朝から日差しが強かった。
今日はイベント日。恵がそう決めた日だ。
ロビーに集まると、恵が涼しい顔で言う。
「昼はビーチで遊びますわ。夜はBBQ。最後に焚火ですの」
「BBQ!?」
レンが一気に顔を明るくする。
「夜まであるんだ!」
日和が笑う。
「レン君、体力残してね」
「残す! でも遊ぶ!」
「両立して」
恵は当然みたいに頷いた。
「両立しなさい。倒れたら台無しですわ」
ビーチに着くと、もう準備ができていた。
パラソル、冷えた水、タオル、遊び道具。全部“整ってる”。
レンは砂浜に降りた瞬間、走り出しそうになって止まる。
「……遊んでいい?」
「いいですわ」
「よし!」
レンは日和を振り返る。
「日和、行こ!」
「うん」
日和は照れも隠さず、でも自然に頷いた。
恵は俺を見る。
「ハヤトさん。今日は“普通に”楽しんで」
「……ああ」
その一言が、刺さった。
普通。
今の俺は、普通じゃない。
頭のどこかにずっと残っている。
命に見られたかもしれない、ということ。
いや、見られた。あの気配。あの一瞬の空気。
それなのに、俺は命に何も聞けていない。
昨日も今日も、命はいつも通りで――それが余計に落ち着かない。
顔に出すな。
変に気にするな。
そう思って、呼吸だけ整える。
日和とレンは浅瀬へ入った。
レンは泳ぎが速い。今日は“見せる”じゃなく、“一緒に遊ぶ”方に寄せている。
「日和、浮き輪いる?」
「いらない」
「かっこいい!」
「レン君、うるさい」
日和が笑う。レンは笑って、でも少し距離を詰める。
恵は砂浜に椅子を置いて、全体を見る位置に立った。
遊びの顔をしながら、ちゃんと管理している。
「水分。忘れないでくださいまし」
「はーい」
日和が返して、レンも頷く。
命は少し遅れて海に入った。
白い水着は昨日と同じ。でも今日は、昨日より迷いが少ない。
命は浅瀬で止まって、波を見てから一歩進む。
それだけで、十分“進んでいる”。
俺は命の近くに立つ。
近くにいるのは自然だ。そう見えるはずだ。
「……おはようございます、ハヤトさん」
命は丁寧に言う。表情は読めない。
でも、目は落ち着いている。
「おはよう」
それだけ返す。
余計なことは言わない。今は。
命は一拍置いて、短く言った。
「……今日は、暑いですね」
「暑いな」
会話が薄い。
本当は聞きたい。昨日のこと。見たのか。どう思ったのか。
でも聞けない。
聞いた瞬間、俺の動揺が形になる。
命は波に足を取られそうになって、すぐ体勢を整える。
俺は反射で手を伸ばしかけて、止めた。
触れたら、変に意識する。
今の俺は、意識しすぎている。
命は自分で立て直して、何事もなかったみたいに言う。
「……大丈夫です」
「……そうか」
声が少しだけ硬くなる。
俺はすぐ、いつもの調子に戻す。
「無理すんな」
「はい」
命は短く返して、俺を見ない。
見ないのが、逆に怖い。
俺は表情を変えない。
変えないまま、海を見るふりをした。
少し離れたところで、レンが日和に水をかけた。
「日和!」
「レン君!」
日和が反撃して、二人で笑う。
恵が砂浜から言う。
「子どもですの?」
「子どもじゃない!」
レンが返して、日和が笑って肩を叩いた。
「でも楽しい」
「うん!」
その声の明るさが、羨ましいくらいだった。
命がふと、俺を見る。
視線が一瞬だけ長い。
俺は何でもない顔で言う。
「……疲れたら休め」
「はい」
命は丁寧に返す。
その“いつも通り”が、俺の胸を少しだけ締めた。
昼のビーチはにぎやかで、光が強い。
少し遊んだところで、恵がパラソルの下から立ち上がった。
手を叩く。
「はい。次。ビーチゲームをしますわ」
「ゲーム!?」
レンが即反応して、日和が笑う。
「恵、こういうの好きだよね」
「好きではなく必要ですわ。メリハリ」
恵は砂浜に小さな旗を数本、等間隔で立てた。
浅瀬の方にも、浮き輪を二つ置かせる。
「まずは“ビーチフラッグ”。走って、取ったら勝ち。転ばない。押さない。以上ですわ」
