◇遠藤 海里(えんどうかいり)
女性 16歳(1年生)
今回の主人公。生真面目な優等生。一つの女子グループを形成する中心的人物。
◇宇津 友奈(うづゆうな)
女性 15歳(一年生)
海里のグループの女子の一人。最近、教師の礼一により黒い名札の庇護を与えられたことでおつとめの恐怖から逃れることに成功。自分は特別な存在だと増長し、性格が歪んでしまった。
◇柘植 礼一(つげれいいち)
教師 25歳(教師)
友奈の叔父(友奈の母の弟)にあたる。現世では2年前に失踪している。
◇奥井 雄星(おくいゆうせい)
男性 34歳(用務員)
鍛えこまれた肉体を持つ中堅の用務員。
聖リトリス女学院の春。
由緒ある学び舎で始まる新たな一年に胸を躍らせ、
多くの新入生たちがやってくる季節。
だが、そこで待ち受けるのは“おつとめ”を始めとした
目も背けたくなるような霧の牢獄の真実。
逃げ場のない絶望だけがそこにあった。
不安と恐怖に浮足立った女生徒たちは、
草食獣たちが群れるように互いに寄り添い、少しでも身を守ろうとする。
新一年生の遠藤海里(えんどうかいり)も、またそんな群れを形成する一人だった。
◆
昼休み、一年A組の教室。
そこには幾つかの女子グループがそれぞれ輪を作り、
互いに身を寄せ合うようにほそぼそと食事をしている。
どこも活気はないが海里のグループだけは他とは少し様子が違った。
「皆、心底震え上がってるみたいだけどさ~?
実際にやってみたら、そんな言うほどでもないよ~? おつとめなんて。」
そんなことを平然とのたまいカラカラと笑う女生徒が輪の中にいる。
彼女――宇津友奈(うづゆうな)は、
この葬式会場のように沈んだ場において明らかに異質な存在感を放っている。
「あははっ♪ 皆、怖がりすぎだって~。」
周囲を黙らせる圧倒的存在感の正体は胸元に輝く名札だった。
名札に引かれたラインは一年生カラーである赤ではなく――黒。
それは教師の庇護を受けた女生徒だけが身に着けることのできるものであり、
『教師の恋人』として用務員たちからのおつとめ要求を拒否できる
特権階級にあることを意味するものだ。
だからこそ友奈はこの場でただ一人、周囲が恐れているものが怖くない。
これが友奈を特別な存在たらしめている要因だった。
「それにここだけの話、気持ちいいよ? おつとめって。
この中にも案外……ハマっちゃう子、いるんじゃないかなぁ?」
軽やかに紡ぐ自分の言葉一つ一つに仲間の輪が黙り込む。
その絶対的なマウント状態は友奈に大きな優越感をもたらすが、
毎度毎度、周囲からしたらたまったものではなかった。
群れをまとめている者――海里に『何とかしてよ』という視線が集まる。
海里は小さくため息をつくと、眉をひそめて友奈を見据えた。
重々しく口を開く。
「――あの、宇津さん。」
「な~に? 遠藤さん。」
自然と二人の女生徒が向かい合う構図となる。
一人は硬い表情で下から見上げ、一人は軽薄な微笑を湛えて上から見下ろす。
それは二人の間にある力関係をよく表しているようだった。
「宇津さんはこの中でただ一人、黒い名札を持っています。
それを手に入れるために相応の覚悟や代償もあったのでしょうし、
その判断力と実行力は私としては素直にすごいと思っています。」
「ふふん、ありがとう。遠藤さんみたいな人に言われると鼻が高いわ?」
「……」
眉間にしわを寄せて『こほん』と咳ばらいを一つ挟む。
「――ですが、そんな宇津さんの判断に
関係のないグループの仲間まで巻き込まないで欲しいです。」
「な~に? 『関係のない』って。
グループの仲間なら関係あるじゃん。
それともなに? このあたしはもう仲間外れってこと?」
「そ、そうは言っていません!」
この仲間の輪を乱す横柄さには、海里も舌を巻くばかりだった。
少し前までは友奈も他の女生徒たちと同じく“恐れる側”であり、
こんな性格ではなかった。
それがある日、黒い名札を手に入れたことをきっかけに人が変わってしまった。
――否、本性を現したのだ。
「ねえ、あたしはさ~、遠藤さん。
皆がブルブル震えあがっちゃってるモノをさ、もう体験してるの。
その上で『そんな怖くないよ、大丈夫だよ』って言ってるだけなんだよね~。」
自分一人が皆の上に立ちたい、特別な存在になりたい。
それが友奈の本質。
だから、グループの中心である海里にやたらと噛みついてかかるのも、
偏に溜まり溜まった嫉妬心のなせる業なのだ。
「わかる? 要は経験者からのアドバイスなわけ。
それって、そんな目くじら立てて排除しようとするようなものなのかな?」
「おつとめは私たち一年生の大半が恐怖を感じている非常識な規則です。
仮に宇津さんは“大丈夫”だと感じたとしても、
全員が同じように感じるとは限らないということです。」
「それってさ、いつまでも皆で群れて縮こまってさ……
ありもしない恐怖と向き合い続けないといけないってことじゃん?
