クラスで浮いてるあの子は俺と性行為の練習をしている 作:黒宮魚
「いたっ」
肌寒さがだんだんと忍び寄ってきた冬先。その声で階段を降りる足が不意にとまった。
「あ、ごめんね」
耳障りのいい声につられて視線を向けた。階段の先の踊り場で、談笑していた女子グループの中の一人が尻もちをついてしまっていた。どうやら声の主である女子生徒とぶつかってしまったらしい。
彼女は謝罪の言葉を口にしながら、ぶつかってしまった相手に手を差し伸べようとしていた。しかし
「いや前見ろし――」
不満そうに悪態をつきながらも立ち上がろうとしていたが、タイミングがかぶってしまった。
「あっ……」
差し伸べた手が意図せず、立ち上がろうとした女子の耳元に当たってしまった。
からん、と乾いた音が鳴る。そちらに目をやると、淡く光るものが床を転がっている。アクセサリー類のように見えた。
「あ……ごめんね。何か落として――」
「っ……ちょっと何すんの」
落ちたものを拾いながら、茶髪が特徴的な女子生徒がにらみつける。対照的に黒髪のもう一方の生徒がそれにたじろぐ。
茶髪の生徒に同調するように、同じグループの女子たちが囃し立てるように口を開く。
「ちょっとわざとー?」
「それこの前買ったやつじゃん」
どうやらぶつかってしまった方の女子生徒はまた違うグループらしい。ごめん、と口にしているが、険悪なムードになっていく。
しかし、そこで予鈴が鳴った。不満そうにしながらも、女子グループ達は階段を上がって教室に向かっていった。
俺はそれとすれ違いながら、踊り場に残された女子生徒になんとなく気が向いていた。
「あっ」
当然、目が合う。反射的に見ないふりをしようと思ったが、目線を掴まれたように動きが止まってしまった。
目の前の彼女は、クラスメイトの
「授業、始まるよ」
誤魔化すように、というよりはただ事実を伝えるように月本が言った。
「え? ああ、おう……」
何というか、勝手に温度差を感じてしまって返事が遅れた。そんな自分を恥ずかしいと思うのも束の間、月本が俺を通り過ぎて教室に向かう。そのままついていくのも何か違うなと思って、少し距離を開けて俺もそれに続いた。
高校入学から半年以上経つが、彼女とまともに喋ったことはない。根拠はないがもう少し聞いていたい声だな、と考えかけて、なんだか自分が気持ち悪くなってやめた。
次の日、退屈な数学の授業が終わった反動か、授業間の小休憩はいつもよりにぎわっていた。特に窓際の男女数人のグループが盛り上がっている様子だった。そこには、昨日月本香澄とトラブルになりかけていた女子生徒の姿もあった。
「あれ? みはるこの間買ってたヤツつけてねーの?」
「あーこれ? いやこれマジ最悪だったんだけどさぁ」
男子生徒に話題を振られて、みはると呼ばれた彼女は耳元に手をやった。離れた席で座っている月本にちらりと目線を向けて続けた。
「昨日誰かさんに壊されてさぁ。床にこうやってバァンっ! つって」
「えー!? エグ!」
「二万くらいだっけ? それはないわー」
大げさに床に叩きつけるようなジェスチャーをする彼女。グループの面々は面白おかしく囃し立てる者と痛ましそうな顔をする者に分かれた。
しかし、それらは明らかに「誰かさん」である月本にも聞こえる声だった。嫌味たらしく笑う顔に無性に腹が立つ。
「おい」
がた、と机がぶつかる音がする。俺が席を立った音だと少し遅れて気が付いた。
何人かがこちらを向いたが、肝心の本人は気づいていない。
「それは違うだろ。たまたま月本の手がお前の耳に当たっただけだ」
グループのほうに歩いて行きながら口にする。苛立ちが明らかに口調に出ていた。
「え、何。あたしに言ってる?」
「そうだよ」
