腕を欠損してから幾日か経った頃、大本営から指示を受けた。正直クビを覚悟していたが、実際のところは異動という処分に落ち着いたらしい。驚き半分安堵半分、と言った感じだ。
しかし、異動とはつまるところそれまでいた鎮守府から離れるということである。既に後任の提督が配備されているらしく、艦娘もそれに従っているらしい。異動先の鎮守府はかなりの辺境の地であり、裏を返せば最も安全な場であるということでもある。提督業をして長い自分が聞いたこともない場所であった。
次の週には既に新しい鎮守府へと身を置いていた。司令室と思われるところには多いとは言えない資源と、数束の手紙がポツンと置かれていた。
手紙はほとんどが以前いた艦娘のものであり、内容はそれまでの感謝と激励であった。年甲斐にもなく涙腺が緩んでしまった。多くの艦娘の思いにしたじきにされていた手紙を見つけた。開くとまたもや大本営からであった。
「腕がないというのは不便であろう。初期艦をつけようとも思ったが、あくまでここは安全な海。さらに、君は前鎮守府で大変優秀な指揮官であった。ここでは深海棲艦との戦闘も殆どない。つまり、時間が他より多く確保できるというわけだ。ならば、資源を送り、最初から建造し、その艦娘を初期艦とし、新たな経験を積んでいただきたい。少しばかりではあるが、駆逐艦娘ならば建造可能な量を送らせてもらう。」
…大本営のおもちゃにされているようで癪だ。しかし、一組織に、しかも使えない男であるはずの私を捨てずに手元に置いている時点で文句は言えないのかもしれない。ガタのきている扉を全身を使って開け、工廠へと資源を持って向かう。妖精さんは既に話を聞いているらしく、早速取り掛かってもらえた。完成するまでもらった手紙に目を通していると、コンコンと色褪せた扉が叩かれる。
「どうぞ」
入ってくるのはどの艦娘か、正直どんな娘でも良かった。こんな司令官にもついてきてくれる娘ばかりいるからだ。
「霞よ。ガンガン行くわよ。ついてらっしゃい。」
前言撤回。最悪なパターンを引いてしまった。霞は前の鎮守府にもいたが、ことあるごとに衝突し、提督である私にも容赦のない言葉を突きつけた。物思いに耽っている私に、
「アンタ、ホントに腕がないのね。なんでこんなところに来ちゃったのかしら。」
いつも通りの霞だった。別の霞のはずなのに、発言は変わっていない。
「ちょっと!なんとか言ったらどうなの!このクズ!」
「…失礼しました。あなたの司令官となります。今日から私の初期艦兼秘書官としてよろしくお願いしますね。」
「は?初期艦?私が?」
「はい。あなた以外にこの鎮守府に艦娘はいませんよ。」
「…」
言葉を失う霞は珍しく、じっくりと観察してしまった。暫くしてから首をブンブンと横に振り、何かを決意したような顔で
「事情が変わったわね。私はあなたの介護をすればいいってわけ?」
「いえいえ。そんなことはありません。もちろん手助けはお願いしますが、介護されるほど腐ってはいません。」
「そう。」
「さて、私がこの鎮守府についてのことをある程度お伝えしましょうか。」
「ええ。お願い。」
「まず、この鎮守府は相当放置されている部類です。この部屋に来るまででもわかったでしょうがね。そして、現状の資源はあなたを建造した時点で殆どカツカツです。つまり、入渠することになったり、新しく艦娘を迎え入れることはかなり厳しいです。つまり2人きりというわけです。」
「そういうのいいから、続きを話して。」
「では話を戻しましょうか。この海域は現在我が国の管理下にあります。つまり、最も安全な海の一つであるというわけですね。」
「なら、出撃はしないということでいいかしら?」
「ああそういうことではなく。あくまでも戦闘がないだけ、資源の確保や周辺海域の警備などは行います。腐っても鎮守府ですからね。」
「了解。」
話が早くてとても助かる。この点は霞であるからこそスムーズに進むものだろう。
「では早速ですが、この鎮守府、放置されていると言いましたよね?」
「ええ。」
「つまり、あちこちが汚れているわけです。現に埃が大量に空を舞っています。とても耐えられませんね。おっと失礼鼻水が。」
「マスクくらいしときなさいよ…。」
「すっかり忘れていました。とりあえず、今日はこの鎮守府を掃除しましょう。」
「そうね。流石にこんなに汚れたところで一夜を過ごすのはいただけないわ。何か掃除用具でも持ってくるから。窓を開けといて。」
埃を被った時計を拭ってみると、誰に知らせるでもなくせっせと秒針を動かしていた。霞を待つ間に、机の引き出しをなんとなしに開けてみた。日焼けした手帳を見つけた。字は掠れて所々読めないが、その殆どが艦娘の落ち着きがないだとか、昼食が今日は豪華だったとか、他愛もないものばかりだ。しかし、一番最後のページにはやけにはっきりとした字で、
『周辺ノ海域ヲ制圧及ビ管理下ニセシ』
…どうやら前提督はよほど仕事ができたのだろう。引き出しにはこの手帳以外には何もなく、陽が天辺に差し掛かっている。
「何ぼーっとしてんのよこのクズ!さっさとやるわよ!」
「失礼、少し考え事をね。」
けして早くはないが、それでも順調に掃除を進める。ようやく司令室らしくなった。秘書艦用の机には丁寧に布がかけられ、埃もそれほどなく、少々古くとも立派な装飾が施されていることが確認できる。
「なかなか綺麗になったじゃない。さ、次もやるわよ。」
「ええ。」
ギイと重い扉を軽く押して廊下の掃除に移る。開けられる窓は全て開け放し、玄関へゴミを運びながら箒を掃く。下は綺麗な木製の板が打ち付けられており、所々にキズがついている。おそらく、前所属していた提督や艦娘たちがつけたものだろう。
陽も傾いてきた頃、ようやく廊下の掃除が終わり、残すところ艦娘用の部屋と提督用の部屋のみになった。ひとまず艦娘の部屋から始めようかというと、
「ダメよ。いくらクズ司令官で何もない鎮守府だからと言ってもあなたはここの最高クラスの人間なの。いつでも万全な状態にしておかないといけないのよ。」
そう言われては仕方ない。霞の言い分はもっともだった。
「ではお言葉に甘えさせていただきましょう。そうそう。扉の建て付けなどは妖精さんが終わらせてくれるらしいです。」
結局艦娘用の部屋を掃除する前に夜になってしまった。妖精さんがいち早くに電気を配備してくれたらしく、灯りには困らなかった。しかし、それ以前に、食事はどこで摂るのか。考えを巡らせていると、玄関の方から声が響いてきた。
「到着が遅れて申し訳ありません。間宮と申します。この鎮守府では甘味以外にもお食事を作らせていただきます。今後ともよろしくお願いしますね。」
「ええ。ご迷惑おかけします。」
妖精さんの仕事は素晴らしい。いつのまにか風呂も綺麗にされ、いつでも使えるようになっている。風呂にかけられている暖簾を掻き分けた先には霞が腕を組んでこちらをみていた。
「そんな状態じゃ、満足に体洗えないでしょ。流してあげるわよ、背中。」
「いえ、そこまでしてもらうわけには…第一あなたは女性ですし…。」
「あなたがみなければいいだけよ。さっさと準備しなさいったら!」
霞に流されるままに風呂場へと向かう。