昼前のビーチは、昨日より人が少なかった。
風がちょうどよくて、海の色がはっきり見える。
恵が日傘をくるっと回して言う。
「今日は動き方を少し変えますわ。午後の準備もありますし、昼は軽めにしておきましょう」
「レンは日和と一緒に飲み物を取りに行って。私はスタッフと確認してきますわ」
ロビーに集まると、恵が予定表みたいに言った。
「今日は動き方を少し変えますわ。昼は軽め、午後に海のメニューを入れますの」
レンが頷く。
「海のメニュー?」
「カヤックですわ。説明の時間もありますから、今のうちに準備しておきますの」
恵はさらっとレンと日和を見る。
「レン、日和。飲み物とタオルを取りに行って。二人で。すぐ戻ればいいですわ」
「うん、行こ」
日和がいつも通りに言って、レンも自然に頷く。
「……うん」
恵はそのまま命を見る。
「命は日陰で休んで。ハヤト様は付き添って」
「……はい」
「了解」
レンと日和が飲み物を取りに行くのを見送って、恵は何でもない顔でスタッフの方へ向かった。
わざとらしくない。いつも通りに動いているだけに見える。
命は日陰の席に座って、海を見た。
表情は読めないけど、今日は落ち着いている。
俺も向かいに座る。
「昼、軽めって言ってたな」
「ええ」
恵が少し離れた位置から返す。
近くにいない。距離を保っている。
「午後に備えますの。日差しが強い時間に無理をさせません」
日和なら“優しい”って言うところを、恵は“予定”として言う。
でも実際、そういう気遣いだ。
命が小さく言った。
「……助かります」
「当然ですわ」
恵は淡々と返して、飲み物の確認に戻った。
しばらくして、レンと日和が戻ってきた。
両手にペットボトルとタオル。日和が先に配って、レンが後から渡す。動きが自然だ。
「はい、命さん」
日和が言って、命は丁寧に受け取った。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
レンは俺にも渡しながら、小声で言う。
「……なんか、暑いね」
「暑いな」
レンはそれ以上言わない。
言いたいことがある顔をしてるのに、言葉を選んで飲み込む。
日和がレンを見て笑う。
「レン君、今日変」
「変じゃない」
「変だよ」
「……普通」
恵がすぐ挟む。
「普通でよろしいですわ」
レンが一瞬だけ救われたみたいに頷いた。
「……はい」
昼は本当に軽かった。
サンドとフルーツ。冷たい飲み物。重くない。
恵は席を少しずらして、レンと日和の並びを自然に作る。
命の前には食べやすいものが置かれる。説明もなく、当然のように。
レンがサンドを持ったまま、日和を見る。
「……昨日の焚火、楽しかった」
「うん。楽しかった」
日和は目を逸らさない。
レンはその返事に少しだけ肩の力が抜ける。
恵は会話に混ざらない。
ただ、空になった皿を静かに下げさせる。気配だけで場を整える。
命は言葉が少ない。
でも、二人の会話を聞いている。眉は動かない。けど視線が時々、二人の方に向く。
俺はそれを見て、何でもない声で言った。
「食べられてる?」
命は一拍置いて答える。
「……はい。大丈夫です」
「よかった」
昼が終わるころ、恵が立ち上がった。
「では午後。カヤックですわ」
「さっき言ってたやつだね」
日和が確認するように言うと、恵はさらっと頷いた。
「二人乗り。レンと日和で」
レンが声を出しそうになって、口を閉じる。
代わりに頷いた。
「……やる」
日和が笑う。
「うん。やろ」
恵は命を見る。
「命は無理をしません。見ていてもいいですわ」
「……はい」
俺を見る。
「ハヤトさんは一緒に待機。近づきません」
「了解」
恵はそれで満足したみたいに頷いた。
カヤックの前、恵が荷物を一度まとめさせた。
そのとき日和が小さく言う。
「……あ、タオル」
「置いてきた?」
「うん、たぶんパラソルのとこ」
レンが反射で立つ。
「取ってくる!」
恵が涼しい顔で言った。
「レン。日和と一緒に行きなさい。道、砂で滑りますわ」
「え、僕だけで──」
「一緒に、ですわ」
「……はい」
日和がレンを見て笑う。
「じゃ、行こ」
「うん」
砂浜の端を二人が歩いていく。人が少ない。
レンは何度か口を開きかけて、閉じる。
日和が何か言って、レンが小さく頷いた。
それだけで、空気が“今から”だと分かった。
戻り道。
二人の距離が、さっきより近い。
午後。カヤック置き場に行くと、準備は全部できていた。
ライフジャケット、説明、コース。安全第一。
インストラクターが言う。
「沖へ行きすぎないでください。ブイの内側。疲れたら手を上げて合図」
レンが真面目な顔で頷く。
「はい」
日和も頷く。
「レン、いける?」
「いける」
「よし」
日和が笑って、レンが少しだけ息を吐いた。
二人がカヤックに乗る。
日和が前、レンが後ろ。
「方向、言って」
レンが言うと、日和が頷いた。
「了解。ゆっくり行こ」
「うん」
俺たちは少し離れたテラスに移動する。
海が見える場所。声は届かない距離。
恵が低い声で言った。
「……良い流れですわ」
命が小さく頷く。
「……はい」
俺は海を見ながら言う。
「放っておく方がいいな」
「ええ」
恵は短く答えた。
昼はただ、穏やかに過ぎていく。
夜に向けて、空気だけが少しずつ整っていく。