やがて。
まるで異世界へと誘うような道をひたすら行くと、
大きな分岐の先に西洋風の鉄柵と立派な門が姿を現す。
そこはベンチや花壇などもある広々としたスペースとなっており、
ここが重要なスポットであるという雰囲気を醸し出している。
「ここまで鬼ごっこして来た子は、この中に逃げ込めれば勝ち。
ここが私たちの生活する女子寮エリア。
男は入れない聖域、安全地帯よ。」
「ここが女子寮エリアっすか……
なんか、団地地帯って感じっすね。」
「先行していた見学組は、もうとっくに戻ってきているはずよ。
私たちは、まだもう少し回るけれども、
ちょいちょい寄り道しつつ蜜香のお部屋に向かいましょうか。」
「うぃーす。」
真理恵が蜜香を連れてまずやってきたのが、
エリア中央にある四角い建物だ。
それは普通の街中でならよく見かける
コンビニエンスストアに近い様相をしていた。
「ここはコンビニっすか?」
「女子寮エリアの購買ね。
学院で使うものはもちろん、各種生活用品も一通り揃ってる。
まあコンビニみたいなものだと思ってもいいわ。」
中に入ると文房具から衣服からお菓子から生鮮食品に至るまで
凡そ生活に必要そうなものは何でも揃っており、
複数の女生徒たちが買い物をしていた。
「ここって、どうやってものを買うんすか?
たしか学院内はお金も持ち込み禁止だったっすよね?」
「全部タダよ。」
「えっ!?」
「ただ、一応ここも執行部が管理していて、
誰がいつ何を幾つ買ったかって記録だけはつけるから、
セルフレジは通さないといけないんだけどね。」
真理恵は胸元から太い金色のラインが入った名札を外すと、
それを蜜香の目の前でひらひらと見せる。
「私たちは、お会計にはこれを使うの。
ま、キャッシュカード代わりね。」
「それ。蜜香、まだもらってないんすけど。」
「大丈夫。
ハンナお姉さまに聞いてあるわ。
蜜香のアイテム一式は寮の方にあるそうよ。」
「うぃっす。」
「それより、何かお菓子でも持ってらっしゃいな。
買ってあげるわ。」
二人は買ったガムを噛みつつ購買を出る。
その眠気の覚めるような強烈なミント味は、
蜜香の口内に未だ残る気持ち悪さを取り除くのに一役買うのだった。
「うふふ……
ごめんね、そっかそっか。
お口の中、まだ気持ち悪かったか。」
「フヒヒ……
男の人のアレって、強烈に不味いとかじゃないんすけど……
でも、やっぱりあまり気持ちのいいもんじゃないっすね。」
「そうね。
でも、そのぐらいの感想で済んでるなら……
蜜香、貴方は私と違って割と適応力あるかもしれないわね。」
「フヒッ?」
「ここで生きていくための才能が一つあるってことよ。」
(……“私と違って”……?)
「それより、次はそこの建物よ。」
購買から少し離れたところにあるのは、
強いて言うならばスポーツジムのようにも見える建物。
蜜香は首をこてんとやる。
「フヒッ、ここは?」
「共同浴場、私たちのお風呂よ。
寮の個室には小さなシャワールームしかないからね。
ゆっくりお湯に浸かりたいならここに来るの。」
「おおー!
