※この作品はR-18です。

霧の牢獄   作:宇藤百足

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◆登場人物


◇及川 蜜香(おいかわみつか)
 女性 15歳(1年生)
聖リトリス女学院の新入生。
てんかんの障害を持つが、同時に不思議な力を持っている。

◇矢ケ瀬 真理恵(やがせまりえ)
 女性 17歳(3年生)
聖リトリス女学院の新三年生。
二年間在籍し、学院での生活に適応している。

◇ハンナ
 女性 29歳(執行部)
黒衣を纏い白い半仮面をつけた金髪の修道女。
保健室の先生代わりに勤務している。

◇松部 順一(まつべじゅんいち)
 男性 33歳(用務員)
陽気な性格の中堅どころの用務員。


序章 入学式の日①

十五歳の少女、及川蜜香(おいかわみつか)は混乱していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

何もかもがぼやけかかった真っ白い空間。

 

ここがどこだかはわからない。

 

わからないが、今はそれどころではない状況らしかった。

 

 

『おら、根元までしっかりしゃぶれよ。』

 

 

どこからともなく伸びてきた野太い手に頭を鷲掴みにされると、

大きく反り返ったグロテスクな造形のモノを口に咥えさせられる。

 

不思議と苦しい、臭い、気持ち悪いといった感覚はなく、

ただ口の中にぼんやりとした異物感が入ってくるのを感じていた。

 

 

『へへへ、エロい腰つきしてんじゃねえか。

 下のお口もすぐにでけェのぶち込んで悦ばせてやっからな。』

 

 

誰かに奉仕させられるその背後から、また誰かの声。

 

直後、後ろからも股間の奥に大きな異物感が挿入され、

『ぱんぱん』という音と共に視界が前後へと揺さぶられ始める。

 

やはり痛いとか気持ちいいとかの直接的な感覚はない。

 

ただ自分が男たちに犯されているであろうことを認識できるだけだ。

 

 

『おっ、なんだ、可愛い子じゃん。』

 

『おいお前ら、さっさと代われよ。』

 

『もうケツ穴でもいいから早くやらせろって。』

 

 

周囲に立ち込める白に紛れて蜜香にはよくわからないが、

そこには無数の男たちの気配がひしめいている。

 

皆、蜜香に繋がるための順番待ちをしているのだ。

 

そんな絶望的な状況の中では、

蜜香の頭にも自然と諦めのスイッチが入る。

 

あとはもう、氾濫した川のようだった。

 

意気揚々と繋がってくる男たちは自分の体の中で何かをし、

満足して離れてゆく。

 

するとまたすぐに次の男が繋がってくる。

 

それは気が遠くなるほど延々と繰り返される。

 

 

そして――目が覚めた。

 

 

 

 

◆

 

 

 

 

(あー、夢だったっすか……)

 

 

枕に後頭部を沈めたまま、蜜香は目を開ける。

 

見覚えのない天井がそこにあった。

 

微かに鼻をつくのは何かの薬品や消毒液の匂い。

 

頭部の重みを感じつつ体を起こすと、

周囲には先程の夢を思わせる白い空間が広がっていた。

 

純白のカーテンがベッドを取り囲んでいるのだ。

 

 

(ここは病院?

 あ、いや違うっすね、保健室。

 そうだ、たぶん保健室っす。)

 

 

蜜香の脳は、まずここが保健室であることを認識する。

 

すると、それを足掛かりにして寝ぼけていた頭に記憶が蘇り始めた。

 

 

ここは魔都の名門。

 

深い霧と森に囲まれた全寮制の女子高――聖リトリス女学院。

 

自分はそこの新入生であり、入学式に参加していたはずだ。

 

だが、式の最中、壇上の進行役がとある恐ろしい話をし始める。

 

そのあまりの内容に周囲の女生徒たちが騒然とする中、

自分にはチリリと電気のようなものが走った。

 

記憶はそこでぷっつりと途切れている。

 

 

(えっ?

 私、一体どんだけ長いこと倒れてたっすか?

 “いつもなら数分で復帰できる”のに……)

 

 

自分が突然意識を失ったことに関しては、さほど気にしていない蜜香。

 

それもそのはず、この症状とはもう長い付き合いなのだから。

 

『てんかん』

 

それが蜜香を悩ませる症状の名前だった。

 

 

(やばいっす。

 入学初日からいきなり倒れるとは。

 今、何時っすかね?)

