※この作品はR-18です。

霧の牢獄   作:宇藤百足

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◇宇津 友奈(うづゆうな)
 女性 15歳(一年生)
海里の取り巻きの一人。
目立ちたい願望が強い。

◇遠藤 海里(えんどうかいり)
 女性 16歳(1年生)
生真面目な優等生。
一つの女子グループの中心的人物。

◇柘植 礼一(つげれいいち)
 教師 25歳(教師)
三年生を教えている若手教師。



宇津友奈①

 

聖リトリス女学院の春。

 

由緒ある学び舎で始まる新たな一年に胸を躍らせ、

多くの新入生たちがやってくる季節。

 

だが、そこで待ち受けるのは“おつとめ”を始めとした

目も背けたくなるような霧の牢獄の真実。

 

逃げ場のない絶望だけがそこにあった。

 

不安と恐怖に浮足立った女生徒たちは、

草食獣たちが群れるように互いに寄り添い、少しでも身を守ろうとする。

 

新一年生の宇津友奈(うづゆうな)も、またそんな群れの中にいた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

◆

 

 

 

 

昼休み、一年A組の教室。

 

そこには幾つかの女子グループがそれぞれ輪を作り、

互いに身を寄せ合うようにほそぼそと食事をしている。

 

どこも活気はない。

 

当然だ。

 

今の彼女たちには明るい話題などあるはずもないのだから。

 

 

「――宇津さんはどう思いますか?」

 

 

不意に閉ざしていた意識の隙間に割り込んでくる言葉。

 

そこに自分の名前が含まれていることに気づき、友奈はハッと顔を上げる。

 

 

「えっ……あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた。」

 

 

こんな状況だ。

 

皆、何かしら精神に大きな負荷を抱えている。

 

だから友奈の反応に誰もが同情的な視線を向けた。

 

 

「……大丈夫、ですか?」

 

 

輪の中心から友奈を覗き込んできたのは、遠藤海里(えんどうかいり)。

 

 

【挿絵表示】

 

 

この群れのボスである彼女のことを一言で説明しようとするなら、

『生真面目な委員長』タイプの女生徒だろう。

 

その高い学力に裏打ちされた的確な判断力や、

どんなクラスメートも等しく扱う公平さ。

 

そうした特徴が自然と人格者としてのオーラを醸し出し、

そんな強い彼女を中心に弱い者が集まる。

 

それがこの群れだった。

 

 

「う、うん、大丈夫……大丈夫。

 で、ごめん、何の話、だっけ?」

 

 

そんな海里のことを、友奈は好いてもいたし、同時に嫌ってもいた。

 

誰もが不安に押し潰されそうな状況の中、

海里は一緒にいるだけで一定の安心を与えてくれる貴重な存在。

 

だが、友奈はその立ち位置が自分でないことが気に入らない。

 

友奈は小中学生の頃から“ひと際目立つ誰か”の取り巻きだった。

 

何かに秀で、輪の中心に立つ“選ばれし者”に羨望の眼差しを向ける、その他大勢の一人。

 

今回、名門校への進学という新たな環境に心機一転を狙ったものの、

恐ろしい霧の牢獄のあれやこれやに足元を掬われて、失敗。

 

結局は遠藤海里の取り巻きに甘んじている。

 

それが今の彼女だった。

 

 

「――聖水のことです。

 宇津さんもやはりあれは麻薬の一種だと思いますか?」

 

「あ、うん。そうだね。そう思う。

 ひと吹きするだけで人格が変わっちゃうなんて、絶対おかしいし……」

 

 

溜息をつきながら返事を返す。

 

それはもう何度も話し合ってきた、答えの出ない議題だった。

 

聖水は『使用者の精神に深刻な影響を及ぼす』ということ以外は

何もわからない謎の薬品だからだ。

 

だが、何故か誰もがその議論をやめようとしない。

 

心をがんじがらめにする不安がそうさせているのだ。

 

 

「ですよね。

 誰か、そのあたりの詳しい話をお姉さま方に聞いた人などはいませんか?」

 

 

また海里が話を振り、輪の仲間たちがああでもないこうでもないと話し始める。

 

霧の牢獄に囚われているという精神的な閉塞感に感じてしまう息苦しさ。

 

友奈はふと視界を輪の中から逃がすように遠くへとやる。

 

すると――

 

 

「――!」

 

 

昼休みの終了を告げるチャイムと共に教室の外――廊下を映す瞳が大きく見開かれた。

 

 

 

 

◆

 

 

 

 

その翌日、昼休み。

 

友奈は少々意外な場所に足を運んでいた。

 

 

「――失礼します。」

 

 

職員室。

 

聖リトリス女学院の職員室は、特に一年生にとって

普通の学校以上に“用事がないとまず訪れることのない場所”だ。

 

獣のチャイムという絶対的なタイムリミットがある状況において、

教師は気まぐれ一つで帰りの時間を遅らせることができる存在。

 

