「ねぇ、一緒に寝ない?」
「おやすみ」を交わした後、寝室を出ようとするギンガを翠は引き止めた。
他意はない。なんとなくだ。強いて言うなら気兼ねした。
家主が床で寝てるのに、私一人ベッドを使わせてもらってるのは少し……なんだ。
本当なら私が床でもいいくらい。母親が使ってたベッドが使いづらいのも分かるけど、二人で寝る分には気にならないと思った。
「何だ、急に? 俺はいいよ。いつも床で寝てるしな」
「それは、そうなんだけどさぁ」
お節介だ。それでもなんか釈然としない。慣れてるからって理由なら、そんなのないじゃん。納得はできない。だけど反論も見つからない。「いいから、こっちに来るんだよ」ワガママを言うことは出来るけど、それじゃあ寝心地は良くなさそうだ。
パタン……。
扉が閉まると、部屋の中は一気に真っ暗だ。
窓の向こうの夜空にさえ明るさを感じるほど。ギンガくんと暮らすようになって、夜が本当に早くなる。ロウソクなんて、誕生日のケーキに刺さってるものだと思ってた。街灯はもちろん、部屋にはテレビもない。スマホの充電が残っていたとしても、ネットがないんじゃただのカメラだ。
夜ふかしって贅沢だったんだな。
布団にくるまって横になる。けれど、今日に限って中々寝付けない。
いつもなら、すっと瞼が落ちるのに。虫の声や、夜鳥のさえずり。静まり返った夜の森にも彼らの世界がある。遠くに聞こえる狼の遠吠えは、どこか誇らしげだ。
ギンガくんも吠えたりするのかな?
そんな訳無いじゃんね。今日まで一緒に暮らしていても、彼が声を荒げたのなんて数えるほどだ。野盗に襲われたのを助けてくれた時や、その後に怒鳴られたのが一番だったかな。
「…………」
気づけば、ギンガくんのことを考えるようになる。
何なんだろうな。恋と言われれば否定はしない、ハッキリとは。助けてもらった感謝。ひとり寂しく暮らしている彼への同情。ねねねーちゃんって共通点も、もちろんある。
曖昧な感情を持て余す。
そのくらいの余裕は出てきたんだろう。なんのかんのと笑えてはいても、慣れない生活で疲れは溜まっていたんだ。夜の深さに気づかなかったのもそのせい。
寝返りを打って布団を蹴飛ばすと、冷っこい空気に足の裏をくすぐられる。
「ねぇねぇ、ギンガくん……」
なんでもいい、お喋りがしたかった。いつもの癖。彼の名前を口にして__はっとなる。返ってこない返事に、改めて自分が一人だと自覚してしまった。
向こうじゃ、そんなの考える暇もなかったんだ。どんなに夜が遅くても、誰かと繋がっていられる。会話の途中で寝落ちるのだって、いつものこと。本当に一人になる瞬間なんて、どれだけあったか。
恋とかは分からない。ただ、嫌な気はしないだけ。今はそれでいいと思う。
それでもだ。この落ち着きのない感情に名前をつけるなら、寂しいんだ、私はきっと。
******
こっそり軋んだ床の音は、耳に馴染んだものだった。
浅い眠りから意識を戻したギンガは、その気配を探り当てる。
寝室の扉から、こちらの様子を伺ってるようだ。ミドリの奴……何やってんだ? 抜き足、差し足、忍び足。ぎこちない足音が悪目立ちをしていた。外に出るわけでも、水を飲みに来たのでもない。そのまま こっちに向かってくるようだ。
寝てる振りをする。
いつもの仕返し。少し付き合ってやることにした。なんの悪戯かは知らないが、適当な所で脅かしてやろう。弾んだ鼓動を抑えながら、耳を澄ませる。今か、今か、慌てる彼女を想像すると、気が逸ってしかたない。
「ねぇ……ギンガくん?」
呟きは、囁く程度に。ちょんっと肩をつつくのすら、どこか遠慮がちだ。
影が重なった気がした。隣にしゃがみ込んだのが分かる。しばらく俺の寝顔を見つめていたミドリは何をするでもない。右を向いたのか、左を見たのか。衣擦れと、髪の揺れる音がした。微かな息遣いが、何だかくすぐったい。
「お邪魔しまーす」じゃないんだよ。
布団が捲られ、懐の内側に潜り込んでくる。
完全にタイミングを見失っていた。戸惑い、焦って、寝た振りを止められない。
背中が冷えるのか、更に体を押し付けられた。離れようにも後ろは壁。定位置を決め込んだミドリは、満足そうに息を吐く。
いい加減に__。
目を開いた俺は、ミドリにじぃっと見つめられていた。
「起きてんじゃん」
不満げに膨らんだ頬から一転して空気が抜けていく。