 

 

反射的にポケットに手を突っ込む。

 

だが、そこに使い慣れたスマホはない。

 

この学院には持ち込み禁止のため解約していたのを思い出す。

 

なら、室内に壁掛け時計でもあるのではなかろうか。

 

まずはベッドから降りてカーテンを開こう。

 

そう思い立った時だった。

 

 

「及川蜜香さん。

 お体の具合はいかがですか?」

 

 

その認識外の声は、すぐ傍らから響いた。

 

蜜香は小さく『うわっ!?』と声をあげる。

 

振り向いた先には黒衣の修道女が立っていた。

 

この聖リトリス女学院が宗教系の学校であることを踏まえても、

間近に見る修道女の存在感は妙に際立っている。

 

あらゆる光を通さない夜闇のような黒衣が、

そこに垂れる美しい金髪を浮き上がらせているかのよう。

 

そしてなにより異様なのが、顔の上半分を覆い隠す白い半仮面だ。

 

そんな半仮面の奥からは、

生気を感じさせない青い瞳が静かに蜜香を見下ろしていた。

 

 

「え……あ、えっ?」

 

 

何もいなかったはずの場所に、突如異様な存在が姿を現す。

 

先程の夢ではないが、あまりのことに認識がすぐについてこない。

 

蜜香は言葉をどもらせた。

 

 

「蜜香さん。

 貴方は入学式の最中にてんかんの発作を起こして倒れたのです。

 ここは執行部棟地下にある保健室、もう心配はいりませんよ。」

 

 

淡々と語られる抑揚のない言葉。

 

それは次第に蜜香を落ち着かせてゆく。

 

 

「あっ……

 は、はいっす、先生。」

 

「それと私は教師ではありません。

 執行部の所属で名はハンナと言います。」

 

「執行部?」

 

「この聖リトリス女学院には、蜜香さんたち女生徒の皆さんを

 リトリスの乙女として清く正しく育成するために

 数々の厳しい校則が存在します。」

 

「は、はぁ。」

 

「その規則の番人。

 それが我々執行部なのです。」

 

 

ハンナの言葉に気圧されるかのように、しばし蜜香は黙り込む。

 

この聖リトリス女学院は魔都という超巨大都市の中にありながら、

周囲を霧の大森林により隔絶された女子校ということもあり

外界では謎多き聖域として様々な噂が立っていた学校だ。

 

その謎のベールが今、次々とはがれてきている。

 

この執行部というどこか気味の悪い修道女の存在もそう。

 

入学式で新一年生たちを騒然とさせた内容もそう。

 

だが、そちらの内容については、

今ここでハンナに気軽に聞けるようなモノではなかった。

 

 

「あ、えと……

 ハンナさん、とお呼びすればいいっすか?」

 

「蜜香さん。

 ここでは教師を除く年上の男女に対しては、

 『お兄さま/お姉さま』と敬称を付けて呼ぶことになっています。」

 

「あっ、そうだったっす。

 魔都の女子校、独特の文化だったっすよね。

 ハ、ハンナお姉さま。」

 

「よろしい。

 最初の内は少し恥ずかしいと感じるかもしれませんが、

 ここでは皆そうですから、すぐに慣れますよ。」

 

「フ、フヒヒ……」

 

 

どうにか間をもたせようとしてか、

小者特有の卑屈そうな笑みを浮かべる蜜香。

 

これが彼女のスタンダードだった。

 

 

「じゃあ、あの……

 改めて、ハンナお姉さま。」

 

「なんでしょう、蜜香さん?」

 

「蜜香、入学式の途中で倒れてしまったわけっすけど……

 その、このあと、どうしたらいいっすか?

