「行ってらっしゃいギンガくんっ♪」
彼の背中を見送って、私は一人お留守番。
ちょっと新婚さんみたいだなって、身悶えていられたのも最初だけ。本当は連れて行ってほしかった。
扉の前。振り返ってみた家の中はあんまりに広い。
寒々とした土間には かまど と、一纏めになった狩猟道具。持ち出された外套が彼の不在を印象付けた。貸して貰った寝室はイヤに綺麗だったな。普段使われてる様子はない。「おやすみ」を交わした後の彼は、いつも居間の隅で寝っ転がっている。まるでそこが定位置のようだ。
一人暮らしの家じゃないな。
きっと、私が使っているベッドがそうだったんだろう。
どうしたの? なんて聞ける訳がない。私を「母さん?」と呼んだ彼は一体どんな気持ちだったんだろうか? 照れ隠しじゃなかったよね? 胸の痛みから目を逸らすみたいだった。
忙しさが寂しさを埋めてくれるわけじゃない。
私には耐えられないな。今日までギンガくんが付き合ってくれたから尚更思う。
手を休めた隙に。眠る前の僅かな時間にも。一人を意識する瞬間は、いくつもあったはずだ。
同情……なのかな? 彼の心持ちを、今の自分と重ねてみる。
もう慣れた。みたいな顔してさ。それでも寂しさの影はでる。
仏頂面の裏に押し込めた、苛立ちや呆れ顔が好ましく思うくらい。そんな余裕も無いくせに、どうして私を助けてくれたのか。彼が見た目通りの少年なら、まだ誰かに甘えたいときもあるはずだ。
飯でも作って待っててみるか?
ますます新婚さんみたいで面映ゆい。
けれども途方に暮れてしまう。
私には火の起こし方も、カチコチになった干し肉の食べ方すら分からなかった。
*******
いつの間にか、森の中を歩いていた。
意外と道はあるものだ。慣れてくると、緑の隙間にも筋が通って見える。
暗がりをズッコケながら歩いていた頃が懐かしい。さぞ、やきもきしたんだろうな。
迷惑を掛けっぱなしだ。
恩返しをしようにも、彼の好意に甘えるしかないのが心苦しい。
ダメだな。一人になると余計なことばかり考えてしまう。
ちょっと家の周りを回るだけ。気ばらしの散歩のつもりが、気づけば森の奥へ。
神社のある方へと足が向いていた。
懐かしい匂いに誘われる。
古びた社は今も口を閉ざしたまま。
神隠し。きっと、向こうではそう言われているんだろうな。
両親に、友人たちにも、皆に心配をかけてしまっている。心細い、寂しい、帰りたい。放り出されて初めて分かる。いなくなってしまった お姉ちゃんも、こんな気持ちだったのかもしれない。
あー、だめだめ。俯いてばかりだと気が滅入る。
拾い物……なんて言ったら失礼かな。だって、拾われたのは私の方。ギンガくんに会えたことは紛れもない幸運だ。キャンプ気分で今を楽しめているのも彼のお陰。
帰りたい。
それはそう。
だけど、今すぐは少し困るかな。
急に私がいなくなっていたら、きっと心配させてしまうから。
「ありがとう」「ばいばい」ありきたりな言葉でも伝えたい。でも、ちょっとだけ胸が痛む。私が帰っちゃったらギンガくんはまたあの家で一人きり。
お節介でしょうとも。
むしろ、私がいるほうが非日常なんだから。
パンっ、パンっ……
社の前。そこにいるかもわからない神様の前で頭を下げた。
願ったことは分からない。帰りたいと思う反面、彼を一人残す不安はある。
そんな私の願いに答えてくれたのは、神様でも、ましてやギンガくんでもなかった。
社の裏から聞こえる声。
ガヤガヤと耳障りな音は、酒と煙草を思い浮かべるには十分だ。
覗き込む勇気なんてでない。慌てて鳥居の後ろに駆け込んで息を押し殺す。
山賊か、盗賊か。二人三人と現れた男達は、いかにもな見た目をしていた。
粗野で粗暴。痩せた狼の方がまだ理知的な目をしてる。
どうしよう……?