気の抜けるような笑顔。悪戯に微笑むと、さっさと瞼を閉じてしまう。
「待て待て待て待てっ! なにここで寝ようとしてるんだよっ」
「え、なに? 私眠いんだけど……後にしてよ」
「ここで寝るなっ!」
「えぇぇ……」
寝ぼけ眼をこすって見上げてくる。なぜか俺が悪者みたいだ。
引き剥がそうとして、けれど離れない。服が掴まれる。胸元に額がグリグリと擦り付けられた。
「今日だけ……ね?」
甘えた声を初めて聞いた。そこに、いつもの陽気さはなかった。
寂しいままを吐き出す声。鼻をすする音と、涙の匂い。その気配は最初に会った時と同じものだった。
「なんなんだよ……」
「……ごめん」
ただの能天気だと思っていた。そんなわけないのに。普段の明るさが勘違いをさせる。笑顔は強がりだ。泣けば余計に怖くなるから、何でもないって自分に言い聞かせる為の。
少し前の俺と同じ。
平気な顔して、いつも通りに過ごすんだ。
野盗に襲われて、いよいよ限界になったんだろう。
寂しさに慣れるなんてことはない。だんだん息苦しくなる。それでも、どうにか息継ぎをして毎日をやり過ごすしかなかった。
「……ばーか」
聞こえてないか。文句の一つくらいは言われそうなものだけど、何もない。
安心しきった横顔。規則正しい寝息に、懐が温かくなる。思い上がりでもいい。
ミドリにとって、今頼れるのが俺しかいないだけ。こいつだって、いつかは元の世界に帰るんだ。こんな関係、いつまでも続かない。今日だけって言うなら、それでいい。
ここにいる間だけでも。
一緒に過ごすうち、俺の呼吸が楽になったように、ミドリの寂しさが少しでも紛れたらいいと思う。
*******
なんて、甘やかしたのが不味かったのか。
「おやすみ、ミドリ」
「おやすみ、ギンガくん」
寝る前の言葉を交わして少しの後、寝室の扉が開く。足音を隠しもしない。ミドリは堂々と布団の中に潜り込んでくるようになった。
今日だけ……ね。
認めたわけじゃない。拒まなかっただけ。
壁際に身を寄せて、彼女が冷えないように毛布を譲る。
それだけだ。
一つ問題だったのは、ミドリの寝相が悪いこと。思い返せば毎朝そうだった。
丸めた毛布に抱きついていたり、ベッドの下に落としていたり。幸せそうな寝顔と、口元を飾るよだれ。いい年した女が お腹を出して寝ている姿に、何を思えばいいのか分からなかった。
今だってそうだ。
人から毛布を奪っておいて、あっさり蹴っ飛ばす。寒くなれば抱きついてくるから始末が悪い。同情は呆れに変わっていた。隣で異性が寝ているという状況に慣れてくると、イラ立ちが勝ってくる。毎晩毛布代わりにされるくらいならまだいい。寝返りのたびに蹴られるわ、殴られるわ。起こされたついでに毛布を直してやっていれば、いよいよこっちは寝不足だ。いい加減緩みきった頬を つねりあげたくなった。
横顔に手を添えて、やっぱりやめた。
尻尾の付け根がむず痒かった。顔が熱くなって、唇が波を打つ。
ただの寝言だ。分かっていても、寝耳に「すき」だと呟かれたら堪らない。
思わず耳が跳ねた。胸の鼓動がうるさくてしかたない。肩を掴んで、その小ささに驚いた。思い切りに抱きしめたら折れてしまうんじゃないか。
違う。
衝動的な感情を、グっと抑え込む。自分が考えた事が分からない。
何をしようとした? 押し倒そうとはしなかったか?
「ちょっ……まっ!」
寝ぼけたミドリに抱きつかれた。触れ合う肌の柔らかさにゾクッとする。
足が絡んで、動くに動けない。身動ぎするたび肌が擦れて、甘い匂いが強くなる。
揺れる髪の間から、開けた胸元の隙間から。薄い唇を視線で追っていた。
分かってる。夢の話だ。そうだけど、夢見た相手は誰だったのか……。
*******
夕暮れの教室にいた。
毎日通っているはずの場所なのに、なんだかひどく懐かしい。
時計の針が進み、下校のチャイムが鳴り響く。吹き込んだ風がカーテンを揺らすと、そこには見慣れない男の子が立っていた。銀色の髪が夕日に染まる。陰り始めた教室の中で、金色の瞳が輝いて見えた。
制服姿、似合ってないな。
服に着られている感じ。成長期だからって、わざと大きめのやつを あてがわれたんだろう。肩は余っているし、手首まで袖に覆われていた。
「どうしたの、ギンガくん?」
彼の名前を口にして、はっとなる。夢か。そりゃそうだ。
学校に彼がいるわけがない。あるいは今までのことが夢だったのかな?