 というか蜜香は、一体どのくらいの時間、乙ってたんすか?」

 

「意識をなくしていたのは二時間少々です。」

 

「え゛!? そ、そんなに!?」

 

「いきなり慣れない環境に放り込まれたわけですから、

 自覚症状がなくともストレスなどたまっていたのかもしれませんね。」

 

 

普段は数分で回復する失神が

二時間も続いていたという事実に蜜香は驚愕する。

 

だが一方で自分がそれだけ異質な状況にいるのだという認識もある。

 

きっと、ここは今までの常識は通用しない場所なのだ。

 

蜜香はそう思うことにした。

 

 

「ところでどうです? 蜜香さん。

 もう動けますか?」

 

「大丈夫っすよ。」

 

「よろしい。

 他の皆さんは今、先輩方の先導で敷地内を回りながら、

 これから利用する施設の説明を受けているところです。」

 

「そこに合流っすか?」

 

「いえ、さすがに今から合流しても

 二時間分の遅れを取り戻すのは無理でしょう。

 別に案内役の先輩をつけますので、彼女と回ってもらいましょうか。」

 

「フ、フヒヒッ……

 お世話かけるっす。」

 

 

ハンナは内線電話でどこかに連絡をすると、

しばらく時間を置いて蜜香を保健室から連れ出す。

 

部屋を出て廊下を進み、階段を上って建物の玄関口に向かう途中、

蜜香はハンナと同じような格好の修道女数人とすれ違っていた。

 

黒衣に金髪、白の半仮面。

 

そんな特異なルックスをしていながら、

彼女たちには個性というものが全く感じられず、

ぱっと見では全員同一人物にすら見えてしまう。

 

だがなにより、

その闇に溶け込むかのような存在感が蜜香を不安にさせた。

 

 

「さあ、先輩はもうすぐ来るはずですから、

 執行部棟を出たところで待ちましょうか。」

 

「はいっす。」

 

 

二人が玄関口から執行部棟と呼ばれる建物を出ると、

そこには白い世界が辺り一面に広がる。

 

霧だ。

 

視界を覆い尽くす、霧、霧、霧。

 

そこはどこかで見たような真っ白い空間だった。

 

 

『おら、出すぞッ!』

 

 

不意にそんな声が聞こえたような気がして、

蜜香はビクリとしつつ振り返る。

 

建物を取り巻くように植えられた木々の下、

ぼやけかかった人影が二つ蠢いている。

 

男と女だ。

 

浅い呼吸を一つ、それから目を細める。

 

 

「――蜜香さん?」

 

 

そこに横から声が差し込まれた。

 

視線を戻すとハンナがこちらを向いている。

 

 

「そこは棟への出入りの邪魔になりますので、

 少し横によけましょうか。」

 

「あ、はいっす。」

 

 

ハンナの誘導に従い、執行部棟の出入り口から外れた場所に立つ。

 

再び先程の木を見やるが、そこにはもう人影などなかった。

 

 

(今のはたぶん本物じゃない。

 今日は、久々に“敏感”になってるみたいっすね。)

 

(それと……

 この建物を出た瞬間、急に“感覚が開いた”気がするっす。

 この執行部棟という建物は、一体……)

 

 

蜜香には一つ、人には言えない秘密がある。

 

生まれつきてんかんというペナルティを抱える一方で、

もう一つ、普通の人にはない特殊な能力を有しているのだ。

 

 

「ハンナお姉さま。

 来てくれる先輩というのは、二人っすか?」

 

 

先の見えない濃霧の中、蜜香は一方を見つめる。

 

まだ視界の届かない場所に蜜香の“もう一つの目”が何かを捉える。

 

二つの存在が歩行スピードと思しき速度で

建物に接近してくるのが“視”えていた。

 

 

「いいえ?」

 

「じゃあ、あれは違うっすかね。」

 

 

やがて霧の中からひげ面の中年男性が二人、姿を現す。

 

作業服に身を包んだ彼らは、この学院の用務員のようだ。

 

二人は帽子のつばをクイッとつまみあげ、こちらに挨拶をしてくる。

 

 

「ヒヒッ。

 こりゃ、執行部の姐さん、どうもどうも。」

 

「ご苦労様です。」

 

「……」

 

 

二人はハンナに挨拶をしているにもかかわらず、

視線はジロジロと蜜香ばかりを見てくる。

 

口元に浮かべた粘液質の笑みと舐め回すような視線。

 

ハンナとはまた違う意味で気味の悪い男たちだ。

 

 

「おや~?

 そっちの子は今年新しく入った子ですかい?」

 

「そうです。」

 

「へぇ、こりゃ可愛らしい。」

 

「フヒヒッ。

 ど、どうも……」

 

 

蜜香は引き気味の苦笑を漏らす。

 

視線が纏わりついてくるのだ。

 

それも顔や胸元、股間とわかりやすい場所ばかりに。

 

やがて男たちはハンナの反応を伺いつつ、蜜香に声もかけ始める。

 

 

「お嬢ちゃん、名前はなんて言うの?」

 

「お、及川っす。」

 

「下の名前は?」

 

「えと、蜜香っす。」

 

「蜜香ちゃんはなんで一人でこんなところにいるの?

