クラスで浮いてるあの子は俺と性行為の練習をしている 作:黒宮魚
「それで、話ってなんだい」
年末までもう少しといった時期。昼時のピークは過ぎたが、ファストフード店内はそこそこの客で満たされていた。
窓際の小さなテーブル席の向こう側に座った日出が、フライドポテトをつまみながら柔和な顔を向けている。
「まあちょっとな」
話があると呼び出したのはつい二日前。家の都合でバタバタしているとのことだったが、二時間ほど時間を作ってもらってこうして顔を合わせている。
「日出ってさ、宗教、とか入ってんのか?」
ポテトを口に運ぶ日出の手が一瞬止まる。しかし、すぐにそれを口に入れて飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。
「……うん、そうだね。誰かから聞いた?」
宗教団体の施設で日出を目撃したのは記憶に新しい。あの時、驚いてあっけにとられているうちに、日出は親らしき車に乗って去ってしまった。
帰宅してから施設のことを調べると、『和律教』という宗教団体の本拠地だった。このあたりの地域に根付いた団体らしいが、今まで全く知らなかった。
「和律教、ってところだったりするか?」
「うわ、そこまで知ってるんだ」
目を丸くする日出。だが、あっさりと「そうだよ」と認めた。
なんだか拍子抜けだった。俺が逆の立場なら隠し通そうとするだろう。
「あー……宗教入ってる人間とは付き合い出来ないって話かな?」
「いやいや違う違う。そんな偏見はねーよ」
気まずそうな顔を浮かべる日出に慌てて首を横に振る。まあ普通そういう印象になるだろう。
俺は手に持ったハンバーガーを一口かじって机に置いた。俺はそろそろ本題を切り出すことにした。
「月本も入ってたりすんのかって思ってよ」
「月本さん?」
日出の眉がぴくりと動いた。刺すような視線が一瞬だけこちらに向く。日出はジュースを一口飲んで答えた。
「それは……どうだろ。そういう話はしたことないね。まあ、僕もガッツリ信者って訳じゃないんだ。親の付き合いみたいなものだよ」
いつもの人当たりのいい笑顔で、何事もなしに言う。しかし、その中の言葉が引っかかる。
「日出と月本って親同士の付き合いがあるって前に言ってたよな。それってその宗教のほうで付き合いがあるってことじゃねーのか?」
「それは……」
続きかけた言葉が途切れた。日出の目線が窓の外に僅かにそれる。
俺は内ポケットに入れていたものを机の上に置いた。それを見た日出の目が大きく開いたのを見逃さなかった。
「月本が前に落としたのを拾ったんだよ。渡し忘れたままいなくなっちまったけど」
例のキーホルダー。唯一残った月本への心残りだ。
しかし、これは今は疑念の種に変わっている。
「これってその和律教っていうののシンボルみたいなものなんだよな。月本も入ってるってことだろ」
改めて家で調べたが、やはり和律教の象徴とされるものだった。
これを持っていた月本と、施設に出入りしていた日出を結びつけて考えてしまうのはごく自然なことだった。
「まあ、シンボルなのはそうだけど。香澄が入信してるとは限らないんじゃない? 僕みたいに親の付き合いってこともあるかもだし」
もっともらしい返答だ。それに流されそうになったが、明らかな違和感があった。
「……お前って月本のこと名前で呼んでたか?」
俺の言葉に、日出は言葉を詰まらせた。
香澄。確かに日出は月本の下の名前を呼んだ。
「割と前から付き合いがあるんだよ。そういう風に呼んでた時期もあるさ」
「親同士の付き合いもあって昔から知ってる仲なのに、宗教のこと知らないのは随分ヘンじゃないか?」
