女性 15歳(1年生)
少し神経質な女生徒。
親友の安否がわからず酷くナーバスになっている。
◇八尾 涼花(やおりょうか)
女性 15歳(1年生)
かげりの幼馴染。
学院に強く意見したため、執行部に連れていかれたまま帰って来ない。
◇安村 新(やすむらあらた)
男性 30歳(用務員)
やせぎす体形で軽薄な印象の男。
夜二十三時過ぎ。
女子寮エリア、一年生女子寮一階にある個室。
この部屋の主である一年生・掛原かげり(かけはらかげり)は
力なくベッドに横たわり、窓の外に広がる白い世界を見つめていた。
憂鬱。
聖リトリス女学院にやってきてからしばらく経つが、
この気味の悪い濃霧は一度たりとも晴れたことがない。
この部屋にいても、外にいても、教室にいても、
霧は常に彼女から幾何かの視界を奪い続ける。
それはまるで幾重にも張り巡らされた白い壁が、
かげりの心を監禁しているかのようだ。
(……。
私、いつまで無事でいられるの……?)
その上、かげりは複数の不安要素を胸中に抱えている。
一つは、同級生たちが皆心を悩ませている問題――おつとめだ。
在籍する女生徒たちは皆リトリスの乙女として、
男性たちに誠心誠意性奉仕をしなければならないという
理不尽極まりない規則。
これは要求される前に逃げ帰ればセーフという抜け道があるため、
一年生たちは帰りのHRが終わるや蜘蛛の子を散らすように逃げる。
ご丁寧にも追手がかかるまで二十分のタイムラグが設定されており、
今まではクラスメート全員がこの間に逃げ果せているが、
HRが長引くなどして危うい場面も何度かあった。
今日なんかもそうだ。
いつもはさっと話を終わらせて帰らせてくれる担任教師が、
今日は何やらニタニタしながらやたらと話を引き延ばした。
『早くしてよ!』という女生徒たちの無言の圧を
嘲笑うかのような担任教師の顔からは明確な悪意が見て取れた。
血眼になって自分たちを追いかけレイプしようとする用務員。
必死に逃げ回る自分たちを見て愉しんでいる教師。
規則の外へ逃げようとした者を厳しく処断する執行部。
ここの大人たちは誰一人頼ることができない。
自分たちを守ってはくれない。
皆、敵だ。
ならどうすればいいか。
女生徒は一致団結して身を守るしかない。
草食獣が群れを作ることで肉食獣に対抗しようとするように。
だが――
(……ねえ、涼花。
今、どこにいるの……?
お願いだから、早く帰って来てよ……)
ここで二つ目の不安要素が絡んでくる。
八尾涼花(やおりょうか)。
そんな名前の小~中学時代を共にしてきた友人は、
高校もかげりと同じ聖リトリス女学院へと進んだ。
根っからの腐れ縁故かクラスまで同じで、
本来ならこの寮で生活しているはずだった。
だが、そんな涼花はここにはいない。
その原因となったのは入学式の場でのことだった。
入学式は厳かな雰囲気の中で形式ばったつまらない話が続けられたが、
話題がおつとめの説明にさしかかるや場の空気が一変する。
混乱は波紋のように広がり、一年生たちは一斉にざわめき出す。
その空気に耐えられなかったのか
一人の一年生が不意に意識を失って倒れる。
その有様を見て、涼花はついに声を張り上げた。
『そんなの聞いていない!家に帰らせてもらう!』と。
それは至極真っ当な主張だったはずだ。
だが、通らなかった。
激昂して場を去ろうとした涼花に何人かの修道女が近づくと、
咄嗟に抵抗しようとする涼花に――“何かをした”。
次の瞬間、涼花はぐったりとして動かなくなり、
修道女たちにどこかへと連れ去られたのだ。
あまりの出来事に場はシーンと静まり返り、
涼花に続こうとしていた何人かの一年生もただ呆然と黙り込むしかなかった。
その後、上級生たちの案内で学院内の見学をして回った際、
執行部にまつわる恐ろしい話を色々と聞かされると、
誰もが深い後悔に首を垂れて抵抗を諦めたのだ。
八尾涼花は、その時から帰ってきていない。
大切な友人のためと奮起したかげりが
勇気を出して執行部や教師に聞きに行くも、
返ってくるのは『それは話せない』との思わしくない答えだけ。
『彼女は自分たちを服従させるための見せしめとして
既に殺されてしまったのではないか。』
周囲の見解は、いつしかそう固定されてしまっていた。
(ああもう、最悪。
どうしてこんなことになっちゃったの……)
吐き捨てるような大きなため息。
かげりはベッドから立ち上がると、乱暴に窓のカーテンを閉める。
そして、喉に張り付いた乾きを潤すため、
部屋を出て食堂へと向かうのだった。
◆
ちょうど食堂の入り口から入ろうとした時だ。
かげりはそこから出て来た一人の女生徒と鉢合わせる。
名前は知らないが何度か見たことのある
この寮の入居者、同じ一年生だ。
ぶつかりそうになった両者は同時に足を止めた。
「なによ。」
出会い頭の一言目。
どうやら、その女生徒は今、虫の居所が悪いらしい。
いきなり棘のある言葉が飛んでくる。
「はあ?
