村の診療所。
外壁に背を預けながら、ギンガは一人、夜風に吹かれていた。
やってしまった。口に残る苦さは、後悔ともまた違う。
ミドリを守ってやれなかった。勝手に出歩くなって、ちゃんと言い含めておくべきだった。こうならないように出来ることはあったはずなのに。
でも、そうじゃない。
「なんであんな所に居たんだよっ!」目を覚ましたアイツを怒鳴りつけた。
心配で、心配で、堪らない。無事で良かった。嬉しいはずなのに、言葉選びを間違える。しゅんっとなって俯く彼女には、普段の青々しさはなかった。
「ごめんね……ギンガくん」
呟く姿が遠い。いつもの元気はそこになく、しおれた花のようだ。
いろんな事が腹立たしくて、何に苛ついてるのかも分からない。何でもないって、いつもみたいに笑ってほしかった。心配し過ぎだと、茶化されたって構わない。どれも勝手な期待だ。胸の傷ですら嘘であって欲しい願う。
危険に晒したのは俺なのにな。
知らず知らずに甘えていた。だって、一度も泣き言なんて言わなかったじゃないか。
「そんなに、帰りたかったのかよ……」
最後に吐き捨てた言葉が本心だ。
言ってしまって気づく。あまりの情けなさに逃げ出した。
そんな当たり前を。こんな事になるのなら最初から聞いておけば良かった。
質問はたった一つ。
何も難しくはなかったのに、後になるほど聞けなくなる。
怖くなった。ミドリの口から、ハッキリと言われるのが。手放したくない。だから閉じ込める。家にいろって。そんなつもりがなくても、彼女が何も知らないのをいいことに。
ケイタイデンワに耳を押し当てる。
軽くて、固い。木の温もりもなければ、金属の冷たさでもない。
ここにはない異物感に耳が塞がり、少しだけ世界が遠のいた。いつも懐に仕舞ってある母の形見。遠くの人と話せる道具らしいが、今日まで誰かと繋がった事はない。それでも、声が聞きたかった。
カッコ悪いな。
多分、俺は叱られたかったんだ。
*******
怖いと、思ってしまった。
傷の痛みに怯んだのもある。怒られてビックリもした。
なにより、引き留めようとした彼の手から血の匂いを感じ取る。
聞けるわけがない。
なんの臆面もなく「◯した」なんて言われてしまったら、彼の事を遠ざけてしまいそうだ。
まったくの迂闊。
完全な油断だった。
分かってる。私が悪い。
ちょっとそこまで。森を歩くのも少しは慣れたつもりだった。
あんな奴らがいるなんて思わないじゃん。ちゃんと言わないギンガくんが悪い。
だとしても。「助けてくれてありがとう」それすら言えなかった自分が恥ずかしくなる。
完全に甘えてしまってた。
守られてるのも忘れて勝手なことをした。頼まれていた留守番すらほっぽり出して何をやってるんだろう。怪我をしてようやく思い出す。
意地っ張り。あるいは照れ屋。寂しそうな横顔が目に余る。もっと素直に「帰らないでくれ」って言われたほうが、ずっとマシだ。
手の掛かる奴。
胸が痛い。全身が重くて起き上がるのもやっとだ。
「帰れないんじゃ……。しょうがないでしょうよ、ったく」
ギンガくんと同じだ。体を引きずりながら寝台を這い出た私は、全然素直じゃなかった。
******
どこまで探しに行けば良いんだろう?
そもそもココがドコかも分かってない。見た感じは診療所のようだ。
扉を開けて外に出る。冷えた夜風が心地良い。それと同時に、嫌な想像が頭を過った。
まさかアイツ、私を置き去りにしないよな?
同じ立場になって考える。預かった子に酷い怪我までさせたんだ。
もう一緒にいられない。放り出したくなる気持ちはわかる。心がざわついた。
これで おしまいなんてそれはイヤ。「ギンガくん……」呟いて、空気が揺れる。
顔を向けたそこには、診療所の隅で丸くなっている彼がいた。
「何やってんの?」
捨てられた子犬みたいな雰囲気に呆れもしたけど、正直ホッとする。
まだ繋がっていられた。縁が切れてないのなら、仲直りだって幾らも出来るはずだ。
ドカっと、断りもしない。隣に座り込んだ私をギンガくんは見向きもしなかった。あっそ……。それならそれでいい。勝手に体を預けるまでだ。正直、ただ座ってるだけでもキツかった。傷が熱を持ってるせいか、彼の体が冷たく感じる。
二人でくっついていれば、まぁ丁度いいくらい。
無言のまま。
いつまでそうしてるつもりなんだろう?