銭湯みたいなもんっすか?」
「そゆこと。
今はまだ時間的に入れないんだけど、
基本は夕方十七時から翌朝九時までオープンしてるわ。」
「えっ、深夜の時間帯もフルオープン!?」
「ふふ……
夕食後なんかに入りに来る子が多いわね。
仲のいい子なんかと一緒にゆったりするのも乙なものよ。」
「フヒヒッ♪
いーっすね! いーっすね!」
『ただし』と、真理恵は会話を一度区切るように言う。
「あまり深夜遅くに来るのはあまりおすすめしない。」
「へ?」
「その時間帯にはね……
夜遅くまでの辛いおつとめが漸く終わって、
早く体も心も早く綺麗にしたい子たちがぽつぽつ来るのよ。」
「あ……
めっちゃ空気が重くなりそうな感じの遭遇がありうると。」
「相当仲のいい子とかならまだしも……
基本はそういうマッチングってトラブルにもなりやすいし、
どうあれ、あまりいいことないから。」
そういって自嘲気味に笑う真理恵。
きっとこの二年間、
真理恵自身も色々と苦労があったのだろうと思うと、
蜜香はそれ以上その話を広げることはできない。
その代わりとばかりにちらりと真理恵を視ようとするが、
やはり真理恵の心には霧がかかったかのように
覗き見ることはできなかった。
「さて、次はお待ちかねの寮よ。」
この女子寮エリア内に無数に存在する女子寮。
その清潔感のある団地といった白い建物は
対比としては青空がさぞ似合ったであろうが
生憎とここでは霧の中の要塞にしか見えない。
だが、主のいるであろう部屋には暖色の明かりが灯っており、
僅かながら人の温もりが感じられる。
ここはそんな場所だ。
真理恵は玄関口から入ると管理人の修道女と窓口で話す。
そこで何かを受け取り、階段で三階へと向かう。
そして一つの扉の前で立ち止まった。
「はい、ここが蜜香の部屋よ。
で、これが鍵……代わりにもなる名札。」
「あ、部屋の扉を開けるのも名札なんすね。」
「扉にリーダー部分があるでしょ?
その前に名札をかざすだけでいいわ。」
蜜香は真理恵から赤いラインの入った自分の名札を受け取ると、
それを言われた通りに扉の前にかざす。
カチリとロックが外れる音がして扉が開いた。
『さ、どうぞ? 貴方の部屋よ?』
そんな真理恵のアイコンタクトに促されるまま中に入ると、
内部もいかにも清潔感のあるワンルームの学生寮といった感じだ。
玄関から入ると手前にキッチン、その横にトイレとシャワー室、
奥には洋室があり、ベッドやデスク、クローゼットといったものがある。
「お、おおー!」
「ふふ、今日からここが蜜香のプライベート空間よ。
私たちにとっては色々と問題山積みな学院ではあるけど、
こういうところはしっかりしてるわ。」
「うわぁ~。
でも窓の外、やっぱり真っ白っすね。」
「あはは、そこは諦めてちょうだい。
ここはそういう世界だから。」
『さて』と話を区切ると、
真理恵はデスクの上にコトリと何かを置く。
見ればそれはキーホルダー付きの
小さなグラスアトマイザー(噴霧器付き香水瓶)だった。
「さっきの名札を含めて二つ、
新一年生に必ず渡しておくものがあるの。」
「うぃっす。」
「この二つは女生徒は普段必ず携帯する必要があってね。
一つ目の名札については、その重要性がよくわかったと思うけど。」
「要は蜜香たちの身分証明書で、お財布で、部屋の鍵っすよね?」
真理恵は頷いて返す。
「ちなみに蜜香とお姉さまで名札のラインの色が違うっすけど、
これは学年カラーっすか?」
「名札のカラーだけど、これは五種類あるわ。」
「あれ、五種類?
じゃあ学年カラーじゃないんすか?」
「三年生は青、二年生は緑、一年生は赤。
これがまず一般的な三色よ。
蜜香の言う通り学年カラーね。」
「おっ、そうなんすね。」
「ちなみに赤い名札の一年生は……
お兄さま方の間では『新物』なんて呼ばれて珍重されるわ。
要は狙われやすいから覚悟しておきなさいね。」
「フヒッ。
それって要は……
要は夜のお店なんかで新人が持て囃される感じの?」
「あら、そんなことよく知ってるわね。
でもま、そういうことよ。
で……」
真理恵の指が自分の名札をくりくりと弄ぶ。
金色のラインが部屋の照明を照り返してキラキラと輝いた。
「残る二色は黒と金。」
「なんかいかにもレアっぽい感じのカラーっすよね。」
「そうね、まさにレアカラー。
黒と金は用務員からのおつとめ要求を断ることができる
選ばれし者的なカラーよ。」
「へっ?」
「といっても、ろくなもんじゃないけどね……」
真理恵は小声でそう吐き捨てると、
『くくっ』とまた中身の読めない笑みを浮かべる。
他人のことは大抵見透かしてしまえる蜜香にとって、
真理恵のこの『読めなさ』は不気味の一言に尽きた。
「まず黒を教えましょうか。
黒は“教師といい関係の子”よ。」
「フヒッ?
え、まさか先生ともおつとめしたりするんすか?」
「そうよ、教師も男性しか見てないでしょ?
