※この作品はR-18です。

男女比1対100の彼女たちの世界で   作:ののじん

94 / 238
94話 帰ってきた

 空港を出ると、熱気がまとわりついた。

 島の風とは違う。匂いも違う。音も多い。

 

「……戻ってきた……」

 

 レンが小さく言う。

 日和が笑って肩を叩いた。

 

「うん。現実」

「現実、強い」

 

 恵は涼しい顔で歩いている。

 荷物も、段取りも、全部いつも通り。旅行が終わっても恵は崩れない。

 

「車を回してありますわ」

「え、ここでも?」

「当然ですわ」

 

 レンが天を仰いで、日和が笑う。

 

「レン君、慣れてね」

「慣れない!」

 

 命は静かに俺の横を歩く。

 表情は読めない。でも、歩幅が同じだ。合わせているんじゃなくて、自然に。

 

 車に乗り込むと、冷房の空気が一気に体を落ち着かせた。

 窓の外は街。信号。人。島とは真逆なのに、ちゃんと日常だ。

 

 まずはそれぞれの家へ送る流れになった。

 

 最初に日和。

 家の前で降りるとき、日和がさらっと言う。

 

「レン君、連絡して」

「……する」

 

 レンの声が小さい。

 日和は笑って、何でもないふりをして手を振った。

 

「じゃ、おやすみ」

「おやすみ」

 

 日和が家に入るまで、レンは窓の外を見ていた。

 嬉しいのに落ち着かない顔。分かりやすい。

 

 次はレン。

 車が止まると、レンがシートベルトを外しながら、俺を見る。

 

「ハヤト、ありがと」

「何が」

「……いろいろ」

 

 レンは言い切れなくて笑った。

 

「あと、恵も」

「当然ですわ」

 

 恵が即答して、レンが苦笑する。

 

「強い……」

 

 レンは最後に命も見た。

 

「命、またね」

「……はい。また」

 

 命は丁寧に返した。

 レンはそれだけで満足そうに頷いて、車を降りた。

 

 残るのは、恵と命と俺。

 

 恵の家は方向が違うのに、恵は当たり前みたいに言う。

 

「私は最後でよろしいですわ。先に命を送りなさい」

「……いいのか」

「問題ありません」

 

 さらっと言う。

 でも“本家”の言葉はやっぱり重い。

 

 命は小さく言った。

 

「……恵さん、ありがとうございました」

「当然ですわ」

 

 恵は言い切って、少しだけ声を落とす。

 

「命さん。次はあなたが決めなさい」

 

 命は頷いた。

 

「……はい」

 

 俺はそのやり取りを横で聞いて、少しだけ息を吐いた。

 恵が背中を押すと、逃げ道がなくなる。いい意味で。

 

 命の家の近くまで来ると、街の雰囲気が変わった。

 静かで、道が広くて、手入れが行き届いている。

 

 門が見えた時点で分かる。

 “家”というより“敷地”だ。

 

 車が止まる。

 命がシートベルトを外して、俺を見た。

 

「……ハヤトさん」

「ん?」

「……帰ってきましたね」

「ああ」

 

 命は一拍置いて、丁寧に言う。

 

「今日は、ありがとうございました」

「俺も」

 

 言いかけて、やめた。

 “楽しかった”は軽く聞こえる気がしたから。

 

 命はそれを待たずに、続ける。

 

「……連絡します。日程」

「了解」

 

 命が車を降りる。

 門の方へ歩いて、途中で一度だけ振り返った。

 

 表情は読めない。

 でも、手が小さく動く。手を振ってる。

 

 俺は小さく手を上げた。

 

 最後に恵の家へ向かう。

 恵は端末を閉じて、窓の外を見たまま言った。

 

「……旅行は成功ですわね」

「成功だな」

「レンと日和は特に」

「特にだ」

 

 恵は一拍置いて、俺を見た。

 目だけで言ってくる。

 

「命さんも。……それから、私も」

「……ああ」

 

 恵は満足そうに頷いた。

 

「では次は、あなたが責任を取りなさい」

「責任って」

「言葉通りですわ」

 

 恵はそう言って、最後にさらっと付け足した。

 

「本家から変な口出しがあったら、私が止めます」

「……助かる」

「当然ですわ」

 