あたしからしたら、すごく可愛そうなんだけど。」
「宇津さんは“ありもしない恐怖”といいますが……
実際に箱を開けてみたら思っていた通りだった、という可能性もあるんです。
もしそうだった場合、宇津さんは責任がとれるんですか?」
海里VS友奈。
周囲が息を飲んで見守る中、その口論は熱を帯びてゆく。
グループの仲間全員が海里の側についているにもかかわらず、
圧倒的アドバンテージを持つ友奈は意に介することもない。
「そりゃ、責任は取れないかもしれないけどさ。わかってる?
二年、三年のお姉さま方が恐怖から逃れるため、
最終的に、どんな手段を使ったか。」
その言葉に、周囲の誰もが思わず目を細める。
「――聖水、ですか。」
「あたしとしては、おつとめより聖水の方が怖いよね~。
アレ、先生に聞いたけど本当に人格が変わっちゃうんだって。
自分が自分でなくなっちゃうって――怖くない?」
「それは……もちろん、怖いですが……」
「でしょ? あたしはさ~、遠藤さんたちにそうなって欲しくないワケ。
なんでって? そりゃ~……仲間だから!」
わざとらしくハンドゼスチャーを交えてそう言うと、
勝ちを確信したようにニタリと笑う友奈。
場の誰もが、これで勝負ありかと思っていた。
これで言葉を引っ込めるしかなくなるのではないかと。
だが、海里の負けん気の強さ――ではなく、
馬鹿がつくほどの生真面目さが、ここでの撤退を拒んだ。
「たとえ、それでも、です。
――宇津さん。」
「え……?」
「何かを恐れることも、また万人に与えられた権利です。
その結果、その人がどうなったとしても、それはその人の人生であって、
他の誰が負うべき責任でもありません。」
「は、はぁ? 正気……?」
「誰かが困り果てて宇津さん――貴方に助けを求めてきたなら、
その人のことは宇津さんの判断で動かしてもいいと思います。
でも、そうでない人にまで押し付けるような真似はやめてください。」
海里が海里らしく言い切った言葉に、友奈はしばし口をパクパクさせる。
今度こそ勝負ありだった。
群れのボスと、その座を狙った者との争いは、ボスの勝利で幕を閉じたのだ。
「バ、バッカじゃないの!?
