※この作品はR-18です。

霧の牢獄   作:宇藤百足

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佐野加里奈②

 

「では、ごきげんよう、真吾お兄さま。

 また明日、お会いしましょう。」

 

 

午後十時過ぎ。

 

真吾は加里奈を女子寮前まで送り届けると、

切なげなハグ一つを残して自らも帰路につく。

 

誰もいない遊歩道を一人歩いて帰るのは、

いつも望まない物思いに耽る憂鬱な時間となる。

 

しかし、全てを取り込む夜の闇に埋もれてゆくような、

そんな一歩を踏み出そうとした、その時だった。

 

 

「こんばんは、名村さん。」

 

 

突然、後ろから声がかかる。

 

それはどんな感情が込められているのかわからないような、

どこか不可思議で抑揚のないトーンの声だ。

 

何の気配もなかったはずの場所を振り返ると、

そこに夜の闇より暗い衣装を身に纏った修道女の姿があった。

 

 

「あ……

 レイラさん、ですか。」

 

 

名前を呼ばれた修道女は口元だけの微笑を返す。

 

レイラというこの女性は言わずと知れた執行部メンバーの一人だ。

 

学院の規律の番人である彼女たちは周囲から死神と恐れられており、

あまり表舞台に姿を現すことはない。

 

だが、その中でもレイラは見回りを積極的に行う性格であるため、

まず他のメンバーよりも遭遇率が高い。

 

そして、なにより真吾を案内してここに招き入れた張本人が彼女だ。

 

真吾のことを多少なりとも気にかけているのか、

この二人は互いに見かければ声をかけあう間柄だった。

 

 

「ふふ……

 今日も加里奈さんと愛し合っていらしたんですか?」

 

「え、ええ。

 本当に……本当に可愛いんです、彼女。」

 

 

二人並んで歩きだす。

 

 

「加里奈さん。

 お腹もだいぶ大きくなってきましたね。」

 

「ええ、そうなんです。

 さっきも触っていたらお腹の中から蹴られたんです。

 きっと元気で可愛い子ですよ。」

 

「ふふ、そうですね。

 加里奈さんのお腹の子は、ほぼ間違いなく名村さんの子供でしょう。

 ご自分の血を引く生命の誕生について、どう思われますか?」

 

「愛しいです。」

 

 

『そして……深く後悔しています。』と、真吾は言葉を続ける。

 

俯いた顔には濃い影が落ちていた。

 

 

「俺は……

 なんで加里奈にあんな酷いことを……

 なんであんなに可愛い加里奈を壊してしまったんだ……」

 

 

決して消えることのない後悔の念。

 

それが胸の内に植え付けられたきっかけは去年のこと。

 

真吾が赴任して来てまだ数ヶ月といった頃の話だった。

 

 

 

 

◆

 

 

 

 

『くそ…くそっ!

 なんだよ、あの小娘が…っ!』

 

 

当時の二人は、この学院内において少々奇妙な関係だったと言える。

 

それぞれ狩人と獲物であるはずの真吾と加里奈の力関係は

ある意味で拮抗していたのだ。

 

二人の最初の出会いはままある形だった。

 

真吾が先輩用務員二人に連れられて加里奈とその友人二人を捕まえたが、

加里奈は『自分一人で三人の相手をするので友人二人は見逃して欲しい』

と持ちかけてきた。

 

珍しいシチュエーションに飢えていた先輩二人がこれを承諾したことから、

その日は三対一の激しい行為が行われ、真吾も満足を得ることができた。

 

だが。

 

悲劇の引き金となったのは、

そのあとに加里奈が残した捨て台詞だったのだ。

 

 

『――可哀そうな人たちですね。』

 

 

ここでの生活が長く、既に自尊心などゴミ箱に廃棄した先輩二人はいい。

 

だが、やってきたばかりの真吾には深く突き刺さる一言だった。

 

社会のどこに行っても必要な能力が不足していて適合できず、

将来への不安から目を背けて逃げるように自堕落な生活を送り、

自殺の二文字も頭をちらつき始めた頃に魔都ネットで見つけた奇妙な求人。

 

すがるような思いでそれに飛びつき、

何もかもをかなぐり捨ててここへ逃げてきた惨めな自分。

 

それを十歳近くも年の離れた少女に哀れまれたのだ。

 

しかも、彼女はこの地獄の三年間を乗り越えさえすれば、

その後には輝かしい人生が約束されている勝ち組だ。

 

いつかここで人知れず人生を終えなくてはいけない真吾と、

やがては大きな白い翼を広げて外界へ飛び立ってゆく加里奈。

 