唐突に声をかけられて向こうは面食らっていた。しかし、すぐに面倒くさそうな顔に変わった。
「いや急に話に入ってくんなし。関係ないでしょ」
「関係ある。昨日の昼休みの時のだろ。見てたんだよ」
「は? いや、知らねーし。てか勝手に見んな」
目の前に立つと、彼女は嫌悪感をあらわにして俺を見上げてきた。
しらばっくれるその態度に腹が立つ。
「話題作りか知らねーけど勝手にでっちあげて悪く言うのとか気に入らねーんだよ。それに月本に聞こえるように言ってるだろ」
「いやジョーダンじゃん? 真に受けすぎでしょ。てか何、お前あいつの彼彼氏かなにか?」
ピリついた空気。クラスの視線がこちらに向いているのがわかった。
不味いと思ったのか、グループの中の一人が仲裁に入ってくる。
「まあほら、じょーだんだってさ! あるじゃん? そういうノリ的な」
「冗談だったら聞こえるように嫌味言ってもいいってのか。お前らはずいぶん偉いんだな」
しかしそれがさらに癇に障った。冗談だろうがその場のノリだろうが悪戯に人を不快にさせるような言い方は嫌いだ。
「はーいお疲れー」
その場の空気には不釣り合いな気の抜けた声が教室の入り口から聞こえてきた。俺も含めて全員がそちらに目を向ける。
「ん? なんだ、なんかあったのか?」
スキンヘッドが特徴的な英語教師だった。異様に静かな空気を感じ取ったのか、不思議そうに言った。
「なんでもないよせんせー」
離れたところにいた一人の男子生徒が冗談っぽくいう。先生には敬語を使いなさい、と笑われていた。
「まだちょっと早いか? 時間までは好きに喋ってていいぞー」
腕時計を見ながら気さくな笑みを浮かべて教師が言った。
空気がリセットされる。さすがに俺も冷静になって席に戻った。件の女子生徒は不満そうにこちらにガンを飛ばしてきたが、すぐにグループとの会話に戻っていった。
「いやーハラハラしたよ」
椅子を引いて座ると同時に、隣の席の男子生徒が話しかけてきた。
「あーえっと、日出。わたくし
面食らって黙っている俺を不思議に思ったのか、わざとらしく自己紹介をする。
「いや、知ってるよ」
なんだかおかしくてくすりと笑ってしまった。
そうすると向こうも笑った。不思議と警戒心が薄れる、人好きのしそうな笑顔だった。
「殴りかかるのかと思ったよ。えーっと、近藤くん」
「そんなこたしねーよ」
「そうかな? こぶし握ってたけど」
軽い口ぶりに肩の力が抜ける。
彼はついこの前の席替えで隣になった日出だ。話したことはほぼない。席替えした時に軽く挨拶したくらいだ。
「気に入らないの俺は。ああいうの」
「まあわからないでもないけどね。空気読めって思われてるかも」
「嫌味言ってもいい空気とかあるのかよ」
「それは議論の余地があるね。まあ……月本さんだっけ? 本人は気にしてなさそうだけど」
日出の視線が俺から外れる。俺もつられて見ると、月本香澄は読書に集中している様子だった。あの瞳がまっすぐ本に向いている。
居心地の悪さとかは感じていなそうだった。自分のしたいことにただ集中しているだけで、他はどうでもよさそうな佇まい。そう思った。
「ならいいって訳でもないだろ。本人がどうとかじゃなくて――」
ついまた熱が入りかける。
「いや……まぁうん、そうだよな。間違えてんだよな、多分」
「ん? 急に冷静になるね」
目を丸くする日出。しかしすぐに元の顔に戻り、やわらかい口調で続ける。
「君は正義感があるんだね。珍しいタイプだ」
「そういうのとは違うだろ。というかそっちこそ珍しいよ。さっきまでキレてたヤツに話しかけてくるかよ」
「危ない人ではなさそうだからね」
本当にそう思ってそうな言葉だった。
