クラスで浮いてるあの子は俺と性行為の練習をしている 作:黒宮魚
「最近元気そうだね」
隣の席の日出に話かけられたのは、授業合間の休憩時間だった。
「え、そうか?」
退屈な数学の眠気を飛ばすために伸びをしながら答える。うん、と日出が頷いた。
最近、俺は日出と話すようになっていた。別に用事があるわけでもないが、向こうから話しかけてくるのだ。人と話すのが好きなヤツなんだろう。
「何かいいことでもあったの?」
「別にねーよ」
教科書をしまいながら答える。いいこと、と言われて一瞬月本のことを思い出した。
離れた席に座る月本の後ろ姿に目をやる。相変わらず一人で読書をしているようだ。放課後以外で彼女との関わりは皆無だ。
「日出はいつも元気だよな。なんか秘訣とかあんのかよ」
「んー普通にしてるだけだけど。強いて言うならみんなと楽しく喋ることかな」
「ふーん、ま確かにいつも誰かと話してるよな」
そうだね、と何でもないことのように日出が返す。確かに彼にとっては何でもないんだろう。人と接するのが得意じゃない俺とは無縁の感覚だった。
「クラスの全員と仲良さそうな感じだよな」
「仲良いか、はわかんないけど。大体の人とは話すね。君が一番最後だったけど」
ふーん、と教室に目を向ける。それぞれが好きなことをしてざわついてる。日出は誰と喋っている姿も何となくイメージできた。
読書をしている月本とも。いつかの朝見た光景を思い出す。俺はなんだか癪だが聞いてみることにした。
「月本、とかとも話すのか?」
「ん、月本さん?」
一瞬、日出の反応に溜めがあった気がした。日出とは会話のテンポが途切れないイメージがだから、少し引っかかった。
「まあ普通に話すよ」
だがいつもの人当たりのいい声で続けた。
違和感は俺の気のせいだったと納得させる。正直、月本のことを意識しすぎているのかもしれない。たかが「練習相手」だというのに。
「お、ついに近藤くんも他人に興味を持つようになったの」
「誰が人に無関心なヤツだよ」
ははは、と軽い笑いが出る。最近、こういう冗談にマジにならずに上手く流せるようになった。月本との練習の成果かもしれない。
「いや、この間朝一緒に学校来てるの見たから。ほら、月本って誰かと喋ってるのあんま見たことないから」
「あぁ、確かにね。んー、親同士でちょっと付き合いがあるんだよ」
「へー……幼馴染、みたいな?」
「そこまで仲いい訳じゃないよ」
日出が首を横に振る。
そういうつながりがあったのは驚きだった。でもなぜだろうか。「仲いいわけじゃない」と日出は言ったが、月本のほうがどう思っているのかが無性に気になった。
「まあ、ちょっと変わってるけど良い子だよ。話しかけてみるのもいいんじゃない?」
ぽん、と肩を叩かれる。その時、ばちっと静電気が走った。
寒くなってきたしそういう時期だ。静電気が苦手な俺にはあまり好きな季節ではない。
「ああ、うん。気が向いたら話しかけてみるよ」
もう話してるけど、と内心思いながら適当に返事を返した。
が、日出は無言だった。一時停止ボタンを押したみたいに、表情が固まっていた。
「日出? どしたんだよ」
「え? ああ、何でもないよ」
ぱっ、と表情を戻して日出が笑った。日出はもしかしたら俺より静電気が苦手なのかもしれない。
「ああ、そういえばさっきの数学の課題だけど――」
日出は先ほどの授業で配られた課題プリントを見せてきた。数学が苦手な俺がちょうど不安に思っていたことだった。俺たちは次の授業までその課題の話をしていた。
その次の日の放課後。今日は月本との「練習」の日だった。
この関係が始まってからそろそろ半月ほど経つ。最近少しだけ、学校に来るのが楽しいと思うようになってきた。日出が言っていたことは正解だ。
「月本ー」
がら、と扉を開ける。なんだかテンション高く呼んでしまってちょっと恥ずかしかった。
が、俺の呼びかけに返答は無かった。
「あれ」
いつもは月本が最初に来て、奥の机に座っている。だが、見慣れた空き教室内に彼女の姿は無かった。
何か用事があるんだろう、と思って、月本と同じように机に座った。
だいたい五分後に、教室のドアが開いた。
「よう、月本。なんか先生に仕事でも押し付けられたのか?」
軽口を言いながら机から降りる。
だが、機嫌のいい俺と反対に月本は「別に」と淡白な反応を返した。相変わらずだなと思い、特に気にも留めなかった。
「月本、今日は――」
「近藤くん」
いつも通り話を振ろうとしたところで月本の声に遮られた。
そこで初めて彼女の顔を見た。いつも通り澄ました顔。だが俺と目を合わせていなかった。
「これ、見てほしいんだけど」
月本はポケットからスマホを取り出して、俺に見せてきた。
「えー? なんだよ、おもろい動画でも見つけたのかよ」
月本は答えない。いいから見ろ、と言っているみたいだった。
仕方ないな、と画面に目を向ける。そこには一本の動画が映し出されていた。素人が撮影したような、ブレた映像だった。
どこかの噴水広場みたいな場所。そこに中学生くらいの何人かの男子がいた。何やらもみ合っているような様子だ。
『勝手なこと言ってんじゃねーよ!!』
唐突に大きな声が鳴る。それと同時に、制服姿の一人の男子が坊主頭のヤツを一発殴りつけていた。ばちっ、と鈍い音をマイクが拾う。
それを皮切りに殴り合いが始まった。最初に殴った男子以外の数人は仲間のようで、よってたかって報復の暴力を入れている。しかし、一人きりだろうとお構いなしに、ソイツは怒号を上げながら反撃していた。
『ちょ、やばいやばい。誰かケーサツ呼んでー!』
撮影者だろうか。高い男声が入る。
しかしそれに気づいたのか、制服の男がカメラに向かってきた。
『撮ってんじゃねー!』
そこで動画が止まった。
俺はやっと、自分が呼吸をしていなかったことに気づいた。息が漏れる。ゆっくりと息を整える。
「これってさ」
月本が口を開く。その先の言葉は容易に予想できた。
「あなた、だよね」
反射的に口が開いた。けど何も声が出なかった。
月本と目が合う。顔を伏せて、視線だけをこちら向けている。恐怖が映っているように見えた。
「つきも――いや、それ、は……っ」
否定しようとした。だけどできなかった。だって、動画の中で暴れていた制服姿の男子は俺だったんだから。
どうして。なんで月本がその動画を。それよりちゃんと説明しなきゃ。説明って何を?