そんな明確な敗北者と勝利者の構図。

 

必死の想いで逃げてきた先で、またこんな惨めさを味わう。

 

それは真吾には到底許しがたいことだった。

 

 

そして。

 

『ユルサナイ。

 オマエモジゴクニミチヅレダ。』

 

その日から、加里奈は真吾の醜い憎悪のターゲットとなったのだ。

 

 

それからというもの、他の獲物たちには目もくれず、

日々加里奈だけを付け狙う真吾。

 

学院の規則に従い、直接的な暴力だけは働かなかったが、

加里奈を捕まえた日には、精魂尽き果てるまで徹底的に犯しぬいた。

 

だが、加里奈も強靭なメンタルを持った生粋のリトリス信徒だ。

 

苛烈な凌辱になど決して屈しないどころか、

真に心の弱い真吾を憐れみ、慈愛の言葉さえ投げかける始末。

 

そして、それが真吾の憎悪に更なる火をつけるという悪循環が続く。

 

ただ力押しでは通用しないと理解した真吾は、

手を変え品を変え、徹底的に加里奈を破壊しにかかる。

 

仲間を大量に引き連れて輪姦してみたり、便所組に混ざってみたり、

女子寮エリア前で犯してみたり、行為はどんどんエスカレートしてゆく。

 

やがてそれは、親しい友人に見せつけながら加里奈に浣腸を射ち、

ドロドロに溶け溢れた排泄物にまみれての子作りという凶行にまで及び、

とうとう真吾は望んでいた結果を手に入れることに成功する。

 

ついに凌辱に耐えきれなくなった加里奈が聖水を使ったのだ。

 

 

『やった、やったぞ!

 ついに――ついに加里奈の鉄の自尊心をへし折ってやった!!』

 

 

その日、真吾は一晩中その勝利に歓喜し続けた。

 

この時は、まさかそれが次の苦悩の引き金になっているなどとは

夢にも思っていなかったのだ。

 

 

『ごきげんよう、真吾お兄さま。』

 

 

聖水の魔力により心を失った加里奈が、

それからは毎日笑顔で子作りの相手をしてくれる。

 

そんな変化は真吾にとって甘美な勝利の余韻となるはずだった。

 

だが。

 

それが醜い憎悪からとはいえ、

数えきれないほど抱いてきた加里奈のカラダ。

 

真吾自身でも気づかないうちに、

そこには深く情が移ってしまっていた。

 

そして、何より決定的だったのが加里奈の妊娠だ。

 

加里奈と赤ん坊、二つの生命に真吾の心は囚われることとなる。

 

結果的にあれだけ濃かった憎悪は全て裏返り、

やがて取り返しのつかないほどの愛しさへとなり果てたのだ。

 

 

 

 

◆

 

 

 

 

「う、うぅぅ……っ!」

 

 

遊歩道の一角に立ち止まり、

両手に拳を握りしめながら後悔の涙を流す真吾。

 

レイラもその傍らにそっと寄り添うように立つ。

 

 

「貴方はそれを後悔だとおっしゃいますが……名村さん?

 もしそんな貴方の凶行とやらの数々がなければ、

 加里奈さんは今でも憎悪の対象だったかもしれないのですよ?」

 

「それは、そうですが……っ!」

 

「愛しい異性という大切なモノを得るために必要な代償であった。

 そうは考えられませんか?」

 

「代償を支払ったのが俺ならいい!

 でも違う、支払わされたのは加里奈なんですよ!」

 

「……少し、厳しいことをいいましょうか。

 名村さん……世捨て人であった貴方の手には……

 “代償を支払えるだけのモノ”が何かおありだったのですか?」

 

 

レイラの突きつけた冷たい一言。

 

そこに返す言葉を真吾は持ち合わせていなかった。

 

 

「この世界に生きるということは、とかくままならないものです。

 でも、誰しもがその理不尽と向き合って日々を生きている。

 加里奈さんも、貴方も、それは変わらないのですよ?」

 

「う……うぐっ……うぅぅ……!!」

 

「それに、先ほどあのようなことを言ったばかりですが……

 名村さん……貴方だって、本当はもう十分な代償を支払っています。」

 

「……え?」

 

「どれだけ欲しようと、どれだけ愛しかろうと……

 たとえ加里奈さんが聖水なしで貴方を愛するようになったとしても。

 それでも貴方と彼女が永遠に結ばれることはないのですから。」

 

「……」

 

「貴方はあと一年半もすれば“二度と加里奈さんと会えない”という

 苦しみを背負うことが定められてしまっているのですから。」

 

 

それはわかっていたこと。

 

