クラスで浮いてるあの子は俺と性行為の練習をしている 作:黒宮魚
「えっ……それどういうことだよ」
また月本と空き教室で「練習」をしてから数日。冬休みも目前に迫った頃だった。
いつもの空き教室で、俺の放った言葉に月本は顔を伏せた。
俺は放課後帰ろうとしたところを月本から「少し話がしたい」と言われて、空き教室に呼び出されていた。雪の降る空は灰色で、室内は仄暗い。
「転校。来週からもう、この学校には来られないから」
平坦で感情を感じさせない声。いつもの通り机の上に座った月本は、俺の問いに淡々と答えた。
「いや、え……? ごめん、いきなりすぎて。なんでそんな急に」
「家の事情」
聞かれることを想定していたように、月本は即答した。
「親の転勤とかってことかよ」
「まあ、そんなとこ」
月本は制服の裾を直しながら、軽くあしらうようにそう言った。
机二つ分ほど離れて話す彼女が、急に遠く感じられた。
「き、急すぎるだろ。来週からって……今日が最後ってことじゃねーか。何で教えてくれなかったんだよ」
「今日決まったの。家から先生にも今日伝わってると思う。だから、来週の月曜に言われるんじゃないかな」
「……そう、かよ」
他人事みたいに話す月本。まるで現実感が湧かなかった。
「月本の親御さんには悪いけど、いくら何でも理不尽じゃねぇか? 月本だって他の奴にお別れとかしないとなのに」
「うちはそういうの仕方ないの。それに、あなた以外に話す人いないから」
俺は日出やそれ以外の奴とも多少は会話するようになった。友達、といえるまでの関係ではないかもしれないが、月本と話す前に比べれば大きく前に進めた。
でも月本が俺以外と話しているのはほとんど見なかった。
「だから、お別れの挨拶しようと思って」
とす、と軽く机から降りる月本。そして、俺の目をまっすぐに見た。
いつもの感情が見えにくい澄まし顔。
「……短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう」
ほんの少し月本の口角が上がる。その穏やかな微笑みが伝えてきたのは、どうしようもない別離だった。
「それに――」
一瞬、月本の顔が陰る。
「……ううん、何でもない」
しかしすぐにまた笑って、そう言うだけだった。何か言いかけたはずなのに、それを飲み込んで。
月本は何を考えているかわからない。いつも感じていたことだった。今日ほど、その真意を知りたいと思ったことはなかった。
「俺、も楽しかったよ。月本のおかげで人付き合いはちょっとマシになったと思う。……その、ありがとな」
とっさに組み立てられた返しの言葉はそれだけだった。真意ではある。でももっと言いたいことは別にある、気がした。
月本は俺の言葉に、ただ短く「うん」と笑うだけだった。
「じゃあ、さよなら」
不意にそう言い放つと、月本はバッグを持って教室の扉にすたすたと歩き始めた。いとも簡単に俺の横を通り過ぎる。
「え……もう行くのかよ」
「うん、早く帰ってこいって言われてるから」
俺が呼び止めると、立ち止まって短くそう答えた。
「それじゃ」
小さくつぶやき、また足を進める月本。その声は何かを抑えているような声色に聞こえた。
その瞬間、体が勝手に動いていた。俺は扉に手をかけようとする月本の肩を掴んで呼び止めた。
「――月本!」
歩みを止められた月本のポニーテールが揺れる。
「なに?」
「あ……えと」
突然肩を掴んだにも関わらず、月本は驚きもせずに振りむいた。
月本の目が俺を見上げている。吸い込まれそうな黒い瞳は、どこまでも澄んでいて心の中を覗き込まれているようだった。
「俺、は……」
必死で言葉を探す。これで最後になるんだから、悔いのないように終わらないといけない。
「……元気で、やれよ。新しい学校でも話すヤツ見つけて楽しくやってくれよ」
しかし、出てきたのはそんな当たり障りのない言葉だった。もっと言いたいことがあったはずなのに。でも、それを言葉にすることができなかった。
だから俺はせめて笑った。ぎこちない顔だと月本に思われているだろうけど、そうするのが正解だと思った。
「うん。そうなるといいな」
一瞬、月本の目線が落ちる。彼女の長いまつげが揺れる。
一つ瞬きをするとまた俺に視線が戻っていた。
「ばいばい」
「……ああ、じゃあな」
そして軽く手を振ると、月本は扉を開けて去っていった。すたすたと高い足音が廊下の向こうに遠ざかっていく。
開け放された扉を見つめたまま、俺はただそれが聞こえなくなるまで立ち尽くしていた。
月本を傷つけてしまったあの時と似ている。だけど、俺の中から欠けたものはずっと大きく感じた。
「……あ」
ふと思い出す。あの時月本が落としていったもの。いつでも渡せるように自分のバッグに入れっぱなしにして忘れていた。
足元に置いてあったバッグを漁って見つける、小さなキーホルダー。月に糸が絡まったような独特のデザイン。
「月本!」
教室を出て呼びかけるが、当然その姿はない。返答が返ってくることもなく、ただ廊下に俺の声が響くだけだった。
休みを挟んだ次の月曜日。当然、月本の姿はなかった。そして彼女が言ったように、朝のホームルームで月本が転校したことが担任から知らされた。
教室内は軽くざわついたが、誰とも接点が少なかった彼女を深く気に掛ける者はいなかった。
「日出。お前知ってたか?」
ホームルームが終わり、担任が出て行ってすぐ、隣の日出に話しかけた。
「ん、何を?」
「月本の転校だよ。お前って月本とたまに話してただろ」
「あー……」
それに、確か親同士の付き合いがあると言っていた。月本に日出との関係を直接聞いたことはなかったが、一番何か知っていそうなのは日出だった。