俺はどこか納得がいった。日出は誰とでも話しているのを見かける。嫌味のないその態度で話しかけられて邪険にする奴はそういないだろう。
「危なくならんように気を付けるよ」
「はは、そうだね」
そこでチャイムが鳴る。教師がぱんぱん、と手を叩いて授業が始まった。
「近藤くん」
その日の放課後だった。特に部活にも入っていない俺は帰宅のために廊下を歩いていた。
そこを、聞き覚えのある声で呼び止められた。
「あ……月本」
一瞬、そう口にするのが遅れる。振り向くとそこには月本香澄が立っていた。
彼女はどこか異物感がある。悪い意味ではなく、耳通りのいい声のせいか、陶器のような白い肌がそう感じさせるのか。
「お礼言おうと思って。ありがとう」
「え。ああ……昼休みの?」
うん、と月本がうなずく。
照れくさくて「別にいい」と素直じゃない返事をしてしまう。女子とあんまり喋ったことがない。月本とはほぼ初めてだ。
「てかお前は言い返さないのかよ」
廊下の壁に寄りかかりながら、気になっていたことを聞いてみる。
「何が?」
「腹立つだろ。あんな誇張された言い方されるとか」
「んー別に。何言われても私の未来に影響しないからね」
「なんだそりゃ」
独特の返答にちょっと呆れてしまった。月本がクラスでもちょっと浮いている理由の片鱗が見えた気がした。
「言い返すべきだ。舐められちゃダメなんだからよ」
「ヤクザみたいなこと言うね。もしかしてあなたって怖い人?」
くすくすと口に手を当てて笑う。観察対象を見るような言い方だ。
かちんと来ないこともないが、意外に人懐っこい笑顔にその気も削がれてしまった。
「まあ、代わりに怒ってくれたのはちょっと嬉しかったよ。それじゃ」
じゃあね、と小さく言って、月本は足早に去っていった。
手早く話を切り上げられ、気のない返事しかできない。久しぶりに誰かに感謝されたのが嬉しくて、彼女の揺れるポニーテールをしばらく見つめていた。
人気のなくなった廊下を歩く。冬が近づくこの季節、夕方といえどもだいぶ暗くなっていた。
月本と話した次の日、放課後に居眠りをしていた俺は担任に見つかって仕事を押しつけられた。授業で使った資料を片付けておいてほしいと、分厚い本を数冊持たされた。
目的は校舎の隅の空き教室。昔は普通に教室として使っていたらしいが、生徒数の減少で資料や資材の物置部屋になっている。特に先生に言われたわけではないものの、こういうものは大抵ここに運べばいいとみんなわかっている。
「ここだな」
早歩きで来たからすぐ着いた。
ホワイトボードや美術用の彫像が押し込まれており、廊下側の窓から中はほとんど見えない。俺は足でがらりと扉を開き、何のためらいもなしに中に入った。
「あ――」
先に気が付いたのは向こうだった。
小さな声が短く漏れる。誰もいないはずの部屋、覚えのある声に目を向けた。
「え……」
そこには月本香澄がいた。唐突な俺という訪問者に、珍しく驚いた顔をしていた。しかし俺の意識はその表情ではなく、別のところにあった。
彼女は机の上に座り、大胆にも大きく股を開いていた。当然のようにスカートはめくれ上がり、見せてはいけない布が見えている。
しかしそれは本来あるべき場所ではなく、片足の太もも当たりに引っ掛けられていた。つまり必然、俺の瞳には薄い黒とそれに隠された淡いピンクが映し出されていた。
それだけではない。その入り口にあてがうように、薄桃色の玩具が彼女自身の手によって添えられていた。
「……」
一瞬の沈黙。いや、俺には十秒以上にも感じられた。
俺は本の山を持ったまま動けない。月本もいかがわしいオモチャを下腹部に当てたまま硬直している。
しかし耐えきれなかったのか、無理やり作った表情で彼女は口を開いた。
「あっ、は……見られちゃった」