それは下手に刺激すれば命取りとなる威圧的な存在に他ならないからだ。

 

だからこそ、女生徒たちは恐れを抱き、距離を取ろうとする。

 

そんな教師の巣窟とも言えるこの部屋に、友奈はやって来た。

 

そこにはやはり相応の理由があった。

 

 

「お、宇津か。なんだ、どうかしたか?」

 

 

声をかけてくるのは、顔見知りの数学教師だった。

 

比較的話しやすい相手であることに内心ほっと胸をなでおろすと――

 

 

「あ、あの……えと……

 この学校に柘植礼一(つげれいいち)という名前の先生って、いたりしませんか?」

 

 

友奈はそう答えた。

 

 

「えっ? 柘植先生?

 今は三年生を教えてる先生だが、何か用でもあるのか?」

 

「あ、はい……ちょっと、その……」

 

「ふむ……

 おーい、柘植先生!

 一年生の生徒が会いに来ていますよ!」

 

 

数学教師が声を上げると、すぐに一人の若い教師が姿を現す。

 

そして――友奈を見るなりギョッとした顔をしたのだった。

 

 

 

 

◆

 

 

 

 

その日の放課後。

 

帰りのHRが終わった仲間の一年生女子たちが

おつとめから逃れようと脱兎の如く校舎を飛び出してゆく中、

友奈は一人足早に屋上へと向かっていた。

 

一瞬でひと気のなくなった校舎内の空気は妙に冷たく、

歩を進める足に奇妙な緊張感を貼りつかせる。

 

不安と期待。

 

友奈はその両方を感じながら、屋上の扉を開け放つ。

 

すると、そこには既に先客の姿。

 

 

「――来たか。」

 

 

どこか感情の読めない低い声。

 

柘植礼一がゆっくりと振り向くと、そこに視線が絡み合う。

 

友奈は探りを入れるように口を開いた。

 

 

「えっと……柘植先生って呼べばいい?」

 

「人前では、な?」

 

「じゃあ、なんて呼ぶのよ……『叔父さん』とでも呼ぶ?」

 

「おいおい、つれないなあ、友奈。

 また昔みたいに『礼一くん』って呼んでくれよ。」

 

「ハァ? あたし、もう幼姫じゃないんだけど?」

 

「俺からしたら似たようなモノだ。」

 

「ふん、だ。」

 

 

一度話が始まれば、それは一気に進んだ。

 

礼一の方にまだ幾らか“含み”はあるものの、

二人の間に旧知の関係特有の気安さが交わされる。

 

 

「にしても、まさかリト女の教師になってたなんてね。

 礼一くんが二年前に急に行方不明になって……

 お母さんたち、すっごい心配してたんだよ?」

 

「ま、ここには誰にも言わずに就職したからな。

 姉さんはどうだ? 元気にしているか?」

 

「まあ、あたしを意気揚々とこんな学校に入れるくらいには、ね?」

 

 

そう。

 

この礼一は歳こそだいぶ離れているものの、友奈の母の弟。

 

即ち、二人は叔父と姪の関係だった。

 

 

「そうか。」

 

 

さして興味なさそうな声。

 

友奈は未だ距離感を掴みかねていた。

 

 

「ね、ところでさ、礼一くん。

 帰りは、ちゃんと寮まで送って行ってくれるんだよね?」

 

「ああ、そういう約束だろう?

 可愛い姪に、どこの馬の骨とも知らない男の下で尻を振らせるのも――忍びないしな?」

 

「……っ!」

 

 

返って来た答えに、ボッと頬が赤く染まる。

 

そこには羞恥と共に沸々とした苛立ちが込められていた。

 

 

「――なんか、ずいぶんと感じが変わったね? 礼一くん。」

 

「そりゃ、こんな甘美な状況に二年もいれば、人は変わりもするさ。」

 

 

だが、そんな苛立ちも礼一には届いていないようだった。

 

冷ややかな返事を返すその顔はどこか楽しげですらある。

 

 

――キィ~ンコォ~ン……キィ~ンコォ~ン……

 

 

そこで突然鳴り響いたのは、おつとめの解禁を告げる獣のチャイムだ。

 

本能的に身震いをする友奈の姿に、礼一は一つ舌なめずりをした。

 

 

「フフ、怖いのか? 友奈。」

 

 

俯いて黙り込む友奈は、その手首を掴まれフェンス際まで引っ張られてゆく。

 

すると、そこからは霧の向こうに校庭や校門の様子がよく見渡せた。

 

 

「ほら見てみろ、友奈。

 一斉に動き出した用務員どもの様子が、ここからだとよく見えるだろう?」

 

「……」

 

「多くは逃げた一年生狙いで北の遊歩道エリアへと抜けていくが、

 そうでない連中は校門から入ってきている。

 わかるか? 奴らは聖水組の二~三年生狙いだ。」

 

 

礼一は友奈の肩に顎を乗せ、同じ視点から眼下の様子を眺める。

 

時折頬ずりをし、クックッと笑いながら語る姿は、

仕留めた獲物をいたぶる捕食者のそれに近い。

 

 

「ほら、さっそく捕まえて声をかけているだろう?

