夕暮れ時。
友人たちと別れた翠は帰り道を歩いていた。
「じゃあね、みみちゃん」
手を振ってまた明日。少し不満だったのは相変わらず「みみみ」と呼んでくれないことだけ。どんなに訂正しても「みみちゃんの方が可愛くない?」と言われておしまいだ。
まーね。
みの一文字が増えるだけで、ちょっと躓きそうになるのは分かる。みみちゃんの方が耳馴染みが良いのもそう。それでもと、私が私を推したのは、お揃いの名前を手放したくなかったから。
通りがかった神社の前。そよぐ風の悪戯に足が止まる。
小さい頃はよく遊び場にしていた。巫女のお姉ちゃんと境内の掃除をしてみたり。
お祭りの飾りを一緒に作ってみたり。大人の真似事をするのが楽しかったというよりも、その後に貰えるお菓子の方が本命だった。
懐かしさに引かれて鳥居をくぐる。
ねねねーちゃん。どうしていなくなっちゃったんだろ?
「もういいかい」振り返ったきり……。私が見つけてあげられないから、そんな風に泣いたこともあった。「もういいんだよ」見かねた神主のおじいちゃんに慰められて、ようやく気持ちの整理がついた。
長い階段を登っていく。不安と期待が足を進ませた。
「久しぶり、みみみちゃん」ひょっこり戻っていたお姉ちゃんが、いつもの笑顔で迎えてくれるんじゃないか。
1段……2段……
けれど、いつまで経っても上には着かない。息を整えるために足を止める。
振り返ると、そこに道は無くなっていた。煙に巻かれたように下が見えない。さっきまで快晴だった空は、とても霧がかるような空気じゃなかったのに。
こんなとこ、よく駆け抜けていたもんだ。
苔むした長い石段と連なる赤灯篭。子供心にはちょっとした冒険だった。
登りきった頂上でパッと視界が開けるんだ。弾む鼓動がくすぐったい。息が上がるのすら楽しかった。
体力落ちたかな?
長いと思ったのはきっとそのせい。滲み始めた汗が煩わしい。今となっては、冒険どころじゃない、ただの苦行だ。
戻るか……。
でも、結局は進むことにした。今更引き返すのも、昔の自分に負けた気がする。
一旦休むにしたって上まで登りきった方が、きっと早い。記憶の中の景色に胸が逸る。高台から見下ろす町並みは、今も変わらず綺麗に映るんだろうな。
******
鳥居をくぐった先は、何もなかった。
石段を踏みしめていたはずなのに、つま先が妙に軽い。
振り返ってみれば、ただただ緑、森の中。綺麗な町並みなんてどこにもない。
期待していたお姉ちゃんの影どころか、神主さんすらいなかった。そこにあったのは草臥れた鳥居と、古びた社だけ。打ち捨てられたとも きっと違う。使われなくなって久しいけど、まだ人の気配が残っている。
ひっそりと静まり返る境内に息が詰まった。
何度 鳥居をくぐっても変化はない。そっと社を覗いても何も見つからない。
どうしよう?
途方に暮れるしかなかった。家に帰ろうにも帰り方がわからない。
かといって動き回るのもちょっとな感じ。夕暮れ時に差し掛かった森の中を歩き回る自信はなかった。木々の隙間から道路でも見えればと思ったけれど、緑の檻に閉じ込められたようで気が滅入る。
鼻の奥がツンとした。あと何か一つでも脅かされたら泣いちゃいそう。
じっとしているべきか? もしかしたら誰かが通りがかるかもしれない。
見知らぬ場所で、唯一覚えのある人工物から離れがたい。最悪、社で一晩明かそうかとも考えた時だった。
「動くな」
「ひぅっ__!?」
鋭い声が背中を刺した。
ちょっとだけ涙が溢れてしまう。恐る恐る振り向こうにも、ドスの利いた声はそれを許さない。だから言ったじゃん。脅かすなっていうのにバーカっ!
グスっと鼻を一啜り。内心で毒づきながらも、なんとか涙腺を締め付けた。
こういうときの作法を思い出せ。土下座からの命乞い? とりあえず両手を上げてみるのが無難だろうか?
「どーどー……。まずは落ち着いて? 話をしよう? ね? ね?」
即座に襲われる様子がないのは せめての救いだった。殺気っていうのかな? 降りかかる危機感みたいなものもない。警戒はされていてもそれだけだ。何とかなりそう? 値踏みするような気配が遠ざかり、緊張の糸が解けていく。
「動いて__イイ感じ?」
「あ? ん、まぁ……そうだな」
少年だろうか?