「え、やるやる!」
レンが前のめりになる。
「日和も!」
「私もやるけど、レンは本気出しすぎないで」
「本気出す!」
「ほどほどに」
恵が涼しい顔で言う。
「ほどほどに本気。レンはそれ」
「むず!」
「できますわ」
命は少し後ろに下がっていた。
表情は読めない。でも“走る”は苦手そうだ。
恵が命を見て言う。
「命は見ていてもいいですわ」
命は一拍置いて、小さく答える。
「……見ます」
俺は命の近くに立ったまま、砂浜を見る。
「俺も見学でいいか」
「いいですわ。ハヤトさんは監督」
「監督って何」
「全員が無茶しないように見てなさい、という意味ですわ」
断れない役だ。
スタートの合図。
レンと日和が走る。恵も走る。
レンは速いけど、恵もちゃんと速い。フォームがきれいで無駄がない。
「え、恵速っ!」
日和が笑いながら走る。
最後の一歩で、恵が旗を取った。
「一回戦、私ですわ」
「強すぎ!」
レンが悔しそうに砂を払う。
恵は涼しい顔で次を指す。
「二回戦。今度は位置を変えますわ。レン、日和、私」
「今度こそ!」
レンが気合を入れて、日和が軽く肩を回す。
合図。
今度はレンが一番に手を伸ばした。
旗を取って、ガッツポーズ。
「よし!」
日和が笑う。
「レン君、勝ったね」
「うん!」
その返事が嬉しそうで、日和が少し照れる。
命は少し離れたところから見ていた。
楽しそう、とは言えない。けど、目がちゃんと追っている。
俺は命の横に立ったまま、何でもない顔で言った。
「走らなくていい?」
「……はい。今日は、見ている方がいいです」
「分かった」
そこで命が、ちらっと俺を見る。
視線が短い。すぐ外れる。
恵が次の道具を示した。
「次は浅瀬で“浮き輪リレー”。足がつく場所だけ。走るのは禁止。歩いて移動。手で押して進む。安全に、ですわ」
「制限多い!」
レンが笑う。
「でも楽しそう!」
日和が頷く。
「命も、これならできそうじゃない?」
命は少し考えて、丁寧に答えた。
「……浅いなら」
「よし。命、こっち」
日和が命の手首を軽く引く。命は抵抗しない。
恵がチームを決める。
「恵・レン様組、日和・命組ですわ。ハヤト様は審判」
「俺、ずっと仕事」
「光栄に思いなさい」
「思わない」
日和が笑って、命が小さく息を吐く。
笑いではないけど、硬さが少し抜けた。
浅瀬。浮き輪を押して進む。
レンは勢いがある。水をばしゃばしゃ跳ねる。
「いける! 恵、速い!」
「レン、うるさいですわ。押す手を止めない」
「はい!」
日和と命は、速度が安定していた。
日和が前に出すぎず、命のペースに合わせている。
「命、いける?」
「……はい。思ったより、楽です」
「よし、そのまま」
命は浮き輪を押す手が丁寧だ。余計な動きがない。
結果、じわじわ伸びる。
「え、命、地味に速い!」
レンが振り返って叫んで、恵が言う。
「前を見なさい」
「はい!」
最後はほぼ同着。
俺が手を上げた。
「同着。引き分け」
「えー!」
レンが砂を蹴る。
日和が笑う。
「いいじゃん。平和」
命が小さく言った。
「……引き分け、で安心しました」
その言い方が素直で、日和が嬉しそうに頷く。
恵がパラソルの方へ戻りながら言う。
「はい。午前の部、終了。水分。休憩。昼にしますわ」
「やった、昼!」
レンが走り出しかけて止まる。
「……走らない!」
「学習しましたわね」
恵が満足そうに言う。
命は浅瀬から上がって、タオルを肩にかけた。
俺はその横に立つ。
言うべきことがある気がする。
でも、今ここで言ったら、全部が変になる気もする。
だから俺は、表情を変えずに言った。
「疲れてない?」
「……少し。でも、大丈夫です」
「そっか」
命は一拍置いて、目を落とした。
「……今日は、にぎやかですね」
「そうだな」
それだけで会話が終わる。
終わるのに、胸の奥は落ち着かない。
昼が来る。
夜はBBQと焚火。そこでまた、距離が近くなる。
その前に――俺は一度、気持ちを整えないといけない。