で、ここでは『生徒』<『用務員』<『教師』<『執行部』って
肩書きごとに力関係が決まっていて、教師は用務員より格上なのよ。」
「……」
「だから、教師が独り占めしたいお気に入りの女生徒は
用務員が手を出せないようにつばをつけられる。
それが黒いカラーの名札ってわけ。」
「うわ……」
「ちなみに黒いカラーの子は、
他にも色々と贔屓してもらえるそうよ?」
無言のまま目元をピクピクさせる蜜香。
思っていた以上にドロドロした学院内の人間関係に、
ついつい重いため息が漏れる。
「え、じゃあ、金は?」
「私もね、本来は今年から青いカラーなんだけど、
今は期間限定で金色になっているの。
これ、なんだと思う?」
「……」
そう問われ、しばし息を飲んで黙り込む蜜香。
場にはなにやら重々しく嫌な空気が漂った。
真理恵が『ろくなものではない』と断じ、
かつ『期間限定でおつとめを断れる』権利を有する金カラーの名札。
一体どんな条件を満たした女生徒が、これを受け取るのだろうかと考える。
すると、一つ嫌な考えが浮かんだ。
ふと思い出したのは、最初に真理恵と顔合わせをした時だ。
あの時、ハンナに執行部棟から連れ出された蜜香は、
その“目”の力を以てあたったにもかかわらず、
霧の中からやってきた真理恵の気配を言い当て損ねている。
あの時、蜜香は“霧の中から二人来る”と感じたため、
一人で来るはずの真理恵ではないと判断したのだ。
だが、もし、その見立てが間違えていなかったのだとしたら。
「……っ!」
視る。
今度は真理恵の心の中を覗いているのではない。
覗く先は――下腹部。
即座に答えは出た。
「金色カラーは……
――“妊娠中の女生徒”っすか。」
「正解。」
度重なるおつとめのもたらした結果なのだろう。
真理恵は妊娠していたのだ。
「三カ月だってさ。
まだぱっと見じゃわからないと思うけど、
まあ、蜜香なら視えちゃうわよね。」
「お、お姉さま……」
その圧倒的美貌から『魔都の姫君』と呼ばれる魔都生まれの女性たち。
彼女たちは魔都の奥地に住まう神々が生み出した芸術品であるとされ、
その目を疑うほどの美貌以外にも幾つかの際立った特徴を持つが、
その内の一つに妊娠のしにくさがある。
彼女たちの子宮内には卵子と対となる
『血の騎士』と呼ばれる護衛細胞がおり、
これが触れた精子を即座に活動不能に陥れるのだ。
そのため魔都メディアにおいては、魔都の姫君の受精率は
同条件の一般女性に比べて凡そ1/33ほどと言われている。
更にこれに起因して受精卵異常が引き起こされることもあり、
着床率も落ちることから最終的な妊娠確率は極めて低い。
だが、その分、魔都には避妊という文化が定着しておらず、
そんな状況で毎日のようにおつとめを続けさせられれば
このような結果も十分にありうる。
そして、この学院では『金カラーの名札』というアイテムを以て、
女生徒たちの妊娠もシステムの一部として取り込んでいるのだ。
『やっぱり、ろくなもんじゃない。』
蜜香はそう痛感せずにはいられなかった。
「まあ、そんな顔しなさんなって。」
「でも、子供がデキるなんて、
一生の問題じゃないっすか……」
「そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるのよね、これが。」
「と、いうと?」
「まず最初に言っておくと……
リトリス教では堕胎は厳しく禁じられているから、
もしデキちゃったら絶対に産まないといけないわ。」
蜜香はまた目元をピクリとやる。
「出産の時は執行部のお姉さま方が
助産師となって赤ちゃんを取り上げるんだけど、
文字通り“取り上げる”んですって。」
「……?
それって、どういう?」
「親として子供の認知は一切させてもらえず、
生まれた子供は秘密裏に学院の息のかかった
魔都の児童施設に預けられて、そこで育てられるんですって。」
「なんのためにそんな?」
「さあ?
でも、その後も一切の責任は負わなくていいらしいわ。」
「女の子としての経歴に傷はつくけど、
それが卒業後に外部に知れ渡ることはない……
そんな感じっすか?」
「たぶん、そんなとこなのかしら?