 他の皆は学院内の見学ツアー中でしょ?」

 

「え、あー……

 入学式でちょっとトラブルがありまして。」

 

「ねえねえ、蜜香ちゃん。」

 

「な、なんすか?」

 

「蜜香ちゃんは――」

 

『どんな体位でおちんぽぶち込まれるのが好きなんだい?』

 

 

ヒッと呼吸が止まる。

 

その声を“どちらの耳”が聞き取ったのか。

 

蜜香の脳は瞬時にそれを探りに行く。

 

 

「――いえ、私とではありません。

 彼女には他の三年生を付けて回らせることになっています。」

 

「へぇ~?」

 

 

蜜香の代わりにハンナが返した答えは、

先程かけられた言葉とはまるでちぐはぐだ。

 

そして、会話はそのまま滞ることなく続けられる。

 

ならば、蜜香はこれが“もう一つの耳”が聞き取った声、

即ち彼らの心の声であり、現実に発された声でないことを理解する。

 

 

(今のは現実ではなかったみたいっすね。

 とはいえ、ここの住人たちは一体……)

 

 

やがて、話もそこそこにハンナが二人を追い払うと、

場には再び静寂が戻る。

 

無意識のうちに浅くなっていた呼吸。

 

それを元に戻すため、蜜香は大きなため息をつく。

 

だが、二頭の肉食獣と間近で向かい合っていたような

プレッシャーはなかなか消えない。

 

もし今、この場にハンナという保護者がいなかったなら、

自分一人だったなら、一体どうなっていたのだろう。

 

蜜香の頭はそんなことを考えてしまうのだ。

 

震える手がハンナの袖を掴んでいた。

 

 

「クス……

 “今日は”大丈夫ですよ。」

 

 

そんな蜜香に対し、ハンナはそう囁く。

 

その言葉は蜜香を気遣っているようでもあり、

どこか不安を煽っているようでもあった。

 

 

「あっ。」

 

 

しばらくすると、また蜜香の“目”が霧の中に見えない何かを捉える。

 

一つ――いや、また二つの存在感。

 

 

「や、また二人か。

 これも違う人そうっすね。」

 

「いえ、来たようです。」

 

 

そう言うや、霧の中から一人の女生徒が姿を現した。

 

まだ子供っぽさの残る蜜香とは対照的に

大人っぽい色気を感じさせる肉付きの良い肢体。

 

その挑発的な眼差しは盲目の愚者にも全能の知者にも見え、

はっきりとした印象を掴ませてくれない。

 

そんな女生徒だ。

 

 

「お待たせしました、ハンナお姉さま。」

 

「大変な時期に申し訳ないですね。

 よく来てくださいました、真理恵さん。」

 

(あれ?

 二人だと思ったのに……)

 

 

目の前で挨拶を交わし合うハンナと女生徒に、

蜜香はあの卑屈な笑みを浮かべつつ、まずは会釈する。

 

すると、何か見定めるような女生徒の視線が蜜香を捉えた。

 

 

「その子を案内すればいいのですか?」

 

「ええ、そうなります。

 こちら、新一年生の及川蜜香さん。

 入学式の最中にてんかんの発作で倒れてしまいまして。」

 

「なるほど?

 では、今から私と補習コースということですね?」

 

「そうなります。」

 

「フヒヒ……

 初めまして、お姉さま。

 及川蜜香っす、本日はよろしくお願いします。」

 

「矢ケ瀬真理恵(やがせまりえ)よ。

 今年度から三年生になるわ。

 よろしくね。」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「フヒッ。」

 

 

下からごまをすりに行くような視線で真理恵を見上げる

 

蜜香の目に真理恵は自分より強い存在だと映ったようだった。

 

 

「では蜜香さん?