つい語気が強くなる。日出はいいヤツだと思う。だが、どうしても今は彼の言葉を信じきれなかった。
しかし日出は俺の言葉にひるむこともなく、ふう、と息を吐いて答えた。
「近藤くん。仲良くしてた月本さんが急に退学してショックなのはわかるけど、僕は本当に知らないんだよ。僕は君とあんまり険悪な関係にしたくはない」
まるで教師が生徒を諭すような口調。そのままぽん、と肩を叩かれる。
ばちん、と静電気が走った。
「……ああ、そうだよな」
数秒、思考が完全に止まった。ふと我に返ったとき、自分の顔がかなり熱くなっていることに気が付いた。
さっ、と急に冷静になる。
「ごめん、悪かったよ。ちょっと気にしすぎてた」
そうだ、いくら何でも気にしすぎていた。少し仲良くなったからって、月本に執着しすぎていたかもしれない。
頭を下げた俺に、日出は「いいんだ」と微笑んだ。やはり嫌味のない好かれる人柄をしている。
そのあとは適当に雑談をして、早めに切り上げた。日出は帰ってやることがあるらしい。
それから二日が経ち、大晦日になった。俺は母親に言われて仕方なく自分の部屋の大掃除をさせられていた。
床に放り出してあった服やら漫画を片付け、掃除機を適当にかける。最後に机の中の整理でもするかと、がらりと引き出しを開けた。
「あ……」
からん、と軽い音を立てて、光る物が目に入る。それは月本のキーホルダーだった。
月本のことはあまり考えないほうがいいと思うようになっていた。消えない傷跡を見るような気持ちになるから。俺は目を背けるように、それを机の奥に突っ込んだ。
「ん、なんだこれ」
くしゃり、と何かをつぶした。不思議に思い引き出してみると、一枚のメモ書きだった。
電話番号と高校の名前が書かれている。なんだったか、と考えかけて、すぐに思い出す。
担任に教えてもらった、月本の転校先と連絡先だ。これももう不必要だ。くしゃりと握りつぶして、ゴミ箱に入れようとした。
「あれ?」
強烈な違和感を覚えた。頭の中で埋もれた記憶が掘り起こされる。
月本は転校した。しかしこの前会った日出は月本が「退学した」とそう言っていた。
単に言い間違いかもしれない。だが、それを皮切りにあの時の違和感が次々に思い出される。
親同士の付き合いのことで言い淀んだこと、不意に月本を香澄と呼んだこと。そして何より、おかしいのは俺自身だ。
なんであの時、俺は急に日出への疑問をきれいさっぱり失ったのか。
じっとしてなんていられなかった。俺はきちんとハンガーにかけたばかりのコートを乱雑に羽織り、部屋を飛び出した。
母親に止められる声も聞かず、すっかり暗くなった外へ。自転車に飛び乗り、思い切り走らせた。向かう先はただ一つ、あの施設だった。
夜の街を自転車で走り抜け、この前より随分早く例の施設近くまで来た。大晦日の夜ということもあり、家々の明かりこそ点いているものの人気は無いに等しい。
曲がり角を左折し、あとはまっすぐ行けば目的地。そこで俺の目は、一つの明かりが点滅しているのを捉えた。
目を凝らすと、車のハザードランプだ。しかもあの施設の前に付けられている。俺はペダルを漕ぐ足に力を込めた。
「なんか……人がいるな」
白のワゴン車と、黒いセダンが止まっている。ちょうど車から降りてきているところのようだ。
しかも、施設側の入り口が開いていて、何人か出迎えのような者も見えた。ほとんどがスーツやらの黒い服を着ている。
「え……」
その中、ただ一人正反対に白の衣装に身を包んだ人影がいた。少女だった。
その少女は、保護者らしき大人達に囲まれて、車から降りて施設に入ろうとしていた。
「つき、もと」
まだ距離があるが、はっきりとわかった。
遠くを見るような澄まし顔。いつものポニーテールはほどいているようだが、黒髪の美しさは変わらない。