こればかりは私にもよくわからないわ。」
「お姉さまはいいんすか? それで……」
「ん、私はもう割り切ってる。
将来の夢を叶えてもらう対価だって。
ある種の必要経費だって、ね。」
あの不可思議な笑みを浮かべてそう言い切る真理恵。
その迷いのない眼差しに見据えられて、蜜香はまた視線を落とす。
「蜜香は……
蜜香も、そんな風に割り切れると、いいんすけどね。
蜜香は、お姉さまみたいに強くないっすから。」
消え入りそうな弱々しい言葉。
それを掬い上げるように、真理恵は言葉を重ねた。
「蜜香が強い子なのか弱い子なのかはわからないわ。
でもね、必要なのは強さじゃない。
何度か言ってるけど、ここで必要なのは適応力なの。」
「えっ、それって……
えっちの適応力的な意味っすよね?」
「そう、私にはそれがなかった。
そして、浅慮なことに当時の私は無理にでも強くあろうとした。
結果、まんまとこの学院の罠にかかってしまったわ。」
「……フヒ?」
蜜香には真理恵の言う意味がよくわからなかった。
少なくとも蜜香が今日見てきた分には、
真理恵は完全にこの霧の牢獄での生活に適応しており
おつとめさえも小用をこなすような軽い感じであたっていた。
結果、妊娠してしまったとはいえ、
それを必要な対価だと飲み込めている以上、
一体どこにどんな問題があったというのか。
そこらへんがよくわからないのだ。
「え、でも……
失礼っすけど、お姉さま、バチコリ適応してるっすよね?
それって、適応力があるからなんじゃ?」
「ふふ……
そう見えるわよね?
でも、実はそうじゃないんだな、これが。」
「フヒ?」
「さっき教室で言ったわよね。
おつとめには対処法が幾つかあるって。
覚えてる?」
「う、うぃっす。
一つ目が『逃げること』、二つ目が『愉しむこと』。
三つ目は後で話してくれるってたっすよね?」
「そう。
私はね、その三つ目を使っているの。
これは最も効果が強いけど、同時に最も愚かな方法だと、私は思ってる。」
その語りには妙な凄みがあった。
だが、妊娠まで飲み込んだ真理恵がここまでいうものとは何なのか、
蜜香は一方でそれが気になった。
しばらく蜜香と見つめ合い沈黙で焦らしたあと、
真理恵は机の上から先程のキーホルダー付きの
小さなグラスアトマイザーを手に取る。
それを見せつけるように顔の横でプランプランと揺らしてみせた。
「それが、これ。
――『聖水』よ。」
「それ。
さすがに学生で香水はないなとは思ってたんすけど……
聖水? 聖水ってなんすか?」
「この液体の正体が何なのかは、私たちにも教えられていないわ。
ただ『聖水』だとしか、ね。」
「……」
「でも、一つ確かなのは……
これが人間の精神に深刻な影響を及ぼす何らかの薬品であることよ。」
凄みを増す真理恵の語り。
『人間の精神に深刻な影響を及ぼす薬品』
そんな恐ろしいワードをさらりと口にする。
「え、深刻な影響って、なんすか?」
「んー……精神にバリアが張られる感じっていうかな。
精神的な苦痛を一切感じなくなるのよ。
どんな辛いこともへっちゃらになるの。」
「えと……
精神の麻酔、みたいな?」
「あー、言いえて妙ね!
その認識が的確だと思うわ。」
それは色々な意味で非常識な品であり、
学院が生徒に配布するアイテムとしても異常と言わざるを得ない。
だが、その異常さを優に内包できるくらい、
この聖リトリス女学院は異常な世界なのだ。
『そんなのおかしい!』とは
なかなか声を上げられない息苦しさがあった。
「ところで蜜香。」
「なんすか?」
「貴方、今日……何度か私を覗こうとしてたでしょ?」
「フヒッ。
……の、覗いたらバレるって、新鮮っすね……」
「でも……“何も視えなかった”。
違う?」
「あっ……」
他人の頭をある程度覗き見ることができる蜜香が、
何故か真理恵の思考を読むことができない。
それは出会ってから、ここまで何度かあったことだった。
何らかの外的要因により心が視えなくなっているというのが、
蜜香の見立てだった。
原因はこれだったのだ。
「まさか、お姉さまの心が視えなかったのって……」
「『聖水の霧』。
私はそう呼んでる。
霧が心を隠しちゃうのよ、傷を負わないように。」
「え、え……
ちなみに副作用とかはあるんすか?」
「一度使うと便利で手放せなくなる、というのを考えないなら……
薬学的な副作用は他にはないと思うわ。」
「ふむ……」
蜜香の脳内で少しずつ点と点が繋がってくる。
聖水という女生徒必携アイテムへの理解が深まってくる。
一方で、まだ疑問点もあった。
たしかに『人間の精神に多大な影響を及ぼす薬品』などと聞けば
得体の知れない恐ろしさは、どうしても感じてしまうだろう。
だが、副作用らしいものがなく、かつその効能が
『ここでの生活で受けるであろう精神的苦痛を取り除く』
というものであるならば、それは普通に有用なのではないか。
大きな手術を行う際に必ず麻酔をかけるのと同じで、
むしろ必須級のプロセスなのではないか。
そう思ってしまうのだ。
「なら、その……
使っても別にいいんじゃないっすかね?」
「そう思うじゃない?」
「フヒッ?」
「人間が痛みを負わなくなるとどうなるか……?