「聞いてなかったよ。僕も突然でびっくりしてる」
「引っ越す時に見送りとかしなかったのか?」
「してないね。引っ越しは急に決まったんじゃないかな?」
日出は口元に手を当て、考える仕草をしながらそう答えた。
どうやら俺以上に何も聞いてなかったようだ。もし引っ越し先を知っていれば聞きたかったのだが。
「最近割と話してたよね、君と月本さん」
「ああ、たまに」
「じゃあ、少し寂しくなっちゃったね」
「別に。……いや、まあ、そうだな」
強がりは意味がない。寂しいのは当たり前のことだ。
「月本さんって何か不思議だったよね。住む世界がちょっと違うっていうか」
日出は椅子に背中を預けて腕を組みながら言った。
確かに、と腹落ちする。月本と話して少しはどんなヤツか知ったつもりだったが、どこに住んでいるとか家のこととか、俺は実際何も知らないのだ。
「いろいろ事情あったんだろうし、仕方ないって思うしかないんじゃないかな」
慮るように言う日出の言葉。簡単に割り切れない気持ちもあるが、そうだな、と頷いた。
「はは、ちょっと偉そうなこと言いすぎたね。代わりにはなれないけど、僕でよければ話し相手になるよ」
「ああ、サンキュ。日出って良いヤツだな」
そんなことないよ、と日出は笑った。
ほんの少し、寂しさが和らいだような気がした。俺はその日、高校に入って初めて同級生と連絡先を交換した。
だけど心残りは一つだけある。月本に返せなかったキーホルダー。これくらいは返しに行きたかった。
俺はその日の放課後、担任に月本のことを聞きに行った。さすがに渋られたが、借りっぱなしのものを返さないといけない、と説明すると転校先の学校を教えてくれた。それは電車で一時間ほど行った先にある公立高校だった。
冬休み期間に入ってから、俺はその転校先の学校に連絡をした。事情を説明すれば、直接会えなくても学校経由で渡すことくらいは出来ると思った。
本音を言えば会いたい気持ちだってあるが。
「――なので、転校前に借りたものを返したいんですけど……」
『はあ……なるほどねぇ。まあ一応こちらでお預かりしてご本人にお渡しする形であれば対応できますね』
電話口で最初は思い切り怪しまれたが、一応納得してくれた。ある程度年配の男性で、いい加減な印象を受ける声だった。
『では、その相手の生徒さんの氏名と学年を教えていただけますか』
「はい、月本香澄、です。……あ、一年生です」
『一年生のツキモトカスミ、ですね。確認するので少々お待ちくださいねー』
電話が保留音に切り替わる。
自室の椅子に背中を預けて一息つく。正直こういう電話は苦手だ。
片手で持っていた例のキーホルダーをなんとなく見つめながら電話相手を待つ。
「……ん?」
不意に裏返してみた時に、何か文字が刻印されていることに気づいた。
「わ、りつ?」
「和律教」。そう書いてあった。見慣れない単語に首をかしげる。
しかし、電話口の保留音が途切れたことでその思考は中断された。
『お待たせしました。えー、すみません、もう一度確認なのですが、一年生の月本香澄でお間違いないですか?』
「え、はい。間違いないですけど……」
そう答えると「そうですか」と、考えるような息遣いが聞こえてきた。
「あの、どうかしましたか」
『えーとですね、月本香澄は当校に在籍していなくてですね』
「えっ……」
そんなはずはない。思わず担任から渡された転校先情報のメモを見た。
電話を掛けた時に相手が名乗っていた学校名と間違いはなかった。
『そのー、まあその氏名の生徒が転入する予定はあったんですけどね? 急にあちら都合で取り消しになったんですよ』
「取り消し?」
『詳しい事情は知りませんが、当校への転入はナシになったということですね』
そこまで言うと、『あ、これ一応ご内密にお願いします』と今更なことを付け加えた。
「え、どこか別のとこに転入先が変わったってことですか?」
『そこまではこちらで把握できてないですね。……まあ、そういう訳なので申し訳ないですがご要望にはお応えできません』
予想していなかった答えに、俺は「そうですか」と口にするのがやっとだった。
電話を切ってしばし無言で固まってしまった。月本への心残りを一つかなえられると思っていたのに、ぷつりと糸が切れてしまったのだから。
「よし」
俺の体は気が付くと立ち上がっていた。ハンガーにかけてあった上着を羽織り、飛び出すように家を出た。あまり使う機会のない自転車にまたがり、ペダルを回す。
会えるなんて保証はない。転校先にはいないことになっている。それでも、俺は転校先の学校まで行ってみることにした。
いるわけないと頭では理解している。だからこれは、自分の気持ちに区切りを付けるための儀式みたいなものなんだ。
自転車を走らせること三十分ほど。目的の駅はローカル線で、街のはずれにある。あと少しというところまできた。
「ん?」
しかし、俺は駅に到着する前にブレーキレバーを引いた。キキ、と甲高い音を立てて自転車が止まる。
車線を挟んだ向こう側。シンプルながら規則正しい装飾が特徴的な純白の建物に、俺は目を向けていた。正確には、その入り口の上部に飾られているマークだ。
背負っていたリュックを肩から外し、中から月本のキーホルダーを取り出す。
「同じだ」
特徴的なそのデザインは、目の前の建物に飾られているマークと全く同じだった。
それだけでも驚きだったが、さらなる事実に思考が硬直した。
ちょうどその入り口が開き、ぞろぞろと人が出てきた。その流れは隣接された駐車場にほとんど向かっていく。人だかりの中、見知った姿があった。
「日出……」