 真理恵さんの言うことをよく聞いて、

 しっかり学院敷地内を見て回って来てくださいね?」

 

「はいっす。」

 

 

そう残してハンナは建物の中へと消えてゆく。

 

すると、真理恵の見定める視線は不意にその色を強める。

 

蜜香は理由がわからず困ったように目を泳がせた。

 

 

「蜜香、だっけ?」

 

「は、はい、お姉さま……」

 

「……」

 

 

沈黙。

 

ハンナから現場指揮権を譲り受けた真理恵がなかなか動こうとしない。

 

ただジッと蜜香を見つめたままだ。

 

しかも、その表情からは感情が全く読み取れない。

 

蜜香は例の“目”の力もあり、

相手のご機嫌を伺う力は相当なレベルのものを持っている。

 

にもかかわらず、

何故か蜜香には真理恵の感情が濁ったように視えないのだ。

 

ハンナや先程の男たちと違い、

真理恵からは得体の知れない恐ろしさはそこまで感じない。

 

だが、同じくらい厄介な存在のように思えた。

 

 

「……」

 

「え、え?

 あ、あの?」

 

 

気が付くと真理恵の顔がすぐ目の前にあった。

 

ふわりと唇が触れ合う感触。

 

キスをされたことに気づくまで丸一秒かかる。

 

 

「うふふ……

 蜜香、可愛い子ね。

 仔猫に欲しいわ❤」

 

 

『仔猫』

 

これも魔都の女子校発祥の文化であり、

レズビアンの関係において上下関係がある場合、

この目下の者を指す言葉だ。

 

一人の上級生が複数の下級生たちを

仔猫として飼っているなどという関係も

魔都の一般的な女子校であれば珍しくない。

 

 

「フッ、フヒッ……」

 

 

さすがの蜜香も困惑気味だった。

 

いうなれば“金魚の糞”タイプである蜜香にとって、

力ある者の傘下に取り込まれるのは願ってもないことだ。

 

そういう意味では最上級生である真梨香は

まさにうってつけの存在と言える。

 

だが同じ傘下でも女子グループとレズビアンとは似て非なるもの。

 

未知の領域に踏み込むのに、どうしても躊躇してしまうのだ。

 

 

「ねえ、どうかしら? 蜜香。

 私の仔猫にならない?」

 

「フヒッ……」

 

 

もし相手が引き気味なら『冗談よ』と素直に下がってもいい場面。

 

だが、真理恵は詰めてくる。

 

案内役を任された自分に圧倒的な権力があることを、

蜜香が逃げられないことを承知の上で、詰めてくる。

 

有無を言わせない空気が漂った。

 

 

「黙ってたら引っ込めるとでも思った?

 私、欲しいものは絶対に手に入れないと気が済まない性格なの。」

 

 

それは女子校の洗礼なのか。

 

真理恵は蜜香が折れるまで容赦なくプレッシャーをかけ続ける。

 

間近で見つめ合ったまま、時間だけが流れてゆく。

 

それは敗北を宣言しない限り、決して終わることのないゲーム。

 

 

「フヘ……」

 

 

蜜香は小者だ。

 

この圧を跳ね返すだけの気概など持ち合わせてはいない。

 

所詮、これは見えていた勝負だった。

 

 

「その、蜜香も……

 お姉さまのもとで色々あれこれ教えてもらいたいっす。」

 

「よろしい❤」

 

 

真理恵は蜜香の両肩を掴むと、二度目のキスをする。

 

それを少し戸惑いながらも受け入れる蜜香を、

真理恵の纏う甘い香りが包み込んだ。

 

 

「さて。

 ハンナお姉さまに怒られるのも嫌だし、

 いい加減見学ツアーに出発しましょうか、蜜香。」

 

「フヒッ……

 はい、お姉さま❤」

 

 

こうして漸く歩き出す真理恵にひょこひょこと蜜香は続いた。

 

 

「今いるここは『学院エリア』っていうの。

 聖リトリス女学院の敷地中央にあるエリアね。

 校舎に校庭、旧体育館、それに執行部棟なんかがあるわ。」

 

「執行部棟は今のところっすね。

 あれ、プールなんかはないんすか?」

 

「プールもあるけど、こっちのは今はもう使われてないの。

 今日入学式をした場所が新しい体育館なんだけど、

 そこに大きな室内プールがあるわ。」

 

 

霧に包まれた世界を真理恵はスイスイと進んでゆく。

 

校庭を横に見るように旧体育館の脇を通り、

校舎の昇降口で上履きに履き替えると今度は屋内の廊下へと抜けてゆく。

 

 

「蜜香は一年何組?」

 

「Hっす。」

 

「なら、こっちね。」

 

