命視点
『ずっと好きだった』
『最初に会ったときからだ。……一目惚れだった』
その言葉を聞いた瞬間、私はもう逃げられなかった。
胸の中で散らばっていたものが、一気に一箇所に集まる。
嫌だ、恥ずかしい、分からない、怖い。
全部が混ざっていたのに――最後に残ったのは一つだけ。
(……好き)
理解より早く、体が答えを出した。
呼吸が浅くなって、耳が熱くなる。手が冷たくなる。
でも、嫌じゃない。
私はずっと曖昧だった。
はっきりしたものを持っていないふりをして、楽な場所にいた。
だけど今、ハヤトさんが言い切った。
“ずっと”と。
“一目惚れ”と。
その真っ直ぐさが、私の逃げ道を消した。
消されて、怖いのに――助かった。
私は小さく息を吸って、言った。
「……はい」
自分でも驚くくらい、すぐ出た。
ハヤトさんがこちらを見る。
私は目を逸らさなかった。逸らしたら、今の“はい”が嘘になる。
「……私も、好きです」
声は小さい。丁寧なまま。
でも、嘘は入っていない。
言った瞬間、胸が少しだけ軽くなる。
ざわつきが、静かになる。
私は恥ずかしくて、少しだけ視線を落とした。
「……今まで、分からないふりをしていました」
言葉にすると苦い。
でも、それも本当だ。
顔が熱い。耳も熱い。
それなのに、心は落ち着いていく。
好き、と言ってしまった。
OKしてしまった。
でも、後悔はなかった。
花火がまた上がって、夜が一瞬だけ白くなる。
光の中で、私は思った。
もう戻らない。
戻りたくない。
私はハヤトさんが好きだ。
それだけで、十分だった。
言ってしまったあと、口の中が乾いた。
呼吸の仕方を忘れたみたいになる。
ハヤトさんは、すぐに何か言うと思った。
でも、すぐには言わなかった。
その沈黙が怖くて、私は反射で付け足しそうになる。
言い訳とか、逃げ道とか。いつもの癖。
でも、やめた。
今日だけは、やめる。
ハヤトさんが小さく息を吐いて、言った。
「……ありがとう」
それだけで、胸が少し緩む。
私が「……はい」と言ったあと、ハヤトさんは一瞬だけ目を止めた。
それから、堪えきれないみたいに息を吐いて、笑う手前で止まった。
「……よかった」
その声が、素直だった。
嬉しさを隠そうとしてない声。
ハヤトさんはもう一度だけ、確かめるみたいに言う。
「命。今の、返事だよな」
私は恥ずかしくて視線を落としそうになって、踏みとどまった。
丁寧に、でも逃げずに言う。
「……はい。返事です」
ハヤトさんは小さく頷いて、短く言った。
「ありがとう。……嬉しい」
波の音が一定で、花火の間が長い。
遠くではまだレンと日和が並んでいる。影が重なって、離れない。
私はその景色を見て、少しだけ落ち着いた。
ああ、今日は“そういう夜”なんだ。
私はハヤトさんを見る。
表情は読めないはずなのに、今は自分の顔が分かる気がする。きっと赤い。
「……あの」
「ん?」
言いたいことがある。
でも言葉が追いつかない。
ハヤトさんが、少しだけ声を落とした。
「今、無理に言わなくていい」
その言い方が優しくて、私は逆に言えた。
「……一目惚れ、というのは」
「うん」
「……ずるいです」
自分で言って、自分で恥ずかしくなる。
でもハヤトさんは笑わなかった。
「ずるい?」
「……嬉しいからです」
言った瞬間、心臓が跳ねた。
私はもう止まらない。
ハヤトさんが少しだけ目を細めた。
「嬉しいなら、よかった」
「……よかった、です」
同じ言葉を返すだけで、胸が温かくなる。
花火が上がる。
光が海に落ちて、波が光る。砂浜の影が短く伸びる。
その光の中で、ハヤトさんが言った。
「命」
「……はい」
「これから、ちゃんと増やしていこう。二人の時間」
私は息を吸って、頷いた。
「……はい」
今度の「はい」は、さっきより落ち着いていた。
言い切れる。
私はもう迷っていない。
少しして、足音が近づいた。
恵が戻ってきた。
恵は俺たちの顔を見て、すぐに察したみたいに目を細めた。
でも笑わない。あくまで涼しい顔。
「……終わりました?」
ハヤトさんが短く答える。
「終わった」
恵は一拍置いて、私を見る。