あれは違うのだ。最初に出会ったのが彼で本当に良かった。
短くても、ここで暮らしてたから分かる。完全な異物だ。驚いて飛び立つ小鳥たち。慌てたウサギが私の横を駆けていく。
ギンガくんに知らせないと……。
こっそりと逃げ出そうとして、失敗した。
私だってそうだ。この世界に馴染んでるという点では、山賊たちの方が自然だった。
小枝を踏み抜いて、ずっこける。また彼に呆れられてしまうかもしれないけど、そんな心配をしてる余裕は無くなった。
「あ、どうも……」
警戒されたのも最初だけ。私が女だと分かるやいなや、値踏みするような男達の視線に肌を舐められた。「おい、女だぜ?」「結構上玉じゃねーか」胸元を押さえて、スカートの端を握りしめる。身に降りかかる不幸を想像するのは簡単だった。普段は可愛いと思ってる制服が酷く頼りない。こんな薄っぺらい服なんてすぐにも破られる。
気味が悪い。
向けられた欲望から、少しでも遠ざかりたかった。
後退り、にじり寄られて、先に痺れを切らしたのは私の方。
もう、形振りかまっていられない。
脱兎のごとく、カモシカのように__そのどれにも当てはまらない私は、獣道を躓きながらも走るしかなかった。下草に足がとられる。肌が擦り切れそう。
背後に迫る男達の怒号に心臓が潰されそうだ。獲物を嬲って愉しむような いやらしさが腹立たしい。
ギンガくんっ……。
助けを求めて、一瞬迷ってしまった。
このまま逃げて良いの?
ギンガくんのお家。この世界で唯一の安全圏。でも、でもだ。
こんな奴らを連れ立って、彼の生活が滅茶苦茶になったらどうしよう?
躊躇いが足を鈍らせた。
手首を掴まれてゾッとする。力が強い。なんとか振り払えたけど、次に掴まれたら分からない。イヤだ。こんないきなり。こんな訳わからない人達に。どうせなら、彼に迫られた方が万倍もマシだ。
ダメだ、折れそう。
「いやっ、はなしてっ!」
滲んだ涙が視界を塞ぐ。「たすけて……」思わず零してしまった。足がもつれて、前のめりに倒れ込む。イヤ。このままじゃ……私。大きな男の手に肩を掴まれ、地面に押し付けられた瞬間__。
優しい風が頬を撫でた。
「伏せてろっ!」
たったそれだけ。途端に背中が軽くなった。
もうちょっと心配してくれたっていいのに、ギンガくんは私のことなんて見向きもしない。不満が半分。ううん、四分の一くらいにまけといてやる。
見上げた背中の安心感と言ったらなかった。ズルいんだ。お姉さん風を吹かせていた自覚はある。だから余計に恥ずかしい。こんな時に、カッコいいだなんて思ってしまった。
でも、彼一人で大丈夫かな?
そんな心配がいらないくらい、ギンガくんは強かった。
本当にヒーローみたい。素人目にも時間の問題だ。次の瞬間には、ド派手な必殺技が炸裂してるかも。
それでももし、何かあるとすれば私の方。
慌てて顔を上げた。人質にでもされたら堪らない。フクロウみたいに首を回して、それを見つけてしまう。
「あ、だめ……」
気づいたときには足が動いていた。嫌な予感が私を駆り立てる。
鈍い光が伸び切る前に、体を割り込ませた。「伏せてろ」て言われたのにな。完全に足手まといだ。声を掛けるだけでも良かったはず。ギンガくんの言いつけも、内心の警告も振り切った。
ストン……
何かが胸に落ちる。
なんだ、意外と平気じゃん。
「ミドリっ!」
そんな泣きそうな顔しないでよ。別に死にやしないって。
でも、ごめんね? ちょっと……起きてらんないかも。