見慣れた制服姿ではなく、純白のひらひらとした着物のようなものを身にまとっていた。まるで、映画で見るカルト団体の儀式に出てくるような。
黒服の大人たちに囲まれ、彼女はゆっくりとした足取りで入り口に向かっていく。
「月本!!」
気が付くと彼女の名を呼んでいた。
普通じゃない、と俺の直感が叫んでいた。
俺の声に一番早く反応したのは他ならぬ月本だった。大きく見開かれた目が俺の視線とぶつかる。それに遅れて周りの人間たちが俺を見る。
しかし俺の瞳は月本だけを映していた。その月本の口元が動く。声は聞こえずとも、何を言っているのか理解した。
『だめ』
首を横に振ったかと思うと、月本は中に入っていってしまった。というより、周囲の大人たちが慌てて中に入れさせた、というほうが正しい。
かちん、と脳内のスイッチがオンにされる。コップに少しずつ溜まっていた疑念という水が、それでついに溢れ出た。
考える前に、俺の足は全力でペダルを回して直進した。
「月本ぉー!!」
まだ入り口前に人が残っていたが、慌てて進路に入って止めに来た。
だがブレーキレバーなんて忘れてそこへ突っ込んだ。
「どけ!」
全く止まらない俺に、彼らはぶつかる直前で端に飛びのいた。正直ひいてしまってもおかしくない勢いだったから助かった。
入り口前で急ブレーキをかけて飛び降りる。勢いを殺し切れていない自転車は派手な音を立てて滑っていった。車輪がひしゃげてもおかしくない勢いだった。
「き、君! 待ちなさい!」
近くにいた一人の男性が焦った様子で声をかけてくる。だがそんなことは全く意識にも入らない。俺は目の前の入り口ドアを力任せに開けて中へ飛び込んだ。
「月本! どこだ!?」
俺の声がこだまする。エントランスホールらしきその空間は、左右対称のデザインが特徴的な吹き抜け構造だった。窓はほぼなく、椅子がいくつも規則正しく並べられているのが印象的だ。
左右には上階へ続く階段があり、目の前には黒い絨毯がまっすぐに敷かれている。それに導かれるように視線を向けると、遠くに走っていく月本たちが見えた。だがすぐに突き当りの曲がり角を曲がって見えなくなってしまった。
「月本!」
それを追って駆け出す。まばらに人もいたが、急に現れた俺に驚いたのか止めもされなかった。
荒々しい自分の足音がホールに響く。しかし少しもしないうちに、後ろから先ほどの大人たちが追ってくるのがわかった。
足を速めて月本たちが消えた角を曲がる。三十メートルほど先の突き当り。彼女はいた。
「月本! おい、待ってくれ!」
しかし、数人に守るように囲まれた月本はエレベーターに乗っていた。しかもちょうど閉まるところ。
俺が走り出したときにはもうその扉が閉じてしまった。
「クッソ!」
エレベーターにかけよったがもう遅い。だん、と拳が扉を叩く。
ディスプレイを見ると、下に向かっているようだ。ここは一階だ。地下があるのか? と疑問がよぎる。
「おい、君! 勝手に入ってきちゃダメだ!」
しかし、後ろから近づく声に思考が中断される。完全にハイになっている俺は、その声に従うなんて選択肢はみじんもなかった。まとまらない考えのまま逃げ道を探す。
ふと横を見ると、階段への入り口らしきものが見えた。俺は反射的にそこへ走り、下への階段へ足をかけた。
「っ……!」
一歩下へ踏み入れた瞬間だった。ぞくん、と悪寒が全身を走った。そして、下から冷たい風が吹きあがってくる。
悪い予感が頭をよぎる。だが、「来るな」と伝えた月本の顔が浮かんだ。
俺はしかと見ている。一瞬だけ、縋るような、悲しむような目をしたことを。
凶兆を踏みつぶすように、俺は次の一歩を踏み出して下へ駆け下りていった。