なによってなによ。
食堂に行きたいだけなんだけど?」
売り言葉に買い言葉だ。
虫の居所が悪いのはかげりとて同じ。
いきなり棘で刺されれば、刺し返したくなる心境なのだ。
「あっそ。
なら勝手に行ったら?」
一触即発はどうにか回避される。
女生徒はそう一言吐き捨てるとかげりの横を抜けて階段へと消えていった。
「……なに、あの子……」
かげりも一瞥くれると食堂へ入り、
フロアの隅にある自動販売機前までやってくる。
本来なら利用時間は既に終わり消灯されているはずの食堂。
だが今日はまだ照明が灯り、何人かの女生徒が何やら酷くざわついている。
たった今すれ違った女生徒といい、
何かトラブルでもあったのだろうかと
かげりはジュースを選ぶふりをして耳をそばだてた。
(……なんだろう?)
まず最初にわかったのは、
女生徒の一人が泣いていることだ。
かなり取り乱しており、他の女生徒はそれを宥めている。
細々と聞こえてくる会話からは、
ある程度の事情が読み取れた。
まず彼女は今日、
おつとめという名のレイプの犠牲となったことだ。
『ついに出てしまったか』
それがかげりの正直な感想だった。
そう遠くないうちにこうなるであろうことは、
もう心のどこかでわかっていたのだ。
(明日は我が身……
なんて、思いたくはない、けど。)
そして、この話にはもう少し続きがあった。
彼女は遅くなってしまった今日の帰り、
先程すれ違った女生徒と二人で逃げていたらしい。
だが、そこに用務員一人がやって来ると、
女生徒は自分を置き去りにして逃げたのだと彼女は激しく主張していた。
(……)
なお、おつとめの規則では、
用務員は同時に複数の女生徒に声をかけられない。
女生徒側から自主的に持ち掛けた場合のみ例外だが、
基本は女生徒多数と用務員一人でのおつとめはできないことになっているのだ。
そのため、女生徒二人でいる時に用務員一人に遭遇したなら、
捕まるのは女生徒の片方のみ。
もう片方は規則に従い逃げることができる。
先程の女生徒は、その原理を使ったのだろう。
(そりゃ、どっちか片方しか助からないなら、
“我先に”って逃げちゃっても仕方ないわよね。)
(彼女だって、もし先に自分がそのことに気づいていたなら、
同じことしたんじゃないの……?)
(さっきのあの子、もしそれで悪者扱いされたってなら、
ちょっとだけ可哀そうかしら……
っと。)
――ピッ♪
――ガランガラン!
