クシュン、とくしゃみが漏れる。
「誰か噂してるのかなぁ、地味な筈なんだけど」
隠れ家―の一つ、放棄区画の廃ビルの一室でブルーウインドは愚痴とも取れるような言葉を放った。
「この間の警官達だろう。お膝元とはいえ、一位が出張ってくると思わんだろうし」
事後処理に事情聴取、ある程度緩和されたとはいえ規則に従おうとする程「ブルーウインド」の名では通りにくくなる。インクブスそのものは焼却処分で済んだだけに、事務的な処理で派手に揉めそうになった。そこへ「ラーズグリーズ」が現れたのである。
「そんなもの、「善意の協力者」で構わないでしょう」
開口一番、まさに鶴の一声であった。
「あなたもいちいち付き合わずに立ち去るべき場面よ」
「いやあ、書類だ報告書だでお巡りさんの手を煩わせる過ぎるのも良くないんで、出来るだけ答えていたんですが」
「ウィッチの時点で詮索無用の基本方針なの。この方々はあなたの態度に引き込めそうと思ってしまったからこそ、ここまで揉めてるのよ」
マジで?とつい口にして制服に私服・防護服に鑑識の面々を見る。全員から目を反らされた。
「こんな弱小抱え込んでも、組織としてイニシアチブ取れないでしょ」
「昼間っからそのお巡りさん気取りでパトロールしていた馬鹿が言ったところでねぇ。組織としては常時稼働している戦力は発言力に繋がるものよ」
「いい、ウィッチでそれをやっちゃうと後進の育成に響くの。だから前例潰しに私が来たわけ」
「…初耳なんですが」
「豊かな精神性が優れた素質の鍵、基礎教育を無視して早くから組織の型にはめると、それだけで素質を損なうのよ。各国はそれで失敗した」
「これだけ自由人気取りでこんなもんとか、どんだけ才能ないんですかね、僕」
「便利ではないってだけよ。ただの弱小が惰性で生き残っただけで古参の一人に数えられるわけでないこと、お分かり?だからもう行きなさい、後始末は大人達の仕事よ」
それでも微妙そうな表情のブルーウインドに、ラーズグリーズが畳み掛ける。
「あなたは自主的にインクブスを捜索し、結果討伐して皆の安全に貢献した。それ以上をやろうというのは働き過ぎだし、それ以上を他者が求めるのは欲張りが過ぎる」
「…そういうことで納得します」
「そっちのお仲間もね」
ラーズグリーズが声をかけた瞬間、全員がその人物を認識出来た。とは言え、フード付きマントにアガメムノンの仮面では人物の特定は不可能だが。
「名前を教えてくださる?」
「…ブルファントム」
「余裕があったら覚えておくわ。もう行きなさい」
「私達程度の隠行では通用しない、というのも収穫だったな」
「まあトップの方々は経験にせよ能力にせよ、突き抜けてるからねえ」
「お前の能力も大概なんだがな。やはり自覚は出来んか」
「オタクだとね、不死身の殺し方の十や二十、実用性の問題はともかく浮かんじゃうから」
「…それが豊かな精神性、ということだな」
「ちなみに実質的に不死身だと致命的な弱点が発生する、てのも複数の作品で指摘されてるんだよね」
「後学の為に聞いておこう」
「常に油断しているのと同じって事。喰らっても問題ないって無意識が緊張感を削ぐんだよ。そして不死身程度じゃ簡単に死ぬのが能力者同士の戦闘って奴なんだ」
「…運悪く次の子を担当する事になったなら、その知識も伝えよう」
「それがいいね。似た様な固有魔法だったら大変だろうし」
「怒らないんだな」
「そういう業界でしょ?」
「…やはり学校には行くべきだ、カオル」
「「飛葉カオル」はもういない。あの日、あの子は皆と共に死んだ」
「君はここにいる」
「僕はもう「飛葉カオル」を演じる必要がないんだよ。演じているつもりもなかったけどね」
「君は」
「だからね、僕はあの子の、あの子達の仇を打つだけさ。あの子以外の「僕」を使ってね。これでも大人だったからね」
「そうか」
既に「型」は出来上がっているのだ、故に型を形づくる教育は要らない。
ならば社会に出ればいい?
―違う
社会にとどまる理由を、彼女は失ってしまったのだ。「飛葉カオル」の故郷は失われ、彼女を知る人々―彼女が「飛葉カオル」としてあることを望む人々も既におらず、ただウィッチ、「ブルーウィンド」を知るものが僅かに残るのみ。
であるならば保護されるべき少女を続ける理由も、もうない。
「僕は城壁の上に立つ。ただそれだけだ」
彼女の言葉に、仮面の少女は暫し沈黙する。言外の「兵として」の意味を読み取ったためだ。
「これからも、まあ助けてくれると嬉しいかな、相棒」
かっこよく宣言したところで、そこまで強くはないからね、と彼女が自嘲する。
「…休みは取れ。軍隊だって休暇くらいある」
絞り出す様に、仮面の少女は自重を促した。
「結構休んでるよ?」
お化けにゃ「なんにもない」ってね!と彼女は笑う。
「ウィッチ、ブルーウィンド」
「なんだい、相棒」
「生き残れたなら、「君」を教えてくれないか。私は、ウィッチになった後の君しか知らない」
その言葉に、考えもしなかったと言わんばかりに少女は虚空を見つめると、言葉を紡いだ。
「そのときは」
「そのときは?」
「もう少しだけ、カオルでいてもいいかな」
「ナンバー444ね」
「既に、データとしては無意味ですが」
黒服―政府の役人より渡されたレポートをラーズグリーズは眺め、吐き捨てた。
「確かに「ブルーウィンド」のレポートではない時点で無意味でしょうね」
壊滅した町に今は亡き人々、数少ない生存者―避難民。証言に現場調査その他諸々から、レポートの「少女」がウィッチ「ブルーウィンド」であった事はかなりの確度ではあるのだろう。
問題は、少女―「飛葉カオル」が既に社会に存在しないと言うことだ。
「避難民として保護された記録はありません。彼女の名前は、行方不明者のリストに埋もれたままです」
ラーズグリーズはデスクにレポートを置くと、役人に背を向けた。
「今のところ問題はないわ。あの子の自主的な活動には益の方が大きいでしょう」
「ですが」
「この情報が何処に漏れたとしても、無意味だと言ったのはそちらでしょう?」
言うことを聞かせるにしても当人をどうにかするしか方法はない。人質に取れるような存在も、守るべき日常も「飛葉カオル」、いや「ブルーウィンド」には最早ないのだ。
「報告、ご苦労さま」
これ以上話すことはなく、まして「下らない要請」など聞く気はない、と彼女は話を切った。大方は先日の「害獣駆除」の件で、現場からの要望が上がって来たためだろう、と彼女は当たりを付けた。その背後で、肩を落とすように役人が退出する。
「復讐、ね」
告げるべき当人を前にせずに、彼女は言葉を吐いた。
「虚しいものよ。まして、あんなもの相手じゃあ」