「……」

 

「ん、どうしたの?」

 

 

ふと足を止める蜜香。

 

その視線は窓の外を見ていた。

 

先程、執行部棟の時もそうだったが、

視界がクリアな屋内から見る屋外はまるで白い壁だ。

 

ここと同じ魔都内に十五年暮らしてきた蜜香だが改めて痛感させられる。

 

こんな濃い霧は見たことがない、と。

 

 

「お姉さま。

 この霧って、いつもこんななんすか?」

 

「あー、なるほどね。

 その質問の答えはYESよ。

 多少霧が薄くなる日はあっても、晴れる日はないわ。」

 

「なんか、霧の中に閉じ込められてるみたいっすね。」

 

「そうね、だから――『霧の牢獄』。

 この聖リトリス女学院はそんな風にも呼ばれているわ。」

 

「ろ、牢獄っすか……」

 

「ええ、牢獄。

 はっきり言ってキツイわよ。

 ここで“生きていく”のは。」

 

 

明らかに強調されたイントネーションで放たれた

“生きていく”という言葉に蜜香は顔をしかめる。

 

得体の知れない嫌な予感が背筋をぞわりと撫でた。

 

 

「フヒッ。

 そ、そんなまるで……

 一つ間違えたら死ぬかのような言い方しなくても。」

 

「それがね。

 死ぬ子は死ぬのよ。」

 

「エッ?

 な、なんか、あれっすよね?

 蜜香を驚かそうとしてるだけっすよね?」

 

「そう聞こえる?」

 

「フ、フヒッ……」

 

 

真理恵がまた先を歩き出す。

 

一つゴクリと喉を鳴らし、蜜香もそれに続いた。

 

すると校舎内をゆく道すがら、

蜜香は信じられない数の用務員たちとすれ違う。

 

彼らは清掃作業中らしかったが、

二人とすれ違うとニタニタしながらいやらしい視線を送ってくる。

 

階段を上る時には、下からスカートの中を覗こうとする輩までいる。

 

そんな中、蜜香はスカートを手で押さえつつ二階にやってきた。

 

真理恵は一年生教室の立ち並ぶ左側へと曲がるが、

蜜香は何故か行き止まりに教室一つとトイレがあるだけの右側へと足を向けていた。

 

 

――パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤

   パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤

    パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤ パンッ❤ 

 

 

トイレの中から聞こえてくる音に息を飲む。

 

人の肌と肌がぶつかり合う音だ。

 

それが複数、響いている。

 

 

「……」

 

 

『好奇心は猫を殺す』

 

そんな言葉が脳裏をよぎるも、足は自然とそちらへと向いた。

 

 

「あー、そっか。

 トイレを忘れていたわ。」

 

 

だが、そこに真理恵が引き返してきた。

 

蜜香の前を横切るとトイレの入り口で立ち止まる。

 

 

「ここがトイレ。

 どうやら清掃はもう終わっているようね。」

 

 

真理恵が徐に扉を開くが、そこには誰もおらず。

 

ただ女子トイレの風景があるだけだ。

 

 

(また、か。)

 

(今日はなんだか、むっちゃ多いっすね。

 こんなに敏感になるなんて、いつもはないのに。)

 

「ちなみに一つ言っておくと。

 トイレは五時限目の後の休み時間に

 さっと済ませておくことをオススメするわ。」

 

「えっ?」

 

「帰りのHRのあとだと、

 そんなことしてる余裕がないこともあるから。」

 

 

思わせぶりな言葉を残すと真理恵は蜜香を連れて

改めて一年H組の教室へとやってくる。

 

どこにでもあるような教室だった。

 

 

「ここが一年H組よ。

 蜜香は今年はここで学ぶことになるわね。」

 

「……」

 

「あー、懐かしいわ。

 私は一年の時はG組で、この隣だったのよね。」

 

「ところで……

 あの、お姉さま?」

 

「なに?」

 

「その……」

 

 

声をかけたはいいものの、何やら言い出しづらそうな蜜香。

 

それを真理恵は見透かしたような眼差しで眺めている。

 

蜜香が口に出したがっていること。

 

それは入学式の時に周囲の女生徒たちを騒然とさせた――あの話題だ。

 

その時にはっきりと言われて答えがわかっている上に、

ここに来る途中でも度重なる幻視・幻聴がそれを後押ししている。

 

ここで改めて聞けば間違いなくダメージを受ける話題だが、

聞かないままいれば致命的な結果をもたらすかもしれない。

 

そんな内容だった。

 

 

「えと、すね……」

 

 

いつまでもどもっている蜜香に近寄ると、

真理恵は先程詰めた時と同じように顔を覗き込んだ。

 

 

「蜜香。」

 

「は、はい、お姉さま。」

 

「そう。

 私は貴方の“お姉さま”なのよ?

