※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

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93話 帰りのジェット

 荷物はもうまとめてあった。

 ロビーに集まると、みんな少しだけ静かだった。濡れた髪も、笑い声も、もう昨日のことみたいに遠い。

 

 外に出る。

 車に乗って、空港へ向かう。

 

 レンは窓の外を見ながら、何度も笑いそうになって、やめていた。

 日和の方を見て、また前を見る。手は落ち着かないのに、顔はずっと明るい。

 

 日和はそれを見て、何でもないふりで言う。

 

「レン君、帰ったら寝なよ」

「寝る。……でも、また来たい」

「また来よう」

「うん」

 

 恵が前の席からさらっと言った。

 

「来たければ、来ればよろしいですわ。計画は私が立てます」

「恵、強い」

「当然ですわ」

 

 その会話に混ざらず、命は静かに座っていた。

 表情は読めない。でも、横顔の線が少し柔らかい。

 

 俺は命の隣に座って、外を見るふりをした。

 

 あの夜から、まだ変な感じが残っている。

 変な感じ、というより――落ち着かないのに、落ち着いている。

 

 命が、俺の方を見た。

 視線が少しだけ長い。

 

「……ハヤトさん」

「ん?」

 

 命は一拍置いてから言った。

 丁寧に、逃げずに。

 

「……今度、うちに来てください」

 

 俺の心臓が一回だけ強く鳴った。

 でも顔には出さない。

 

「家に?」

「はい」

 

 命は頷いた。

 表情は崩れないのに、耳が少し赤い。本人も分かってるはずだ。

 

「渡したいものがあります」

 

 その言い方が、真面目で、重い。

 でも嫌じゃない重さだった。

 

「……分かった」

 

 俺がそう返すと、命の肩が少しだけ落ちた。

 安心した、って動き。

 

「……ありがとうございます」

 

「何を渡すんだ」

 

 俺が聞くと、命は一瞬だけ言葉に詰まって、丁寧に答えた。

 

「……そのときに、言います」

 

 逃げじゃない。

 今日の命は、ちゃんと“先”を作る言い方をする。

 

「分かった」

 

 俺はそれ以上追わなかった。

 追わない方が、命が言える気がしたから。

 

 空港に着く。

 プライベートジェットが当たり前みたいに待っている。

 

 レンが一度だけ天を仰いだ。

 

「……帰りもこれなんだ」

「帰りもこれですわ」

 

 恵が淡々と言う。

 

「往復ですもの」

「往復が当たり前ってなに……」

 

 日和が笑う。

 

「レン君、慣れて」

「慣れない!」

 

 恵がスタッフに軽く頷いて、搭乗が始まる。

 みんな、もう“帰る動き”だ。

 

 機内に入ると、冷房の空気で一気に現実に戻った。

 席に座ると、緊張が抜ける。

 

 レンは日和の隣に座った。

 自然にそうなる。もう隠さない。

 

 日和も何も言わない。

 当たり前みたいに隣にいる。

 

 恵は前の方に座って、端末を開いている。

 本家からの連絡の件かもしれない。顔は変わらない。

 

 命は窓側。俺はその隣。

 

 シートベルトの音が小さく重なる。

 エンジンが低く唸って、機体が動き出す。

 

 離陸の瞬間、命の指が肘掛けを軽く握った。

 怖いのではなく、力の入れ方が丁寧なだけ。

 

「……揺れますね」

 

 命が小さく言う。

 

「揺れるな」

 

 俺が返すと、命は少しだけ息を吐いた。

 

 窓の外で島が小さくなる。

 海が遠ざかる。

 

 旅行が終わる。

 でも、終わりじゃない。

 

 命がもう一度だけ、俺を見る。

 

「……約束です」

「約束だ」

 

 短く返す。

 命は小さく頷いて、視線を窓に戻した。

 

 表情は読めないまま。丁寧なまま。

 でも、俺には分かった。

 

 命は今、次に進もうとしている。

 

 機体が雲を抜けると、揺れが少しだけ落ち着いた。

 シートベルトのサインが消えて、機内の空気が柔らかくなる。

 

 レンが前のめりになって、日和に小声で言う。

 

「……ねえ、日和」

「なに?」

 

「帰ったらさ、近いうち、ちょっとだけ時間ちょうだい」

 

 日和が一瞬だけ目を止めて、すぐ笑った。

 

「うん。いいよ」

「……うん」

 

 レンはそれ以上言わない。

 言わなくても、もう通じている感じだった。

 

 恵は端末を見たまま、さらっと言う。

 

「レン。浮かれるのは結構ですわ。でも落ち着きなさい」

「落ち着いてる!」

「落ち着いていませんわ」

 

 日和が笑って、レンが照れた。

 

 命はそのやり取りを聞いている。

 表情は変わらない。けど、視線が少しだけ柔らかい。

 

 俺は窓の外を見ながら、命の方へ少しだけ体を向けた。

 

「いつ行けばいい」

 

 命が一拍置いて答える。

 

「……日程は、合わせます。家の予定もありますから」

「了解」

 

 命は小さく頷いた。

 それから、少しだけ声を落とす。

 

「……急ではありません。ちゃんと準備したいです」

「準備?」

 

 命は一瞬だけ迷って、でも言った。

 

「……渡すものの、準備です」

 

 それだけで、十分だった。

 命が“ただのノリ”で言っていないのが分かる。

 

「分かった。待つ」

「……はい」

 

 短い返事。

 でも、その「はい」に逃げがない。

 

 飲み物が配られた。

 レンはジュースを受け取って、日和の方を見てニヤけそうになって、咳払いした。

 

「……うん」

「何その声」

「普通」

「普通じゃない」

 

 日和が笑って、レンは耳まで赤くなる。

 

 恵がこちらをちらっと見る。

 

「ハヤトさん。命、変な顔をさせていませんでしょうね」

「させてない」

 

 命が小さく言う。

 

「……していません」

 

 言った直後、命は自分で気づいたみたいに視線を落とした。

 少しだけ恥ずかしい顔の動き。

 

 恵が満足そうに言う。

 

「よろしいですわ」

 

 俺は思わず、息を吐いた。

 恵に判断されるのは落ち着かない。

 

 しばらく、機内は静かだった。

 エンジン音と、ページをめくる音と、氷が触れる音だけ。

 

 命が窓を見たまま言った。

 

「……ハヤトさん」

「ん?」

「……来てくださるんですよね」

 

 確認じゃない。

 不安が混ざった言い方だった。

 

「行く」

 

 俺が即答すると、命は少しだけ息を吐いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 命は丁寧なまま。

 でも、その丁寧さの下に、ちゃんと“喜び”がある。

 

 俺はそれを見て、変に嬉しくなった。

 

 やがて機体が降下を始める。

 外の景色が近づいて、街の形が見えてくる。

 

 レンが窓を覗いて言う。

 

「戻ってきた……」

「戻ってきますわ」

 

 恵が淡々と言う。

 

「そして日常ですの」

 

 日和が笑った。

 

「日常、ちょっと変わったね」

 

 レンが小さく頷く。

 

「……うん」

 

 命は何も言わない。

 でも、俺の方を一瞬だけ見た。

 

 その視線が、もう“戻ったら終わり”じゃないと教えてくる。

 

 着陸の衝撃が来る。

 タイヤの音。少し遅れて機体が減速する。

 

 俺は座ったまま、命に小さく言った。

 

「帰ったら連絡する」

 

 命は頷く。

 

「……はい。待っています」

 

 その言葉が、約束の形になった。

 

 旅は終わる。

 でも、続きはちゃんと残っている。




バカンス回は書いてて楽しかったー
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