わかりきっていたこと。

 

だが、それでも第三者から改めて突きつけられると、

真吾の心臓は否応なくぐちゃぐちゃにひしゃげられる。

 

 

「……わかって、います。

 加里奈だけじゃない、お腹の子だって……そうなんでしょう?」

 

「……そうなります。」

 

 

聖リトリス女学院では、在学中に女生徒が出産した場合、

生まれた子供は両親の元には残らず執行部の手に引き取られる。

 

引き取られた子供は然るべきルートを辿り、

魔都に無数存在する児童養護施設へと送られ、そこで育てられる。

 

それは女生徒も教員も用務員も、ここでは誰もが知っている学院の規則。

 

だが、執行部は学院内でも最も謎多き部署であり、

なにより学院の規則に背いた者には重い罰を与える無慈悲な死神の群れだ。

 

だからこそ。

 

幾ら縁のあるレイラであっても、真吾は完全には信用していなかった。

 

 

「……レイラさん。」

 

 

真吾は低い声でそういうと、震える手でレイラの両肩をギュッと掴む。

 

 

「はい。

 なんでしょう?」

 

 

一方でレイラは不自然なほどに全く動揺を見せず、

ただ静かに言葉を返した。

 

 

「貴方は天なるリトリスに仕える修道女だ。

 どうか、嘘をつかずに答えて欲しい。」

 

「もちろんです。」

 

「貴方方が取り上げた子供は……

 本当にちゃんとした児童養護施設に預けられますか?

 人並みの幸せな人生を送れるよう最大限の努力が約束されますか?」

 

「はい、その通りですが……

 どういう意図での質問でしょう?」

 

「貴方たち執行部は、学院の規則に背いた者には

 躊躇うことなく死の制裁すら与えると聞いている。」

 

「……」

 

「本当は……

 取り上げた子供たちも、処分してるんじゃないのか!?」

 

 

ギリリ……!

 

レイラの肩に深く爪がめり込む。

 

真吾が今、最も恐れているのがそのことだった。

 

まだ外界にいた頃、

聖リトリス女学院卒業生たちの輝かしい噂はたびたび耳にしていた。

 

だが当然と言えば当然だが、秘密裏に児童養護施設に預けられるという

彼女たちの子供の噂などは一切聞いたことがない。

 

そんなわからないことを真っ黒な不安で塗り潰せるだけの

異質な存在感が執行部にはあるのだ

 

 

「名村さん、確かに我々は規律の番人ですが……

 我々が罰するのは学園の規則に背いた者……というよりは、

 天なるリトリスの教えに背いた者です。」

 

「……」

 

「ならば、そんな我々がリトリスの導きにより生まれ落ちた

 無垢な生命を手にかけるなどという……

 最も忌むべき背信行為など、するとお思いですか?」

 

「信じられないんだ、アンタたちは!

 いや、やがて生まれる子供のために……

 ただ盲目的に信じるわけにはいかないんだッ!」

 

「ふふ……

 なるほど、父親としての本能が目覚めましたか。」

 

「も、もし……もし俺と加里奈の子供を殺したら許さない……!

 たとえアンタたちが何者であろうが……

 絶対に、絶対に後悔させてやるッ!!」

 

 

涙で顔をぐしゃぐしゃにした真吾の切ったタンカ。

 

その言葉すらも状況を変える決定的な約束にはなりえない。

 

加里奈の出産が執行部の手で秘密裏に行われることに変わりはなく、

真吾は我が子の顔を見ることすら許されないだろう。

 

何故なら、ここでの真吾は何もできない無力な存在なのだから。

 

だが宣言せずにはいられなかった。

 

『それでも自分が父親なのだ』という一言を。

 

 

「……わかりました。

 貴方の決意はよくわかりましたよ、名村さん。」

 

 

レイラの表情は変わらない。

 

それはことこの状況下においては、優しく宥めているようにも、

静かに嘲笑しているようにも見えるものだ。

 

 

「我々は、今まさに生まれてくる

 “まだ無垢な生命”を手にかけることはありません。

 天なるリトリスの名のもとに、それはお約束します。」

 

「……」

 

「ですから、名村さん。

 貴方は貴方が背負いたいものを背負い、

 ここで精いっぱい生き続けてください。」

 

 

――それが貴方にできる唯一にして最大の神への奉仕なのですから。

 

 

レイラの話はそう締めくくられる。

 

その最後に使われた言葉が『リトリス』ではなく『神』であった意味。

 

真吾がそこに気づくことはない。

 

レイラはクスッと笑うと、再び真吾を伴い帰路につくのだった。

 

 

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