 なんでも打ち明ければいいし、相談すればいいわ。」

 

「は、はい、ありがとっす。」

 

「よろしい。

 で、なにかしら?」

 

「その……」

 

 

今度はそこで言葉を詰まらせることはしない。

 

勇気を出して最後まで言い切った。

 

 

「お、『おつとめ』って、なんっすか?」

 

 

真理恵はクスッと笑うと、横にあった机に腰を下ろした。

 

色っぽく足を組むと、その上に頬杖をつく。

 

 

「やっぱり、それか。

 もっと早く聞いてくると思ったわ?

 蜜香たち新一年生にとっては一番気がかりな問題だからね。」

 

 

『おつとめ』

 

先程、入学式の壇上で語られたそれは、

聖リトリス女学院における校則の中核に位置する要素であり、

常識的には到底あり得ない内容の奉仕活動だ。

 

 

まず、この聖リトリス女学院はリトリス教系の宗教学校だ。

 

リトリスとは太古の昔に無実の罪で処刑された西洋の聖人の名であり、

これを神として崇拝するのがリトリス教。

 

魔都にも多くの信者を持つ世界最大規模の宗教だ。

 

『天なるリトリスに仕えしリトリスの乙女たちは、

 無償の愛で迷える者たちを救い、導かねばならない。』

 

聖リトリス女学院では、このような教えを掲げている。

 

そして、それが何をどう解釈したらそうなるのか。

 

在籍する全女生徒は平日の放課後時間になると

異性への性奉仕活動を義務付けられる。

 

それが、おつとめだった。

 

 

「入学式では『性奉仕活動』って言ってたっすけど……

 実際、どうなんすか?

 どこまでやるもんなんすか?」

 

「男から望まれる性的なこと、全てよ。

 ええ、一から十まで全部。」

 

「う……

 それって、もしかしなくても、用務員の人たちとっすか?」

 

「そういうこと。

 お兄さまやおじさま方と踊るの。

 蜜香は、今まで男とのダンス経験は? ないわよね?」

 

「魔都でいう『ダンス』。

 それって要は性行為のことっすよね?

 なら、女の子同士で踊ったことすらないっすよ。」

 

「ま、当然か。

 でも、ここに在籍する以上、どうしても避けては通れない。

 どう付き合っていくかを考えないと、最悪の場合――“最悪”よ。」

 

 

『最悪』

 

その言葉の意味を考えるのが蜜香には恐ろしい。

 

だが、既に答えをチラつかされているのだ。

 

ここまで突っ込んでおいて避けるわけにもいかなかった。

 

 

「さっきお姉さまが言ってた『死ぬ子は死ぬ』って。

 そういうことっすか?」

 

「毎年ね、何人か出ちゃうのよ。

 度重なる凌辱や仲間の裏切りに耐えかねて自ら死を選ぶ子や……

 学院からの脱走を試みて殺される子。」

 

「脱走?

 霧の森を抜けて街に逃げ帰ろうってんすか?」

 

「あとで門の前まで連れて行ってあげるけど……

 学院の門から脱走した子は、まず生きては帰れないわ。

 自殺するよりも遥かに恐ろしい死を迎えることになる。」

 

「……」

 

「執行部のお姉さま方の手によってね。」

 

「執行部。

 ハンナお姉さまたちっすか。

 じゃあ『規則の番人』っていうのは……」

 

「規則を破った者に厳しい罰を与えるのが執行部。

 だから、彼女たちは“死神”なんて呼ばれてるのよ。

 ろくなもんじゃないわ。」

 

 

耐えがたい重圧に負けるように視線を落とす。

 

先程ハンナに感じた得体の知れない恐怖。

 

その正体に蜜香は行きつく。

 

 

「や、やべーっすね……」

 

 

執行部棟前で一度外しているとはいえ、

蜜香は自分の勘の良さには絶対の信頼を置いている。

 

