「…ただいま」
静かに帰宅を告げたところで並んだ靴が目に入る。サイズが違うだけの娘と同じローファー、それと妙に凝ったサンダル。
「友だち、か」
あれからどれだけ経ったのか、ともすれば失いがちな現実感にカレンダーを何度も見直す日々。どうにか生活を続ける中、そういえば娘が友だちを連れて来たのはいつ振りか、と思い返す。
靴を脱ぎ終わったところで、思い出せない事に-いや、娘の帰りが遅くなった頃を思い出し、愕然とする。あの夜-あの惨劇の一夜まで、自分は気付けなかった。友だちを連れて来る余裕さえ失くなっていた娘に。
「何を、見ていたんだろう」
呟きながら短い廊下を歩くと、水音が耳に入る。
「かなみ?」
友だちを呼んでおいて一人シャワーを浴びるものかと思うものの、廊下奥の脱衣所の戸を開けて取り敢えず声をかける。返事の代わりに急にバスルームの戸が半開きになると、見覚えのない裸体が半身を出して壁のパネルをいじり始める。
「ごめん、ローズ?換気扇ってここで合ってる?」
濡れた「青い髪」で前が見えていない。ローズ-ローズフレシェが娘のもう一つの名だ、つまりあの子の「仲間」なのだろう。
「これだね」
手探りで操作できていない少女に代わって、ボタンを押してやる。急造のバスルームは、換気扇を回さないと湯気がひどいことになるのは経験済みだった。
「助かる…よ?」
青い髪に紛れた同色の眼がこちらを認める。
「あ、どうも。ちょっとお借りしてます」
「かまわないよ。娘に誘われたんだろう?」
「ええ、はい。ちょっと出先でトラブりまして」
青い髪-「見覚えのある」それに、教えられた名を思い出す。
「わたしは円谷時子さ」
「ブルーウィンドです、娘さんたちのチームで補欠みたいな感じでやってます」
「…あの時はありがとう。助かったよ」
今言うような事ではないだろう、そんな考えは掠めたが、後に伸ばしても機会はきっとないだろう。そんな結論の元、どうにか軽い声で礼を返す事が出来た。
「いえ、その」
伏し目がちに少女は言葉を返す。
「間に合わなくて、すみません」
「馬鹿言うんじゃないよ」
手近な籠から取り出したバスタオルを少女に被せると、そのまま脱衣所側に抱き寄せる。
「一家全滅が半分生き残ったんだ。誇りなよ」
濡れた体を拭いてやりながら諭すが、少女は-恩人の筈のウィッチは無言のままだ。
「そうだね、恨み言の一つもないことはないね」
屈みながら、耳元で囁く。
「またあの子を連れていくんだね」
「…ごめんなさい、見つかっちゃいました」
娘には、この子は死んだと聞かされていた。目の前で消え去ってしまったと。
「僕は、そんなに強くないんです。隠れてみんなを守れる程ではなくて」
きっと死んだ事にしたまま、戦い続けたかったのだろう。だからこの子は、わたし達を探そうとしなかった。
「準備はしました。前よりはうまく出来ると思います、みんなを連れて帰れます」
「あんたも帰ってくるんだよ。あの子のあんな顔はもう見たくないからね」
かなみよりも小さな体を抱きしめて、時子はそう告げた。あの晩、自分は家族に区切りをつける余裕だけは残してもらえた。だが、娘は-かなみはその余地をくれた友だちをなくしたと認識したのだ、別れさえ言えぬままに。時折あの子が浮かべる顔は、鏡で見る自身の表情よりも空虚な雰囲気を抱えていた。
「ええ。だからあの子たちが、前に進むのを見守ってください」
不安がないと言えば嘘になる。ここ数日のあの子は、どこか浮わついているようにも感じた。
「あの子に、出来るのかい?」
「…実のところ、あの子たちは強いですよ。それでもまだ足りないというのが問題ですが」
「それじゃあ」
「僕たちだけじゃないんですよ、この街では」
「もっと強い人達が協力して守っているんです、無理に自分たちだけで動かなくていい」
「その人たちだって全てこなせる訳じゃない。だからその隙間を埋められれば」
そうか、全てが足りなかったのか。私たちは。
なんであの子が背負わなければいけなかったのか、ではない。逆だ。あの子が、あの子たちが背負ってくれたから、私たちという結果が残った。
「全員で前に進める」
この子が、少しだけ多く抱えてくれたから、あの子たちも残った。
ならこの子が抱えきれなかった分は。
この子自身の分は誰が?
「あのー、時子さん」
沈みがちな思考が少女の声に引き戻される。
「なんだい?」
「親愛とか励ましでってのは分かってるんで有り難くって嬉しいですけど、抱き締めっぱなしとなりますと」
「わるいね、嫌だったかい?」
そう言えば不躾だったかと少女を解放してやるが、逆に縋る様な顔が時子の目に映る。
「いえ、いやじゃないんです。ただ、本気で甘えたくなるんで」
「子供が遠慮なんてするもんじゃないよ」
もう一度、抱き締めてやる。
「…ローズに悪いですよ」
「痛い所をついてくるね」
抱き締める相手が違う、と指摘されればぐうの音も出ない。
「…ローズとちがってスタイルいいし。服越しでもちょっとがまんが」
「?」
「なんでもないです」
「それはそうとさ、あんた服は?」
ぱっと見で着替えらしきものを用意していない。あの子なら自分の分を持ち出すくらいするのに。
「あ、大丈夫です」
身を離した少女の裸身が目の前で光を帯びる。それが収まった時には丈の短い半袖のチュニックが少女を覆っていた。彩といえば皮のベルト、それと両肩の青いブローチくらいだ。娘と同世代の筈だがあまりにも簡素かつ時代錯誤過ぎる、これは良くない。とはいえ今ここで言っても多分聞かないだろう、と思った。
「とまあ、一応服には困らないんで」
「…そうかい」
数人がかりで説得が必要だねこりゃ。何を出したにしてもそろそろお茶も冷める頃だろう。追加を運びながら娘たちも加勢させた方がいいね。
「それじゃ、ちょっと手伝ってくれるかい?」
湿ったバスタオルをかごに放り込むと、頷くこの子の手を引きながら脱衣所を後にした。