頭の中はフル回転しているのに、何一つまともな思考が組みあがらない。
「本当は怖い人、だったの?」
月本が俺を見ている。その問いに思わず顔を下に向けた。
何か言わないといけない。月本ならちゃんと話せばわかってくれるはずなんだ。この動画だけで決めつけてくるようなヤツじゃないんだ。
「そういう人とは私、関われない。から――」
決定的な一言だった。うんざりするくらい芯の通った、突き放しの言葉だった。
がちん、と撃鉄が起こされる。頭の中に血液という火薬が詰められる。足の先が遠くなる感覚がした。
「だから、おし――」
「なんだと」
月本が何かを言いかけた、気がする。でも流れ出した感情を止めるには些細すぎる。
「よく知りもしないでそんなこと――!」
自分でも驚くくらい低い声だった。だん、と俺の足が床を一歩前に叩いた。
瞬間、月本の目が開く。その目は明らかに恐怖を伝えていた。
俺とは反対に、月本の細い左足は一歩後ろに下がっていた。
「あっ……」
頭に上った血が固まる。
また怖がらせた。月本にはそうしたくなかったのに。二度とそうならないようにしてきたつもりだったのに。
「あっ、いや、月本――ご」
慌てて謝ろうとする。だがその先の言葉は言わせてもらえなかった。
「安心できる人だって、思ってたのに」
冷え切った声。
しまった、という後悔はあまりに遅い。月本は無慈悲に言葉を続ける。
「本当にそんな人だったんだ」
その目は恐怖から失望に変わっていた。
それが最後の引き金を引いた。
月本は俺をわかってくれると思っていたのに。そんな風に決めつけるヤツじゃないと思っていたのに。
「月本、お前!!」
頭から身体に戻りかけた血が逆流する。引き金を引かれた弾丸は止まることなんてできない。
つかつかと月本に足を進める。彼女はまた一歩身を引いたが、後ろは壁だった。
「何も知らないくせに勝手なこと言ってんじゃねえ!!」
月本の肩を掴み、片手を振り上げる。それは血が出そうなほど強く拳を握っている。
月本の目がきゅっと固く閉じられる。そして握った拳が振り下ろされる直前。
『勝手なこと言ってんじゃねーよ!!』
ほんの少し前に聞いた声が頭をよぎった。今の俺は、動画に映っていた俺そのものだった。
俺の手は振り上げたその場所で静止していた。まるで時間が止まったみたいだった。
「ぁ……」
しかし時間は戻ってくれない。
ゆっくりと月本が目を開ける。俺の顔と拳をそれぞれ見た。彼女は何か言いたげに口を開いたが、言葉は続かない。
そして視線を外し、俺を振りほどいた。
「あなたとは、もう話したくない」
月本はただ一言そう言い残すと、教室を出ていった。ぱしん、という扉が閉まる音で我に返る。数秒間、月本が出ていった扉を見つめていた。
「……」
一人、残される。力が抜けて、だらん、と垂らされた両手が足にぶつかった。
血の気が引く、というよりは空虚さが頭に残った。時間にしてほんの一分にも満たない出来事。それが何回も頭の中でループ再生される。
これで終わりなんだ、という実感が残る。月本とは少しだけ上手くやれていたと、思っていたのに。
「月本だって、俺のことをわかろうとしなかったじゃないか」
口にしてもどうにもならないことだった。
少しずつ冷静になった頭が、これ以上ここにいても意味がないと理解する。もう二度とここに用はないだろう。
出口に足を向けたところで、ふと床に光るものが目に留まった。拾い上げてみてみると、親指ほどのキーホルダーのようなものだった。月に糸が絡まったような独特のデザインをしている。
「……月本のか」
俺はそれをポケットにしまって教室を後にした。