 すると聖水組の連中は疑問すら抱かずOKする。

 用務員どもの要求をそのまま受け入れるんだ。」

 

「う……」

 

「するとどうなる?

 そうだ……ここ学院エリアも、すぐにあちこちで悍ましい交尾が始まる。

 狂おしい熱を帯びた牡たちの欲望でそこらじゅう溢れかえるんだ――!」

 

 

そんな最後の一言と共に耳元で聞こえた吐息の熱さ。

 

それに思わずビクリと背筋を伸ばした友奈は、慌てて礼一の胸を押した。

 

 

「や、やめてよ……!

 あたし、本気で怖がってるんだよ!?」

 

「フフ、そういうがな、友奈。

 お前は、なぜこの状況を――用務員どもを『怖い』と感じているのか、

 それをわかっていないだろう?」

 

 

友奈は眉を細めた。

 

 

「それはな。お前が“持たざる者”だからだ。友奈。」

 

「どういうことよ?」

 

「わからないのか?」

 

「わからないから聞いてるんでしょう!?」

 

 

二人がしばし無言で睨み合っていると、不意に屋上の扉が開かれる。

 

見れば、それは三年生の女生徒を連れた用務員だった。

 

礼一はフンと鼻を鳴らすと、こう言い放つ。

 

 

「あー……すみませんが、今日はここは貸し切りです。

 おつとめなら他を当たってもらえますか?」

 

 

この聖リトリス女学院において、教師は自分たちより力関係が下の用務員たちを

“無能で下衆な連中”と見下しており、両者の関係は良好とは言えない。

 

だから、この邂逅も用務員の苛立たし気な舌打ち一つで幕を閉じた。

 

こうして再び階段へと消えてゆく足音を見送ると、礼一は友奈に向き直る。

 

 

「友奈、これがこの学院における教師の力だ。

 もしお前にもこの力があれば、用務員どもなど怖くないとは思わないか?」

 

「そ、それは……そうだけど……

 でも、そんなこと、できるの?」

 

「それが、できるんだよ。

 聞いてないか? 黒いラインの名札の話を……」

 

「あっ。」

 

「これを持つ女生徒には、用務員どもはおつとめを頼めない。」

 

 

ここでは電子マネーや寮の自室の鍵としても使われる、女生徒たちの名札。

 

これには一年生が赤、二年生が緑、三年生が青の三色の他、

おつとめ拒否が許される特権カラーとして黒と金のラインのものが存在する。

 

『妊娠中』を意味する金と、『教師の恋人』を意味する――黒だ。

 

 

「わかるか? 友奈。

 もしお前がその気になりさえすれば、

 俺はお前を守ってやることもできるんだ。」

 

 

両手を広げ、ゆっくりと友奈を抱き寄せる。

 

催眠術の呪文のように耳元で繰り返し名前を呼び、言葉を脳に染みわたらせてゆく。

 

 

「――友奈? なあ友奈?

 もう“持たざる者”は脱却しろ、今こそ“選ばれし者”になれ。

 黒いラインの名札を持つ女生徒は特権階級だぞ?」

 

 

その仕草はどこか、大きな蜘蛛が罠にかかった獲物を

ネバついた糸で雁字搦めにしてゆく様に似ていた。

 

 

「と、特権階級……」

 

「お前の手の中だけにある権利を仲間の誰もが羨む。

 そんな存在に、お前はなりたいんじゃないのか? 友奈。」

 

「あ、あたし……は……」

 

「いいか? よ~く想像してみるんだ、友奈。

 いつ捕まるかわからないおつとめの恐怖に怯える大勢の仲間たちを、

 お前一人だけが安全な場所から見下ろすことができるんだぞ?」

 

「うぅ……」

 

「ただこの体を俺に委ねればいい。

 たったそれだけで手に入るんだ。

 自分がどうすべきかはわかっているよな? 友奈。」

 

 

耳元で重ねられるのは甘美な誘惑の言葉たち。

 

一つ名を呼ばれるたびに、成す術なく傾いてゆく心。

 

 

――おつとめの恐怖から逃れたい。

 

――遠藤海里より上に立ちたい。

 

――仲間たちの羨望の視線を独り占めしたい。

 

 

今なら、そんな切実な願望が叶う。

 

ただ、覚悟を決めて目の前の男に『YES』と返すだけでいい。

 

そう考えると、友奈の肉体から変な力みが抜けてゆくような感じがした。

 

 

「……わかった、よ……」

 

 

ついにそう答えた震える唇を、すぐに貪るようなキスが塞ぐのだった。

 

 

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