ツンケンドンと、取っ付きづらそうな声音の持ち主に興味が湧く。
何より、急に放り出された森の中で人と会話が出来るのが嬉しかった。
ホッと一息。振り返る。
まぁ、びっくり。
なんと、そこには絵に書いたような美少年。銀色の髪と金の瞳。どこか狼を思わせるような風貌の子が立っていた。交わした視線から察するに、私の方が ちょっとだけお姉さんみたいだ。コスプレか? とくに目を引いたのは、やっぱりそれらしい耳と尻尾が揺れていたことだろう。
「こんな所で何してんだ? そんな格好で……」
綺麗な顔立をしているせいか、鋭い視線が余計に刺さる。
私の不格好を指摘した彼は、言外に”死にたいのか?”と言いたそうだった。
私だってそうだ。学校帰りの制服姿。ちょっと神社に寄りたくなっただけで、森林浴の予定なんかない。
「いやこんなっていうか……ココどこ?」
「は?」
「いやだって、そこの鳥居をくぐったらこんな所にさ?」
「……トリイだ?」
試しにもう一度、鳥居をくぐってもなんにも起こらなかった。
少年の眉根が寄っていく。とてもじゃないが一目惚れされた風ではない。
些細な違和感が降り積もる。言葉は通じてるだけで、話がまるで噛み合ってなかった。
「ついてこい」
「え、あ……ちょっと」
言うやいなや、少年はさっさと歩き出してしまった。
知らない人について行ったらダメとは言うけれど。今の私に選べるのは、今死ぬか、後で死ぬかの2択に思えた。
ホーホー。
フクロウの鳴き声が、夜の帳を連れてくる。水かさが増すみたいに、足元の暗がりが深くなっていた。ほんとにホーって鳴くんだなぁ。呑気な事を考えていられたのもそこまで。「おい」と、振り返った彼の背中はもう木陰の向こうに消えそうだ。「あ、ちょっ、まってよぉぉ」置いていかれたら堪らない。クルッと、首を回したフクロウに見送られながら、慌てて彼の背中を追いかけた。
*******
よく笑う女だった。
風が吹くだけでも楽しそうに、鮮やかな緑の髪を梢のように揺らしている。
なんか保護色みたいだな。ちょいと そのへんに紛れたら探すのが大変そうだ。
ココはどこ? そういう割に、不安らしい不安はおクビにも出さない。
まったくないも ないだろう。キョロキョロと辺りを見回す仕草は、好奇心に溢れて見えた。
知らない人間について行ってるって自覚はあるんだろうか?
さっきまで泣きべそをかいてたのがウソみたいだ。すすり泣きを飲み込んだのを聞き逃してはいない。涙の匂いに警戒する気も失せた。良く言えば豪胆で、悪く言えば鈍感か。もしくは ただのバカ。本当は俺の方こそ騙されている可能性もあるんだろうけど、その心配だけはなさそうだ。
「ぎゃふっ……」
さっきから、つまずいては転んでいる。
日も落ちかけた獣道。慣れていなければ歩きづらいのはそうだけど。これが演技だったら相当だ。手も膝も擦りむいて、とてもじゃないが見てられない。
一体何処のお嬢様なんだ。村のガキ共の方がまだしっかりしている。ていうか、付き合っていたら完全に日が暮れてしまいそうだった。
「ほら……」
屈んで、背中を差し出した。
早く乗れと、首を振って合図を送る。
嫌がるか? だとしても、俺だって説得する言葉は持っていない。しかし、彼女は意外にあっさりと身を任せてくれた。人好きのする笑顔を浮かべてご満悦だ。
誰かを頼ることに遠慮がない。楽は楽でいいが、最初の警戒心は見る影もなかった。
「ひゅー♪ 楽ちんだね。意外と力持ちなんだ?」
「お前が軽いんだよ。ちゃんと食ってんのか?」
「お前じゃないよ。翠。水鏡 翠(みかがみ みどり)っていうの、私。気軽に「みみみ」ちゃんって呼んでね?」
「みみみ……ね」
その名前を知っていた。「みみみ」なんて連なりが、そういくつもあるとは思えない。最初にあった不信感は、興味に変わっていた。他人の空似か? だとしても、聞きたい事が増えていく。
「そうそう。世界一可愛い女の子って意味なんだから」
「……マジかよ」
その自信がドコから出てきたのか。思わず声が漏れてしまった。
呆れが半分と、残りは分からない。何の臆面もなく吹聴した彼女は、けれど次の瞬間には、あっさりとそれを否定する。
「ウソだよ?」
絶妙にイラッとさせられた。成功した悪戯を喜ぶようだ。
吹き掛かる吐息がくすぐったくてしょうがない。怒るまではしないけど、それはそれ。後々になってみれば、すっかりと彼女のペースに巻き込まれているのにも気づいてなかった。
******
ドスンっと、ひどい音が お尻から頭へと突き抜けた。
痕になったらどうするんだ。痛いの痛いの飛んでかない。お尻をさすりながら、翠はぶぅっと唇を尖らせる。
「いったぁ……。なによぉ、落とすことないじゃんかっ」
「やかましい。後は一人で歩け」
気づけば森を抜けていた。
少し開けた場所には、ログハウスっていうのかな? 木組みのお家が見える。
お尻はヒリヒリするし。擦りむいた膝小僧はジクジク痛い。歩き疲れた足は棒のようにカチカチだ。まったく女の子の扱いってのがなってない。
「で、君の名前は?」
立ち上がらない。手を伸ばして問いかける。
出会った頃の毒気はどこへやら。「……ったく」と息を吐いた彼は、呆れた様子で手を差し出してくれた。
「ギド。ギド・アンガだ」
でも、やっぱり悪い子じゃないみたい。
ぶっきらぼうに差し出された手を掴むと、力強く引っ立てられる。
ギドくん……ね?
知らない名前だ。外国人? かと思ったけど、多分それは私の方。
テレビで聞く名前よりもっと、マンガに聞くような響きに近い。
「じゃあじゃあ、ギンガくんって訳だ?」
「は? 変な呼び方すんなよ……」
「変じゃないよっ……ほらっ♪」
両手を広げて空を仰ぐ。
もしかしたら、彼には見慣れたものかもしれない。
けれど私にとっては新鮮で、刺激的だ。満点に広がる夜空。写真でしか見たことのない光景に飲まれそう。
「ギンガっ♪ ね?」
キラキラと輝く銀髪も、お月様みたいに光る金色の瞳も。
天を指差し彼を見る。
ピッタリじゃん。