私は逃げずに、丁寧に言った。
「……はい」
恵はそれだけで十分だと判断したみたいに、頷いた。
「よろしいですわ」
それ以上、何も言わない。
言わないのに、全部支配している。
最後の大きい花火が上がって、夜が一瞬白くなる。
その光の中で、私は思った。
私は今、ちゃんとここにいる。
逃げずに、選んでいる。
好きだと言ってしまった。
OKしてしまった。
でもそれが、今日の私には必要だった。
花火の最後の音が、夜に溶けた。
空が暗く戻って、波の音だけが残る。
恵が手を叩く。
「では戻りますわ。冷えますもの。レンと日和も呼びます」
「俺が行く」
ハヤトさんが言うと、恵は首を横に振った。
「あなたはここにいなさい。今日は命の隣に」
言い切り方が、恵だ。
命令みたいで、でも気遣いも入っている。
ハヤトさんは一拍置いて、短く返した。
「……分かった」
恵はそれで満足したみたいに踵を返す。
砂浜を歩く背中が、迷いなく真っ直ぐ。
私はその背中を見て、少しだけ思った。
(恵は、強い)
その強さに、私は何度も助けられている。
悔しい気もする。感謝もある。
複雑なはずなのに、今は変に絡まらない。
全部が「好き」に押し流されているからだと思った。
ハヤトさんが私の方を見る。
「寒い?」
「……大丈夫です」
嘘ではない。
冷たいのは風じゃなく、落ち着かない自分の方だ。
私はブランケットの端を指で揃える。
いつもの癖。
揃えたところで、ハヤトさんに見られている気がして、手を止めた。
「……見ないでください」
「見てない」
「見ています」
言ってから、しまったと思う。
今日の私は、口が少し軽い。
ハヤトさんは困ったように息を吐いた。
「……じゃあ、見ない」
そう言って、視線を海に向けた。
本当に向けた。誤魔化さない。ずるくない。
それが嬉しくて、私は少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます」
「何が」
「……今の」
言葉が足りない。
でも、伝わる気がした。
遠くで恵の声がする。
レンと日和を呼んでいる。二人の返事は聞こえない。
私は海を見ながら、心の中で同じことを繰り返した。
(好き)
言葉にすると恥ずかしいのに、胸は落ち着く。
変だと思う。でも、悪くない。
ハヤトさんが小さく言った。
「明日、どうする?」
明日。
“これから”の話をされるのが、少し怖くて、少し嬉しい。
「……明日も、海ですか」
「海でもいいし、別でもいい」
「……一緒なら」
口に出した瞬間、恥ずかしくて息が止まりそうになる。
でも言ってしまった。
ハヤトさんは、短く笑った。
「一緒がいい」
その返事が、また胸に落ちる。
ざわつきが消えていく。
やがて、足音が戻ってきた。
恵と、レンと、日和。
レンはまだ少し赤い顔をしていた。
日和もいつもより静かで、でも笑っている。
恵が涼しい顔で言う。
「戻りますわ。今日はこれで終わり」
「はーい……」
レンが間の抜けた返事をして、日和が肩を叩いた。
「レン、歩ける?」
「歩ける……」
そのやり取りが、もう答えだった。
私はそれを見て、少しだけ安心した。
自分だけが変わったわけじゃない。みんな、進んだ夜だ。
ホテルまでの道は、静かだった。
話す人は少ない。疲れもある。余韻もある。
部屋の前で、恵が言った。
「明日は遅めにしますわ。全員、寝なさい」
「了解」
日和が頷いて、レンも素直に頷く。
「……はい」
恵は私を見る。
「命」
「……はい」
「無理はしない。けれど、逃げもしない。あなたは今日、それができましたわ」
褒め言葉の形をしているのに、命令みたいに聞こえる。
でも私は、小さく頷いた。
「……はい」
恵は満足そうに踵を返した。
部屋に戻って、扉を閉める。
静かになる。
私はベッドに座って、息を吐いた。
胸のざわつきは、まだ少しある。
でも、それはもう怖くない。
(好き)
その言葉に全部が戻る。
戻って、落ち着く。
明日、ハヤトさんに会ったら。
私はきっと、いつも通りの顔をする。
表情は読めないまま。丁寧なまま。
それでも、心だけはもう隠さない。