少し長いこと聞き耳を立てすぎたかもしれない。
かげりはスポーツドリンクを入手するとそ知らぬふりで場をあとにするのだった。
◆
翌日、一年F組。
昼休みが近づく四時限目の授業中。
かげりは教師の言葉を右から左へと受け流しながら、
静かに物思いに耽っていた。
(昨夜もあまり眠れなかったわね……)
あの寮の部屋で一人で生活するようになってからというもの、
かげりは毎日よく眠れていなかった。
当然だ。
こんな状況なのだから、部屋の電気を消せば頭の中は不安一色に塗りつぶされる。
ぐっすりと安眠など貪れるわけもない。
だが、こと昨日に限っては他にも理由があった。
かげりが食堂から戻ってしばらくしたあと、
寮内ではもうひと悶着あったのだ。
まずレイプ被害者となった彼女が仲間の制止を振り切って聖水を使った。
聖水は“人間の精神に深刻な影響を及ぼす薬品”である。
その認識は見学の際に上級生からしっかりと伝えられており、
一年生は皆『麻薬の一種なのではないか?』と恐れている。
それを目の前で彼女が使う場面を目撃にした他の仲間たちは激昂。
かげりがすれ違ったあの女生徒を『最低の人でなしだ!』と断じて、
その部屋へ集団で押し掛けたのだ。
女性の集団ヒステリーほど怖いものはない。
その女生徒も危険を感じたのだろう。
扉の鍵を開けこそしなかったが、
それを今度は“卑怯者”と責め立てる一団。
そのままギャーギャーとヒステリックに騒ぎ立て、
あらん限りの罵詈雑言を扉越しにぶつけ続けた。
やけに遅れて管理人の修道女が仲裁に来ると場はひとまず治まったものの、
翌朝には更なる悲劇が起きていたことが発覚する。
寮の仲間から悪意の的にされ続けることに耐えきれなかったのだろう。
あの女生徒も連鎖するように聖水を使っていたのだ。
レイプされた女生徒も、かげりがすれ違った女生徒も、
今朝はまるで何もなかったかのように平然としていた。
聖水に心を奪われた者の末路。
その姿はかげりの目に酷く恐ろしいものに映った。
(ああ、少しずつ周りが崩壊していく……
きっとこれからも、どんどん広がっていくんだわ……)
かげりの心には休まる暇がない。
みるみる傷つき疲弊してゆく。
もし、それに耐えられなくなった時、どうなるのか。
そもそも心が壊れる前に体は無事でいられるのか。
自分は果たしていつまで逃げ切れるのか。
そんな考えはかげりをまたナーバスにさせる。
止まらない負の連鎖だった。
「では午前の授業はここまで。」
教師がその言葉を告げるや、かげりは足早に教室を出てゆく。
たとえ心身がどんな状況にあれ、人には絶対に勝てないものがある。
それは生理的欲求だ。
かげりは廊下の隅にあるトイレへ駆け込んでいた。
その後、さっと小用を済ませてトイレを出た瞬間だった。
『すぐ目の前に誰かいる! かわせ!』
突如、脳から緊急アラートが飛ぶが、それは少し遅かった。
「おゎたっ!?」
「きゃっ!」
止められず踏み込んでしまった足に違和感。
見れば、床に着地するはずだった足先は、
予期せぬ段差を踏んでおかしな方向に曲がっている。
慌てて横の地面に着地し直した。
『グキリ!』となった感じの激痛こそまだないが、
遅れて何か来るんじゃないかという恐怖が登ってくる。
「あっ、ごめんね?」
足を踏まれた方の女生徒から、すかさずひと言入る。
それは陽気でマイペースで人懐っこさを感じるような声だ。
だがこの状況に怯え、悩み抜いているかげりからすると、
その危機感のない声は酷く耳障りなものに聞こえていた。
「なっ、なにするのよッ!!
もし足をくじいて走れなくなったら、
どうするつもりよーッ!!」
反射的に金切り声を張り上げる。
おつとめの恐怖、帰ってこない涼花、聖水で壊れてゆく仲間たち。
身の回りで次々と重なってゆく悲劇。
やり場がなくなっていたドロドロした感情が、
ここが機だとばかりに爆発する。
「あッ……あんた何組よッ!?
もしこれが原因で私が男に捕まったら、
あんたの責任だからねッ!!」
「ご、ごめんなさい……」
「あんたねぇ……!
ごめんなさいで済むと思ってんのッ!?」
相手が自分より小さいからだろうか。
自分より弱く見えるからだろうか。
ついついかげりは攻撃性を前面に出しすぎてしまう。
ふと気づけば、
周囲から多くの視線が自分に集まっていることに気づく。
酷く居心地が悪い。
いや、それ以上に『もし万が一、この視線が全て悪意に変わったら』と考えると
生々しい恐怖さえ湧き上がってくる。
昨日の女生徒の二の舞だけは御免だった。
「……あ、あんたの顔覚えたからね……」
そう一言いい残すと、かげりは踵を返す。
色々なものに押し潰されて
酷く醜い存在になった自分から顔を背けながら、
逃げるように場をあとにするのだった。