 車が恵の家の前に止まる。

 恵は降りる前に一度だけ言った。

 

「ハヤトさん。焦らないで、でも止まらないで」

「分かってる」

「分かっていませんわね。……まあ、いいですわ」

 

 恵はドアを閉めて、振り返らずに歩いていった。

 背中が強い。

 

 家に戻って玄関を開けた瞬間、足音が来た。

 黒柴のこひなが、床を滑るみたいに走ってくる。

 

「ただいま」

 

 こひなは俺の足に体を寄せて、尻尾をぶんぶん振った。

 分かりやすすぎる。

 

 遅れて、三毛猫のココが現れる。

 こひなほど騒がない。玄関の手前で一度止まって、俺を見上げた。

 

「ココもただいま」

 

 ココは「別に待ってないけど」みたいな顔で、ゆっくり近づいてくる。

 そして、俺の足元で一回だけすりっと擦って、何事もなかったみたいに歩いていった。

 

 その一回で、胸の奥が落ち着いた。

 帰ってきた、って実感がやっと出る。

 

 荷物を置いて、こひなの頭を軽く撫でる。

 ココはソファの背に乗って、こちらを見ている。

 

 スマホを確認する。

 

 通知は少ない。

 でも、待っているものがある。

 

 命からの「日程」の連絡。

 そして、渡したいもの。

 

 俺はソファに座って息を吐いた。

 

 帰ってきた。

 

 玄関でこひなにまとわりつかれて、ココに一回だけ足を擦られて。

 それだけで、体の力が抜けた。

 

 荷物をリビングに運んで、ソファに座る。

 こひなは足元に丸くなって、ココは背もたれの上。監視みたいな目。

 

 スマホを見る。通知は少ない。

 でも、待ってるのは一つだ。

 

 画面が光る。

 

『日程、今夜か明日で送ります。……来てくださる約束、忘れないでください』

 

 短い文章。丁寧。

 最後だけ、少しだけ必死。

 

 俺は短く返す。

 

『忘れない。落ち着いたら教えて』

 

 送信して、スマホを伏せた。

 

 静かだ。

 島の波の音も、花火の残りも、ここにはない。

 

 代わりに、冷蔵庫の低い音と、こひなの寝息と、ココの尻尾の先だけが動く気配。

 

 そのとき、玄関の鍵が回る音がした。

 

「……ただいまー」

 

 母さんの声。沙織。

 ドアが開くと同時に、こひなが飛び起きて走る。

 

「わ、こひな! ちょ、待って待って!」

 

 母さんが笑いながら靴を脱ぐ。

 こひなは尻尾を振りながら母さんの足元をくるくる回った。

 

 ココは――動かない。

 動かないのに、目だけで母さんを見ている。

 

「ハヤト、帰ってたんだ」

 

 母さんが顔を出して言った。

 俺はソファから手を上げる。

 

「おかえり。今さっき」

「いいなあ、島。画面で見るやつじゃなくて“本物の島”でしょ」

「本物だった」

 

 母さんがリビングに入って、荷物の量を見て眉を上げる。

 

「すご。修学旅行みたい」

「だいたいそんな感じ」

「……顔、ちょっと焼けてる」

「たぶん」

 

 母さんはふっと笑って、ソファの背にいるココを見上げた。

 

「ココ、ただいまは?」

 

 ココは一回だけ瞬きして、視線を外した。

 母さんが肩をすくめる。

 

「はいはい、分かってる。ツンね」

 

 それを聞いたこひなが、なぜか得意げに尻尾を振った。

 

 母さんが俺の隣に腰を下ろす。

 仕事帰りの匂いがした。日常の匂い。

 

「……ねえ」

「ん」

「帰ってきたって感じする?」

 

 聞かれて、俺は一拍置いた。

 玄関の音。こひなの足音。母さんの声。ココの無言。

 

 全部が、ここにしかない。

 

「する」

「だよね」

 

 母さんは短く笑って、俺の肩を軽く叩いた。

 

「じゃあ、まずはごはんにしよ。冷蔵庫、空じゃないはず」

「手伝う」

「助かる」

 

 立ち上がると、こひながまた足元に来る。

 ココは背もたれから床に降りて、何事もない顔で先にキッチンへ歩いていった。

 

 その背中を見て、俺は思った。

 

 ああ。帰ってきたんだな。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。