その勘が何故か執行部棟の中では発揮されなかった。

 

恐らくは自らそこにある深い闇を見抜くことを拒んだのだろう。

 

 

「ただね。

 おつとめには幾つか対処方法があるの。」

 

 

真理恵の話は続いていた。

 

蜜香も顔を上げる。

 

 

「え、あるんすか? そんなの。」

 

「ええ、あるわ。

 まず一つ目は、逃げること。」

 

「え、でも。

 さっき“避けては通れない”って……」

 

「一応ね、逃げようと思えば逃げられるのよ。

 おつとめってね、頼まれなければする必要はないの。

 だからまずは単純明快、“頼まれる前に逃げる”よ。」

 

「……へ?」

 

 

放課後は性奉仕カリキュラムとして

拘束されるとばかり思っていた蜜香はぽかんと口を開ける。

 

真理恵の話によればこうだった。

 

学校のある日は十五時ニ十分に帰りのHR終了でチャイムが鳴り響き、

その二十分後にもう一度『獣のチャイム』と呼ばれるチャイムが鳴る。

 

この獣のチャイムまで、

おつとめの相手となる用務員たちは

自分たちの居住エリアから出ることができない。

 

そのため、その二十分間の間に

彼らの入れない女子寮エリアまで下校してしまえば、

おつとめをさせられる心配はないのだという。

 

 

「え、じゃあ……

 相当なことがない限り逃げられるってことっすか?」

 

「それが、あまり油断はできないのよね。

 帰りのHRが時間通り終わるとは限らないし、

 HR後に先生から何か言いつけられたら、終わるまで離れられないから。」

 

「そういう場合って、どうするんすか?」

 

「運を天に任せてまずは校舎を出ること。

 そこまでいけたなら、今度は霧が守ってくれるわ。」

 

「霧に紛れて逃げるってことっすか。

 ちなみに、その前に用務員の人に見つかった場合って……」

 

「声をかけられたらアウト。

 もしそうなったら、おつとめを頼まれるにしろ、そうでないにしろ、

 リトリスの乙女として誠心誠意向かい合わなくてはならないわ。」

 

「それも、校則?」

 

「もちろん。

 さっきも言った通り、校則違反は最悪の場合――“最悪”よ。」

 

「……」

 

「で、次の方法だけど……」

 

 

真理恵がそう切り出した二つ目の対処法。

 

それを聞いて蜜香は最大級の呆れ笑いを漏らさずにはいられなかった。

 

それは考えうる最も身もふたもない答えだったのだ。

 

 

「……早く慣れること。

 いえ、それよりも愉しむこと。」

 

「……へ?」

 

「なんでやねん、と思うかもしれないけど、

 この方法を取れるだけの適応力や胆力があるなら、とても有効なのよ。」

 

「いや、でも……」

 

「だって。

 男相手にお尻を振って踊るのが愉しいって子なら……

 おつとめなんて気持ちいいだけ、辛くもなんともないもの。」

 

「は、はぁ……」

 

「あとは応用テクニックとして……

 特定のお兄さまと恋仲になっちゃうのもアリね。」

 

「えっ。

 つきあうってことっすか?」

 

「特定の相手に独占してもらえば不特定多数とのおつとめはなくなるわ。

 踊ることは踊るけど、仲のいい相手となら気分的にも楽でしょ?」

 

「そういう人って、多いんすか?」

 

「結構いるわよ。

 これもあとで連れていくかもだけど、ラブホみたいな施設があるから。

 そこで仲良くイチャイチャしてる子はしてるわね。」

 

「それは……

 たしかに“最悪”よりは、だいぶましかもっすね。」

 

「用務員の人も色々いるからね。

 特に若いお兄さまなんかだと、恋仲を求めてくる人も結構いるの。

 その手合いはうまく転がしてあげれば、大切にしてくれるわよ?」

 

「ふむ……」

 

「まぁ、とある理由があって、

 必ず卒業までの期間限定になっちゃうんだけどね。」

 

 

そこで真理恵は机からピョンッと降りる。

 

スカートのすそをパンパンと手ではらうと、

蜜香を振り向くことなく教室の出口へと向かう。

 

 

「で、最後の三つ目なんだけど、

 それは女子寮の部屋についたら話すわ。

 蜜香、今モノを持っていないようだから。」

 

「え?

 あ、はいっす。」

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