クラスで浮いてるあの子は俺と性行為の練習をしている 作:黒宮魚
「――はい、そういうわけでは君たちももうすぐ先輩になるわけなので、春休みだからと言って羽目を外しすぎないように」
一年生最後の終業式が終わった後のホームルームで、担任はそう言って手を叩いた。日直の号令で起立と礼をして、高校一年の終わりという区切りがついた。
教室全体がにわかに騒がしくなる。俺は一人で下校の準備を始めたが、声をかけられた。
「おーい、近藤。お前も来るか?」
窓際の席に数人が集まって話をしている。その中の一人、クラスメイトの里口が俺を見て手を挙げている。
「え、何の話?」
「カラオケ。今からこの五人とあと何人かで行くんだけど、お前もこねー?」
背負いかけていたリュックを机に置いて、俺もその集まりの中に寄る。
「えー……いやヤだよ。この間ので俺音痴だってわかっただろ」
「それが面白――あーいやいや、そういうの関係ねーだろ? 全員で盛り上がるのが楽しいんじゃねーか」
「今面白いって言いかけただろ」
俺が指摘すると、里口は悪びれもせずに笑った。俺もそれにつられて思わず笑ってしまった。
つい一週間前も里口含め何人かでカラオケに行ったのだが、俺があまりに音痴すぎて空気が終わった。ロックバンドは好きだが、俺は歌がヘタクソなのだ。
「恥ずいから今回はパス」
「えー? 付き合いわりーな」
「じゃ次の機会に行くからそれで勘弁してくれよ」
不服そうな里口に「悪い」と会釈をした。
「しゃーねーな。じゃまた今度」
「おう」
俺は軽く手を振ってその場を離れた。そして、机に置いたリュックを背負って教室を後にする。
ふと、振り返る。まだ人が残っている教室内の隅、空席となった机と椅子。
そこを使っていた少女は、もう長らくこの教室に不在となっている。ずき、と痛む胸に知らないふりをして、俺は教室を出ていった。
「近藤くん」
玄関口で靴を履き替えていると、後ろから呼び止められた。つま先をとんとんと鳴らしながら振り返ると、そこには日出がいた。
や、と軽く手を振って、いつもの人当たりのいい笑顔をしていた。
「日出。どしたんだよ」
「一緒に帰ろうと思って」
そう言いながら、日出も自身の下駄箱から靴を取り出した。
「別にいいけど。お前は誰かと用事ないのか?」
「君が里口くんたちとカラオケに行くなら付いていこうと思ったんだけど、断ってたみたいだから」
「聞いてたのかよ」
靴を履き終え、俺は先に玄関を出た。後から小走りで日出も出てきて、隣に並んで歩く。
他のクラスもホームルームは終わっているようで、玄関前も賑わっていた。花壇のふちに座って談笑している生徒たちや、校庭に走っていく体育着の運動部もいる。
「行かなくてよかったの? カラオケ」
「音痴だから嫌だ。恥ずかしい」
「別に気にすることないのに」
はは、と軽快な笑みを浮かべる日出。
そりゃ他人から見ればそうだろうが、本人からすれば恥ずかしいもんだろう。
「お前はいいのかよ。日出なら誰かに遊びに誘われたりしただろ」
「まあ誘われたけど、今日は君と話そうと思ってたからね」
何となく含みを感じさせたが、表情は特に何を考えているでもなさそうな日出。
そのまましばし話もなく、校門に差し掛かる。校門前にいた生徒指導の教師に挨拶をしながら、学校の敷地内を出た。
「……そういえば、集まりとかは近々ないのか?」
「えーっと、ちょっと待って。そうだね。今のところは特にないよ」
俺の問いかけに、日出はスマホで予定を確認しながら答えた。
あの大晦日の一件から、俺も和律教に顔を出すようになっていた。向こうから時折呼び出されることがある。
「特に集まりがなくてもちょくちょく来てるんだろう?」
「知ってたのかよ」
「一応僕はそこそこの立場にいるからね。自然と知ってしまうよ」
なんだか恥ずかしくて目をそらした。
約三か月前のあの日以来、俺は調停者や和律教自体を知りたいと思うようになった。たまに足を運んで、関係者の人たちに歴史なんかを教えてもらっている。
「……近藤くん、後悔してるのかい」
日出がふと呟く。はっとして、思わず呼吸が止まった。
「何をだよ」
「それは君がよくわかっているんじゃない?」
穏やかな口調だったが、鋭い目線が心まで見透かしてくる。
隠そうとしたが、日出には無駄だとわかっている。俺は観念して、そうだな、と呟いた。
「俺は、月本と関わらないほうがよかったんだ」
この三か月、ずっと頭の中にあったことだった。
「月本の相手は、俺じゃなくて日出の方がよかったんだと思う。……そうすれば、あいつは一人にならなくて済んだはずだ」
視線が地面に落ちる。コンクリートで舗装された無機質な歩道を、俺の足が踏みしめている。
あの時、月本と日出の儀式が失敗した理由。月本は「自分が怖がったから」と言っていた。
もし月本が俺と関わらずにいれば、その時間を日出に使えたはずだ。そうすれば怖がることも無かったんじゃないかと、俺はずっと後悔していた。
