまい」

 

 日和が言うと、レンが照れた顔で笑う。

 

 命も二匹目、三匹目と増やしていく。

 無表情のまま、手だけが確実になっていく。

 

「……また来ました」

「ゆっくりでいい」

 

 俺が言うと、命は小さく頷いて、一定の速度で巻いた。

 

 気づけば、クーラーボックスの中がにぎやかになっていた。

 “みんなで釣った”って分かる量だ。

 

 レンが満足そうに言う。

 

「ねえ、これ、昼ご飯になるよね?」

 

 恵が即答した。

 

「なりますわ。むしろ、そうするために釣っていますの」

「最初からそうだったんだ」

 

 日和が笑う。

 

「恵、こういうとこは計画的」

「当然ですわ」

 

 港に戻ると、スタッフがすぐ動いた。

 魚はキッチンへ。俺たちは手を洗って、海が見えるテラスに通される。

 

 テーブルには、冷えた水と、パンと、サラダが先に置かれていた。

 待ってる間に空腹が加速する。

 

 レンが落ち着かない。

 

「僕の魚、どうなるのかな」

「美味しくなる」

 

 日和が即答する。

 

「レン君、待てる?」

「待てる!」

 

 命は静かに座っていた。

 でも、料理が出てくる方向を一度だけ見て、すぐ戻す。少しだけ期待してる。

 

 やがて皿が運ばれてきた。

 

 焼いた魚。レモン。ハーブ。

 それと、軽いフライにした魚のプレート。ソースは別。匂いがいい。

 

 恵が言う。

 

「塩とレモンで十分ですわ。余計な味は要りませんの」

「うまそう……」

 

 レンは一口食べて、すぐ顔を上げた。

 

「うまい! え、僕が釣ったやつ、うまい!」

「自分で釣ったからな」

 

 俺が言うと、レンは満面の笑みになる。

 

「最高。僕、今日ずっと勝ち」

「ずっと言ってるなそれ」

 

 日和が笑う。

 

「でも、勝ちだね」

 

 命も一口食べて、一拍置いて言った。

 

「……おいしいです」

 

 淡々としてるのに、ちゃんと嬉しそうな声だった。

 

 恵が満足そうに頷く。

 

「良い昼ですわね」

「うん」

 

 日和が頷いて、レンは照れたまま食べ続ける。

 

 食べ終わるころ、恵が水を一口飲んで言った。

 

「午後はダイビングですわ」

「ダイビング!?」

 

 レンが即反応する。

 

「え、潜るやつ!?」

「ええ。体験コースですの。インストラクター付き。危ないことはしませんわ」

 

 日和が確認する。

 

「浅いとこ?」

「浅いところからですわ。嫌ならやめていい。無理はさせませんの」

 

 命が小さく言った。

 

「……体験、なら」

「命、やる?」

 

 日和が聞くと、命は一拍置いて答えた。

 

「……やってみたいです。静かなら」

 

 俺は命を見る。

 

「大丈夫そう?」

 

 命は丁寧に言う。

 

「はい。ハヤトさんがいるので」

 

 短いけど、はっきりしてる。

 

 レンが笑って言った。

 

「よし! 午後も勝ち!」

「勝ちじゃないですわ。安全第一ですの」

 

 恵がぴしゃっと言うと、レンは素直に頷いた。

 

「はい!」

「よろしいですわ」

 

 恵は涼しい顔のまま、念押しする。

 

「午後は“予定”ですの。体調と気分次第で変えます。無理に潜って、明日を潰す方が最悪ですわ」

 

 日和が笑う。

 

「恵、たまに先生みたい」

「先生で結構ですわ」

 

 レンが手を上げる。

 

「質問!」

「どうぞ」

「ダイビングって、僕でもできる? 息、苦しくならない?」

 

 日和が横から答えた。

 

「体験なら大丈夫だよ。怖くなったら上がればいいし」

 

 レンは頷く。でも、顔がちょっとだけ真剣になる。

 

「……日和、隣にいてくれる?」

 

 日和が一瞬止まって、すぐ笑った。耳が赤い。

 

「うん。ついてる」

「よし」

 

 レンは小さく息を吐いて、さっきより落ち着いた顔になる。

 命が小さく言う。

 

「……ダイビングって、どんな感じなんでしょう」

「慣れるまではバタバタするけど、慣れたら落ち着くと思う」

「……そうなんですね。少しだけ、やってみたいです」

 

 俺は命を見る。

 

「嫌ならやめていい」

「はい。ですが……やってみたいです」

 

 短い言い方。

 でも命にしては、はっきりしている。

 

 恵が満足そうに言った。

 

「よろしいですわ。では午後は一度休憩。日差しが強い時間は、体力を温存します」

「昼寝?」

 

 レンが聞くと、恵は当然みたいに答える。

 

「昼寝でも読書でも構いませんわ。夕方、軽く散歩してもいい。各自ですの」

 

 日和が頷く。

 

「午後に詰め込みすぎないの、正解だね」

「当然ですわ。余裕がないと、楽しくありませんもの」

 

 レンが小声で言う。

 

「……恵さん、たまに優しい」

「たまにとは失礼ですわ」

 

 恵は涼しい顔のまま、でも少しだけ機嫌がいい。

 

「私は常に皆さんのために動いていますの。感謝なさい」

「感謝します!」

 

 レンが即答して、日和が笑う。

 

「レン君、素直」

 

 命が小さく言った。

 

「……私も、感謝しています。恵さん」

 

 恵は一拍置いて、わずかに口元を緩めた。

 

「……結構ですわ」

 

 その一言だけで、場がふっと柔らかくなる。

 

 食後の風が気持ちいい。

 午後は休む。夕方にもう一度、海へ――そのくらいでいい。

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