自然と価値観が変わり、判断基準もおかしくなる。
要は――人が変わっちゃうの。」
「え……」
「『洗脳されて自分が自分でなくなってしまう――』
まだ一年生で頑なに聖水を拒んでいた、かつての私は……
そんな風に言ってたわね。」
「……」
「あの頃の私、本当に必死だったわ。
“こんな理不尽に負けてなるものか”ってね。」
「お姉さま……」
「友人たちさえも平気で犠牲にして、
手段を選ばず逃げまくったわ。
おつとめと、聖水から……」
真理恵が語り出したのは、かつての壮絶な日々の記憶だった。
一年生時、誰より気が強かった彼女は
おつとめという規則も聖水という得体の知れない薬品も
決して受け入れることができなかった。
規則違反の重大なペナルティがあればこそ、
表立って学院側に抗議などはしなかったものの
必死に男たちから逃げ続けることで自らを守っていた。
だが、それは決して容易なことではなかった。
自分の安全と引き換えに友人を危険に晒すなど日常茶飯事。
酷い時には、陥れた友人を更に嘘八百で悪役に仕立て上げ、
自分が被害者面をすることで同情を買い評判の下落を防ぐ
などという非道な真似もしてきた。
しかし。
当然そんなことを続けていれば、
すぐに周囲の人間関係は最悪なものとなり、
友人たちは離れ、みるみる孤独になってゆく。
そして、ふりまき続けた悪意はやがて自分へと返ってくる。
ある日、周囲の友人たち全員が結託して彼女を罠にかけ、
ありとあらゆるものを犠牲にして保ち続けてきた“逃げ”を潰したのだ。
結果、友人の息のかかった男たちに徹底的に輪姦され、
彼女は今まで必死に守ってきた全てを一瞬にして失った。
そんな身も心も抉るような絶望と苦痛の果て、
彼女はとうとう頑なに拒んできた聖水に逃げた。
その結果、彼女は笑顔でおつとめを受け入れる
“男たちにとって都合のいい存在”となり果てたのだ。
「……それが今の私ってワケ。」
また自嘲気味に笑う真理恵の瞳から、
透明な雫が一つ零れて落ちた。
「蜜香、ここは地獄よ。」
「う……」
「でも、決して戦おうとしちゃダメ。
自分なりの視点を持って都合のいい捉え方をしなさい。
そして、なんとしても、壊される前に、慣れるのよ!」
霧の牢獄を二年間必死に生き抜いてきた真理恵が
珍しく強い口調で言い放たった一言。
それは今までが見る影もなく嗚咽混じりになっていた。
「お、お姉さま……っ!」
少しでも真理恵の苦しみを引き取ってあげたい。
百合の番として少しでも苦しみを分かち合いたい。
そんな想いからか、真理恵に飛びつこうとする蜜香。
だが、それは突き出した真理恵の手に制される。
「……ッ!
今は近寄らないで!