私も意地になって何も言わないでいると、おもむろに何かを押し付けられた。
「……持って帰ってくれ」そう言ったきりだ。彼はまた塞ぎ込んでしまう。
携帯電話……か。
それも馴染み深いやつ。裏返してみれば案の定だ。
「みみみ」と「ねねね」私の愛称と お姉ちゃんの愛称。まだ、小さかった頃の私と彼女のプリが貼ってあった。
思ったより、驚かないもんだな。
それより嬉しかったのかも。急に居なくなったお姉ちゃんが、ちゃんと大切に思われていた。胸の奥に支えていた針が、すぅっと溶けていくみたい。
「ねねねーちゃん……元気にしてた?」
彼女の名前を聞いて、ギンガくんの耳がパタリと跳ねた。
「やっぱり……。母さんの知り合いなんだな」
ようやく合点がいった。今日までずっと、私に向けられていた懐かしさの訳。
似てるけど、似てない私。聞きたくて、聞けなかった言葉の正体。
ここで落ち着けてよかった。冷静な自分とは裏腹に、頭の中はパニックだ。
「は? かあ……さん? は?」
思考が止まる。
居なくなったお姉ちゃんの痕跡がこんな所で見つかった上、結婚して子供もいて、ギンガくんがそうだっていうじゃん。一度に飛び込んできた情報が多すぎて、どうしていいか分からない。
「悪かったよ……」
「え、いや、まって? 何が? 怪我のこと? それなら別に……」
「最初にあった時、脅かしたろ?」
「そっち? 今なの? ちょっ、まって。話が分かんない。じゃあ、なに? 知ってて助けてくれたわけ?」
「いや」
「あ、違うんだ……」
会話じゃない。ほとんど彼の独り言に付き合ってる感じだ。
それですら追いきれないのは、目の前の男の子が ねねねーちゃんの子供だって事実を受け止めきれていないせい。
「ギンガって、母さんも良く俺のことをそう呼んでた。お前が「みみみ」って名乗った時驚いたよ。そこの絵になんとなく似てる気はしたけど……」
「あ、これ? 小さいころの私。可愛いでしょ~♪」
もう何でも良かった。
会話の主導権を取り返そうとして、手近な話題を掴み取る。
顔の横に並べて、携帯の裏側を見せつけた。今と昔。交互に指さしながら、彼の好みに伺いを立てる。まさか頷くとは思ってない。それでもせめて「まぁな」くらいは言ってくれるものだと信じてた。なのにギンガくんは、小さく鼻を鳴らしただけ。私とプリとを見比べて、なにか理解を拒んだようだ。
「どうしてこうなったんだろうな……」
「は?」
カチンときた。コイツは今一体何を笑ったんだ?
可愛いは否定しない。それはいい。けれど目の前の私を見据えた彼は、何か残念なものを見るようだ。
「今だって可愛いでしょうがっ……っぁ。ぃたいたいたい……!」
勢いこんで急に尻すぼむ。
ギンガくんに迫ったまでは良いものの、胸の痛みに躓いた。「ぎゃふっ」と、彼の膝の上へ倒れ込んでしまう。
「ばーか」
罵倒の言葉がくすぐったい。見上げた顔はようやく綻んで、いつになく穏やかだ。
「大人しくしてろ」雑に頭を撫でつけられた私は言われるまま。彼に膝枕をされながら空を見る。
「ねぇねぇ、知ってる? ギンガって言葉の意味?」
細い腕が夜空を指差した。浮かぶ笑顔の眩しさに、ギンガはつられて視線を逃がす。
お前のこと……。
いいかけて、やっぱり止めた。
空の更に向こう側の世界だと、母さんは言っていた。目に見えてるのに手を伸ばしても届かない。そのくせキラキラ輝いて眩しいもの。今の俺にとってはミドリがそれだ。知らないと首を振って、頬の熱を夜風に晒す。
ニコニコだ。
何を思いついたのか、その続きが聞きたくなった。
「世界一カッコいい男の子って意味♪」
その自信はどこからくるんだ? 聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
そういうところは、母さんに似ているのかもしれない。「世界で一番愛してる」__母から貰った愛情を思い出したギンガは、思いっきり翠のおでこを指で弾いた。
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