人が善意で言ってあげてるだけなのに……ッ!」
「たとえ善意でも、押し売りは良くないと言っています。」
「あ……ああそうッ! じゃあ、もう勝手にしたらいいじゃんッッ!!」
友奈が捨て台詞を残して教室を飛び出てゆく。
クラス中に静かなどよめきが起こった後、
海里はまた一つ大きな溜息をついたのだった。
◆
友奈がグループを飛び出して行ってから、数日後のこと。
「では、これにて帰りのHRを終了する。
あ、あと――“遠藤は頼みたい用事があるので少し残るように。”」
今日は海里を不幸な出来事が襲った。
帰りのHRの後、教師から居残りを言いつけられたのだ。
帰りのHR終了を告げるチャイムは毎日十五時ニ十分に鳴り響く。
これは女生徒たちにとって鬼ごっこの『よーいどん!』の合図であり、
用務員という鬼たちが放たれるまでのニ十分間が安全に逃げられる猶予となる。
だが何らかの理由で居残りとなると、その猶予がなくなってしまうのだ。
その上、更にタチが悪いのは、女生徒たちの生還率を大きく落とす
この“居残り命令”は、教師たちが気まぐれで出せるということ。
本当か嘘か、入学式で案内してくれた先輩たちの話によれば、
教師から悪い意味で目を付けられた女生徒にはよくあるのだという。
「先生、言いつかっていた仕事、終わりました。」
「そうか。今、確認するからちょっと待っていろ。」
目を付けられる心当たりは大いにあった――友奈だ。
三年生を教える教師・柘植礼一(つげれいいち)から
庇護の証である黒い名札を手に入れた友奈であれば、
裏から自分たちの担任教師に手を回すこともできるだろう。
現に、今もこの職員室の片隅には、
礼一の横からニタニタとこちらを窺う姿が見えている。
「……あ、あの、先生!」
「うん? どうした。」
「その……確認はまだ終わりませんでしょうか?」
「あー、今やっている、もう少し待っていろ。」
急いでやる必要性の全く感じられなかった仕事内容。
妙にじっくりと時間をかけて行われる確認作業。
そして、遠目からその様子を楽しげに観察する友奈。
状況は全てが噛み合う。
はめられたのだ。
――キィ~ンコォ~ン……キィ~ンコォ~ン……
そんな中、ついに訪れてしまう――十五時四十分。
学院エリアに狩りの開始を告げる獣のチャイムが鳴り響く。
海里はギリリと唇を噛むことしかできなかった。
◆
深い霧に包まれた、北の遊歩道。
学院エリアから女子寮エリアへと続く女生徒たちの下校ルート。
だが、女子寮エリアを抜けてさらに進むと、
今度は聖リトリス女学院のラブホテル街とも言える無人寮エリアへと繋がる。
そんな道中に海里はいた。
(くっ。こんなことに、なるなんて――)
あのあと、ようやく解放された海里は、
落ち着き払った聖水利用者の二~三年生のふりをするなどして
学院エリアを抜けるところまでは成功した。
だが北の遊歩道で血眼になって赤いラインの名札を探す用務員たちからは逃げ切れず、
結局捕まってしまったのだ。
「いやぁ~♪
今日は海里ちゃんみたいな可愛い子をGETできて最高にハッピーだなあ。」
そんな浮かれた声。
海里の隣を歩くのは用務員・奥井雄星(おくいゆうせい)だ。
日々、怠惰な生活を続けているためか
だらしのない体形の者が多い用務員たちの中にあって、
かなり鍛えこまれたその逞しい肉体は強烈な牡度を感じさせる。
女生徒によってはその肉体だけですくみ上ってしまうかもしれない。
だが、海里はどんな相手であろうと一定の礼儀を以て接するタイプ。
こんな状況であっても自分を崩さない生真面目さこそが持ち味だった。
「あの……雄星お兄さま?
客観的に見ても、私はそんなに可愛い方ではないと思いますけれど。」
「いやいや、そ~んなことないって!」
「いいえ、あります。
あ、いや……『だから解放しろ』と言っているわけでは決してないのですが、
ありもしないことを褒めていただくのは、それはそれで納得がいかないというか……」
この状況では割と的外れな不満点を、一生懸命抗議する海里。
だが、それも雄星にとっては『可愛い』の延長線上――あばたもえくぼだ。
陽気でタフでマイペースな性格だが、少々空気が読めないところもある。
それが雄星だった。
「よぉ~し、あくまでそういうならこっちにも考えがあるぞ。」
「考え……ですか?」
「俺が、ど~れだけ海里ちゃんにキュンキュン❤きているか……!
今日はベッドの上でバ~ッチリ思い知らせちゃる!」
ボディービルダーよろしく力こぶを作って白い歯を見せる雄星に
海里はカァッと頬を赤らめる。
「ベ、ベッドの上で……ですか。」
このあと無人寮につけば、そこで待つのは“おつとめ”。
用務員に捕まった女生徒が何をされるのかは理解している。
だが、その理不尽さに怒りを覚えるのではなく、
馬鹿正直に遵守すべき規則として受け入れた上で戸惑っているのだ。
「言っておきますが、私は異性とのダンスの経験がありません。
だから、その……上手に踊れるか……わかりませんからねっ。」
それが海里の少しズレたところだった。