御堂家の大きな門を車でくぐった時点で、もう「家」じゃなかった。
敷地が広い。屋敷が見えるまでに距離がある。静かで、整いすぎてる。
玄関に着くと、先に人が待っていた。
執事のような女性が一礼する。
「ハヤト様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」
「はい。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
手土産を差し出すと、丁寧に受け取られた。
「お預かりいたします。こちらへ」
靴を脱ぐ。床が静かで、足音が吸われる。
廊下を通されて、扉の前で止まる。
「まず、ご家族にご挨拶をお願いいたします」
……そうだよな。
命の家に来たんだ。最初はそこからだ。
扉が開く。
広い部屋だった。応接というより“迎える部屋”。
ソファの配置も、花も、全部が「こうあるべき」で決まっている。
そして、そこに人がいた。
母――綾乃さん。
お婆様――澄乃さん。
姉――由紀子さん。
妹――千佳さん。
……待って。
(綾乃さん? 澄乃さん?)
頭の中が一瞬で真っ白になる。
名乗ろうとした、その瞬間。
綾乃さんの手が止まった。
持っていた湯呑みが、ほんの少しだけ傾いて、受け皿に触れる音がした。
澄乃さんも同じだった。
笑っているはずの目が、一拍遅れて細くなる。
“楽しそう”じゃない。確認する目。
――二人とも、ここで俺を見る想定をしていない。
空気が固まる。
俺は先に頭を下げた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。天城隼人です」
綾乃さんは、息を一度だけ吸ってから、やっと口を開いた。
丁寧に整えようとしているのが、逆に分かる。
「……ええ。……はい」
声が、一拍遅れる。
澄乃さんがが、遅れて笑う。
でも、その笑い方がいつもより少しだけ硬い。
「……坊や。いらっしゃい」
由紀子さんが、場の温度を測るみたいに俺を見る。
千佳はきょとんとして、でも何かを感じた顔で黙った。
綾乃さんが、ようやく“母の顔”に戻す。
「……驚きました」
「命が“お呼びする”と言ったので……てっきり、別の……」
言い切らない。
澄乃さんが湯呑みを置く。音が静かなのに、部屋が締まる。
「私もよ。まさかここで会うとはね」
その言い方は軽い。
俺はもう一度、深く頭を下げた。
「……突然で、すみません」
綾乃さんは、返事の前にもう一度だけ間を置いた。
それから、丁寧に言う。
「……いえ。こちらこそ」
「……まずは、座ってください」
その一言で、やっと場が動いた。
部屋の空気が一度固まったまま、女性の執事が静かに言った。
「命様でございます」
次の瞬間、命が入ってきた。
背筋はまっすぐ。表情は読めない。丁寧に整っている。
でも、視線が俺に留まる時間が、ほんの少し長い。
命は家族に向き直り、丁寧に言った。
「……お待たせしました」
「本日、お呼びした方をご紹介します」
命が一拍置いて、俺を見た。逃げない目。
「……ハヤトさんです」
俺はすぐ立って、頭を下げる。
「ハヤトです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
由紀子さんが黙って見ている。
千佳は息を止めたまま、俺と命を交互に見ている。
そこで、綾乃さんが箸を置いた。
動きは丁寧なのに、間が一つ増える。
綾乃さんは俺ではなく、家族の方を見て言った。
「……先に、家の中で整理しておきます」
由紀子さんが眉を上げる。
「整理?」
綾乃さんは落ち着いた声で続けた。
「命が連れてきた相手が、ただの“お客様”ではないことは分かります」
「でも、この家には事情がある」
「だから、今ここで言います」
言い切ってから、綾乃さんは命を見る。責めない目。
「命。驚かないで聞きなさい」
命の表情は崩れない。
でも肩だけがほんの少し固くなる。
綾乃さんは由紀子さんと千佳に向き直った。
「由紀子、千佳」
「ハヤトさんは――私のパートナーでもあります」
空気が一瞬止まる。
「……は?」
由紀子さんが短く声を出す。
千佳は口を押さえて固まった。
綾乃さんは崩さない。
「驚くのは分かります。でも事実です」
「外で言う話ではありません。家の中でだけ、整えておきます」
次に、澄乃さんが湯呑みを置いた。
笑っているのに、目が鋭い。“逃がさない”目。
澄乃さんも、俺ではなく家族へ向けて言った。
「命、由紀子、千佳。私からも言っておくわね」