危ないからッ!」
「えっ?」
咄嗟にその言葉の意味が解らず立ち尽くす蜜香の前で、
真理恵はポケットからグラスアトマイザーを取り出し、
自分の鼻先に聖水を『プシュッ』と吹き付ける。
効果は驚くほど即座に現れた。
少し視えかかっていた真理恵の心を、
また深い聖水の霧が覆い隠してゆく。
「ふぅ、危ない危ない。
聖水が切れかかってたみたいね。」
「……お姉さま?」
「聖水はね、個人差があるんだけど……
大体48時間くらいかな、効能が続くのは。」
そういって軽やかに微笑んだ顔は、
またあの読めない笑顔に戻っていた。
蜜香は思わず身震いする。
いとも容易く人を変えてしまう聖水の恐ろしさに。
「わかる?
今、蜜香が一瞬だけ見たのが本当の私。
じゃあ、『ここにいるのはだあれ?』って話よ。」
「う……」
「今、本当の私も言ったけれど、
こんな風になりたくないなら、自分を保ったままで適応しなさい。
でも、もし、それでもどうしてもだめなら、その時は……
「……」
「スパっと諦めて聖水に逃げなさい。
死ぬよりは、ましだから。」
もう一度、蜜香は真理恵の胸に飛び込む。
今度は真理恵もこれを遮ることはせず、温かく包み込んだ。
「お、お姉さま。
蜜香は、蜜香は、怖いっす……」
「ふふ、そうね、脅かしちゃったものね。
ごめんなさいね、私の可愛い蜜香。」
「……お姉さま……」
「大丈夫よ。
今年は私が近くにいてあげられるわ?
このお姉さまに何でも頼りなさいね?」
「うっ、ぐすっ。」
「この一年で、貴方がもう二年間、
ここで生きていけるようにする準備をしましょう。」
「は、はい……」
「リトリスマジック、よ。
この地獄を三年間生き延びれば神様がご褒美をくれる。
人生勝ち組確定、貴方の欲しい未来が手に入るわ。」
「はい……っ。」
「きっといつかはここでの日々も笑い話になるから。
だから、一緒に頑張りましょうね、蜜香。」
「はい、はい、お姉さま……っ!」
子供のようにひしっとしがみついてくる蜜香を
真理恵は落ち着くまでしばし優しく撫で続けた。
「さて、少しは落ち着いたかしら?」
「う、うぃっす。」
「今日はもうここで一区切りにしたいところだけど、
見学が終わったら一度ハンナお姉さまに報告しないといけないし、
このままもう少しだけ回るわよ。」
二人は玄関で靴を履いて寮を出る。
霧の要塞のような路地を抜けると、
再び女子寮エリア入り口の門へと戻ってきた。
「さて、本当はこの先の遊歩道エリアにある
無人寮ってとこにも案内したいんだけど……
ちょっと時間が遅いし、必須ではないから、今日はやめにしましょう。」
「す、すんませんっす。
さっき蜜香がびーびー泣いてたから……」
「いいのいいの。
私は役得だったわよ?」
「フ、フヒヒ……」
霧の遊歩道に出ると、二人は来た道を戻り始める。
その二人の歩みを助けるかのように、
道沿いの街灯には暖かな明かりが灯っていた。
「ちなみに無人寮ってのは、さっきもちょっと言ったけど、
実質的にはおつとめ用のラブホテルみたいなものね。
居住者のいない寮をお兄さま方が連れ込み宿にしてるってわけ。」
「ラ、ラブホっすか。
ちょっと興味はあるっすね。」
「日持ちする食べ物や飲み物なんかもあるし、
映画のDVDを観たり、ゲームで遊んだりもできるのよ。
仲のいいお兄さまには手料理を振舞う子なんかもいるわね。」
「おっ、ゲームっすか?
クリハンとかあるっすかね?」
「ああ、『クリーチャーハンター』?
なによ、蜜香は何使いなの?」
「ライトボウガンっす。
え、お姉さまもやるんすか?」
「うふふ、私は大剣使いよ。」
「おー!」
「なんなら、今度順一お兄さまあたりも誘って、
三人でひと狩り行く?」
「いっすね!」
「ま、仲良くゲームを愉しんだあとは、
仲良く3Pになっちゃうけどね?」
「フ、フヒヒ……」
そんな雑談に花を咲かせながら、
長い北の遊歩道を抜けて校門前まで戻ってくる。
だが真理恵は学院エリアへは戻らず、
そのままそこを素通りして南下してゆく。
「あれ、お姉さま?
こっちって、たしか?」
「こっちは北みたいな長い遊歩道はなくてね、
すぐに用務員寮エリアに続く門があるの。」
「フヒッ?