「それは違うと、僕は思うよ」
俺の考えを読んだように、日出は否定した。
「近藤くんは、自分が僕と香澄の間を邪魔した、とかそんなこと考えてるんじゃない? それは違うよ」
あくまで穏やかな表情で、諭すように日出は続ける。
「そう思った時期が僕にもあったことは否定しない。でもね、僕と香澄はずっと前から練習はしてたんだ。一度として上手くいったことはなかったんだけどね」
「そう、なのか?」
目を丸くした俺に、そうだよ、と頷いた。
「僕の力は人の心の中にこっそり忍び込むみたいな感覚なんだ。君も感じたことがあるだろう?」
思い当たることが一つ二つある。俺は首を縦に振った。
「香澄にはそれが怖かったんだと思う。……でも君は、あくまで普通の人と人として香澄と関わって、信頼を築いた。それは僕にはできないことだった」
ほんの少し、日出の表情が沈む。彼にだって当然後悔はあるのだろう。
「じゃあ、どうにしろ結果は変わらなかったってことかよ」
「結果だけ言えば、そう思う。……でも」
日出が顔を上げる。
「香澄に、君との思い出ができたことは救いだったと――僕は思う」
日出は前を向いたままそう言った。それは俺ではない誰かにかけた言葉のようにも思えた。
だが、刺さったままだった胸の中の棘が、ほんの少しだけ抜けたような、そんな気がした。
視界の端に鮮やかな色が映る。道端の花壇に僅かばかりの花が咲いている。
まだ肌寒い空気が舞っているが、少しずつ新しい季節が近づいているのを感じていた。
「……てか、お前って俺と月本のことどれくらい知ってんだよ」
今まであまり考えてこなかったことがふと気になった。俺はあまり月本との関係を日出に事細かに語っていない。だが、日出はかなり知った風な言い方をする。
「色々知ってるよ。君と香澄がなんで話すようになったのか、とかね」
珍しく、意地の悪い笑みを向けながら日出は言った。
それを知っているということは、人に話せないような月本とのあれこれも、ということだ。
恥ずかしさと軽い憤りに、あっそ、と俺はぶっきらぼうに言い放った。
「それもお前の力とかいうやつかよ。実際、何ができるんだ?」
話を逸らすのと、単純な興味から俺はそう聞いてみた。
日出は意外そうな表情をすると、済んだ青空を見上げながら考え込んだ。
「んー……そうだね。何となく他人の感情の色とか形……みたいなものが見えるんだよね」
なるほど、と頷く。だから俺が後悔していることも見透かされていたのだろう。
「あとはこうやって実際に触ると――」
日出の手がぽん、と俺の肩に触れる。瞬間、ばちんと静電気が走った。
『こういう風にテレパシーみたいなこともできる』
日出の声が脳内で聞こえた。
「うわっ」
驚いて思わず触れられた手を振り払ってしまった。
俺の行動に驚いたようだが、日出は「ごめんごめん」と笑った。
「今みたいに触ると、その人が考えてることももっと詳細にわかったりするよ」
「はー……便利な力だな」
「そうだね。まあ、最近はちょっと弱まってきてるんだ。多分、調停者の資格を失ったからだろうね」
日出は自分の手に視線を落としながら何気なく言った。常人にはない力が無くなってきているというのに、意外にも残念そうにはしていなかった。むしろ、どこか清々しそうに微笑んでいた。
そんな彼を横目に見ながら、そういうことね、と軽い返事を返した。
日出に触れられた時の感触で、彼女のことを思い出す。あの時も静電気のようなものが走って、俺たちは繋がった。お互いの間に橋が架かり、感情が流れていく感覚。
今はとっくに失われ、代わりに何かが欠けたような感覚が胸に残っているだけだ。
そんなことを思っていると、不意にぱちん、と軽い刺激が胸に走った。
『ぼーっとしてると危ないよ』
どこからか声が聞こえた気がして、思わず立ち止まった。
直後、目の前の曲がり角から自転車が一台横切っていった。もし今立ち止まっていなければぶつかっていたかもしれない。
危なかった、と胸をなでおろす。日出が教えてくれたのだろう。礼を言おうと、斜め後ろにいた日出に振り返った。
「ん、なに?」
しかし、視線を合わせた俺に、日出は不思議そうな顔をした。
すっとぼけている、と思ったが、急に立ち止まった俺をただ純粋に疑問に思っている顔だった。
「あ、いや……何でもない」
「そう?」と日出が首を傾げる。さっきのは俺の気のせいか、と止めていた足をまた動かした。
その時、後ろからびゅお、と強い風が吹いた。思わずよろめく。
視界の端を白いものが通り過ぎた。見ると、小さな花びらだ。それは風に吹かれて歩道の向こうに飛んでいった。
ずき、と胸が痛む。それは彼女との欠けた繋がりとは少し違う。どこか懐かしい気がした。
風が吹いてきた先を振り向く。そこに誰がいるわけでもない。
道端の花壇で、白いアネモネが風に吹かれて揺れていた。