命がほんの少しだけ息を止めたのが分かった。
それでも視線は逸らさない。
澄乃さんはさらっと言う。
「坊や――ハヤトさんは、私のパートナーでもある」
千佳が「えっ」と小さく漏らして、由紀子さんが千佳を手で止める。
由紀子さんは言葉を選ぶように、ゆっくり言った。
「……つまり」
「命姉が連れてきた相手が、母さんとお婆様の……?」
「そういうこと」
綾乃さんが短く肯定した。
澄乃さんが、いつもの軽さで肩をすくめる。
「家ってこういうものよ。驚くのは今日だけ」
――驚くのは今日だけ。
その言い方が、一番刺さったのは命だと思う。
命は無表情のまま、でも声だけは丁寧に言った。
「……大丈夫です」
誰に向けた言葉でもない。
自分に言い聞かせている。
俺は何も言わず、ただもう一度頭を下げた。
「……失礼のないようにします」
綾乃さんが場を締める。
「話は順番に」
「まずはお茶を。――命、あなたの話を続けなさい」
命が小さく頷いた。
「……はい」
命が小さく頷いた。
「……はい」
綾乃さんが執事に目で合図を出すと、お茶と菓子が手際よく並べられた。
動きが静かで、余計な音がない。
全員が席につく。
俺は命の正面ではなく、少しだけ斜めの位置。命が話しやすい距離に合わせたつもりだった。
命は湯呑みに手を添えて、一口だけ飲んだ。
それから、背筋を伸ばして言った。
「……皆さんの前で、言わせてください」
千佳が反射で声を出しそうになって、由紀子さんが軽く手を上げて止める。
千佳は口を押さえて、頷く。
命は視線を落とさない。
俺を見る。逃げない目。
「……ハヤトさん」
「うん」
命は一拍置いた。
その一拍が、覚悟の時間だった。
命が立ち上がる。
執事が、いつの間にか部屋の端に現れて、白い袋を静かに渡した。家紋の入った白い袋。
命はそれを両手で受け取り、俺の前まで来た。
「……これを、渡したいです」
袋を差し出される。
俺は立ち上がって、両手で受け取った。
「……ありがとう」
袋の重さは軽い。
でも、部屋の空気が重い。
命が静かに言う。
「……中を、開けてください」
「分かった」
俺は袋を開ける。中に絹の包み。白木の箱。
蓋を開けた瞬間、全員の息が止まったのが分かった。
黒い布の上に、半月が二つ並んでいる。対になったペンダント。
命が言った。
「……対です」
「重ねると、一つになります」
命が一歩近づいて、指先でそっと二つを重ねた。
ぴたり、と合う。円になる。裏の文様も、一つになる。
千佳が小さく「うわ……」と漏らして、由紀子さんに口を塞がれる。
綾乃さんは動かない。
澄乃さんは、笑っているのに目が鋭い。
命が俺を見て、はっきり言う。
「……これは、婚姻具です」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の温度が一段下がった気がした。
婚姻具、婚約指輪の様なもの、か
命は続ける。丁寧で、でも止まらない。
「……私は、まだ先のこと全部は分かりません」
「でも……ハヤトさんが好きです」
命の声が、ほんの少しだけ震える。
表情は崩れない。けれど、目が揺れている。
命は深く息を吸って――言った。
「……結婚してください」
千佳が立ち上がりかけて、由紀子さんに肩を押されて座る。
千佳の目は真っ赤になっている。
綾乃さんが小さく目を閉じて、すぐ開いた。驚きはある。でも崩さない。
澄乃さんは、楽しそうに口元だけ笑った。
俺は、箱の中の半月を見た。
それから命を見る。
押さない。待ちすぎない。
俺がするのは、受け取ること。
「……はい」
短く言った瞬間、命の肩がほんの少しだけ落ちた。
それが、命の“安堵”だと分かる。
俺はもう一度、はっきり言う。
「結婚しよう。命」
命は目を逸らさないまま、小さく頷いた。
「……はい」
部屋の端で、澄乃さんがぽつりと言った。
「よろしい。ちゃんと受け取ったわね、坊や」
綾乃さんも、息を吐いて言う。
「……命が決めたなら、それでいい」
「ただし、段取りはお母様に任せます。体調のこともあるから」
「わかりました」
澄乃さんが了承する
「了解。千佳は私が管理する」
由紀子さんが言う。
「管理って何!?」
「今だよ」
「……はい!」
千佳は泣き笑いの顔で、こっちを見た。
「命姉……おめでとう……!」
命は照れたのか、ほんの一瞬だけ視線が揺れて――それでも丁寧に言った。
「……ありがとう、千佳」
俺は箱を閉じて、両手で持った。
軽いのに、重い。
命が渡したかったものか。俺は確かに受け取った。