まさか、こんな時間からそっちも見学っすか?」
「ふふっ、ま~さか。
ただ門前まで行くだけよ。
そもそも私たちは入れないわ。」
真理恵の言う通り、南エリアは少し進めばすぐに門があった。
だが、その様相は優雅な庭園の入り口を思わせる女子寮エリアとは異なり、
柵には有刺鉄線なども張られ、まるで刑務所の門のように重々しい。
「うわ……
こっちはなんか品がないというか、
随分と物々しい感じの門っすね。」
「そりゃそうよ。
だって、無数の猛獣を閉じ込めた檻みたいなものなんだから。」
「フヒッ。」
「毎日、帰りのHR終了を伝えるチャイムから二十分後の
通称『獣のチャイム』が鳴ると、
ここは執行部のお姉さま方により開放されるわ。」
「猛獣たちが解き放たれて狩りが始まるわけっすか。」
「でも私たちがこのあたりに来ることって、まずないと思うわ。
逃げるなら反対方向だし。
一応、こんな場所があるのよってだけ。」
本当にそうなのだろう。
真理恵は手早く説明を済ませると、
蜜香を連れて早々にそこを離れてゆく。
「次がラストよ。」
「おっ、どこっすかね?」
「一応、知識として教えなくちゃいけないだけで、
絶対に行ってはいけない場所、よ。」
「あ、それって、もしかして……」
「うん。
私も正直、あそこには近づきたくもないわ。
卒業式の日までは、ね。」
やってきた場所は同じ門でありながら、
先程の南門とは別の意味で重々しい空気に満ちていた。
聖リトリス女学院の広大な敷地と、
それを取り囲む更に広大な霧の森を隔てる――大門だ。
特別な“目”を持つ真理恵と蜜香。
二人にとって南門で視えたものが牡たちの欲望であったとするなら、
ここで視えるものは絶望、恐怖、嘆き――
そして、それら全てを内包する強烈な死のイメージだ。
首をくくられて樹に吊るされた無数の女生徒たちの死体が、
ギシギシと縄を軋ませながら風に揺れる姿が二人にははっきりと視えていた。
「……。
バスの中からは全然わからなかったっすけど……
こ、これは……」
「今、私たちの“目”に視えているのが……
勇気を出して学院からの脱出を図った者たちの、成れの果てよ。」
「う……ぅ……」
蜜香はなまじ真理恵より能力が強く、感度がいいため、
相手に深く作用できる反面、相手からも深く作用を受けてしまう。
今、強烈な死のイメージに蜜香の感覚はジャックされていた。
もう目を離したいのに、それができない。
もう視たくないのに、視界は対象へ吸い込まれるように接近してゆく。
――纏わりついてくる死臭。
――群がる蠅たちの羽音。
――内外からウジに食い破られた死肉。
更に近づいてゆく。
そして、ついに目が合った。
永遠に機能を停止した誰かの眼球が、蜜香の目を逆に覗き込む。
瞬間。
「うッ……うぶぇッ!」
喉を熱いものが一気に駆け上がり、
反射的につぐんだ口も容易く決壊させた。
ビチャビチャと嫌な重みのある水音を立て、
蜜香の足元に吐瀉物が吐き出されてゆく。
結局。
思っていた以上のダメージを受けた蜜香の手を引き、
真理恵は逃げるように場を後にしたのだった。
その後、二人は再び道を引き返し、
校門を抜けるとこの見学ツアーの出発地点へと戻ってくる。
執行部棟前。
そこではまるで二人が戻ってくる時間を知っていたかのように
半仮面をつけた黒衣の修道女・ハンナが待っていた。
「二人とも、ご苦労様。
よく戻りましたね。」
「はい。
ただいま戻りましたわ、ハンナお姉さま。」
「フヒッ。
ただいま戻ったっす。」
「首尾はどうでしたか? 蜜香さん。
何かわからないことはありませんでしたか?」
「いえ、大丈夫っす。
真理恵お姉さまに色々よくしてもらったっすから。」
「それは結構。
では、来週からの学園生活、問題ありませんね?」
「フヒヒッ……
だ、大丈夫っす……」
こうして。
魔都の名門・聖リトリス女学院に、
また新たなる一年が始まろうとしている。
数多くの取るに足らない者たちの物語を芽吹かせる箱庭は、
濛々と立ち込める白い霧の中を揺蕩うのだった。