見目麗しい転校生に、私が一目惚れしたりしていて……。ないか。設定は思いついても、実感はまったくない。触れた胸には まだ痛みが残っていた。
「なぁ、ミドリ……俺さ」
いつになく真面目な顔で、ギンガくんは私を見つめていた。
ドキドキ、ドキドキ……。時計の針より速い音。鼓動がやけにうるさい。いつもはもっと深く、静かに響いているのに。聞いているだけでも安心できた。もっとくっついていたい。夢見心地のまま抱き寄せた手に力が入る。
「え、なに? 今なんて言ったの?」
寝苦しい。彼の声が聞こえない。鼓動が早鐘を打っただけ夢が遠のいていく。
やだ、もう少しだけ。せめてギンガくんが何を言っているかだけでも。
「……」
声が聞こえないなら、せめて。薄れる視界の中で、彼の唇をなぞってみる。
「……すき?」
そう言ったの? あはは、私も意外と乙女じゃないか。放課後の教室で二人きり。
好きな人に呼び出されて告白されてみたい。どうせ夢の話だ。でも……こればっかりはギンガくんには内緒かな。
*******
寝苦しそうなギンガくんの声。早鐘を打つ鼓動に頬を叩かれ、ゆっくりと目が覚めていく。なんだか懐かしい夢を見ていたような、そうでもないような。温かくて、やけにくすぐったい。
「っ、ぁ……ミドリ、ゃめ、はなれ……くっ!」
なんだろう? さっきから随分と辛そうだ。
強く抱きつきすぎたかな? 寝ぼけて何かしちゃったのかもしれない。
耳を澄まさなくても聞こえてくる。頬を押し当てた胸板の向こう側。まるで、走り回った後のように鼓動が暴れていた。
離れようとして、気づく。
肩を掴まれていた。その手が背中に回ってきて、ギンガくんの方へ抱き寄せられた。あれ? これ……は、不味いんじゃ? 動けない。最初は戸惑いがちだった腕の力も、だんだんと遠慮がなくなってきた。離れろっていうか、ギンガくんが離してっていうか。どっちが悪い? 寝ぼけて抱きついてた私が悪い。それはそう。
体勢を変えようとして、足が擦れた。
「っぁ……!?」
切なそうな吐息が首筋に降りかかる。慌てた私は、固まったまま動けない。
起きてるのバレたらどうしよう? いや、肩を叩いて一旦仕切り直すのが正しいんじゃないか? でも、それは……だいぶ気まずいな。
野盗に襲われそうになったときのことを思い出す。
忘れてたわけじゃない。ギンガくんに襲われた方が万倍もいいって、嘘だったわけでも。でもそれは、マイナスに振り切ってからの万倍であって、要はフラットと言うか。そりゃ最近ちょっと良いなとは思ってたけど、そんな急にどうとかって話はだって……。
正直、子供扱いしてた部分はある。
布団に潜り込んだ時の反応が可愛かったのもそう。
ぶつくさ文句をいいながらも、結局は受け入れてくれた。素直じゃないの。寂しいくせに、強がっちゃって。甘やかされていたのは私の方なのに。
我慢……させてたのかな? ちょっとだけ申し訳なくなった。
ゆっくり離れようとして、やっぱり無理。力で敵う気がしない。筋肉だ。胸板が厚い。二の腕だってそう。華奢だと思い込んでいた彼の体は、抱きしめられてみればちゃんと男の子だった。
あんまり見ないように。普段から、そういう気遣いはしてくれていた。
あくまで常識的に。私みたいなのには興味がないのかな。下心みたいな反応があんまり薄かったから、油断した。
このまま何もしなければ、落ち着いてくれるだろうか?
背中を叩いて あやしてみるのも良いかもしれない。
寝ぼけた振りをして、ギンガくんの背中を撫でる。ちょっと凸凹してた。
でも、まるで逆効果。鼓動が跳ねる音が、指先にまで伝わってくる。あ、これ……ダメな奴だ。煽ってるのと何も変わんない。私を抱きしめる腕にも力が入って、いよいよと抜け出せなくなった。
頭がバカになりそうだ。
深く吸い込んだ彼の匂いに、気持ちが流される。温かくて力強い。守られてるのに、少し怖い。意識しないようにすればするほど、気になって仕方がなかった。
太ももに擦れる感触は、絶対に膝の硬さじゃない。逃げ出したくなるほど恥ずかしいのに、寝た振りを続けてしまう。
ギンガくんの鼓動の音に、私も駆け足で近づいていく。
ちょっとだけだ。このままじゃ、朝まで辛いはずだから。わかんないけど、多分そう。仕方がない。私のせいだから。言い訳は後で考える。
おっかなびっくり、肌を寄せていった。
出来心が耳元で囁く。お互い夢見が良かっただけ、今なら寝ぼけていた事にしておける。少しだけ、ギンガくんの体に興味が湧いていた。
太ももを深くまで絡ませる。
胸が潰れて息苦しい。
「ミドリ……おまっ」
知らない。聞いてない。聞こえてない。
寝てるんだから、話しかけないで。吐息が溢れて止まらなかった。首を振るたび肌が擦れて、こっちまで変な気分になってくる。余裕を失くした彼の声を、もっと聞きたい。くぐもった唸り声と、歯ぎしりの音にさえドキドキさせられた。
今日……なのかな?
いいとは、言わないけどさ。本気で迫られたら拒めない。空回りしすぎて、もう引っ込みがつかなくなっていた。胸の傷がチクリと痛む。そういえば、ギンガくんの事を考えていなかったな。彼の方こそ、私で良かったのかなんてさっぱりわからないのに。
……ごめんね。
ちょっと強引だったかも。